紬塾は15期目を迎えました。
敷居の高い紬塾へようこそ。(*^_^*)
毎回、様々な年齢、立場の方が参加して下さっていますが、違いこそあれ、紬や織物や着物を着ることを知りたい、深めたいという方ばかりです。
今期は定員オーバーとなり、少し窮屈ですが、6名の方と一緒に紬織りを中心に、着物の文化について、また自然のこと、環境についても考えを深めていきます。
関西方面からも3名の参加ですし、交通費がかかってもそれでも尚!と、決心をされているのだと思います。
前年度の時にも書きましたが、
「紬塾の内容はブログには書けないことがたくさんあります。
その場に、一座建立してこそ伝えられることがあります。紬塾はそういう場を設けているだけです。そこに集まる一人ひとりが作っていく場です。」
場を設けることで、対話が始まります。私の仕事の姿勢にも触れてもらうことができます。
プロ、アマ問わず、この織物大丈夫??というようなものが沢山出回ってしまっている染織業界。
名のある、ない、○○会会員とか、そんな冠をかぶせても、ものの善し悪しとは別です。
自分に、ものの真贋を見分ける力を育てなければならないのですが、私はむしろ無垢な目を持つ人の中にいると思っています。
観ることの重要性は以前から言っていることですが、今期はその点を特に力を入れて伝えていきます。
ネットに上がっていないものは、ないものにされている現代ですが、染織の歴史はそんな底の浅い世界ではないはずです。
6名中、宗廣力三作品を見たことがある人はいませんでしたので、宗廣先生の仕事についても作品集を見てもらいながら解説しました。初期から晩年まで、作風の変化はありますが、根底には紬織りの原点を大切にした仕事をされた方です。
郡上紬の風合いの良さを語る方は多いですが、私の仕事はその骨格は受け継ぎ、見た目や色は私なりの感覚を取り入れています。
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さて、初回の私の装いはいつものように、修業時代の最後に、母の為に夜なべでつむいだ太い糸で織った井桁絣の着物。染料は阿仙と丹殻、藍です。
木綿の紺絣の一番オーソドックスなのは井桁絣か蚊絣と思いますが、その基本を修業の最後に身に付けておきたくて、敢えて素朴な木綿柄を織ったのです。
我ながら、見る度に思うのは、シンプルゆえに絣のずれは目立つのですが、経も緯も絣が綺麗に合っていて、若いエネルギーの真剣勝負の仕事だったと感心しています。もう出来ません・・(*^_^;)
帯は僅かな残糸の絣を駆使した半巾帯で、地糸ももう手に入らない太くて荒くて扱いにくい赤城の節糸です。長さも短いので、矢の字結びにしました。
今日の取り合わせは、ありあわせ、残りものだけれど、力強いエネルギーに満ちたもの同士です。
更に帯留めも自作ですが、これも銀の板の端材を拾ってきてハンダ付けしたものです。
以前のブログにも取り上げた、イタリアの画家ジョルジョ・モランディは自然界は丸と四角と三角で出来ていると言っていましたが、普遍的なもののかたちは見る人が自由に想像を膨らませることができます。私はそういうものが好きです。
オール手前物!オール中野で簡素にまとめてみました。(#^^#)
紬きもの塾が「紬」や「きもの」という既存の概念に囚われるのではなく、また先入観や刷り込まれた知識で捉えるのでもなく、自分の目で素直に、自然を見詰め、見極められる目を養うことができれば、あるいはそのきっかけになればと思います。
紬塾では一人ひとりが自分で感じ、考えながら進めていきましょう。
本物と出会いましょう。