お盆休みには二度、着物を着ました。
60年ぐらい前の小千谷縮みで母が遺してくれたものです。
糸質が今の輸入のラミー麻と違い張りがあり、風の通りがとても良いものです。
当時のごく普通の呉服商品だったと思いますが、母が好きだった色味です。
裄だけ私の寸法に直してあるのですが身幅が狭く、、全身像はUpできません。。。^^;
自分の本体の寸法を少し詰めたいのですが、、秋から本気でやろうと思っています。運動しなければ・・
帯留めは今は亡き金属造形作家の濱口恵さんに20年前に帯留めとして作って頂いたものです。銀の籠に色違いの真珠が入っています。
一日は青山のお墓に参り、もう一日は帯を替えて、カジュアルなコンサートへ行ってきました。帯は共に自作の夏帯です。
暑い日でしたが、下着はもちろん櫻工房オリジナル、大麻肌着に蚊帳タオルの汗取りも使いました。一日は汗取りなしで着用しましたが、ないほうがむしろ暑く感じられました。ヘンプ蚊帳生地使えます!!日本の織物の撚糸や密度などの知恵、技術もすごいものがあります。
夏の着物は少し気合を入れないといけないのですが、着てしまうとシャキッとして案外気持ちのよいものです。
ガラスの帯飾りで少しでも涼しげに…してみました。
さて話が飛ぶようですが、短歌か俳句を勉強したいと思っています。
予行演習で初めての短歌を一首詠んでみました。(家人の添削済み)
・墓参後の会食の坪庭(にわ)に舞いきたる
アオスジアゲハを亡母(はは)かと想う
ご説明いたします(^^@)。
亡き母の好きだった小千谷縮を着てお墓参りし、そのあと懐石料理を頂いたのですが、その店の小さな坪庭に青いアゲハ蝶が西から現れ、東方向へひらひらとゆっくり舞い、一往復して去っていきました。その光景はただならぬ感じで、水色が好きだった母が化身となって会いに来てくれたようで、夜になっても興奮が覚めなかったのです。
今年は母の十三回忌、父の七回忌でもありました。
アオスジアゲハは今までにも1~2回見たことはあったのですが、名前を今回初めて知りました。店の人は見たことがないと言ってました。
蝶の写真はこちらをご覧ください。
母も自己流ですが短歌や俳句を詠む人でしたので、文才のない私も少し苦手なことにもこれから挑戦してみようと思っています。
母が自分の母(私の祖母)を亡くした翌年だと思うのですが、短歌や俳句をいく首か遺しています。俳句を一つだけ挙げておきます。母が42歳のときです。
[母] 昭和40年8月25日
・夕涼みニラの花にも母の顔
私は子供で何も苦しさをわかってあげられませんでしたが、辛さを一人、誰に話すでもなく短い言葉に込め、耐えていたのだと今更ながら思います。
実家は紀州の山の中で、結婚して東京へ来てから会うことも少なく、親孝行できなかったことの辛さでもあったと思います。
祖母は看護師をしていて、村でお産や病気で困っている人のお世話などをよくしていたようで、質素でしっかりものだったようです。畑の縁の土留めとして植えられたニラ花と重なったのでしょう。私も母を亡くして2年ぐらい何を見ても母を思い出し泣いて暮らしていました。
人の絆はモノや自然物を介してつながっているものかもしれません。
少しの着物を遺してくれていたことが、今の私を支えてくれていると実感するお盆でした。