中野みどりの紬きもの塾

染織家中野みどりの「紬きもの塾」。その記録を中心に紬織り、着物、工芸、自然を綴ります。

「卓布・仕覆裂」オンラインショップに公開しました!

2023年07月11日 | 工芸・アート
暑中お見舞い申し上げます。
梅雨明けか?と思わせる暑さですね。

少しばかり涼をお届けします。



若い方はご存じないかもしれませんが、水中花を古道具屋さんで購入しました。昭和20~30年頃の製作されたものだそうです。
草で作る通草紙というものでできていて、私が小学生の頃には家にも飾られていました。
造花と言ってもとても情趣のあるものです。毎日水を替えてます。

明治から昭和の俳人たちにもたくさん詠まれてきました。


 水中花培ふごとく水を替ふ  石田波郷
 まじまじと子が見てひらく水中花  桂信子
 泡一つ抱いてはなさぬ水中花  富安風生


夏の間、切り花も少ない時期に愉しもうと思っています。

雲の額装はフランス文学者、シュルレアリスム研究者の巌谷國士さんの写真ですが、写真も素晴らしいです!ギャラリーで一目惚れしました。
上の額装(半分しか見えてませんが)は、廃棄された古本の表紙から制作した西村陽平さんの作品。西村さんは以前にもご紹介しました。
卓布は拙作(23cm×52cm)。ご希望のかたにはお分けしますよ。お問い合わせください。(^^♪

ささやかなアートや花などを愉しむスペースは大事です。こころの置き場所です。佳きもの、美しいものと向き合う場所。自分を豊かにする場所です。
アートのない暮らしは考えられません。

オンラインショップに卓布・仕覆裂少しですがアップしました。



小川郁子さんの振出しに、京都の緑壽庵「金平糖」を入れて。



父の遺品の小石と鍛金造形作家、橋本真之さんの個展で求めたオブジェ。

大切な宝物包んでみませんか?置いてみませんか?


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芭蕉布・平敏子展と篠田桃紅展

2022年07月18日 | 工芸・アート


今月初旬の暑い日に、二つの展覧会へ行ってきました。(;^_^A 

まずは、[芭蕉布-人間国宝・平良敏子と喜如嘉の手仕事] 大倉集古館(~7月31日)へ。
今までも芭蕉布は古いもの、現代のもの、たくさん見てきましたが、特に平さんを中心とした仕事を見せてもらいました。

学生の頃に出会った柳宗悦の、「今時こんな美しい布はめったにないのです。いつ見てもこの布ばかりは本物です」のこの一文は忘れませんし、私も民芸館での初めての出会いの時にそう思いました。

糸を作るだけで大変な時間を要し、植物での染め、絣の括り、製織・・もう果てしなく労力をかけられたものですが、自然に随い導かれて生まれる美の世界です。
樹皮の外から中心の性質の違いを活かし、使い分け、人の手わざと組み合わせた持続可能な仕事。まさにSDGsです。

第二次世界大戦後に消滅しかけた伝統技法を復興させ、現代へ繋いだ平良さんも今年100歳になられたそうです。力がなくなって他の仕事は出来なくなったが、糸を績むことは今も続け、楽しいとおっしゃられています。
地下でビデオも観ることができます。気を浴びてくるだけで癒されます。
織り継がれていくことを願います。
私も芭蕉布の帯を一本もっていますが、この夏、気合を入れて!締めたいと思っています。( ^へ^)ノ




二つ目はすぐ近くで開催されている[篠田桃紅 夢の浮橋] 菊池寛実記念 智美術館  (〜8月28日)へ。
美術家・篠田桃紅(1913-2021)さんは以前のブログでも触れていますが、回顧展として纏まった形での展覧会を観るのは、先月の東京オペラシティーが初めてでした。この展覧会と内容は違いましたので両方観ることができ良かったです。





書の作品に特に引かれました。
部屋の中にも、小品のリトグラフの一つでも欲しかったなぁと改めて思いました。桃紅さんの描かれた着物と帯も展示されていました。

奇しくも仕事のジャンルは違いますが、強い意思をもって創作で生きてこられた100歳を超える女性お二人から、地に足を付け生きる事、仕事することに精進し続ける大切さをいただきました。

芭蕉布展は着物の女性が多かったです。






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「中川幸夫没後10年回顧展」のお知らせ

2022年04月13日 | 工芸・アート
以前のブログにも書きましたが、2012年3月に93歳で亡くなられた前衛生け花の中川幸夫さんの没後10年回顧展が神奈川県藤沢市で開催されています。先日展覧会を拝見してきました。
会場は中川さんの従姉の方が住んでいらした古民家で、そのご子息でイメージ・テン代表の谷光章さんが企画されました。

展示作品は生け花写真、ガラス造形作品、書、中川さんが遺した言葉など。

中川さんを知らない若い世代、一般の方々にも見てもらいたい展覧会です。
風変わりな花を活けたのではなく、前衛というスタイルに嵌って活けたのでもなく、毎回花や器や環境と向き合い花の声、自分の内なるものを突き詰めていったのだと思います。ものの本質と真摯に向き合われたピュアな方です。

子供のころから親しんだ香川の自然、境遇、ジャンルを超えた芸術家との出会い、池坊脱退など、そして東京での様々な人や工芸、美術との出会い。全てが花に通じていたのでしょう。流派の型を破るためには型を知らなければならないとそのことも抑えた上での前衛だったのです。

中川さんの葦を使った生け花の実作を見た時は一週間位身体中の血がぐるぐる駆け巡ったことを覚えています。花は根、根は花と突きつけられたのです。根本を見詰めなければ花など咲かせられるはずもありません。
染織の仕事も表層を追っかけていては何もつかめない。いえ、どんな仕事もそうだと思います。


チューリップの花弁が腐り黴が生えるまでを見届けた作品の写真。
(左)死の島 (右)魔の山


従姉の蝋纈染に触発されて制作した中川さんの作品。
こんなこともこなされたのですね。


中川語録が垂れ幕でいくつも展示されてます。




写真は会場で撮らせて頂いたものですが、14分にまとめたチューリップの「天空散華」の映像も見せてもらうことも出来ます。

この節目の年に中川さんと親交のあった、かたちの笹山さんが中川幸夫さんについて語り、映像「華いのち 中川幸夫 」(90分)を見ながら、今私達が中川幸夫さんから学ぶべきことを話す会を企画しています。映像にはパートナーの半田唄子さんの花の作品も出てきます。この方も凄いです。中川さんもかなり影響を受けているし、互いが欠かせない存在だったと思います。笹山さんからでなければ聴けない話もありますし、詳細はこれからですが、ぜひ多くの方にご参加いただきたいと思います。

日時は5月28日(土)13:30~
鶴川ポプリホール 会議室
関心のある方はHPからご連絡ください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【中川幸夫没後10年回顧展ー消えない衝撃と記憶】

・会期 ~4月30日(土)
・開場時間 10:00 —17:00(入場は16:30まで。月・火、休み)
下記のイベント、講演日(4/16)は展覧会のみの観覧の受付はありません。
・大人 1,000円  学生/20歳未満 500円 (税込)

[特別イベント]

[特別講演]
4月16日(土) 実川暢宏(元銀座自由が丘画廊店主)
「画廊店主と作家・中川幸夫」

講演は各2回(どちらかをお選びください)。
13:00~14:00  15:00~16:00  各回定員20名
2,000円(税込)★展覧会観覧料含む。
・会場 SHONAN 喃(nan)の風 神奈川県藤沢市鵠沼橘1-9-10(江ノ電 石上駅下車3分)
・ご予約・お問い合わせ:イメージ・テン(谷光)まで 
fwie3377@nifty.com  携帯 090-3802-2760







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鶯と花の絵が届きました!

2022年03月29日 | 工芸・アート
絵本作家のおまたたかこさんにお願いしていた鳥と花の絵が届きました!
早速工房の壁に掛けて朝の光で写真を撮りました。
絵自体は名刺サイズ程の小さいものですが、大きく感じます。とても生き生きした絵です。額もとても気に入りました!

リクエストとしては「鳥と花で」ということだけだったのですが、春告げ鳥の鶯とミモザ、草木瓜を描きこんでくださいました。
おまたさんは絵を色鉛筆だけで描かれますが、この絵には光のような輪が金泥で描かれています。羽毛のフワフワした感じ、嘴も本当に一生懸命囀っているようです。目が特にいいです!!
おまたさんの色鉛筆は何十色もあるでしょうが、更に重ねることで複雑さを表現していると思います。自然界の色も複雑さを秘めていますので。


可愛らしいラッピングで箱を開けるところから楽しませてもらいました。
繊細なリボンとシールも。


お手紙も添えてくださいました。

私は野鳥が好きでいつも庭に来る鳥を眺めていますのでお願いしたのですが、ロシアのウクライナ侵略にこころ塞がる思いでいる中、ウクライナには春分の日にだけ焼く小鳥のパンがあるということを知り、どこの国も春を待つ思いや平和への祈りがあるのだと思い、そのことも含め鳥をお願いしました。

また、庭に草木瓜の小さな一株がありますし、ミモザは花屋で買うこともあります。3/8のミモザデ―(女性の日)は大事な日と思っています。一昨年は、ミモザサラダをblogに掲載しました。

ジェンダーギャップ指数は2021年は156か国中、120位の日本です。政治分野においては146位です。女性の政治家が少ないわけですが、育てる環境さえ整っていません。選択的夫婦別姓を頑なに認めない(世界で日本だけ)自民極右勢力(教育勅語を復活させたい人達)を変えなければ前には進めないと思います。政府はSDGsを掲げながらポーズだけとしか思えません。


そしてメールには「鶯はどうしても囀っている姿を描きたかったのです。(なかなか難しかったです)先生の生き方と言ったらいいでしょうか、声を高らかにご自分の正しいと思う道を進んでいくお姿が鶯と重なりました。今ウクライナで、女性も武器を持って戦っている姿を見たことも絵に影響しました」
というメッセージも頂きました。
そんなに声高らかではなく、小さくです、、(^-^;

そういえば鳥のマークのツイッターで「つぶやく」という人多いですが、本来tweetは「囀り」です。独り言ではなく、囀り広めることです。鳥は縄張りや仲間に危険を知らせたり、パートナーを探す為に囀ります。生きるために囀るのです。



おまたさんには紬塾にも熱心に参加いただきましたが、私の草木染めの半巾帯(上の画像)もご愛用頂いています。平織と綾織、斜子織でランダムな段です。


半巾にも帯揚も合わせ更に色を添える着こなしもされていますが、帯揚があると結びの崩れも防げ安心とも仰っていました。確かに、、。
紬塾の時に工房の玄関先で撮らせて頂いた、この前柄の写真の帯揚は私のではありませんが、深い青系の私が染めた帯揚も使ってくださってます。男前な帯にクールな帯揚を選ばれる所は色の世界に生きている方で、さすが!と思いました。

さて、以前にもブログでご紹介したおまたたかこさんの『くまのしゅげいやさん』の絵本原画展が~5/10まで神奈川県横須賀市津久井浜駅前のうみべのギャラリー(2階)で開催されています。

この絵本はただ優しい色使いの子供向けの可愛らしいもの、という範疇のものではありません。そこには自然と共に仲良く暮らす動物たち、生活を大事にし、額に汗して仕事すること、ものを大事に慈しみ使うこと、自然を大切に平和に暮らす大事なメッセージが込められているのではないでしょうか?

詳細はおまたさんのInstagramから。
宜しければお出かけ下さい。

絵本はネットでも購入できます。
気持ちの優しくなる素敵な絵本です!!









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個展の感想ー堅牢の美とは精神のアーシンーグ

2021年12月28日 | 工芸・アート
今年も残り少なくなりました。
個展後も工房へお越しくださる方もあり、ありがとうございました。
私も本日このブログを書き上げて、仕事納めです。
たくさんの方の支えがあったおかげでコロナ禍にあっても仕事を続け、個展も終えることが出来ました。
お世話になりました皆様にこころよりお礼を申し上げます。

今年前半は半巾帯連作プロジェクトに明け暮れ、6月以降は45周年展の最後の作品作りに追われ、力を振り絞って心身ともにやり切った思いでいます。
来月ひと月は頭を無の状態にして45年の紬の仕事から少し離れて脳も肉体もほぐしたいと思います。

個展の会場で作品の感想、コメントを下さる方もたくさんいらっしゃり大変嬉しく思いました。
また言葉はなくとも明るい表情でうっとりご覧下さる方、真剣なまなざしでご覧下さる方、お金があれば買いたい!と率直に言ってくださる方、初めて見てこんな世界があるのかと驚かれる方、通りがかりに作品に魅かれて入ってきてくださる方など様々です。プロの作り手として嬉しいひと時です!

一言、今後のために苦言を呈させてください。
挨拶もなく入ってきて見るだけ見て黙って帰る方がたまにいますが、こういう振る舞いは個展会場では礼を欠きます。見る価値がないと思ったらサッと出ていくのは構いませんが、展覧会は作家のいのちを懸けた発表の場、あるいはギャラリーの生存をかけた展示・販売の場です。
織物の世界はアマチュア、セミプロの方が多く、マナーが悪く盗み見が野放しです。見たいなら礼は身に付けておきましょう。それさえわからないなら大したものは作れません。毎回必ず2~3組います。

私がいれば私と、いなければギャラリースタッフに一言素直な自分の言葉で感想を言いましょう。
織り物勉強中の方でも、一般のただ見てみたいという方もいらしてくださって構いません。実際今回そういう方にもこちらからも何人か案内も差し上げました。その方たちと作品について会場で話ができ楽しかったです。ジャンルの違う美術家の方もいらしてくださり刺激を受け合いました。

私は織り物以外でギャラリーで作品を見せてもらうことがよくありますが、作品について作家やギャラリーの方と話をしてきます。作者の思い、意図も伺いつつ自分の受け止めも話します。
手の届く気に入った作品があれば購入することもあります。見るとは作品を自分に引き寄せたり、作品の中へ入っていったり、やり取りをすることです。それが楽しみだし、このことが見る人も創る人も育つのです。文化を向上させます。

さてそんな中、私が不在の時にお越しくださった方が感想をスタッフに伝えてくれていたのですが、改めてメールで送ってくださいました。
とても的確に素直に見てくださり、書いてくださり、普遍性をもつものは共有するのが良いと思いますので、ご本人の許可も頂き公開します。

「アーシングというプラクティス」という言葉が文中にありますが、今までの個展や呉服店でのお客様の反応などで、似たようなことを見たり聞いたりしました。
呉服屋さんからは「中野さんの紬は体調の悪い時に着たくなる」というお客様が多いとか、病にある方が、医者から美しいものを見なさいと言われたと、個展をしていた時にいらして作品の前に長いこと佇みご覧になり、桜染めの花織の振袖(60歳近くの方)を買っていかれたこともあります。
また、首を傷めてギプスをはめている方が個展にいらして、本当に重病人のような表情でいらしたのに、帰りがけには別人のように明るくなって袱紗を一枚買って帰られたこともあります。
逆に作品の前で涙を流される方も今まで何人かお見かけしました。何かがほぐされていく涙のようにお見受けしました。
私にはもちろん他人様の病を直す力などありませんが、多分、大地から生まれてくる自然発生的なものからくる力なのではないかと思います。

翻訳家で出版社を経営する鄭基成さんです。

鄭さんは
「優れたアートには、人々の間にスピリチュアルな交流を促す力があり、それこそがその作品の真の価値ですね。現在の世界で最も必要とされる価値です」とも仰られていました。
作品を通してみなさんと交流できるよう真摯に自然や制作に向き合いたいですし、みなさんと交流できたらと願っています。

ではじっくりお読みください。そしてよいお年をお迎えください。

*************
中野みどりさんの作品に接して

ギャラリーに一歩入り、中野さんの作品群が視界に入った時、周りの空気が一瞬にして変化したのを覚えている。清浄、落ち着き、安堵、自然、工夫、てらいのない確実な技術。いろいろな言葉が頭を過ぎる。
作品を間近に観て、そっと触ってみることで、一つの想念から二つ目へ、そしてシャボン玉が増えていくように止めどなく思考やイメージが広がっていく。   
なぜそうなるのか。作品を前にして、他にすることもないということかもしれない。
それだけではないだろう。思い出や、謎解き、普段あまり考えることのない想念やイメージ。
それらはどれも実は、自分が生きることにおいてかなり大切なこと、深いところに仕舞い込んでいるテーマや命題だということに気がつく。
自分の体と精神が、中野さんの作品との出会いによって、それらが意識の表面に引っ張り出されてきたということかもしれない。
「バイアスのバランス」、「堅牢な美」という笹山央さん(註)の言葉に共感するものがある。

ところで、健康管理のためのアーシングというプラクティスがある。
不調なときや、時差ぼけのときに、土の上を裸足で30分ほど歩くだけのことだが、そうすることで、体調が戻り、時差ぼけも早期に治るそうだ。
素足を通じて、地球のプラス電極と体のマイナス電極がバランス良く中和され、地球のエネルギーを体内に取り込むことができた結果だという。
中野さんの作品に触れて、生きることの本質に関わる想念が呼び起こされたのは、体と精神にバランスとエネルギーが取り戻され、本来あるべき体制になったからだと、ほぼ確信している。
「堅牢な美」という概念を僕はそのように理解した。
中野さんの作品は、だから、まさに、精神のアーシングのための地球なのだ。これ以上に堅牢な美が、他にあるだろうか。    
                             鄭基成               


(註)笹山央―工芸評論家で今回の私の展覧会企画者


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雛祭り

2021年02月27日 | 工芸・アート
半巾帯連作プロジェクトは早春の光の中で、息をつく暇もなく、次々と進めています。(^^ゞ

ふっと気付けばもうすぐ雛祭り。
雛人形を飾るどころではなかったのですが、
今朝、紅型のお雛様の額装を出してきて、シンプルに飾りました。
那覇市の平井染工房の作です。
30数年前に買い求めたものですが、鯉のぼり、シーサー、帆船も買いました。


立ち雛の着物の柄もお土産品とは言え、ぼかしなども入って丁寧に染められていて、色も落ち着いて素敵です。
こんな落ち着いた色合いの紅型の帯が欲しいなぁ。。


雛あられだけはしっかり生活クラブで頼んでありましたので、それを供えました。
鳩もつがいで狙っています… (^-^
今年は関西風の甘くないあられにしてみました。
3日には、ちらし寿司でも作ろうか、、と思っています。
ささやかな雛祭りで、少し息継ぎせねば、です。(;^_^A

プロジェクト参加のみなさまも、もう少し制作に集中して打ち込みたく、進捗報告などもしばらくお待ちください。よろしくお願いいたします。

21年度の13期紬塾受講生募集のお知らせは8日(月)にブログ、HPでします。









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如鳩と沼田居 展 ―― いのちの眼で見えるもの

2020年08月04日 | 工芸・アート
足利市立美術館で開催中の「如鳩と沼田居 展」に行ってきました。(~16日)
以前の当ブログでも沼田居についてはご紹介しましたが、師でもある如鳩の絵を観るのは初めてでした。

この展覧会を企画された足利市立美術館次長の江尻潔さんの解説付きで、二人の画家の関係性や、作品の詳細、裏話などを伺うことができました。
1周めは江尻さんのお話をうかがいながら、2周めは特に気になる作品を中心に一人で回りました。

二人の画家の作品もいのちを懸けた素晴らしいものですが、学芸員の江尻さんも渾身の企画で、素晴らしいと思いました。展示内容からでもそのことが良くわかりました。
緊急事態宣言が発出され、会期直前での延期、でも6月から再開できて本当によかったと思います。


カタログの中の最晩年の二人の絵と書。
左ページは如鳩83歳の未完のもので、大晦日に心不全で死去。年明けから彩色に入る予定だった。
右の沼田居「かきつばた抽象」は全盲になる直前の作。「空眼縣山人」は全盲になって号としたもの。かきつばた抽象は以前松涛美術館で観たもので、再会しました。

足美のWebサイトからあいさつ文を貼っておきます。

[ 牧島如鳩(1892-1975)と長谷川沼田居(1905-1983)はともに足利出身の画家です。
如鳩は、ハリストス正教会のイコン画家として教会を荘厳するイコンを描く一方、仏画を手がけ、さらにはキリスト教と仏教の図像を混交した他に類例を見ない作品を制作しました。沼田居は、如鳩の父閑雲に南画を、如鳩に西洋画を学びました。1960年ころから視力が減退し、最晩年の10年間全盲となりますが、描くことは生きることと等しく筆を折ることなく人生を全うしました。
 如鳩と沼田居は師弟の間柄ですが、作風も性格も大きく異なります。ただ二人に共通することは人生の後半に大きな転機が訪れたことです。如鳩においては神仏のダイレクトな感得であり、沼田居においては失明という、いずれも有無を言わせぬ体験でした。その結果、驚くべき作品の数々が遺されました。如鳩は独自の図像により目に見えぬ神仏を描き、沼田居は肉眼による「視力」に依拠しない前人未踏の画境を拓きました。本展は、両者の作品をともに展示し、足利が生んだ類いまれな二人の足跡をたどります。]

今展のカタログの最後に江尻さんは次のように書かれているのです。
[彼らの作品は光を発している。見たものは光を浴び、彼らが提示する光により照射された新しい世界に参入する。それはいのちの文脈として「一切の評論」を峻拒する絶対的な「自由の境地」なのである。]

観終えて、江尻さんもまた「自由の境地」で、いのちの眼で、いのちを懸けた企画、評論をしたのではないかという思いも、満ちてきました。

美術館は大きな空間にゆったりした展示で、密になることはありません。
感染防止対策もされていて、入館者は体温、手指消毒、住所を記す、マスク着用などのチェックがあります。
話をしている人もいませんし、土曜日でしたが込み合うということはありませんでした。
ショップやカフェも閉じられていますが、2階に一休みできる椅子はあります。
展示作品が多いので、一休みして観るのも良いかもしれません。
とても貴重な機会ですので、ご興味のある方は是非ご覧ください。
お盆休みは公共交通機関も空いていますし、混雑を避けて行けるのではないかと思います。私は新宿を避け、北千住経由で足利市まで行きましたが、道中も空いていました。

見終わってから、すぐ近くにあるartspace & caféでお昼を食べました。
ギャラリーの展示も拝見しながら、パイナップルスープカレーとチャイ、とてもおいしかったです!

食べるとき以外はマスクをして、わずかな滞在時間でしたが、長かった梅雨も明け、久々に日差しを浴び楽しい充実した時間でした。

コロナのことで、日々ストレスも溜まりますが、二人の画家が生きた道のりも大変厳しいものでした。
その中で亡くなる寸前まで何があっても仕事をし続け、描き続けた画家に敬意が湧くと同時に、自分自身にも置き換えて考えました。
こころを洗わせてもらいました。

また、とても良い企画展をされ続けている足美は、今後も注目していきたい美術館です。一人ふらっと出かけるのもいいですね。


この日は近江上布に透け感のある半幅帯をサクッと締めて出かけました。
半幅帯の詳細はHPの中野着姿をご覧ください。









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喜多川歌麿にみる着物

2020年01月04日 | 工芸・アート
新春のお慶びを申し上げます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

東京は穏やかな三が日を過ごすことができました。
今日から仕事を始めています。
今年はどんなものを織ろうかと計画に思いをめぐらせています。

昨日は江戸東京博物館で大浮世絵展(~1/19)を観てきました。大変な混雑でしたが、私は特に喜多川歌麿を集中して見ました。
なんといっても歌麿は美人画ですが、私は顔の表情などよりもつい着物に目がいってしまいます。当時の流行もうかがえますし、素材感や、技法、紬塾でもいつも話に出る、異なるものを取り合わせる面白さ、そのサンプルのようなものが多いのです。江戸の粋な色使いなども参考になります。
それを描き分け、版画にする当時の職人の技量の高さもすごいものがあります。
帰ってからも図録を繰りながら、ネットで画像検索などしながら楽しんでいます。

いわゆる大首絵の美人画が、風紀を乱すとして作れなくなった時に、歌麿は町民の日常生活をテーマにすれば、それを逃れられると考え、制作したようです。

トップの写真は、「針仕事」(重要美術品/大英博物館蔵)という庶民の仕事をテーマにした作品で、3枚続きで見ごたえがありました。
画像では細部がわかりませんが、針山の針や、左下ににぎりバサミや物差しなどリアルな感じになっていて、版画を見る人たちが、楽しめるようになっています。ずうっと見ていたかったです。(@_@‐



もう一つ「台所美人」(東京国立博物館所蔵)はミュージアムショップで買ったハガキですが、2枚続きの右側です。こちらは今回の展示作品ではありませんが、この着物を見るだけでも絞り、型、絣、縞織りなどが調和して、細部を覗き込みたくなります。浮世絵の美人画は服飾史の資料的価値も高いと思います。

ただ、残念なことに、会場内の解説文の中にも着物に関しての説明はほとんどなく、染織を専門とする学芸員以外は触れられないということなのか、とても大事なことが抜け落ちているように思いました。



当時大流行した有松絞の大胆な柄の浴衣が描かれています。

立っている人の襦袢の衿も麻の葉の絞り。煙まで表現されて、煙そうな顔をしています。

前掛けだと思うのですが、絣もいい柄です。

時代は変わっても美しい布や、着ることを大切にしたいと年頭に再確認しましたが、
着物を着る人、着たいと思う人が、絶対数としては本当に少なく、なんとか増えてほしいと思います。

今年も善い紬を制作していきます。また、20年度の紬塾でも善き方と一緒に紬や着物のことを深めていきたいです。

紬塾は最終回が2月に変更になりましたが、またご報告します。



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着物は公共性を内在するもの

2019年11月02日 | 工芸・アート
前回のブログにも書きましたが、秋冬色の染色を終えて、次は秋冬向けの着尺に取り掛かり、巻き込みまで済ませたところです。上の画像の紫茶地の細かな縞です。

たくさんの染糸のストックから使う色の選定にはじまり、設計、糸巻、整経、たて巻き、経て継ぎ、織り付けまでは、緊張と集中力を要する大事なところです。
経て巻きを終え、今はどんな感じになるか、期待と不安とが入り混じった気持ちです。

宗廣先生の工房を独立してからでも紬の着物や帯ばかり350点以上制作してきましたが、整経の前には夜眠れなかったり、朝早くから目覚めてこの色、この糸でいいのか、この間隔でいいのか、シンプルなものほど糸一本一本を見つめながら、ギリギリまで勘を頼りに詰めています。
毎回新たなものを作りますのでとても緊張します。

織り物は経糸がとても重要で、布を見るときにもまず経糸を見るとよいのです(上質の織物、特に紬は経糸で決まります)。
織り物は紙の上にデザインを描こうとしても糸の1本1本を描ききれるものではないので、緯糸が入るまではわからないと言っても過言ではないのです(紬塾の織り実習でみなさんがそれなりに味わいのある良い布を初めてでも織れるのは、経糸の力によるところも大きいのです)。
そして、糸の太さの違うものを混ぜながら織りますので、景色、陰影、光沢感など、かなり複雑で微妙で、とにかく織って布にしてみないことにはわかりません。

人に着てもらうために作るわけですので、他の取り合わせの帯などとも合わせなければならず、独りよがりの創作物ではないようにしなければなりませんし、すべて人の手で引き出された糸を使いますので、失敗は許されません。制約も多く難しいです。

さて、少し話が飛ぶようですが、工芸評論の笹山央氏が発行する『かたち――人は日々No.4』に「アートにとって公共性とは何か――『表現の不自由展・その後』からの教訓」というタイトルの文があります。「あいちトリエンナーレ19」をめぐっての騒動が先々月来起こり、それに関連した内容ですが、公共性ということをめぐってのアートと工芸の違いということに言及しています。

私なりに読み解くと、アートの自己表現性は公共性ということとは折り合えない要素を含んでいて、公共的な空間に迎え入れられようとすると、「いくばくかは犠牲を払わなければならず、行き着く果てには公共性へのおもねりを胚胎していくことになりかねません」とあります。
ざっくり言えば、国からの補助金が交付されなくなっても、むしろ拘束されることなく、地方の活性化に貢献するような活動をしていくのがアートの本来の在り方だというような内容です。すご~くざっくりですが、、。

それに対して、「逆に工芸の場合は、公共性を内在化することによってモノとしての価値を高めるという性質を有しています」とアートと対比するように括弧付きで書かれている箇所があります。

着物、着るものは公共性を内在したものであり、モノの価値を高めるべく練磨していくことは社会への参加、貢献にもなります。自分や身近な人、公共の場で共有する時間に居合わせる人々の中で、着物はその人の精神や思想など様々なことを表し、周りの人たちにもそれによって様々な思いを抱く。衣の文化は人に与えられた高度な精神世界を持っています(日本の着物だけではありませんが)。

また、工芸も着物もアートも、すぐれた作品は、個人の創りたいという思いから始まりますが、公共へ放たれた時からは、だれが作ったとかではなく、普遍性を有したモノになって、公の場で気負いなく人々の中に存在していくのだと思います。

そんなことを上記の文章から日々の仕事に照らして考えました。
様々な工芸、アートのジャンルの作家を評論する『かたち――人は日々』の詳細はこちらをご覧ください。 


庭のツワブキも花を咲かせ始めました。蝉の羽化みたいに花びらはすぐにはピンとしないでクシュクシュしています。
秋から冬へ自然は移ろい始めています。間もなく立冬ですね。



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丹波の縞帳が語り掛けてくるもの

2019年09月14日 | 工芸・アート


上の写真は丹波木綿の縞帳で、記載されている住所の桑田郡は「1879年(明治12年)まで京都府(丹波国)にあった郡」ということで、それから推測すると、江戸末期から明治にかけて作成された縞帳と思われます。前回の記事にも書きましたアシスタントが入手したものですが、良いお買い物、グッジョブ!でした。(^^)v

 

 

薄口の反古紙に貼られていて、紙がいかに貴重で、大切にされていたかもわかります。また、トップの写真左隅は紙を手拭いのような型染め晒しと、浅葱色の晒し2枚で補修されています。“小豆3粒包めたら布は捨ててはいけない――”です。

兵庫県の地場産業のサイトによれば、

[  丹波地域では、宝永年間(1704~1710)頃に良質の綿が盛んに生産され、手織りの木綿が製造されていました。しかし、明治以降、機械化による大量生産が進み、家庭では手織り木綿も作られていたものの、産業としては徐々に衰退していきました。戦後に至っては、家庭内においてもほとんど木綿を手織りすることは無くなりましたが、昭和49年にそれを惜しむ人々が集まり、昔ながらの製法による手織り木綿を復活し、現在に至っています。 ]

とのことで、古くから上質の綿織物が織り継がれてきたのですね。

私も修業に入る直前と終えてしばらくして丹波地方へは2度旅をしたことがあります。丹波布を復興された足立康子さんを訪ねたこともあります。丹波立杭焼の窯元を訪ねたりしました。食べ物も、工芸も滋味豊かな土地だと思いました。

 

桑田郡(現在の亀岡あたり)という地名からもわかるように、養蚕も盛んな地域だったようで、少し、紬や木綿との交織の布もあります。絹は虫食いになっています。


糸はほとんどは木綿の手紡ぎですが、細番手の糸、杢糸、若干ですが、明治以降のものなのでしょう、化学染料の濃いピンクや青、緑が入ったものもあります。

紺、青、茶、白と限られた色数の中で糸一本一本を見つめながら工夫を凝らしいい縞を作り出そうとしていることがとてもよくわかります。とても上質の、おしゃれな洗練された縞、格子が多いです。

貼られている小さな布はかなりの高レベルな織り物と思います。縞帳に詳しいわけではありませんが、自家用で織ったものを貼り集めたというより、どこかの工房で織られた布のように思います。

自家用に機を織る家々には、参考にするための縞帳が宝物として保管されていたということですから、切手大の小さな布が行商などで、束で売られていて、それを反古紙に張り付けていたのかもしれません。この縞帳とよく似たものを織り物の本の中の写真で見たこともありますし、同じような布が貼られた縞帳も見たことがあります。誰かと分け合ったり、交換したり、いろいろ想像が膨らみます。。

昔の庶民も着ることにはこだわりがあったのです。他の人と違う感じのものを作りたいとか、着たいとか、流行もあったでしょうし、いろいろ思いを巡らせ、縞帳を参考にして、縞割りを考えたのでしょう。作り手の生き生きとした表情まで浮かんできます。

紬塾の染織実習で織る3寸ほどの布も、このようなシンプルな仕事をベースに考えているのです。

限られた色数で、糸を細かく混ぜながら設計してもらっているのはこの縞帳にあるような、シンプルだけれど、糸の形を生かした奥行きのあるものを作ってもらいたいからです。実習では経糸は無地系で用意されていますので、ヨコの段だけでそれをしてもらいます。

布をキャンバスに見立てて、絵を描くような表現をしたいのではありません。

紬と木綿、時代の隔たり、着こなしの違いなど、そのまま真似できるものではありませんが、その土地、暮らしのなかにあるものづくりの精神や、真摯な姿勢は大事にしたいと思います。

ちなみに私の縞帳は作ったことがありません。もう2度同じものは織らないので振り返ることは少ないのです。ただ、修業時代に織らせて頂いた布の端っこを少し頂いたので、それを工房の他の人と分けたものを、和綴じ帳に貼ったものは今も持っています。下の写真がそれです。







真似て織ることはありませんでしたが、糸一本の見え方、糸使いなど参考にすることはありました。

人工知能がこれから時代、暮らしの中にも幅をきかせてくるでしょうけれど、人の手でなければ生み出せないもの、人が生み出すべき手仕事は残し、伝えていかなければ、人は何のために生きるのかわからなくなりそうです。

この縞帳はただ美しいだけではなく、なぜ美しいのか、また人がなすべきことは何か、まで語り掛けてくれているように思います。

 

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「日本の素朴絵」展ー素朴さの中の大いなるもの

2019年08月22日 | 工芸・アート
 
 
お盆休みに三井記念美術館の特別展「日本の素朴絵」を観て来ました。(~9月1日まで.。9月21日~11月17日龍谷大学龍谷ミュージアム) かなり混んでましたが、愉しんできました。

まだ蒸し暑い中ではありますが、8月終盤、温度も湿度も管理された美術館でホッとされるのはいかがでしょうか? 
三井記念美術館は和服、浴衣の方は300円引きの1000円です。また金曜ナイトミュージアムも17時以降1000円です。70歳以上の方も1000円です。その他の割引はホームページでご確認ください。
 
最初の展示室1で「立体に見る素朴1」と題して古墳時代の埴輪から江戸期の陶製の狛犬までが点数は少ないながら素朴美を湛えるものとして展示されていて、その部屋が気に入りました。特に神像、懸仏が私のこころをとらえました。図録から少し紹介します。
 
 
 鏡像 子守若宮明神像(平安時代)
 
 懸仏「水分(みくまり)子守明神像」(平安時代)
銅造の打ち出しによるレリーフです。 女性が右手に扇、左手で子を抱く姿をざっくりと浮き彫りにしているだけのものですが、なんともとぼけた表情ですが、惹き寄せられる空気が実物からは漂います。  

男神・女神坐像(中世~近世) 
木造の神像たち。いろいろな表情に思わず笑ってしまいます。
素朴な手によるものですが、対象の核になるところをつかんでいて、一見真似できそうでそうはいかない、、何か純然たるパワーがあります。
 
三井記念美術館のHPの趣旨文によると
 [本展覧会では、ゆるくとぼけた味わいのある表現で描かれたこのような絵画を「素朴絵(そぼくえ)」と表現します。しかし、西洋絵画の「素朴派」とは異なり、「リアリズムを目指す表現の人為的・技巧主義的なものを超越した」という意味を含んでいます。]
とタイトルの定義づけがされています。
 
しかし、この展示を見ても思いますが、古代のものだからいいとか、作れたとかではなく、対象をよく観ているということが、あのようなゆるそうでいて大いなるもの、核になるものを内包している絵であり彫刻なのだと思うのです。
 
今までもこういったゆるい絵や彫刻も見てきていますが、あらあためて“素朴”を考える機会になりました。

例えば素朴な芭蕉布や丹波布などのような織り物も素直で飾らないものです。しかし、素材をよく見て、よく知り、生かし、シンプルな模様や簡素な色を調和させ、人の心をほっとさせる、和ませる力をもっています。存在感はあるけれど、見る側はゆるむのですね。そういうものを創りたいです。
 
“素朴”という使い慣れた、聞き慣れた言葉ですが、飾り気のない、素直な、無垢な、純朴な、簡素なという意味に実は普遍性をもった懐深い世界があると思います。
 
 
 
 
 
 
 
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MIHO MUSEUMと伊勢現代美術館を訪ねて

2019年04月12日 | 工芸・アート
滋賀県甲賀市信楽町にあるMIHO MUSEUMと三重県・南伊勢町の五カ所湾にある伊勢現代美術館、伊賀の茶陶の三田窯へ行ってきました。前日までの20度超えのポカポカ陽気から一転、真冬のような寒さの中でしたが、山桜は5~6分咲きぐらいで、葉の茶色と混じり合い山の遠景も堪能してきました。





まず初日は伊勢現代美術館で開催中の陶芸家谷本景展(~5月12日)に行きました。
谷本さんは、三田窯の当主ですが、若い頃にフランスで版画を学んだりされた方で、ここ10年は特に抽象的な現代感覚な作品を意欲的に発表されています。古代の銅鐸をイメージしたもの、陶板による平面表現など古代と現代をつなげるかのように、普遍性をもった制作をされています。その中でも特に土の風合いそのままの陶板が私は気に入りました。。




伊勢現代美術館は伊勢市からバスですとアクセスはあまりよくないのですが、ゆっくり時間をとって訪ねたいとても良い美術館です。
初代の館長のコレクション、そして現代作家の企画展やレンタルスペースで若い作家も紹介しています。開館まだ16年ほどですが、初代館長は数年前に亡くなられて娘さんが遺志をついでいらっしゃいます。屋内外の空間、展示彫刻館「宇空(うくう)」も併設されていて、そこもとてもとてもいい空間でした。








「歩く人」(林武史作)という作品の上を歩く人。。


谷本景さんの夫人の由子さんがこの4月から「作古庵」をB&Bの宿として始められて、そこに泊まらせてもらいました。
由子さんも陶のオブジェなどを制作されています。敷地内にアトリエが有ります。


アトリア前の石の大きなテーブルの前で1点写真を撮らせてもらいました。囚われないダイナミックな作風です。
制作についての取材も兼ねていましたが、じっくり制作についてお話を伺うことができました。

作古庵は古い家をリノベーションしてありますが、梁や襖、板戸など、使えるものは生かして、土壁の仕上げで、由子さんのコレクションの家具、調度品も素晴らしいお部屋でした。
オーナ夫妻の作品を始め、コレクションされている海外のアート作品も飾られていて、楽しめます。
Aribnbから申し込めます。



翌日はMIHO MUSEUM「大徳寺龍光院 国宝 曜変天目と破草鞋(はそうあい)」を見てきました。

非常に混んでいました。立ち止まってじっくり見ることができませんでしたので、2回列に並んで見ました。
上の画像や今まで見た印刷物とは大きく違う印象を受けましたが、それでも曜変の静かに発光する虹彩と、侘びた感じも持ち合わせているというか、唸る美しさでした。曜変天目国宝三碗の中では、私はこの斑紋の小さな茶碗の景色が最も好みです。
自然光で見たらさぞや美しいことでしょう。
曜変天目を再現した桶谷寧さんの曜変天目は手にとって時間帯を変えて何度も見ていますが、肉眼でもその色の変化を見せてくれてました。撮影するなら曜変の本質を熟知したカメラマンが、先端技術を使った撮影でないと撮れないようです。印刷も高精細技術が必要です。



今回の一泊の旅は、着物は拙作の単衣紬で出かけましたが、出掛けに雨が少し降っていましたので、予定の羽織はやめ、大島の雨ゴートと紬のショールで出ましたが、思いがけない寒さの中、紬のショールは暖かくとても助かりました。念の為シルクのタンクトップを肌襦袢の下に着ていたのでそれも良かったです。
リバーシブルの抽象文様の半幅帯に自作の銀の帯留め「元始」と小川郁子さんの切子帯留めの替えを一つだけもって最小限のコンパクトな荷物で出かけましたが、結びも吉弥から割り角出しに変え、プチバリエーションを楽しみました。(*^^*)

他のジャンルの方の仕事からよい刺激を受け、英気を養う旅となりました。

さて来月6日から紬塾11期のスタートです。
紬基礎コースはあと2名大丈夫ですのでお早めにお申し込み下さい。
紬の着物の本当の真価を一緒に学んでいきたいと思います。
詳細はこちら。












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角好司作「更紗蒔絵二段重」とともに迎える新年

2019年01月04日 | 工芸・アート


新春のお喜びを申し上げます。

新年の清々しい朝を美しい器とともに迎えました。

贅沢はできない身の上ではありますが、漆の二段重、長方皿、若い作家のぐい呑などで、元旦のささやかな膳となりました。

漆芸家の角好司さんの溜塗に、鳳凰に花唐草の更紗蒔絵のお重は布が実際に着せてあり、軽やかさのなかに立体的な重厚感もあります。細部に拘る作家の仕事です。


右側面の鳳凰一羽だけ、片目をつぶってウインクしてます。角さんの遊び心、茶目っ気ですね。(^_-)
蓋裏は幾何学的な花唐草文様です。お正月だけではなく蓋物として使えるものです。


中身は質素、シンプルなものでお恥ずかしい限りですが、、素材、調味料だけは良いものを選びます‥。
ぶりの塩焼き、鶏の竜田焼き、根菜のお煮しめ、高野豆腐の含め煮、ゆず入り炒りなますなどです。

お雑煮は写真を撮ってませんが、鰹節、昆布で出汁をとり、小松菜、大根、人参。お餅は溶けかかるぐらいに煮るシンプルなものですが、これが一番好きです。良い白味噌が手に入れば、白味噌仕立ても好きですが。。

長方皿(プレート)は東日出夫さんで、落書き文様が施された現代的な作です。
口取りとして、昆布巻き、栗きんとん(甘みをかなり抑えます。庭のクチナシが今年は殆ど実がつかず、金時芋の色のままです)、黒豆。
この皿は菓子皿などにも使います。


お屠蘇は10種類の生薬がブレンドされた三州三河みりんの“おまけ”ですが、これが本当に美味しくて、二煎目も美味しいです。
いつもは純米酒で作りますが、二日目はみりんに浸しました。とろりと甘く、このみりんがいかに美味しいかわかりました。
ぐい呑は若い陶作家ご夫妻から頂いたもので、左が妻(花塚愛作)、右は夫で(戸叶恵介作)全く作風は違いますが、手取りの良い形です。
若い英気をお屠蘇と共にいただきました。(*^^*)   

いい仕事に触れると、私も一年また頑張ろう!という気持ちになります。
今年も色や糸に向き合い美しい布をめざしてまいります。
本年もよろしくお願いいたします。



中野みどりHP

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西村陽平作品に取合せてみました!

2018年10月06日 | 工芸・アート
先日「床の間奪回レクチャー」を企画開催しました。
メインの作品は美術家の西村陽平さん、井上まさじさん、井田照一さんの作品を使わせていただきました。講師は工芸評論家、かたちの笹山央さん。
少人数でしたが、参加者からもとても素晴らしい企画と喜んでいただきました。
会の様子はこちらでご覧いただけます。 → 











本の焼成作品など世界的にも評価を受けている西村陽平さん。
以前のブログでもご紹介しましたが、廃棄された本の表紙を使った作品を新たに入手いたしました。とても気に入ってます。(^^♪
早速工房の一隅に飾ってみました。

川原の石に魚絵の豆皿を取合せました。石は三重県の御浜石です。母を亡くした年に母の故郷三重を訪ね、熊野川の川原で拾ってきました。
陶製の小さな豆皿は升たかさんの作でだいぶ前に購入したものです。生き生きとした絵を描かれる方です。

皿を立てかけた後ろの鉄の塊は赤井太郎作で15年ほど前に気に入って買いました。
鉄の柔らかさを感じました。
敷布はランチョンマットとして織ったものですが残った1枚を自家用にしました。紅茶などでキビソ糸に鉄媒染で染めたものです。裂き糸は私が子供の頃に着た着物地です。

石の上に置かれた桜の落ち葉は生の状態では鮮やかすぎたのですが、一日たって枯れた感じが人為的な作品と馴染んできました。
あえて花を活けることはしませんでした。壁の作品の草の茎、穂の線が繊細だけれど、タテに真っ直ぐに伸び、力強くこの線を生かしたかったのです。季節により置くものを替えて楽しみたいです。
自然物と人工物(人為物)がやり取りする感じが、鑑賞の醍醐味と言えます。

取合せとはなんと難しく、でもものと向き合い、しっかり見極める訓練にもなります。
自然の花だけを飾るのでもなく、絵画を壁に掛けるだけやオブジェを置くだけではない、2~5点ぐらいのものを取り合わせるというのは作品や自然物の高度な鑑賞方法であり、日本の季節の移ろいとともに考えられてきました。俳句も言葉の取合せです。

着物も一点だけを衣桁に広げて展示しても人が着た姿とはかなり違います。
帯や小物の取合せで、その着物はどういうものであるのかもわかります。
床の間飾りと着物の取合せは重なります。合わせてお揃いにしてはそれぞれが生きません。

来月の紬塾ではその取合せの奥義に迫りたいと思います。


そして最後に西村さんがご自宅のダイニングテーブルに、私の布と身近なものを取合せてくださったということで、写真を送って下さいました。
流石に空間の捉え方や異素材、違う形を素敵にアレンジされてます。写真も上手で、私のオートでパシャ!とはだいぶ違います。。。>_<

心の置き場としての床の間スペースは日々を豊かに彩ると思います。
自分が良しと思うものを一つ決め、それに合うものを探すのは一生の楽しみになります。
立派な床の間のある家でなくても板一枚を床(ゆか)より高く置き、聖なる場所を持つといいと思います。
チェストの上、カラーボックスや下駄箱の上でも良いと思います。
またレクチャー開催の機会には是非参加して下さい。


楽屋裏をお見せすると、、工房にある奥行き25cmの整理棚の上が私の心の置き場所です。
周りは織りの道具、その他雑多なもので囲まれ、決してベストな環境ではないのですが、、。^^;
左壁面の小さな額装は私の作品です。左隅は前にも紹介しましたが、栃木美保さんにご指導いただいた塩香です。
何故か梅の絵の御札も置かれています… 毎日眺められる場所です。

紬塾で小さな布を織った方は額装や敷布として何かと取り合わせてみて下さい。
来月の展示でも卓布、端布、額装も出品します。ぜひご覧ください。



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百生やつるひとすじの心より

2018年07月20日 | 工芸・アート


暑中お見舞い申し上げます

西日本を中心とする豪雨で多くの方が亡くなられました。
また被災して今も困難な状況の中におられる方々、ご関係の皆様にお見舞いを心より申し上げます。
東京も今年ほど厳しい夏はなかったように思います。暑さには強いほうですが、梅雨明け後も湿度がとても高く身体に応えました。
海水温の上昇、温暖化をなんとか食い止めてほしいものです。

この酷暑の中、工房では秋の展示会向けの作品制作をしていますが、涼しくなりましたらアップいたします。
さて、工房内のささやかな床の間スペースに一服の“涼”を求めて加賀千代女、小川郁子、中野みどり、古いものと新しいものを取合せてみました。(^_^;) 



掛け軸は江戸期の俳人、加賀千代尼の句幅。
取合せとして、「江戸切子矢来紋蓋物」(小川郁子作)
敷布は紬織り藍染格子縞「「秋雨」(中野みどり作)

掛軸は10年近く前に古美術店で求めました。
「百生(ひゃくなり)やつるひとすじの心より」 加賀千代尼(1703-1775)


たくさんなっている瓢箪を詠んだ句です。瓢箪の季語は秋に分類されますが、来月になれば立秋ですから盛夏に掛けておく軸かと思います。
句の意味はなんとなくいいなぁ、、、でしたが、表装の裂地にもとても惹かれました。
当時のままの表具と思いますが、天、地は透ける生地に緑色の和紙で裏打ちがされています。それが生成りの絹を通して薄緑に浮かび上がっています。キビソ糸で織られていて表具に多く使われたと思います。糸の太細の落差の表情がたまりません。


中廻しと一文字の裂地は繊細な組織の織りでキビソとのギャップが大きい取合せもすごくいいです。地の目が通ったとても良い表具です。薄くて扱いにくい生地だと思いますが、手織りしかなかった時代の地の目を見れる職人技です。

千代女の「朝顔に釣瓶とられてもらい水」は有名な句ですが、この句も千代女のやさしさが感じられて味わい深くとても好きになりました。


取合せの小川さんの蓋物は2~3年前の個展会場でいただきました。
カットも色も他にも何点かありましたが、この透明な生地に伝統的な矢来紋の深い切込みが私にはむしろ斬新で力強く、小川さんの力量を象徴しているものに思えました。
木の蓋は外注するそうですが、身と蓋の取合せには苦労もあるとのことでした。
先日サボア・ヴィーブルでの個展を終えられたばかりですが、その時、工芸評論「かたち」の笹山さんが『人は日々』シリーズとして会場でインタビューした時の様子を動画にしたものが下記よりご覧いただけます。
敷布は10年ほど前の仕事ですが、同じ経てで縞帯を3本織った時のものです。そのうちの一本を私も半幅帯にしてよく使っています。
もう一本は、少し前の「和楽」記事に、森田空実さんが名古屋帯で締めてくださっていました。
私の半幅帯の着姿はこちらで。 

小川さんの個展会場での動画はこちらから。他の方も含めご覧ください。
「個展会場の臨場感と作家の「素(日々)の語り」を聴いていただくことを主眼としています」ということです。



中野みどりHP
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