中野みどりの紬きもの塾

染織家中野みどりの「紬きもの塾」。その記録を中心に紬織り、着物、工芸、自然を綴ります。

博物館に初もうで

2018年01月06日 | 工芸・アート



                   「押出如来立像」飛鳥~奈良時代・7~8世紀

新春のお慶びを申し上げます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

お正月三ヶ日はゆっくり過ごすことができました。
頭のなかで織物のことがチラついていましたが、正月の清新な気持ちであれこれ思いを巡らせるのは楽しく満ち足りた気持ちになります。

三日には上野の東京国立博物館に着物で初もうで。北風の強いとても寒い日でしたが、着物の方もチラホラいらっしゃいました。
人出も多かったのですが、佳きもの、善きものたちと出会ってきました。
古い時代でありながら色褪せないものたちに向き合うといい仕事をしなければ、、という気持ちになります。
それは古いからいいとか、新しいからとかでなはい普遍的なものがもつ力だと思います。

たくさんお正月らしいものが展示されていましたが、2点だけご紹介します。
上の写真はガラス越しに撮ったものですが小さなレリーフの如来様です。
キャプションには「個人的な礼拝対象として、また厨子や室内の飾りとして用いる」と書かれていました。釘で固定するよう縁には小さな穴が空いています。見惚れてしまいました。



                        「鈴付銅釧」古墳時代・5~6世紀

もう1点、同じく本館「日本の美術」の部屋にあったものですが、鈴付きの腕輪です。
「鈴の中には石丸が入っており、腕を動かすたびに音色を響かせることができた。装着した人の権威や呪力を高めることができた。」と説明書きにありました。モダンなかたちです。音も鳴らしてみたかったです。石と銅の触れ合う音を想像します。

古の人の精神は今の人にも通じるもの。神聖なものに触れさせてもらい、心洗われるものがありました。

善きものに触れ思うは、平和な日本、世界であるようにと改めて祈ります。

そして本年もいい仕事をしてまいりたいと思います。よろしくお願いいたします。








 
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佳き、好き、善き手仕事で新年を迎える

2016年12月28日 | 工芸・アート
今年もあと僅かとなりました。
本日は仕事納めで昨日大掃除も済ませました~☆彡


工房内の棚のあるコーナーを床の間スペースに見立て、ささやかながら新年を迎える飾りとしました。


壁に飾られた作品は図書館などから廃棄される本の表紙を使った作品です。
✗印は寄贈者名などが記された箇所ですが、これはもともとあったものです。後は着色したり表面を蜜蝋でコーティングしてあります。国際的な美術家で本を使った作品を多く手がける西村陽平氏によるものです。この作品は今年スイスで行われた展覧会出品作品です。縁あって我が家にきてくれました。\(^o^)/


花は先日、造形作家の栃木美保さんから頂いた桂の落葉を使いました。
階段ワイングラス(大村俊一作)に塩とともに活けてみました。雪の下から芽を出し花咲かせる水仙をイメージしました。桂はとても香ばしい甘い美味しい香りです。(^ν^)
紬の卓布はショールを織った経糸を利用し、母が布団側を裂いてくれていたものを少しあしらったものです。ちなみにくるみの木の棚は斉藤衛作です。静かにそこに居てくれます。
立派な床の間がなくても自然物、自分の宝物や美しい手仕事を選び眺めるのは心楽しく気持ちが澄んできます。良い年が来るような気になります。

さて、一年を振り返ると、今年は3度も展示会があり染織の仕事としては肉体的にもかなり大変でした。でも新しいお客様との出会いもたくさんあり、手応えをいただきました。
紬塾も熱心な方々に引っ張られ、私もヒートアップして毎回時間オーバーで努めてきました。あと1回で今期は終了となります。

着物の世界も厳しいと言われて久しいですが、私の周りにはしっかりと着物関連の仕事に携わっている方、あるいはいいものをじっくり選んでとことん着ていこうとする方もいます。
手仕事系着物は作るのも着るのも手間もお金もかかりますが、額に汗しながらも心豊かに、充足して生きていく上で大切にしたいものです。

手仕事は片隅に追いやられ、人間をロボット化し、過剰な労働を強いたり、日々の暮らしも過剰な便利さに囲まれ、人が時間をかけ考え、工夫したり、研究したり、反復鍛錬し、時に失敗もし、悩み、苦しむ時間も与えないような流れがあります。
これでは上質な手仕事や文化が育つわけはありません。
しかし、一般の私達が諦め流されてはその動きを押しとどめることもできませんし、身近な小さなことから手を使ってものを作り、創意工夫し、ものを大事にしていくだけでもいいと思います。
また、プロの仕事も尊重し、いいものを選ぶ目も持ってほしいと思います。私も非力ながら紬織を通して、創ること、使うこと、未来に繋ぐ努力をしたいと思います。共感の善き輪が広がることを願っています。

今年もたくさんの方にお世話になりありがとうございました。
仕事始めは1月4日からです。

国内外、災害もあり大変な一年でしたが、ブログをお読みくださっているみなさまもどうぞそれぞれの良いお年をお迎え下さいませ。
来る年が良い年でありますように!!






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『ジョルジョ・モランディ ――終わりなき変奏』展

2016年03月22日 | 工芸・アート



昨日は少し早めに仕事を終え、東京ステーションギャラリーへ『ジョルジョ・モランディ―終わりなき変奏』展へ行って来ました。休日で多少込んではいましたが、案外、ゆっくり観ることができました(~4月10日)。
詳細はこちらから。

モランディは20世紀を代表的するイタリアの画家。
主に、花瓶や水差し、四角い物体、丸い物体、上戸を逆さまにして溶接したオリジナルな物体、それらをテーブルにどう配置するか、順番や奥行き、窓からさす光の加減などにこだわり絵を描いた。
モチーフとなる物体に積もる埃さえも絵の重要な要素となっているらしい。

特別な器物と言うわけでもなく、柔らかいけれど、少し黒を含んだ色調の静かな世界に引き込まれて見入った。見かけは静物画のようだけれど、観ていると普遍性をもった抽象絵画に見える。
水墨画を想起させる水彩画の小品も少しあって、東洋の影響も当然受けているのでしょう。
それから額縁もとても素敵でオシャレで、絵と共にしっかり鑑賞してきました。(@_@)

紬塾の染織実習で、3寸ほどの布を毎年織ってもらっています。
数種類の地糸と、自分でつむいだ少し太めの淡く染めたオフホワイト系の糸、ほんの少しの挿し色は使っても使わなくてもよいという条件。
条件は一緒だけれど、無数なバリエーションの布が生まれてくる。
モランディの絵を観て、この紬塾の実習にも通じるところがある・・と思いました。


チラシ裏面(印刷物では良さが伝わりませんが‥)

モランディは限られた数種類の物体や自然な状態をよく見、その配置や見え隠れする分量、あるいは窓から差し込む光を戸板で加減し描く。先に頭の中で構図を練りまわすのではなく、物体の形や色、状態を見ながら配置を生み出していく。

たとえば河原の石を数種類集め、ある大きさの枠に配置したとする。
どう配置するかは無数な可能性がありながら、また納まるべき位置は一つに限定されていくようなところもある。自然に導かれて生まれてくる世界。

自然や物や日常との関係性と向き合う世界こそ先端的であり、普遍性のある世界が、静かに存在してくるように思うのです。

紬きもの塾が「紬」や「きもの」という既存の概念に押し込められたりされるのではなく、また先入観や刷り込まれた知識で捉えるのでもなく、自分の目で素直に、自然を見詰め、見極められる目を養うことができれば、あるいはそのきっかけになればと思います。
「紬きもの塾‘16」申し込み受け付けは3月24日(木)からです。詳細は前記事をご覧ください。
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『現代工芸論』が都立高校の入試問題に採用されました!!

2015年02月26日 | 工芸・アート
以前のブログ記事でもご紹介しましたが、昨年4月に出版された笹山央『現代工芸論』(蒼天社出版)の第三章「美しいもの」であること の中の4.取合せの美の項が都立高校国語の入試問題に採用されました。

昨日の朝刊に問題や回答が挟まれていました。

とても驚きましたが、とりあえず私も早速問題を解いて見ました。結構読解力が試されますね。^^;

でもドキドキしながら答えを選びましたがお陰さまで問題の作成者の回答とも著者の笹山さんの回答とも合致してよかったです。(*^。^*);V

当の著者本人が「難しかった・・」と言ってました。(^O^;)

地道に現代の工芸や美術の領域で本当に大事なことと向き合いながらものを観続け、考え、言葉化し、どんなにマイナーな状況と遭遇しても前を向いて淡々と歩き続ける笹山さんの姿勢は尊敬してきましたが、やっと一般の人々の目に触れる場へ出て同志としてやはり私も嬉しく思います。

しかも中学3年生がこの問題に向き合い内容を理解しながら設問のメッセージも受け止め答えを出していくわけですから、あまりにフェイント攻撃的な内容も含め難しい問題ではなかったのではないでしょうか?
問題の⑤は特に難しいです。自分の経験も踏まえ取合せについて書くというのは・・・でも良い問題ですね。

かたちの会の方などからも「すばらしい!」「自分も読んでいたので本当に嬉しい!」とか「中学生に負けないように問題を解きます!」とか「」メッセージをたくさんいただきました。

ある方からは
「 最も的確な文語かつ正論で記することが困難なジャンルであるにもかかわらず、一般中学生を対象にした基礎読解力問題への採用は、すばらしいことです。
また、問題を作成したと思われる公立国語教諭の探索力とレベルの高さも、嬉しい事です。」
こんなメッセージをいただき、涙が出るほど嬉しく思いました。

こんな時代だからこそ本当のことを考え、伝え、実行していかなければならないと思います。

工芸や美しい手仕事、日本人の自然観や感性の気高さ、不自由さの中のに見出す自由さを大切にしたいです。

今日は嬉しくて『現代工芸論』の中にも名前が登場する曜変天目茶碗を再現された桶谷寧さんの黒織部のぐい呑で祝杯を挙げました。

個人的な喜びにとどまらず、多くの方に『現代工芸論』の本質を読み解いてもらいたいです。

この本を取り上げてくださった方、そして入試問題として承認下さった方々の見識の高さにも敬意を表したいです。

また、改めて、原稿を依頼してくださった編者のギャルリ・プスの市川文江さん、良い原稿だとしてマイナーなジャンルの内容にもかかわらず出版元を引き受けてくださった蒼天社出版の方にも感謝致します。

まだ『現代工芸論』お読みでない方もぜひお手元でじっくりお読みいただきたいです。
図書館でのリクエストも有難いです。
作り手、一般の方にかかわらずおすすめしたいです。

ネットでは現在品薄のようですが、かたち21でも取り扱っています。→

新聞をとってない方は、入試問題はこちらでご覧いただけます。
P.4からですが文章はまだ許諾申請中となっています。
設問は見ることができます。

笹山央さんのブログもご覧ください。

◎紬塾'15のお知らせは今月末28日(土)に致します。


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古田織部展――深く、広く、強く、自由に、自然とともに

2015年01月17日 | 工芸・アート


年が明けて作品制作に精を出しています。
その合間を縫って古田織部展(松屋銀座/~19日まで)など桃山から江戸にかけての美術展をいくつか回ってきました。

織部ゆかりの品々の中に特に好きなものが何点かあり、刺激を受けました。
古田織部は利休の弟子ですが、利休と織部の師弟関係は互いに尊敬しあい学び合い
刺激し合い、そして見せかけは一見違うものを提示した――しかし通底する感覚は同じなのだと今回観てつくづく思いました(織部の弟子の小堀遠州はタイプが違うと思います)。

「わび、さび」とは侘しく、寂しい古びたイメージに固定されたものではなく、
限られた命を深く広く強く自由に自然とともに崇高に生きることであると思います。

こういう関係性の中で人間の生み出す美の世界が繰り広げられ、築けたなら作り手として本望です。

着物の世界は一人勝ちするものではなく、取合せの美の世界です。
裏方の仕事も含め良き同士と出会い高めあえる関係を持ちたいです。

今月25日のかたち塾の小川郁子さんへのインタビューの会でもよい話が聴けるものと確信しています。

まだ少し余裕がありますのでお申し込みをお待ちしています。
こちらも参考にしてください。
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「江戸の衣装競(くら)べ ―国立歴史民俗博物館 野村コレクション―」

2014年09月29日 | 工芸・アート
 
「京名所模様小袖」 江戸時代中期 18世紀 国立歴史民俗博物館蔵 (後期展示)町田市HPより転載

「江戸の衣装競(くら)べ ―国立歴史民俗博物館 野村コレクション―」を町田市博物館で観てきました。

町田市博物館は櫻工房から30分ほどの所に在り、ウォーキングを兼ねて昨日行ってきました。
市博は工芸関係の良い展示を観ることができますので時々出かけています。

たいがい空いていますのでいつでもじっくり作品を観ることができるのですが、昨日は年配の二人連れが大きな声で作品の前でしゃべり続けるのに閉口しました。>_<
連れの人と話をするときは小さなヒソヒソ声ですよね。(^。^

一旦展示室を出て図書コーナーで閲覧して二人連れが出てからもう一度じっくり観てきました。
シ~~ンとしてました。
江戸初期から後期の流れがわかるように展示されています。
友禅染の出現がモードの変化へとなります。

当時の人々はこんな衣装をどんな気持ちで、どんな表情で纏っていたのでしょうか?
生き生きとした様子を想像します。
そして現代の着物へ思いを馳せました。
着物の姿は変わっても、生き生きとした美しい上質の布をまとう歓びを繋ぎたいと思いました。

前期(~10月5日)・後期(10月11日~11月3日)で小袖は全点入れ替えということです。
後期も行ってこようと思います。

町田駅からはバス便がたくさんありますので不便ではありません。
鶴川からも町田行きがあるのですが本数がとても少ないので鶴川の方は調べてから利用したほうが良いです。

詳細はこちらから。

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「ボストン美術館 華麗なるジャポニスム展」を観て――

2014年08月22日 | 工芸・アート

95年の5月に訪ねたオランダのゴッホ美術館で買ってきた絵葉書。たくさん買ってきたのですが、たった1枚残ってました。
「グラスに入れた花咲くアーモンドの枝」1888年


夏休みに入る前に紬きもの塾有志の方たちと「ボストン美術館 華麗なるジャポニスム展」を世田谷美術館で観て来ました。

鑑賞後には併設のレストランでコース料理をいただきながらミニアート塾(講師・笹山央先生)付きの趣向でした。

食事をしながらみなさんが特に気になった作品や全体の感想などを話してくれました。
図録で確認しながら、ほかの方の話を聞くことで、自分では気がつかなかった作品や観方を知ることができよかったです。
「いつもなら一人で観てただ帰るだけなのに話が出来て楽しかった!」と言ってくれる人もいました。
美術館でのアート鑑賞塾も面白いと思いました。

みなさん、私も含め美術史などを専門にしているわけではありませんが、素人ながら様々な感想、疑問、批評が出ました。
そこから自分の言葉でもう一度考えてみることは大切なことだと思います。学芸員さんが聞いたら青くなるような話もありましたが面白かったです。

美術品をただ崇め奉って眺めて知った気になるのは面白くもないですし、インターネットや本でも情報としてはたくさんありますが、やはり実際にものを見て受ける情報は全く別のものです。

19世紀後半のモネやルノワール、ゴッホ、ロートレック、ガレなど、多くの西洋の人々は日本の美術や工芸品に表わされている自然の美しさや移ろい、モチーフや構図に驚き、模倣し、そして自分の人生、作風に大きな影響を受けながら、西洋の地でジャポニスムを自分のものとして昇華し、偉大な作品にしていったのだということに改めて気付かされました。

自分の腕力だけで描き上げたわけではないのですよね。
何を描くか、どう描くかを日本の文化から学んだと言って過言ではないでしょう。

アート鑑賞塾長の笹山さんは「ジャポニスムは19世紀の美術だけでなく、20世紀の現代美
術へと展開していく原動力になった」という他ではあまり聞けない話をしてくれました。
何か新しい動きが生まれ、成熟し、でもまたそのことから新しいものが生まれる道筋が開かれていく。


19年前にオランダのゴッホ美術館を訪ねたことがあります。

今回の展覧会図録の裏表紙に使われている歌川広重の版画(名所江戸百景 亀戸梅屋敷 )を模写したものが展示されていました(今回の展示では広重のオリジナルのそばに小さなサイズの印刷物で展示されています)。

その時はなぜ版画を模写したのかよくわかりませんでした。
油絵具で描いてもなぁ・・・と。

しかしゴッホ美術館の展示に、ゴッホが亡くなる半年ほど前に描いた「グラスに入れた花咲くアーモンドの枝」というB5判ほどの絵があったのですが、そこにもジャポニスムが反映されていたのだと今回気付かされました。
そのころゴッホは精神を病んでいたといわれてますが、どんな思いであの絵を描いたのでしょう?
私には明るい希望の光と優しさに満ちあふれた作品に思えました。

人は一生のあいだに人生を決定させていくようなモノとの出会いが誰にでもあると思いますが、何か心に迷いや苦しさを抱えているような時に出会うような気がします。でも生きる力をもらえます。

特に心惹かれたその小さな絵の前で、私は一人長いこと佇んでいた遠い日のことを思い出しました。

西洋の人々を驚かせた日本の美術や工芸の素晴らしさは今の私たちにも受け継がれているはずです。
遠い昔の西洋の話ではなく、日本の自然観、美意識を今に失いたくはないと、また日本人の自由な発想、手わざは誇りにすべきものだと思いました。

世田谷美術館で9月15日まで。
このあと、京都、名古屋に巡回。





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藤井達吉の全貌―野に咲く工芸 宙を見る絵画

2014年07月18日 | 工芸・アート


渋谷区立松濤美術館「藤井達吉の全貌」展へ行ってきました。

17年ほど前にも東京近美での特別展を観て、暮らしの中にある工芸というか手芸的とも思いましたが、今回は初めて見る絵画も多く、本当に素晴らしい展観でした。

自由でおおらかで、楽しくて、モダンで創る喜びに溢れ、全く古びない作品です。
1時間以上をかけてじっくり観て来ました。

工芸、美術、書、装丁、室内装飾、様々なものが人々の暮らしの中で生きてある美の世界を追求した方です。

工芸や美術、染織、境目のない統合の美の世界があります。

アート鑑賞塾でも再三話題に登った「工芸、美術を分けるものではない」という考えと同じようなスタンスで制作されています。
かたちの会のコンセプト「創る悦び、使う愉しみ」とも合致します。

いわゆる職人芸的なものではないのですがレベルの高い美術家のセンスを感じることができます。
作り手としても使い手としても力をもらえる展示でした。

中央からは離れて仕事したようですが、今こそ藤井達吉が再評価され多くの人々にその作品と考えを知ってもらえるといいのではないかと思います。

今現実のものとしていくことはたやすいことではないけれど、私にできる紬織りを通してできることをやるしかないと私は思っています。

3.11以降の日本に大切な大きな意味を投げかけてくれていると思います。
私たちに大切なものは何か――
自然な美の世界、自然の理から生じる美の世界を大事にしたいです。

7月27日(日)までです。
画像ではほとんど良さが伝わりませんが、こちらのサイトもご参考まで。



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「『現代工芸論』出版記念の集い」無事終了しました!

2014年07月02日 | 工芸・アート


「『現代工芸論』出版記念の集い」と「井上まさじ展」が無事終了しました。
2日目の講演会とコンサートにはたくさんの方にご来場いただきました。
みなさまありがとうございました。


もっと聞きたかったし話したかった講演会。
「観念の設定ではなく、自己の外にある対象と向き合う」
「具象性を超える」
「表現系と機能(実用)系を価値付の上で区別しない」
この3点について例をあげて解説がありました。
参加者から「今日の話は当たり前のことを言っているのですよね」というコメントもありました。
陶芸の桶谷寧さんも聴講して下さり、真を付いた語録を残してくださいました。
またこれからも工芸の問題を考えていきたいと思います。


もっと聴きたかった歌、もっと歌いたかったワークショップ。
ワークショップの『うさぎ』谷川俊太郎作詞、松下耕作曲は私には結構ハードル高かったです。。。><;

短い時間に少しタイトになりすぎてしまいましたが皆様はお楽しみいただけましたでしょうか?
たくさんの心に残る言葉や人の出会いがありました。
紬塾の方もたくさん参加してくれて嬉しかったです。


ソプラノの名倉亜矢子さんのコンサートの後半、日本の曲に入ったあたりで、激しい雨と雷鳴の中で真っ暗になってきました。声がかき消されないか少し不安な気持ちになりました。
しかし名倉さんは全く動じず、雨音と共に声を響かせ、雨音は名倉さんの声を浮かび上がらせるBGMのようでもありました。
不安は消え、むしろこれでいいんだ――というような安心した気持ちになりました。

最後の方は涙ぐんでいる方もありました。
「雨の音が雑音にならないでむしろ効果的だった」という方もおられました。

とにかく忘れられないコンサートになりました。
名倉亜矢子さんの力量を改めて知る機会となりました。







仏蘭西舎すいぎょくさんの会場も庭も本当に素晴らしく、丁寧に手入れをして使われているテーブルや椅子は展示の邪魔にもならず、添え物でもなく、井上まさじさんの絵とのコラボレーションも楽しませてくれました。

29年使われている建物の内装、テーブル、椅子、調度品もすべて国産のムクの天然木を使用、
飛騨高山の工芸集団「オークヴィレッジ」が手掛けたものです。
使わせていただき心より感謝申し上げます。

8月いっぱいレンタル可能です。
9月からはレストランもリニューアルオープンします。
詳細はこちら

井上作品も素晴らしかったです!!!
小さな丸を連ねた作品。この絵は毎朝少しずつ描かれます。どれだけ描かれたのでしょうか・・


サブコーナーの器たちもテーブルと調和していました。




都合で長くはできず、短い期間で本当にもったいない展示だと片付けながら心底思いました。

工芸だ美術だ着物だ音楽だ建築だ、というくくり方ではなく、すべてがトータルに自然体で自然から導かれ、自然と調和し、これからの新しい手仕事、手わざ、身体を通した仕事に注目したいと思います。

かたちの会は小さな会ですが、そういうもの、そういう人たちを紹介していきたいと改めて思います。
これからもご支援ご協力のほどよろしくお願い致します。
詳細はかたち21のHPをご覧ください。

 
名倉亜矢子さん、笹山央さんと、井上まさじさんの絵の前で記念撮影です。
細身のお二人と並ぶと幅が強調されてしまいますが・・・^-^;


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『現代工芸論』(笹山央著)出版記念鼎談を傍聴して

2014年04月27日 | 工芸・アート
先日のギャルリ・プス企画の『現代工芸論』(笹山央著)出版記念鼎談の傍聴をしました。

「ただそこにあるもの」という長谷川直人氏の灌木の根とガラスを素材とした作品タイトルにちなんでそのテーマで今の美術の関心事を三人が語るという趣向でスタートしました。

1時間あまり、三者(長谷川直人氏、井上明彦氏、笹山央氏)の話のやりとりがあり、最後に傍聴者からの質問を受ける時間がありました。そこで特に印象に残った質問についてご紹介します。

京都市芸術大学助教授で美術家の井上氏に(学生たちと器をつくろう!というコンセプトを立てて器を作った話をされたのですが)京都の器系の陶芸家が傍聴されていて、「美術の方がなぜ器を作るのですか?」と聞かれました。

井上氏は即座に「美術は根付いていない、上げ底、工芸にコンプレックスがあるのです」と。
(工芸も美術に対するコンプレックス、憧れもあると思いますが・・)。

ゆっくり話を聞く時間もなくそれ以上のことは聞けなかったのですが、アルミの板を打って器を作ったその器の作品タイトルは『打つわ』としたそうです。

タイトル『打つわ』は“器”とは何か、“打つ”という行為は何を意味するのかを考えるきっかけにもなるタイトルです。アートは普段当たり前のように思っていたり、見過ごしたり深く考えていなかった何かの気付きや発見、考察の機会をあたえてくれます。

井上氏は美術も工芸もデザインも地続きのものと考えているとのことですが、元々それぞれを分断したり上下をつけたりするものでもなかったわけで、現代でいうところの「工芸」と「美術」はそれぞれの領域が重なり、内包し合う部分が多いので、対立するようなものではないと思います。
むしろ純粋美術というものを探すほうが難しいです。工芸的要素を含まない表現はほとんどないのではないでしょうか?
絵画でも彫刻でも素材、道具、技を抜きには表現もないわけです。

今回の鼎談のテーマは「今の美術の関心事・・・」ということでしたが、器(原初的、広義の意味、も含め)の話が他にもいろいろ出ました。
着物も人を包む器と見ることもできますね。
器の話を抜きに美術は語れないのかもしれません。

紬の着物にしても、用途を満たす技術や素材の選定がなければもちろん成り立ちませんが、美しさや、安らぎのある布としての精神性を満たす美術的要素も備えていなければなりません。

また現代社会の中で着物を作り続けることの意味を作り手も着手も問うていかなければならないなどの社会との関わり、人との関わりなしに成立しません。
個人の自己顕示のためだけにあるものではありません。

現代の工芸、美術(アート)はいわゆる生業にはなりにくい状況の中にありますが、このままで本当にいいものは生まれてくるのでしょうか?

売り物を作ることはアートではないとか、逆に売れているからいいのだとか、それも不毛の水かけ論に思えてなりません。工芸、美術を特別視せず、いい仕事をしていくための経済力もそれぞれの立場で探っていかなければならないのは当然のことです。

現代社会に於いて、工芸、美術(アート)はどのような形にせよ、よいものが人々の中に力を持って生きてあるものだと思います。世に問うものだと思います。

今回の鼎談を聴き、私自身もよいもの作りをしたいですし、社会の受け入れや広め方ももっと活発にしなければなりません(紬きもの塾もその一つの場です)。
素材を見る力や技を磨く、鑑賞力を高めることも大切です。

笹山氏が若かった30年前ぐらいにはこういったことのディスカッションもよく行われていたということです。今はめっきり少なくなったようです。

かたち21でもこの『現代工芸論』の出版の記念を兼ねて、工芸を再考できる催しを検討中です。
観念的な話だけではなく、実践的な具体的な話が出来るといいと思います。
もちろん作り手も使い手(鑑賞者)も一緒に参加できる会で。

この鼎談にも紬塾から2名参加してくださり、一緒に夕食を摂りながら更に話を深めることができ、有意義な時間を過ごさせてもらいました。

若い人ともこれからの着物、工芸、美術、“地続き”で語り合っていきたいと思いました。


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大浮世絵展へ行ってきました

2014年01月05日 | 工芸・アート


1月18日(土)のアート鑑賞いろは塾の推奨展覧会にもなっている「大浮世絵展」へお正月休みに行ってきました。

ものすごい人、人、でした。入口付近はすごい人垣で観ることもできず、でしたが、どんどん最後の方へ進んでいくと、不思議に葛飾北斎、歌川広重の名作の前あたりが空いていて、じっくり堪能できました。\(^ヮ^)/

広重の遠近法のことなど、アート鑑賞塾でも勉強していたこともあって、平面表現の豊かさに注目しながら版画を深く観ることができました。

特に広重の、手前を特別大きくとる構図の作品などもとても面白く、でも奥の方の小さな建物や空や雲も何段階かに刷られていて、そこでも奥行を出していることもわかりました。

あと、特にすごいと思ったのは、北斎の絹本に描かれた「墨堤三美人」これは唸ります。
絽の着物という解説がありましたが、着物や帯の地模様がうっすらと描かれていています。
近づかないとわかりません。図録の写真ではほとんど無地に見えてますが・・・。
こんな絵を描ける人だったのだということを知りました。

また、柳の配置の効果もすごいです。細長い画面に描かれていない上の方の、大きな広い空も同時に感じさせています。先日のブログにも書いた反物の幅ではないですが、これも、制約があるからこそのギリギリの表現ですね。
近づいて唸り、離れて唸り、でした。(。-_-。) 
3月2日まで(「墨堤三美人」は2月2日までで展示替えになります)江戸東京博物館です。


次回、18日のアート塾の後半でも話ができるといいですね。
アート鑑賞いろは塾のお申し込みはこちらから。「わび、さび」も本当に楽しみです。
まだ余裕ありますので、お誘いあわせてお越し下さい。




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今年の締めくくりにつくづく思うことと、アート鑑賞いろは塾お知らせ

2013年12月28日 | 工芸・アート

千切りに巻かれた経糸と、整経を終え、鎖に編まれた経糸。

昨日、今日と続けて糸巻き、整経、経巻きを2反分終えて、お正月明けからの仕事の準備をして染織の仕事の締めくくりとしました。
どんな感じに織り上がるのでしょう。
織物は緯糸が入らなければ見えてきませんので、機に掛けるまでは不安な気持ちも大きいのです。
今年も目一杯仕事しましたが、来年も個展やグループ展、かたちの会のイベントもいくつかあって忙しくなりそうです。
自分の織物の仕事だけではなく、工芸全般に関われることはとても嬉しく、そこからの学びも多いのです。
「アート鑑賞いろは塾」も回を重ね、来年1月18日(土)が初級編の最終回となります。
次回テーマは「わび、さび」です。どんな話しが聴けるのか、とても楽しみです。
是非ご参加ください。詳細はこちらから。終了後は軽く!!新年会です。^ヮ^V
よかったら着物でお出かけください。

それにしても、つくづく思うことは、着物だ、工芸だ、美術だ、と分ける時代はいい加減に終わりにして、本当によい仕事、よいもの、感動できるものが、巷に生きたかたちで産み出され、少しでも増えてくるといいと思います。

非力ながら、自作も頑張らねばなりませんが、後進への指導、紬きもの塾や、アート鑑賞塾など、「かたち」の笹山さんと協力して、力を尽したいと思います。
皆様のご協力もよろしくお願いいたします。

そんなことも含めて、アート鑑賞塾は来年も続けていきます。
初めての方でも、毎回でなくても大丈夫ですので、ご参加ください。
今まであまり美術館へも行ったことのなかった一般の方も参加してくださっていますし、作り手、使い手、鑑賞者を問いません、というか、、、
それらは一続きのものですね。

明日は工房の大掃除、30、31日はおせちを作り、ささやかにお正月を迎える準備をします。
三ヶ日は朝からお酒も飲みたいですし、^ヮ^V
包丁も、鍋、釜も休ませるべく、年末にやれることをやっておきます。

床の間に活ける花は蝋梅を買ってきました。

これらの年末の準備は古からの、ものや、人への配慮、知恵、未来への意味、願いがあるのですね。
身の引き締まる思いがします。

大掃除は明日にずれ込みましたが、とにかく無事に仕事をさせてもらえたことに感謝と喜びが湧いてきます。

みなさまも、それぞれの良いお年をお迎えください。








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「速水御舟――日本美術院の精鋭たち――」

2013年08月31日 | 工芸・アート
アート鑑賞いろは塾9月7日(土)の推奨展覧会「速水御舟――日本美術院の精鋭たち――」 を山種美術館で観て来ました。なかなかよかったです。

速水御舟といえば『名樹散椿』、『炎舞』(ともに 重要文化財)が最も知られた作品ですが、今回は『名樹散椿』の展示はありませんでした。以前の茅場町の山種美術館で『名樹散椿』は観たことがありますが、すごい迫力でした。画像で見ると平板になってしまいよくわからないのですが、、、。

今回初めて観た絵で、関東大震災直後に描かれた『灰燼』がとても印象に残りました。
花や風景の絵が多い中で、突然あらわれました。瓦礫に後光が差しているような強いものでした。

どう印象に残ったのか、観終えてから言葉化してみると鑑賞もさらに深まると思います。

それから今展もそうですが、日本画は軸装品が多いです。
私の軸装品の鑑賞の楽しみは表装の取合せを見ることにもあります。

日本の軸装というのも、ものすごい美意識によって成り立っていて、絵や書を人に例えるなら、表装は着物や帯にあたるでしょう。
中廻しと呼ばれる絵のすぐそばに使われている布地が着物ならその上下を挟む、あるいはぐるっと囲む一文字はさしずめ帯でしょうか?
たいていは無難な線でまとめられているものが多いと思いますが、古い時代の素晴らしい布や、大胆な取合せ、絵の内容との表具師の取合せのセンスにハッとすることがあります。

絵を殺さずに表具も静かに主張しつつ両者が生き生きとある。
合わせすぎると絵が死んでしまうものです。
着物と帯などもそうではないでしょうか?

取合せの美は日本の美です。
そんな点も一緒に鑑賞すると着物の取合せの参考になることもあるのではないでしょうか。

11月中旬に、櫻工房内で「取合せの会」および「取合せについて」のミニ紬きもの塾も予定しています。またブログでお知らせします。

さて、今回のアート塾も言葉にしてみるということがテーマですから、聴き逃せません。
私も楽しみに参加します。
講師の笹山さんは、わかりやすく話してくれますので初めての方でもご安心を!是非ご参加ください。
詳細はこちらから。

11月には湘南方面でも「アート塾」開催予定です。

詳細は講師の笹山さんのブログフェイスブックで近くなりましたらお知らせします。











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勾玉の帯

2013年07月13日 | 工芸・アート




先日の布の美展で帯をお求めくださった方々のものが次々と仕立て上がってきました。
その中から1点だけご紹介いたします。

仁平幸春作「勾玉」帯です。
私の紬を初期の頃からを含め3点所有してくださっている方が見え「どの紬とも合いそう」ということでお気に召されお買い上げいただいたものです。

3点とは阿仙薬染の赤茶系の絣飛び柄、五倍子薄グレー地たて縞、藍地崩し縞です。
全く雰囲気の違う紬なのですが、私も合わせなくても合うことがわかります。






拡大してみると深みがよくわかります。
それにしてもいつもピンボケで


勾玉はブルーがかった白です。
半透明の石(貴石)を思わせるようになっています。
少し染料を通すロウを使っているのでしょうか、形はシンプルだけれどこれが奥行感を出しています。
添えられた花や葉やハートがなんとも可愛らしく、幸せな世界と清明な空気をもたらしてくれています。

この帯は梨地でお願いしたのですが、私の紬はもちろん紬地の帯も合いますが、
この梨地のような半つや消しのものであれば絹ものも合います。

地の墨色は円熟した大人の雰囲気を醸しています。
70代のその方にぴったりでした。

奥行きのある作品は許容量が大きくてどんなものとも合わせられます。
でも許容量のあるものどうしであれば、、、という条件付きですが。。。


古来日本の取合せ文化は力のあるものでありながらも他を脅かすような強いものではなく、確固たる強さは持ちながらも包容力の備わったもの同士を取合せてきたのだと思います。
日本の建築もそうですね。庭という自然をも取り込んで。

日本の和の取合せの中でも着物は“着る人”も取合せの一つになります。
難しいけれどこの着物の取合せ文化を極めていくことこそが、今の私たちに大切なことではないでしょうか?
ただ色や柄を言うだけのものではないはずです。
その方の生き様や考え方までも含めて考えるものでしょう。
自分はどう生きるのか…奥が深いです!

紬と帯の取合せをする会を11月に予定しています。














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桶谷寧の茶碗を観る会――ものの本質的な美しさ

2013年03月18日 | 工芸・アート
桶谷寧さんの茶碗を観る会は一昨日、濃厚な話の中に終わりました。
濃すぎて頭の整理が今だにつきません。
難しい話もあったのですが、話に引き込まれて聴いてしまい、風景写真も2~3枚しか撮れませんでした。
かたち21の笹山さんのブログもご参照ください。

それにしても、ものすごい話でした!
たくさんの意表をつく言葉の中から私も一つ紹介します。

「僕のは造形はダメよ。それやっちゃうとわからなくなっちゃうから…」

私はこれは懇親会も終わろうとする頃に桶谷さんがどなたかに話していた言葉を小耳に挟んだのですが、、、
この方の一流度がここにあると思います。
小手先の表現よりももっと本質的なところで美しさの世界を宇宙レベルで追求、試みている人ですね。

まずは古い時代のよいものをよく見て、制作の方向性を見極めるということが基本です。
そしていろいろと試みる。
その方向性が違うといくら積み重ねても良くならないですよね。


桶谷寧作「志野ぐい呑」 
画像では色がわかりにくいのですが、ただの白ではない…でも桶谷さんは志野はまだまだと言っておられました。



また、造形をもちろん軽く見ているわけではないと思います。

最初に、それ風に軽くテキトーなものを作っている人はなかなかそこから抜け出せないものです。
最初がすごく肝心。

織物も同じです。共感できる点がたくさんありました。
私も内側から光を放てる織物をこれからも作ることの確信を得ました。
どんなことにも言えると思います。

ものの美しさの背後にあるものは何かを桶谷さんの作陶の話の中に見てしまった鮮烈な会でしたが、
参加下さった方々も、やきものマニアというより、素直にものを見つめることのできる方ばかりで、
桶谷さんもむしろ話しやすかったのではないかと思います。

桶谷さん、そして参加いただいた皆様ありがとうございました。


桶谷さんにも玄海の鶏の水たきのスープを気に入っていただけよかったです。滋養がつきますね。

床の間のお軸は岸野忠孝作「桜図」
開花を前にみなさんに絵で観ていただきたく持って行きました。
この方の絵も奥から光を放つような奥行を感じます。

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