シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「パスト ライブス/再会」(2023年 アメリカ・韓国合作)

2024年05月29日 | 映画の感想・批評
 ソウルに暮らす12歳の少女ナヨン(移住後は「ノラ」と名乗る)と少年ヘソンは、ナヨン一家がカナダに移住することになり、お互いに恋心を抱いていたが、離れ離れになり、連絡が取れなくなってしまう。ただ、ヘソンはノラのことが忘れられず、フェイスブックでノラを探していた。偶然、それをノラが見つけ、二人は12年振りに、ビデオ通話で再会を果たす。二人は実際に遭いたいと思うのだが、お互いに仕事が忙しく逢う事が出来ない。ノラは恋しくてソウル行の便ばかり気になってしまうことから、このままでは良くないと思って、暫く話すのは止めようと提案し、ヘソンは渋々受け入れる。
 それから更に12年経ち、ノラは作家と結婚し、ニューヨークに住んでいた。ヘソンは最近、付き合っていた彼女と別れた。そこで、ヘソンは、ノラが結婚しているのは承知の上で、ニューヨークに行くことにするのである。どういった再会になるのだろうか。ノラの夫はどう思うか。。。
 じわっと心に染み渡る映画。筋書きはよくあるケースに思うが、12歳の時の気持ちから、24歳、36歳と、12年おきに、それぞれの状況において、気持ちが変化した部分、変化していない部分が絡みながら、今、この瞬間を肯定する気持ちが、映し出されていく。特に、24年振りに実際に再会するニューヨークでのシーンは、ロングショットで多く撮られていて、24年間の二人の今までの気持ちの整理する時間を表現しているようにも思えたし、観客に考える間合いを与えているようにも想像出来るショットの連続で素晴らしかった。
 「パストライブス」は直訳すると「前世」。もし、移住していなければ・・・、もし、24歳の時に遭っていたら・・・、違う人生を送っていたかもしれない。今と同じ人生だったかもしれない。それは誰にも分からない。イニョン“縁”である。今は、お互いに、違う場所で違う人生を送っている。一緒には過ごせない。が、お互いに深く想っている。これからも想い続ける。でも、結ばれることはない。更に本作は、国柄(良い悪いではない)による人の気質の違いにも触れている。韓国人とアメリカ人の違いを、ノラとヘソンに重ね合わせている。それは、ノラが夫に24年振りに遭ったヘソンの印象を話すシーンに出てくる。生まれ故郷とは違う気質になった(なっていた:元々そうだった)と自ら気付いたシーンには驚きつつも納得した。前述のニューヨークの公園で会う二人の態度にも表現されていた。語らないことで語る映画ならではのシーンだった。この公園のシーンだけでも映画1本分の価値がある。それを可能にした自然な演技とショットが素晴らしかった。
 ラストに、ノラの涙、受け入れる夫、韓国への帰国途中に遠くを見つめるヘソン。次元が違えども、通じるものがある深い愛。惚れた腫れたではない恋愛映画であった。
 本作は、アカデミー賞作品賞と脚本賞の候補になった。両方共納得である。デビュー作だが、監督賞候補もありだったと思う。編集も撮影も良かった。予告編のみみたいだが、ショーン・マーシャルによるソロ・ユニット“キャット・パワー”によるリナーナのカバー曲「STAY」は秀悦。映画にピッタリ!YouTubeでご覧ください。
(kenya)

原題:Past Lives
監督・脚本:セリーヌ・ソン
撮影:シャビアー・カークナー
出演:グレタ・リー、ユ・テオ、ジョン・マガロ

「青春18×2 君へと続く道」(2024年 日本・台湾映画)

2024年05月22日 | 映画の感想・批評
 藤井道人監督の作品は第43回日本アカデミー賞で最優秀作品賞を含む6部門を受賞した「新聞記者」(2019年)以来、注目し心待ちにしている。今作は台湾との共同プロジェクト作品である。公開初日に日本と台湾の映画館で舞台挨拶の中継があった。藤井道人監督と主演二人を含む五人が登壇し和やかな空気に包まれて進行し、撮影現場の様子が伝わってきた。そこで「青春のイメージは何色?」との質問に、日本では青、台湾ではオレンジとの回答があり、台湾パートでオレンジ色が散見したことに納得。
 物語の始まりは18年前の台湾。大学進学を前に怪我でバスケットボール選手になる夢を断たれ、カラオケ店でアルバイトをするジミー(シュー・グァンハン)は、日本から来たバックパッカーのアミ(清原果耶)と出会う。財布を失くしカラオケ店に住み込みで働くことになった年上のアミにいつしか惹かれるジミー。一緒に映画館で「ラブレター」を観て夜市をバイクで走り抜け、ランタンを飛ばし展望台からの夜景に見蕩れる。二人の距離は近づいていくが、ある日突然アミが帰国することに。ジミーは気持ちを伝えられないまま、アミの「お互いに夢を叶えたらまた会おう」との言葉に頷くしかなかった。
 ダブル主演をつとめるシュー・グァンハンという台湾の俳優をこの作品で初めて知る。最近台湾で公開されたスタジオジブリ「君たちはどう生きるか」(2023年)のアオサギ役の吹き替え声優をつとめていると聞く。第一印象は地味だが、観ているうちに徐々に目が離せなくなってくる不思議な魅力がある。何より18歳から36歳までを演じるのは俳優にとっては挑戦だと言えるだろう。実年齢は30代前半だが、青年の初々しさと痛々しさがストレートに伝わってきた。一方の清原果耶は魅力的な俳優だ。可愛らしさも凛とした佇まいも併せ持っている。ジミーのバイクに乗って街中を走るシーンでは、ジミーの両肩に手を添えて乗っている姿がいい。恋人未満の二人の距離感を絶妙に表している。
 物語の後半、舞台は日本に移る。36歳のジミーが初恋の記憶を胸に、出会った人々の善意に包まれながらアミの実家を目指す。それは自分の生き方を見つめ直す旅でもあった。東京を起点に鎌倉→長野→新潟→福島と旅を続けるが、改めて日本の美しさに目を見張る。漆黒の松本城は圧巻だ。トンネルを抜けると一面雪景色という光景にも目を奪われる。車中で出会う18歳のバックパッカーの幸次(道枝駿佑)との雪合戦の場面では、幸次のダウンジャケットがまるで菜の花が咲いたように映える。やがて辿り着いたアミの実家でジミーは思いがけない運命を知る。
 藤井道人監督の「余命10年」(2022年)との共通点がこの作品にはある。共に女性が難病を患い長期間の闘病を余儀なくされる。一方、男性は自分の道を見つけて歩み出すという、男性の成長物語。いつか、女性の成長物語も観てみたい。
 エンドロールで流れるMr.Childrenの「記憶の旅人」の歌詞に心をつかまれ、いつまでも座席に留まっていたくなる。(春雷)

監督:藤井道人
脚本:藤井道人、林田浩川
原作:ジミー・ライ「青春18×2 日本慢車流浪記」
撮影:今村圭佑
出演:シュー・グァンハン、清原果耶、ジョセフ・チャン、道枝駿佑、黒木華、松重豊、黒木瞳

「悪は存在しない」(2024年 日本映画)

2024年05月15日 | 映画の感想・批評


 世の中キャンプブームだという。そういえばお隣の岐阜県にある揖斐高原スキー場がこの春県下最大のキャンプ場に変身したというし、GW連休中の琵琶湖岸も大勢のアウトドア派で賑わっていた。自分が住んでいる地域でも、かつて『サイクリングターミナル』という市の施設だった跡地に“グランピング”と称する民間施設ができ、他府県ナンバーの車でいっぱいだ。伊吹山が間近に見え、自然を満喫できる場所とはいえ、派手な装飾用のライトがケバケバしくて、周囲に溶け込んでいるかどうかは疑問なのだが・・・。
 「ドライブ・マイ・カー」で世界中の映画ファンを唸らせた濱口竜介監督の新作、信州の山中にグランピング場を作ることで起きる様々な人間模様を描いているという情報を得て、おそらくリニア新幹線建設でも話題となった環境問題について、掘り下げた内容になっているのではないかと予測して観たのだが・・・。
 オープニングは穏やかな林の中。下方から生い茂る木々を見上げるように撮っていて、そこに荘厳でゆったりとした音楽が流れる。もともと今回の企画は音楽家・石橋英子氏がライブパフォーマンス用の映像を濱口監督に依頼したところから始まったようで、その結果ライブ用サイレント映像「GIFT」と長編映画「悪は存在しない」の二本の作品が誕生することとなる。だからなのか、このオープニングシーンがやたらと長い。長いといろいろなことを考えるようになる。この林の中で、これからいったい何が起きようとしているのだろう、なんとなく不吉な予感もしてきて・・・。ともかくこの壮大なるオープニングで、観る者をどっぷりと深い山中に引き入れてくれるのは確かだ。
 続けて現れるのは主人公の巧が谷から湧き出る水を汲むシーンだ。これも長い。もう一人相方がいて、ひしゃくでいくつもの容器に水を入れて運ぶところを丁寧に撮っている。水道が通っていないところに運ぶのだろうか。いったい何に使うのだろう。一緒にいる男との関係は??ここでもいろいろな考えが次々と頭をよぎる。
 次は巧が暮らす家の前での薪割りシーンだ。この薪割りは自分も自然教室などで経験したことがあるのだが、結構難しい。一本の木をチェーンソーで4つに切り、さらに斧で4つに割る。この一連の作業をすべて見せてくれる。最初は俳優さんにしては腰が入っていて上手い方だとか、薪ストーブがあるのだろうかと思い巡らすうちに、この斧を使って何か事件が起きるのでは?この男の正体はいったい?!等、不安な要素も感じたりして・・・。
 グランピング場建設の説明会では、地域住民と計画した芸能事務所とのやりとりが何とももどかしい。森の環境や住民達の水源を汚しかねない補助金目当てのずさんな計画。説明する2人の社員も十分内容を把握できていないようで、とても支持する気持ちにはなれない。しかしこの2人にもそれなりの自分の考えと生き方があった。東京にある事務所と現地とを行き来する車中での、2人の素直な気持ちから出るやりとりを聞いているうちに、2人に共感できる気持ちも少なからず出てきて、現地の人たちともこれから先上手くやっていけるのではという明るい未来が垣間見えたのだが・・・。
 衝撃のラストをどう捉えたらいいのだろう。巧には娘・花がいて、学童からの帰り道に行方がわからなくなってしまう。果たして花は生きているのか?巧がとった奇怪な行動と、最後の荒い息づかいは何を意味しているのか??この作品の『悪』とはいったい???  
 様々な謎を抱えつつ、観る者はこの林の中を後にする。さすがヴェネチア国際映画祭審査員大賞(銀獅子賞)を獲得しただけある、想像力を豊かにしてくれる、映画好きにはたまらない作品だ。
 (HIRO)

監督:濱口竜介
脚本:濱口竜介
撮影:北川喜雄
音楽:石橋英子
出演:大美賀均、西川玲、小坂竜士、渋谷采郁、菊池葉月、三浦博之、田村泰二郎、鳥井雄人

「落下の解剖学」(2023年 フランス映画)

2024年05月08日 | 映画の感想・批評
フランスのグルノーブルの山深い山荘の一軒家に、人気小説家の妻サンドラと家事を担当する元教師の夫サミュエル、幼いころの事故で視覚障害を負っている息子ダニエルと介助犬のスヌープの一家が住んでいる。夫はフランス人、妻はドイツ人、日常会話は英語。
ある日、妻が学生の論文取材を受けていると、階上の夫が不協和音の音楽を大音量で流し、妨害してくる。妻は学生を帰し、息子には散歩に行くように促す。
息子が愛犬と散歩から帰ってくると、家の外で倒れている父親を「発見!」犬が異常に気付き、吠えた事で息子のダニエルはことを理解する。その時、家の中には母サンドラだけ。
サンドラは古い友人の弁護士に連絡して、状況を説明する。「私は学生を見送った後、耳栓をして昼寝をしていたから、夫が転落する物音も聞いていないのよ」
夫はベランダから誤って転落した事故なのか、自殺なのか、それとも妻が突き落として殺したのか。

一瞬寝落ちしたからか、いきなり裁判が始まっていたのだが・・・・・。
フランスの裁判なので当然フランス語を強要される。それだけでも強い圧迫感を強いられる被告席のサンドラ。
物証がほとんどない、状況証拠ばかり。夫が残した夫婦げんかの音声などによって、仲良く見えていた夫婦の実像が次々と暴かれていく。小説家として成功した妻と比べて、事故で視覚障害を息子に与えてしまった夫の無念さや挫折が浮き出てくる。
「推定有罪」か「推定無罪」か。検事の強引さがきわだつ。
対する弁護士ヴィンセントの冷静沈着さと、美しさ!(彼はしんどいお話の中での眼福シーン。)
裁判所の様子が面白い。法服を着用している。検事は赤、弁護士は白。判事は忘れた。ちょうど今、朝ドラの「虎に翼」で戦前日本の法廷シーンが描かれていて、そこでも検事と弁護士の法服の色が同じなのが面白く思えた。日本の法服には色は少々入るだけだが、フランスの検事の法廷服はまるでサンタクロース!
戦前の日本では検事の席が判事と同列の高い位置にあったことが驚きだった。現代フランスでは、現代の日本と同様に弁護士と向かい合わせなのだが、その席がはるかに高い位置にある。被告人や証人、傍聴者を見下ろす形になっている。記憶違いかもしれないが、判事や裁判員たちよりもひときわ高く見えた。

裁判は結局、息子の証言により無罪となるのだが、その過程で息子の気持ちの揺れ動くさまは痛々しい。愛犬を使って実証実験までやってみる。
判決が出ても、「なんの報奨もないわ」とつぶやくサンドラ。ずっと寄り添ってきた弁護士ヴィンセントの表情がうすく変わる。
やっと無罪になったのに、母は息子のもとに跳んで帰る気はないのか!息子の証言のおかげで解放されたというのに!
息子をハグしていても、母の手はだらり。ぎゅっと抱きしめるのは息子の方。サンドラは自分の事しか愛していないのか。
真相は一体何だったのだろう。かつて見た「レボリューショナルロード」や「ゴーンガール」を思い起こしながら、夫婦の本当は結局は本人たちにしかわからない。いや、そうだろうか。我が夫婦はどうなんだろう。
恐ろしい・・・・ヒリヒリしながら観ました。

「名脇役賞をワンちゃんにあげたい!」
と思ったら、カンヌ国際映画祭のパルムドッグ賞をもらっているらしい。
アスピリンを大量に飲まされて瀕死の目、よく演技したものです。ラストシーンでは息子のダニエルでなく、サンドラに寄り添っているのが印象的。脇役でなく、主演かもしれない。
ちなみに、作品はもちろん、パルムドール受賞!そしてアメリカのアカデミー賞で脚本賞。

ところで一言、言いたい。あれほどアルコールを飲んでアルプスの山道をドライブしても大丈夫なの?飲酒運転は許されるの?突っ込むのはそこかいな(笑)
(アロママ)

原題:ANATOMIE D'UNE CHUTE  ANATOMY OF A FALL
監督:ジュスティーヌ・トリエ
脚本:ジュスティーヌ・トリエ、アルチュール・アラリ
撮影:シモン・ボフィス
出演:ザンドラ・ヒュラー、スワン・アルロー、ミロ・マシャド・グラネール、サミュエル・タイス



「エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命」(2023年 イタリアほか)

2024年05月01日 | 映画の感想・批評
 わが国では同世代の巨匠ベルナルド・ベルトルッチの陰に隠れた存在だったマルコ・ベロッキオですが、ベルトルッチ亡き後、年長であるベロッキオが80歳を超えてまだ健在ぶりを示すどころか、問題作を放ち続けていることに敬意を表せざるを得ません。いまや名実ともにイタリア映画界を代表する巨匠の地位を不動のものとしたといえましょう。
 かれの新作は、イタリアでは誰もが知っているらしい史実「エドガルド・モルターラ誘拐事件」をもとにしています。カトリックの総本山であるイタリアで映画化するにはずいぶんと風あたりも受けたでしょうが、まずその映像美に感服し、ストーリー・テリングの巧みさにも感心しました。
 私は予備知識なく見たものですから少し戸惑ってしまったのですが、19世紀半ば以降のイタリアの歴史を調べてから見ることをお薦めします。イタリアは近代国家としての統一が遅れた国ですが、その原因はローマ教皇にあるといっても過言ではありません。諸国が割拠するイタリア半島は「諸国民の春」といわれた1848年革命を契機として国民国家への希求が徐々に高まり、1870年のローマ陥落によって教皇の天下が終わります。
 1851年ボローニャのユダヤ系商人モルターラ家にエドガルドという男児が生まれます。かれが満7歳になるかならないかのとき、町の異端審問官の命を受けた男たちがぞろぞろと同家を訪れる。乳飲み子を含めて9人の子だくさんのなかでも、とりわけエドガルドを探していると見えます。父親がいったいエドガルドに何の用件があるのか訊ねると、相手が「洗礼を受けたという密告があった」と答えます。だから審問官のところへ連れて行くのだと。
 ここは、いきなり「洗礼」といわれたって日本の観客には具体的な説明がなければよくわからないだろうと思われます。そこでちょっと解説しますと、まずモルターラ家はユダヤ教です。第二に、「洗礼」とはキリスト教特有の儀式でユダヤ教にはありません。つまり、「洗礼された子どもを差し出せ」と命じているわけですから、エドガルドが親の知らない間に何者かにキリスト教の受洗を施されたということです。だから、もはやこの子はユダヤ教徒ではなくキリスト教徒なので、おまえたちユダヤ教徒の手を離れてしかるべき教育を受けさせなければならないといっているわけです。
 なにしろ当時は教会が絶大なる力をもっていて、ローマから離れたボローニャもローマ教皇の配下にあったため、いかなる場合も逆らえないのです。父親は1日の猶予をもらって八方手を尽くしてわが子が連れ去られないようにいろいろな力を借りますが、教会は有無を言わせず少年を拉致します。手段を選ばない父親が新聞を使って教会の横暴を告発した結果、話はアメリカにまで拡がって人権を無視したやり方に世論が反発し、教会を支える財源まで脅やかします。かえってこれが教皇ピウス9世の逆鱗に触れ、意地でも少年を返すものかと頑なになる。
 多神教文化をベースとした世俗仏教社会に育ったわれわれには実感としてわかにりくい部分が多いのですが、昨今の新興宗教トラブルにおける宗教2世たちが洗脳されてゆく過程は、おそらくこのようなものなのかと想像すると、背筋に寒いものを感じないではおれません。(健)

原題:Rapito
監督:マルコ・ベロッキオ
脚本:マルコ・ベロッキオ、スザンナ・ニッキャレッリ、エドアルド・アルビナティ、ダニエラ・チェゼッリ
原作:ダニエーレ・スカリーゼ
撮影:フランチェスコ・ディ・ジャコモ
出演:パオロ・ピエロボン、ファウスト・ルッソ・アレジ、バルバラ・ロンキ、エネア・サラ、レオナルド・マルテーゼ


「アニー・ホール」 (1977年  アメリカ映画)

2024年04月24日 | 映画の感想・批評
 NYに住むコメディアン、アルビー・シンガー(ウッデイ・アレン)はアニー・ホール(ダイアン・キートン)と出会い、まもなく二人は恋仲になる。アルビーは40歳過ぎのブルックリン育ちのユダヤ人で、悲観的な人生観をもっている。アニーは明るくて、ファッションセンスがよく、プロの歌手を目指している。二人はテニス場で意気投合し、同棲するようになるが、次第に互いの生活スタイルや家庭環境の相違点が浮かび上がってくる。二人とも他にも恋人ができるようになるが、それでもまた元の鞘に収まっていた。ところがハリウッドのレコード・プロデューサーがカリフォルニアへ来ないかと誘うと、アニーはアルビーの反対を押し切ってロサンゼルスに移住してしまった。アルビーは寂しさに耐えられなくなって迎えに行くが、アニーはNYへ戻らなかった。

 アルビーは「死」が強迫観念になっていて、15年間精神科医に通っている。神経質で皮肉屋で、2度の離婚歴があり、カリフォルニアに行くとロサンゼルス病にかかってしまう。NYにしか住めないユダヤ人だ。スタンダップコメディアンで、収入はそれなりにありそうだ。アニーはブルーミングデールズ(高級百貨店)で買物をするのが大好きで、セックスの前になると不安になりマリファナを使う。ドラッグを常用していて、アルビーとの関係が行き詰まると、彼に促されて精神科を受診した。

 たぶん70~80年代のNYアップタウンに住む人たちにとっては、ブルーミングデールズで買物をすることや精神科医にかかること、離婚歴があることは一つのスティタスだったのだろう。ここで描かれているのはセレブな都会派知識人の日常で、この映画はニューヨーカーの生活スタイルを切り取ったものではないかと思う。

 恋愛を描いてはいるが、昔の恋愛映画のように愛の障壁があるわけでもなく、戦争や事故や病気で二人が引き裂かれるという悲劇もない。あるのは生き方の違いが顕著になり、夢を追うためにパートナーと別れた女性と、その女性のことをいつまでも忘れられない男性の話だ。別れた後にNYの映画館の前で偶然再会するが、その時には互いに恋人がいた。アニーが今の恋人を引っ張って『悲しみと哀れみ』(69)(かつてアルビーが見ようと誘い、アニーに断られた映画)を見に行こうとしているのを見て、アルビーは心の中で密かに「勝った」とほくそ笑む。後日、ランチを一緒にした時、アルビーはアニーの素晴らしさを改めて認識し、アニーと過ごした楽しい日々を回顧する。別れても友だちとして付き合うのは、理想的な恋愛の終わり方で、これも都会人の洗練されたライフスタイルなのかなと想像する。

 この映画にはさまざまな映画技法が使われている。観客に向かって話しかけたり、画面を分割して対照的なものを写したり、登場人物の心理を字幕で表したり、アニーの体から心だけが離脱したり、有名人を実名で登場させたり(マクルーハンやトルーマン・カポーティ)・・・観客に向かって話したり、有名人を実名で登場させるのはジャン=リュック・ゴダールがよく使う技法で、必ずしも新しいというわけではないが、ウディ・アレンはこうした技法を使ってアルビーとアニーの心のすれ違いをうまく表現している。

 アルビーはアニーとの体験をもとに芝居を作った。そこではアニー役の女優は最後にアルビー役の俳優とよりを戻すという、現実とは正反対の結末になっている。アルビーの願望なのか、妄想なのか。せめて芸術の上だけでも、理想的に事が運ぶように思ったとアルビーは語っているが・・・

 映画のラストでアルビーは小話を披露する。
<小話>
精神科医に男が「弟は自分がメンドリだと思い込んでいます」と言うと、
医師は「入院させなさい」、男は「でも卵は欲しいのでね」
<アルビーの話>
男と女の関係もこの話に似ています。およそ男女関係は非理性的で、不合理なことばかり。それでもつきあうのは卵が欲しいからでしょう。

 卵は何を意味しているのだろう。自分をメンドリだと思い込んでいる弟が産むものだから、たぶん幻想、妄想、想像、錯誤、誤解、思い込み、勘違いetc.・・・恋愛は良い意味でも悪い意味でも幻想や妄想を生み、錯誤や勘違いによって成り立っていると言いたいのだろうか。そう言えば、ウディ・アレンには恋愛妄想をテーマとした作品が多いような気がする。

 最後に面白い話をひとつ。『ボギー!俺も男だ』(72)という映画がある。ウディ・アレンが制作した舞台劇を映画化したロマンティック・コメディで、『カサブランカ』(42)のパロディと言われている。この映画の原題である“Play it Again、Sam”は、『カサブランカ』の中でイングリット・バーグマンがピア二ストのサムに「思い出の曲をもう一度弾いて」と頼むセリフに由来すると言われている。ところが実際には『カサブランカ』の中に“Play it Again、Sam”というセリフは見当たらない。ずいぶん昔、アメリカ人の友人が『カサブランカ』を目を皿のようにして見たが、そんなセリフはなかったと興奮気味に語っていたのを思い出す。映画のタイトルになっているぐらいだから、みんなあるはずだと思っていた。

 実際には“Play it, Sam. Play <As Time Goes By>” 「あれを弾いて、サム。『時の過ぎ行くままに』を」と言っているようで、原題とは微妙に異なる。作り手にまんまと思い込まされていたようだ。ウディ・アレンのいう恋愛もおそらくこんな幸福に満ちた勘違いのようなものなのだろう。(KOICHI)

原題:Annie Hall
監督:ウディ・アレン
脚本:ウディ・アレン マーシャル・ブリックマン
撮影:ゴードン・ウィルス
出演:ウディ・アレン  ダイアン・キートン



12日の殺人(2024年 フランス映画)

2024年04月17日 | 映画の感想・批評
 2022年第48回セザール賞(作品賞/監督賞/助演男優賞/有望若手男優賞/脚色賞/音響賞)を受賞した本作。ネット情報だが、セザール賞は、いわゆるフランス版アカデミー賞とのこと。確かに、とても良かった。
 実際に起きた“未解決事件”を基にしたフィクションである。フランスの自然豊かな田舎町が舞台。10月12日深夜、女子大生クララがパーティーの帰り道、一人で歩いていると、突如ガソリンを掛けられ、生きたまま焼かれ、翌朝、焼死体で発見される。事件を担当することになったのは、その前日に、警察班長を引き継いだばかりの若い男性刑事ヨアン(バスティアン・ブイヨン)。事件を担当することがあまりなかったのか、被害者感情に偏っていってしまうが、次々と男性容疑者が浮かび上がり、皆、彼女は奔放な女性だったと証言すると、決して、罪を犯した犯人は許せないのだが、被害者を見る目が変化していくのである。偏見無し、先入観無しで捜査しなければいけないが、刑事も人間である。誰が正しいのか、真実は何か。前任班長のベテラン刑事(ブーリ・ランネール)は自らの家庭の境遇と重ねてしまい行き過ぎた取り調べをしてしまう。それを止められないヨアン。「〇」or「×」では判断できない自分も居る・・・。
 後半には、女性の判事と刑事が登場し、仕切り直し捜査が始まる。偏った見方ではない捜査方法で、解決するかと思いきや、空振りに終わってしまう。作品冒頭に“未解決事件”と宣言されているにも関わらず、刑事達と一緒に捜査している気持ちになっていた。
 時折挟まれるヨアンが自転車トラックで自転車に乗るシーンが、ヨアンの気持ちを表現しているようで、映画らしい。ファーストシーンからラストシーンに繋がる。前向きな気持ちと捉えられ、良い効果が生まれていたと思う。
 殺人事件の犯人捜しなので、「サスペンス」という宣伝PRだったが、内容は人間ドラマで、自分も相手の風貌や雰囲気、自らの偏見等で、色眼鏡を掛けて相手を見ているのだろうかと考えさせられる作品だった。
 因みに、同年2022年の作品賞候補「ダンサーインParis」も、一人の女性の成長を描いた作品でとても良かった(私の2023年度ベストテンにも入れました:2024年1月10日発信「シネマ見どころ」)し、2023年第49回の作品賞を受賞した「落下の解剖学」(米アカデミー賞で作品賞含め5部門にノミネートされ、脚本賞受賞)も、夫の謎の死の真相究明する過程で、夫婦関係や幼い視覚障害の息子との関係を描いた作品で見応えがあった。「セザール賞」今後注目かも。
(kenya)

原題:La nuit du 12
監督:ドミニク・モル
脚本:ジル・マルシャン、ドミニク・モル
撮影:パトリック・ギリンジェリ
出演:バスティアン・ブイヨン、ブーリ・ランネール、テオ・チョルビ、ヨハン・ディオネ、ティヴィー・エヴェラー、ポーリーヌ・セリエ、ルーラ・コットン・フラピエ、ピエール・ロタン、アヌーク・グランベール、ムーナ・スアレム

「ペナルティループ」(2023年 日本映画)

2024年04月10日 | 映画の感想・批評
 若葉竜也の「街の上で」(今泉力哉監督、2021年)に続く、主演2作目の作品である。近年は似通った傾向の役柄が多いように感じるが、この作品は異色である。30代の若葉竜也にとっての代表作になるに違いない。
 岩森淳(若葉竜也)には砂原唯(山下リオ)という恋人がいた。ある朝スーツ姿で部屋を出て行った唯は、溝口登(伊勢谷友介)という男に殺害され、川に遺棄される。その後の日々を岩森がどう過ごしたのかは描かれていないが、部屋に散乱したゴミや酒瓶で想像はつく。
 朝6時、ベッドの中で目覚めた岩森に「6月6日、月曜日、晴れ。今日の花はアイリス。花言葉は希望です。」と時計からアナウンサーの声が聞こえてくる。作業着に着替え黄色い車で工場へ向かう。ひと仕事を終え、駐車場のライトバンから降りて来た溝口を確認すると、休憩室の自販機のコーヒーカップに毒を塗り彼を待つ。自販機に背を向け様子を伺っていると、コーヒーを飲んだ溝口は胸を押さえて苦しむ。何とか車に戻り、追って来た岩森に刺され絶命する。深夜0時になった瞬間に画面が消える。
 翌日も6月6日のアナウンスを聞きながら岩森は目覚める。周囲の様子は昨日と全く変わりがない。再び溝口を車の中で殺害する。岩森が溝口を殺害する6月6日のループが延々と続いていくかと思われたが、途中でこのペナルティループの契約書が表示され「同意します」にチェックマークが入っていると分かる。このループは10回で終了する。岩森は途中からもうやりたくないと声を挙げるが、身体は勝手に動いていく。操り人形のように殺害に向かう姿からは復讐の空しさが伝わってくる。
 日本にはかつて仇討ちという慣習があったが、返り討ちにあうという危険性も伴った。ループの中では溝口は決して反撃してこない。「なんで俺を殺す?」と岩森につめよるが逃げもしない。殺す―殺されるという行為を続けているうちにやがて二人の関係に変化が生じ会話が生まれる。工場内に聳える大木の周囲を談笑しながら歩くシーンが印象的だ。9回目のループではウイスキーを飲みながらボートの中で寛ぐ二人の間には、何やら甘やかな空気さえ漂う。いつの間にか眠りに落ち気付くとボートが沈みかけている。溝口は自ら遺体袋に入り、岩森も共に水中に落ちていく。こうして二人は無意識の世界に還っていく。
 ラストシーンで車の事故を起こした岩森の「痛え」の一言には痛みの実感がこもっている。溝口は一言も痛いとは言わなかった。
 何故、唯は殺されなければならなかったのか?「彼女は死にたがっていた」と言う溝口の言葉が謎として残る。そう言えば彼女の最期の顔は穏やかだった…。
 若葉竜也と2年ぶりに復帰したという伊勢谷友介の相性がとてもいい。「若葉竜也のセリフのない場面での表情や動きは的確だ」と、かつて「街の上で」の記事の中でも書いたが、この作品にも同じ言葉を書き記したい。(春雷)

監督・脚本:荒木伸二
撮影:渡邉寿岳
出演:若葉竜也、伊勢谷友介、山下リオ、ジン・デヨン、松浦祐也、うらじぬの、澁谷麻美、川村紗也、夙川アトム

「ゴールデンカムイ」(2024年 日本映画)

2024年04月03日 | 映画の感想・批評


 本離れが著しく進む中、何とか元気がいいのは絵本とコミックだという。今や書店の売り場面積の半分はこの2つで占められていると言っても過言ではない。そんな状況の中、若者達に絶大な支持を得ているのが、野田トオル原作のコミック「ゴールデンカムイ」だ。全31巻の累積発行部数は2700万部を超えたという。明治末期の北海道を舞台に、膨大なアイヌの埋蔵金の争奪戦が繰り広げられるのだが、厳しい大自然の中でのサバイバルバトルがどのように描かれているか、ファンでなくても興味は高まるばかり。
 そもそも「カムイ」って何のこと??と思われる方も少なくないだろう。今までに知り得た情報によると、アイヌの考え方では、すべてのものに「魂」が宿っており、その中でも特に人間の力の及ばない、すごい能力を持っているものを「神=カムイ」として敬うという。「カムイ」と言うと自分が学生の頃『ガロ』という大人向け漫画雑誌に連載されていた白土三平の「カムイ伝」が思い出されるが、そこの舞台は北海道ではなくて、紀州の農村。時は江戸時代で、身分差別の問題を鋭く扱った群像劇であった。主人公のカムイは農民の中でも最も差別を受けた「下人」の子として生まれ、後に忍びの者として活躍するのだが、自分以外の人間に対して、カムイと同じように尊敬の念を持ち感謝の気持ちを忘れないといった考え方には、確かに共通する何かがあるのかも知れない。
 野田サトルの原作は、そういった意味でも、アイヌの人々の衣食住、習慣、風俗、言葉、文化など、あらゆるものをしっかり調べた上でストーリーを展開しており、非常に現実的で、説得力がある。今回の実写版も久保茂昭監督が原作にできるだけ忠実に創るよう心がけており、実際にコタンの村の様子や、アイヌの人々の暮らしぶりを自分の目で確かめることができる貴重な作品となっている。
 登場人物は実に個性豊かだ。鬼神のような戦いぶりから『不死身の杉本』の異名を持つ元軍人・杉本佐一に映画版「キングダム」シリーズや「アトムの童」等のTVドラマ、数々のCMに大活躍中の山崎賢人。ストイックに体を鍛え、役になりきる真摯な姿勢はスタッフの間でも好感を持たれているとか。自然の中で生きていくための豊富な知識を持ち、北海道の過酷な大地を生きるアイヌの少女・アシリパに山田杏奈。まだ入れ墨をしていないピュアな役はピッタリだ。金塊を狙う大日本帝国陸軍中尉・鶴見篤四郎に玉木宏。日露戦争で前頭部を損傷したためプロテクターで保護しているのだが、力がみなぎるとそこから脳液がはみ出てくるという狂気のキャラクターが強烈だ。また、戊辰戦争で戦死していたはずの元新撰組の副長・土方歳三が政治犯として幽閉され、生きながらえていたという設定もユニーク。その土方を舘ひろしがクールに演じている。北海道が舞台ということで、ヒグマやオオカミ等の動物も登場し、バトルを繰り広げるシーンがあるのだが、そこは特殊造形チームとCG・VFXチームの出番。本物のヒグマやオオカミの動きをデータ化して作り上げた画像は実にリアル!現実でもあり得るかもと思えるシーンが数多く登場する。
 さて物語はいよいよ金塊探しというところで俄然面白くなってくるのだが、「ゴールデンカムイ」という名には「どんなカムイより醜悪凶暴」「アイヌに災いをもたらす悪い神様」という負のイメージがあるのも確か。とにかく若い世代にアイヌ文化に興味を持たせるきっかけを作ったという貢献度は大きく、これから先どのような展開が待っているか実に楽しみだ。
(HIRO)

監督:久保茂昭
脚本:黒岩勉
撮影:相馬大輔
原作:野田サトル
出演:山崎賢人、山田杏奈、玉木宏、舘ひろし、眞栄田郷敦、矢本悠馬、工藤阿須加、大谷亮平、勝矢、高畑充希、秋辺デボ、井浦新

「52ヘルツのクジラたち」(2024年 日本映画)

2024年03月27日 | 映画の感想・批評
海の見える高台に、崖に張り出した六角形の木製デッキのある一軒家。東京から移住してきた若い女性、貴湖(杉咲花)。昔祖母が住んでいたという。
ある日、母親に育児放棄され言葉さえも発することができない、髪の長い幼い少年と出会う。母親からは「ムシ」と呼ばれる少年をほっておけず、かかわりを持とうとする。
貴湖自身が幼いころから母に殴打され、高校卒業後は母の再婚相手である義父の介護に明け暮れる毎日のなか、生きる意味を失いかけた時に出会った青年安吾(志尊淳)との思い出がよみがえってきたからだ。「今度は私がきみの声を聴く、願いをかなえる」その決心の表れが、安吾にもらった「52ヘルツのクジラ」の声のプレーヤーを少年と一緒に聴くこと。幼いのに絶望の淵に居た少年がようやく心を開き始める。

数年前、「家を出て新しく第2の人生を始めよう、きっと魂の番となる人にも会えるよ」安吾に導かれ、貴湖はようやく心身ともに安定した生活をはじめられた。そこには、貴湖の幼馴染の美晴(小野花梨)が偶然にも安吾の同僚としてそばに居てくれたことも心強かった。
安吾は、「アンコとキナコ」と新しい名前もつけてくれた。
貴湖は「アンさんはかけがえのない人、大好き」と告白するが、安吾は「キナコの幸せを願っているよ」と返すだけ。その言葉のかげに実は安吾は大きな秘密を抱えていた。
やがて貴湖は職場で、会社の御曹司(宮沢氷魚)に見初められ、タワーマンションの一室で同棲を始める。貴湖のためと称して開いたパーティーに呼ばれた安吾との出会いが御曹司に嫉妬の感情を燃え上がらせ、それがとんでもない事態を引き起こしてしまう。

「52ヘルツのクジラ」とは、他の仲間には聞こえない高い周波数の声で鳴く、世界で一頭だけという孤独なクジラのこと。そんな孤独なクジラの声も誰かに必ず届き、受け止めてくれる仲間がいるはず、形は違えど生きづらさを抱えている人たちに共感し、寄り添う人たちがいるという希望を見せてくれるお話。
原作を知らずに、できるだけ予備知識もなく見たので、時系列が錯綜しそうになるが、よくよく落ち着いてみると貴湖の髪型と、杉咲の演じ分ける力のおかげでしっかりとつかめる。義父の介護をしていた二十歳前後のころ、御曹司と同棲していたころ、九州の一軒家に移って少年と暮らす現代。
安吾と初めて出会ったときの自分を失ったうつろな目の表情に、杉咲花の演技力をまざまざと見せつけられる。昨年見おとした「市子」がなおのこと気になってくる。

安吾(志尊淳)も声を出せればよかったのに。キナコの思いを受け止められないと自制をかけてしまったのか。キナコの幸せだけを願って行動したことがかくも裏目に出るとは。
喪って初めて「生きてるだけでよかったのに。男でも女でもどっちでもよかったのに」と母の慟哭。名前の由来をキナコに語るシーンは泣かされる。余貴美子はやっぱりうまい。
性同一性障害と、安易に障害と言ってしまうのも違う気がする。安吾の引き金は母が発した「障害なのね」にあったのだろうか。志尊淳が本当にそのまま存在しているかのような演技力。顎髭を残しているのは、そうだったのか。キナコを守りたい、気持ちを受け止めたい、でも自分の体では応えられない。御曹司への嫉妬もあったのだろう。
御曹司は安吾の手紙を読みもせず焼いてしまう。安吾自身の声で手紙の続きが語られるシーンは涙がこぼれた。宮沢氷魚の御曹司役がいい意味ではまっていて、ますます役者さん自身も嫌いになってしまうくらい。そして、「志尊淳だからこそ」と思える絶対のキャスティング。

アンコの声を十分に聴きとれなかったキナコは、声を失った少年と出会い、少年の声にならない声を聴きとり、今度は少年の命を取り戻した。田舎のうっとうしいほどのお節介が廻りまわって貴湖と少年を守る力になっていく。少年の本名が「愛(いとし)」だったのも髪の長い理由も涙を誘う。
定職もない若い女性が果たして少年の保護者として認められるのか、そこがあやふやながら、希望を感じさせる余韻のある終わり方であった。ヤングケアラー、育児放棄、トランスジェンダー、DV、・・・ちょっと盛り込みすぎな気はするのだけど、ひとつひとつを考える契機になった。
(アロママ)
監督:成島出
脚本:龍居由佳里
撮影:相馬大輔
原作:町田その子「52ヘルツのクジラたち」
出演:杉咲花、志尊淳、宮沢氷魚、小野花梨、余貴美子