歳をとると身体がなかなか言う事を効かない。
頭の働きも面倒なことを避ける様になる。
先日、図書館へ本を借りに行った時の事。
借りた本が思っていたのと違ってるのに確認が面倒なので、そのまま借りた。
結局後になってわざわざ借り直しをしないといけない、となる。
つまりは更に面倒になるのだ。
そうなると面倒の比重の大きさからもう借りるのをよそう、と思う。
いろんな事で間違い、思い違い、ボタンの推し間違い、かけ間違いが起こる。
忍耐力もほぼ消えてるから癇癪を起こす。
自己嫌悪ならまだしも、悪態を付く様になる。
物事をもっとゆっくりと正確に行ったらいいんじゃないかと思う。
でも、焦りは忍耐力と反比例する。
ゆっくりできない。
まるで幼児だな。
簡単なことだけに絞ってみるのがいいかもしれないが、世間様はどんどん複雑化する。
いやいや、世の中は便利になると言うのだけれど、その便利は操作方法が随分と面倒で、覚えなければできない事がとても多く、複雑怪奇になっている。
若者にとってはそれが複雑ではない。
それは自分が若い頃を思い返すと解る。
若かった頃、同時に二つ三つの動作をするのが楽しかった記憶がある。
そういうことだろう。
老人は若者と生き物として別物になっている。
変異してる。
いつの間にか変身しているのだろう。
従って、同じ動物ではない、くらいに思った方がいいのかもしれないな。
でもって、自分自身が気付かないうちにそっち側になってる。
動くミイラかも。
以前ならゾンビと言ったろうけれど、今はちょっとかわいそうに思うから言い方を変えた。
しかし、ミイラの方がひどくないか?
どっちもどっち、変わらないか。
今日も多くのミイラが蠢いている。
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