中野みどりの紬きもの塾

染織家中野みどりの「紬きもの塾」。その記録を中心に紬織り、着物、工芸、自然を綴ります。

黒い裾

2019年07月25日 | こぼれ話(着物)

 題字/熊谷恒子

紬塾では幸田文著『きもの』を日常にまだ着物があった大正~昭和の時代に関する参考文献というような扱いで使わせてもらっていますが、同じく『黒い裾』という短い小説も大学生の時に姉の本棚にあったものを読み、今も手元に昭和49年7月30日九刷の茶色くなった文庫本があります。題字もすごいです!まさに崩れ行く絹の黒布を彷彿とさせます。

当時、幸田文(1904-1990)文学や着物に特別関心があったわけではありませんでしたが、一着の喪服を一生をかけて裾が擦り切れるまで着るという小説の筋書きに、人生と共にある着物というものはすごいものなのだと、深く記憶に残りました。昭和29年ごろに書かれた小説です。

16歳の女学生が、母の名代で初めて親戚の葬儀に行く。喪服の用意はなく、裏方の手伝いをするための挨拶からはじまる。
その挨拶は「今日は皆様ご苦労様に存じます。私ども母もお手伝いに参るのですが、持病がございまして私代ってお勝手元なんなりとご用いたしとうございます。なお……お恥ずかしゅうございますが紋服の用意がございませんので、不断着をおゆるしくださいますよう。」母親から教わった挨拶を、緊張し、汗だくでのべるのです。

その不断着は「じみな著物に新しい足袋、草履の鼻緒に黒いきれを巻いたのはせめてできるだけ身につくものから色を消したい心づかいだったが、そんなことをしてみても喪服のない肩身の狭さは心の底に滓(おり)になっていた。」と。母親はまだ学生だからちゃんとしていなくていいとなだめるのですが、なんと女学校卒業祝いはいらないので喪服を作ってほしいと母親に懇願する。しかも一生ものなのでいい生地でと註文をつけたとあります。
『きもの』の中でも生地に対するこだわりの箇所が随所にみられますが、子供のころから着物を着つくした幸田さん自身の実体験、体を通しての皮膚感覚、感受性の鋭さから生まれる言葉で書かれているのです。

その後、結婚もし、貧乏もし、離婚し、元夫を亡くし、戦争も経て、幾度かの葬儀も重ねた50代のある時、叔父の葬儀のために喪服を着て着姿のチェックのために座った鏡台の前で、立膝をついて起ちあがろうとしたその時、踵が裾に触れ裾に入っていた真綿が垂れ下がったように露わになっていた。時間がなく、それを裁ちばさみで裁ち落とし、応急処置で葬儀に間に合わせるという話で小説はほぼ終わるのですが、再読してみてもやはり面白くていろいろ自分に置き換えて読んでしまいました。

喪服一着のことで小説を書いてしまえる幸田文さんもすごいのですが、女にとって“着るもの”というのがどれだけ人生と共にあったかを改めて思います。喪服だけではありませんが、、。

私の両親の時には着るもののことを考えたり準備する時間的、経済的余裕もありませんでしたが、小説の主人公千代は若いのに先を見据えて十代で喪服を拵えるのは、時代が違うとはいえ、しっかりした大人だったのですね。。。

今はなんでも簡略化の時代ではありますが、むしろ自由にこじんまりとした葬儀やお別れの会、さまざまな追悼、供養のかたちというものがあります。そんな日に何を着るのか着物の正装、準礼装や略礼装なども視野に入れながら、自分らしい喪装がどんなものなのかを差し迫ってないときに考えたいと思います。

母が遺した喪服一式は一度羽織ってみたことはあるのですが、とても軽い錦紗縮緬でした。五つの抜き紋があり、戦後間もなくの結婚の時に祖母が持たせたものなのか、もしかすると祖母のものを持たせたのかわかりませんが、胴裏は座繰りの節のある薄手のものが使われています。黒の帯や小物も揃えてありました。それっきりになっていましたが、梅雨が完全に明けて空気の乾いた日に広げてみようと思います。
母の命日も近いですし、喪服を通して母と祖母と語り合ってみたいと思います。




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自然布と夏紬

2019年07月11日 | 着姿・作品



先日、梅雨の晴れ間に夏紬で都心まで外出しました。

帯はビンテージものの対馬麻です。大麻の生成り糸と木綿糸の黒の二色の縞ですが、実際にはもっと複雑な素材そのものが持つ自然な色と糸のかたちから生まれる陰影があります。対馬麻は大麻と木綿の交織が特徴と言われていますが、この帯は黒糸以外は大麻です。半纏から帯に仕立て変えたもので、使い込まれていたのか柔らかく帯結びも楽です。



紬との織物同士の取り合わせですが、それぞれの糸味、糸の力、自然の色を纏うといった感じです。

前々回の記事でもご紹介した同じ着物に締めていましたシナ布の帯は、現代のもので、数年前のシルクラブでの「いとなみの自然布展」で購入したものですが、糸の張りが強くて、いつもの捻じるやり方では帯結びができませんので、クリップを使いました。手ごわいです。。(^-^;



反物で撞木に掛けられたのを見たときに織り物の技術の上手さが際立っていました。耳もとてもきれいです。
2種の自然布の帯は透け感は少ないタイプのもので単衣の時期と盛夏に使えます。長く愛用したいと思います。

私が織物の美しさに出会ったのは高校3年生の時に見た古い芭蕉布や手紡ぎ木綿の丹波布などでした。素材そのものの持ち味を残した素直で自然でシンプルなデザインで、この世にこんなものがあったのか‥と、とても衝撃を受けました。というか普遍的なものの美しさの根源に出会ったのです。あれからなんと50年近くになろうとしていますが、その日のことを忘れることはできません。

自然布なら、手つむぎなら美しいのではなく、美しさを損なうことのない素材への観察力、見識、わざ、そして創意し過ぎない謙虚さに、人の心を動かすアート性が潜んでいると思うのです。紬でもそういう核になるところは見失わない仕事を目指したいものです。

労苦は惜しまないけれど、無駄に凝ったりしない文様、糸使い。原始から、先人たちは生きるために命がけで布を織ってきました。
その厳しさは今の時代にどれほど受け継がれているのでしょうか?着るものの溢れかえった今の時代に、生きるため、命をつなぐために織った布があったことを想像するのは難しいかもしれません。

縄文土器展には列をなす人々がその時代の衣服、布に同じように関心を寄せているだろうか…というか、大きく取り上げられる機会もほとんどなく、布に触れる機会もないということでしょう。
人にだけ与えられた衣の文化。人は布がなければ生きていかれません。
今の暮らしを省みつ、思いを原始に馳せたいと思います。次回紬塾でも「とことん着る」をテーマにします。



夏紬「柿の花」は一昨年夏に織ったものです。セリシンを少し残したいわゆる生紬に近いものですが、もう少し柔らかくして着易さを考慮しました。糸の精錬から仕事をしていますので、その調整も着るときのことを考えてしています。
織り密度もやや荒くして織ってはいますが、経糸に節糸も使い、地詰めをして洗えるようにもしてありますので、透け感はあまりなく、6月~10月初旬まで着用できる単衣です。
柿や桜、白樫で染めた柔らかなオレンジベージュ系で、ヨコに浮き織りでウコギで染めた薄緑のさりげない段を配しています。優しい上品な色合いですが、紬帯も染帯も、また力強い自然布も受け入れてくれる包容力のある着物です。

紬も原始から織り継がれてきたものです。名称こそ“紬”ではありませんでしたが、植物から繊維を取り出し、糸にすることに比べれば容易に絹糸は引き出すことができます。養蚕の際に出る屑繭や繭の表層から引き出される粗い糸を使わない手はありません。丈夫で柔らかく着易く、また見た目にも味わいのある織物が労働着、普段着として使われてきました。
今日では高級なおしゃれ着になりましたが、四季とともに小物の取り合わせを変えるだけでも自由に楽しめ、脳も活性化してくれる現代の紬のおしゃれを様々な取り合わせで楽しんでもらいたいと思います。ストレス社会の現代こそ安らぎのある布を纏いたいです。そして日本の織物の原点の大麻布、他の自然布も復興、継承されてほしいと思います。


こちらは曇天の中でしたが、夏紬帯「蝉時雨」を合わせてみました。小川郁子さんの帯留めで爽やかさを取り入れました。帯揚げは白に近いピンク。
この帯は洗い張りもして愛用のものです。

ピンク系の夏紬着尺は在庫が1点あります。HPからお問い合わせください。
HPの着姿に詳しくご紹介しています。こちらからご覧ください。




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