人の世界は個人それぞれが決定権を持つ。
自分が決めたと思い込んでいる。
何かの行動をする時、肉体が暑い、寒い、苦しい、楽しいなどのセンサーで何かを感知するから、行動を起こすための意識を発生させる。
何も起こらないならどうするか。
何も起こらない、という外部入力を感知し、それに反応する。
つまり「思い」は身体からの信号がスイッチを持つ。
身体があって、そして反応するのでる。
身体がなければ、或いは肉体が何らかのセンサー反応しないと行動に至るスイッチは入らない。
植物人間である。
いわゆる植物化した人は自律神経のみが反応する。
大脳皮質は動かない。
身体が先に決定権を指図する。
身体のあり方によって、ある程度自動的に反応すると言っても差し支えないかも知れない。
暑いと、身体を冷やす行為を目指す。
寒いと逆。
なので、意識は自己が決定したと無意識の反応を持つが、それは肉体による支配から逃れてない。
脳も肉体の一部、臓器の一部だと養老孟司先生は言った。
おっしゃる通り。
意識が独立していれば肉体は要らない。
要らない肉体に心は宿らない。
幽霊だ。
物質以外なら触ることも見ることもできない。
雲も水蒸気という物質。
煙も同様。
光は光子か。
とにかく、感じるのはモノではない何かなら、精神的な意識の中だけであり、
肉体が死んだらそれも感じないだろうし。
死んだ後の死後の世界があるならば、それはこの世ではないから、知らない。
見ることができるなら、この世のものだろう。
まだ知識の中に無い物質なら理解できる。
解明されてない物質はあるだろうから。
例えば、ニュートリノなどはそういうモノだった。
電波も似てるけれど、肉体には微細な反応があるらしい。
磁気もそうだ。
しかしやはり肉体になんらかの反応がある。
微細な影響があるから。
身体が先、心は後。
従って、肉体が思い込みを優先する。
喜怒哀楽は身体のセンサーが先に決定権を持つように思う。
特に「嫌だ」という反応は敏感だ。
ほぼそれに尽きる気がする。
従って、身体が「嫌だ」をいう時にはそれを最重要に置いてやるのがいい気がする。
多調が悪い時である。
それは肉体が「嫌だ」を訴えてる。
意識は最重要項目にせねばならない。
自己決定権はそこからモノを言う。
身体の反応は理屈や計算では出ない。
思い込みから始まる。
身体の、肉体の思い込み、反応なのだろう。
そして身体はだいたいにおいて正直だ。
思い込みはほぼ正しい。
それを、意識が計算や理屈で押さえ込もうとする。
しかし、それはおおよそ嘘だ。
詐欺的なマヤカシだ。
何故なら、肉体が反応してることを否定するなら、暑いも寒いもなくなるようなもの。
暑いときに更に暑くするような行為を奇妙な計算で出すだけだ。
肉体、そのセンサーは一番優秀な決定者だと認めるべき。
その答えが最初の思い込み。
ただし、センサーが正確で無いといけない。
そこは注意点だろうけれど。
焦りは禁物。
一応。
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