シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「シリアにて」(2017年 ベルギー、フランス、レバノン)

2020年09月30日 | 映画の感想・批評
 シリアの首都ダマスカスのアパートで、夫の留守を預かる女主人ウンム・ヤザン。内戦の終息が見えないある日の朝、家の中には2人の娘、息子、義父、メイド、上の娘のボーイフレンド、身を寄せている隣人のハリマ夫婦とその赤ん坊、そしてウンムの10人がいた。早朝、レバノンに脱出する手続きをするため外出したハリマの夫がスナイパーに狙撃され倒れた。目撃して動揺するメイドに、ウンムはハリマに知らせないように口止めする。助けに行こうとすれば新たな犠牲を出す危険があるからだ。
 戦闘シーンは出てこないが、戦争・紛争・内戦の恐ろしさは十分に伝わってくる。ヘリコプターの飛行音、街のどこかで始まった銃撃戦、爆撃で振動する建物。割れたガラスなどで負傷しないように窓のない台所にみんなが集まってきて、小さな声で歌を歌い出す、恐怖を心から追い払うために。
 爆撃で破壊された建物跡をあさる強盗も危険な存在だ。ガラス戸を割って2人組の強盗が侵入してきた時、台所に逃げ遅れてしまったハリマが捕まりレイプされる。扉の向こうからは男たちの怒鳴り声と抵抗するハリマの声が聞こえてくるが、誰がハリマを助けるために台所から出ていくことができただろう。扉の内側で息をひそめるウンムを誰が非難できるだろう。固く扉を締め切ったウンムとレイプに耐えたハリマ、2人が守ろうとしたのはわが子や家人の命だった。
 「すごく怖かったの。自分じゃなくてよかったと思ってしまったの。ごめんなさい」と、強盗が去ったあと、下の娘がハリマに告白する胸の痛むシーンもある。アパートの1室の24時間、武器を持たない一般市民、女性の視点で戦争の恐怖と暴力の残酷さ、そんな中で営まれる日常が描かれる。
 2011年に北アフリカのチュニジアから端を発した「アラブの春」を契機に、シリア南部で起きたアサド政権に抗議する反政府デモは瞬く間にシリア全土に広がった。アサド政権は武力鎮圧を開始するが、反体制派は湾岸諸国を後ろ盾に主要地域を奪取、さらにイスラム国(IS)をはじめとするイスラム過激派が台頭してきた。本映画の舞台となる2016年頃は、反体制派・ISと激しく対立していたアサド政権が、ロシアの軍事介入で力を回復しつつある時期だった。2020年3月時点で、死者38万人以上、難民1100万人以上にのぼるシリア内戦は今も続いている。
 24時間のドラマのあとも彼らにはただ絶望的な時間が流れたかもしれない。内戦とコロナ、シリアの人々はどのように生命を守ったのだろうか。(久)

原題:Insyriated
監督:フィリップ・ヴァン・レウ
脚本:フィリップ・ヴァン・レウ
撮影:ビルジニー・スルデー
出演:ヒアム・アッバス、ディアマンド・アブ・アブード、ジョリエット・ナウィス、モーセン・アッバス、モスタファ・アルカール

「海辺の映画館ーキネマの玉手箱」 (2020年 日本映画)

2020年09月22日 | 映画の感想・批評


 大林ワールドへようこそ!!それもついに最後となってしまった、奇想天外、唯一無二の世界へ!「映画は未来を変えられる!!」大林宣彦監督が次なる世代に託したメッセージは、かくも壮大で力強いものであった。
 大林監督の故郷・尾道の海辺にある唯一の映画館「瀬戸内キネマ」が閉館の日を迎えた。最終日は「日本の戦争映画大特集」のオールナイト興行(懐かしい!)。そこで映画を見ていた現代の3人の若者が、突然劇場を襲った稲妻の閃光に包まれ、スクリーンの中にタイムリープする。戊辰戦争、日中戦争、沖縄戦、そして原爆投下前夜の広島と、3人は映画と戦争の歴史の中にさ迷い込み、色々な時代や空気の中で様々な途方もない体験を重ね、人として賢く美しく成長していく。
 3人が守りたいと願う少女には本作が映画初出演となる吉田玲が、若者には厚木拓郎、細山田隆人、細田善彦というこれからが楽しみな役者たちが演じ、次の世代に夢を託す監督の思いがひしひしと伝わってくる。更に大林組初参加の成海璃子、前作に続く出演となる山崎紘菜、物語の軸となる移動劇団「桜隊」の看板女優を常盤貴子が演じ、3人の若者と深く関わっていく。そして無声映画、トーキー、アクション、ミュージカル、ファンタジー、ラブ&ロマンスと映画の楽しさ、おもしろさを伝える様々な表現が出現する中で、大林監督ならではのノスタルジックさや、デビュー作「HOUSE/ハウス」を思い出させる恐怖感もしっかり味わえるという、あれもこれもいっぱい詰め込まれた、まさに映画の玉手箱なのだ。そこにこれでもかという消化しきれないほどの俳優たちが集まった。みんな大林監督ファンにちがいない。どこでどのような役を演じているか、それを見つけ出すのもまた楽しみの一つだ。
 これが最後の作品になるかもしれないという覚悟が監督の胸中にあったのだろうか。映画のすばらしさを伝えるとともに、その発展の背後には二つの大きな戦争があったこと、忍び寄る戦争の気配や無惨な殺戮の跡もしっかり記憶されており、70年余の平和な時代を経て、新しき戦前を感じつつある現代に警鐘を鳴らしているとも感じられるのだ。
 映画大好き!戦争大嫌い!!この世に最後に残しておきたかった映画で、大林監督の「幸せな世界になってほしい」という願いは、きっと多くの人に十分伝わったことだろう。

 折しも、ロケーション抜群の我が滋賀の“湖辺の映画館”「大津アレックスシネマ」が新型コロナウィルスの影響を受け、10月よりしばらく休館になるというニュースが入った。最後のプログラムにこの作品を選ばれたのも、映画が大好きなスタッフのみなさんの気持ちの表れであろう。どうか1日でも早く再開できますように。
 (HIRO)

監督:大林宣彦
脚本:大林宣彦、内藤忠司、小中和哉
撮影:三本木久城
出演:厚木拓郎、細山田隆人、細田善彦、吉田玲、成海璃子、山崎紘菜、常盤貴子、浅野忠信、犬塚弘、稲垣吾郎、柄本時生、尾美としのり、片岡鶴太郎、白石加代子、小林稔侍、笹野高史、高橋幸宏、武田鉄矢、中江有里、根岸季衣、満島真之介、村田雄浩、渡辺えり、渡辺裕之 etc.

 
 

「宇宙でいちばんあかるい屋根」(2020年、日本)

2020年09月16日 | 映画の感想・批評
今一番注目の若手女優、清原果耶の初主演。何作もあるのにと思ったが、意外にも本作が主役は初とか。
また、昨年の日本アカデミー賞を総なめにした「新聞記者」の藤井道人監督作品とあって、楽しみにしていた。
藤居監督作品は「新聞記者」しか知らないので、こちらも初々しい青春ファンタジー物もできるのかと、ふり幅の大きさに驚かされた。

おとなしい性格のヒロイン、つばめ(清原果耶)は14歳の中学3年生。隣家の幼なじみの大学生,亨(伊藤健太郎)に淡い恋心を抱いている。両親と3人暮らしだが、血のつながらない母が妊娠したことで、ぼんやりながら疎外感を感じている。実母に会いたくなって、実母の個展をそっと見に行くが、新しい家庭で幸せそうな姿を見て、名乗りも上げられず、深く傷つき、家に帰りつき、両親にあたってしまう。その時の父親の対応は見習いたい。
彼女のお気に入りの場所は書道教室の屋上。そこにある日、キックボードが置いてあるのを見つけ、乗っていると、派手な格好の老婆(桃井かおり)が「勝手にさわるな!」と現れる。「星ばあ」と呼ぶことになったその老女は「年くったらなんだってできるようになるもんだ!」と覚えたてのキックボードを器用に乗り回してはしゃぎまわる。こういうシーンは桃井かおりの若いころを彷彿とさせて、こちらも同年代の「老女」とよばれる身になってきたので、懐かしさとあいまって、「なんだってできるようになる」にはおもわずうなづいてしまう。キックボードには乗れないけど。

つばめは試しに「隣の郵便受けに大学生のお兄ちゃんにラブレターを入れちゃった、取り返したい!」とお願いすると、星ばあは叶えてくれる。そんなやり取りの中で、つばめは星ばあには正直な気持ちを打ち明けられるようになるが、星ばあはつばめの夢の中の存在なのか?実在するのか?

クラゲの水族館のシーンなど、ファンタジー感にあふれている。
思春期真っ盛りのしんどい年頃に、どんな人が寄り添ってくれるかで、かるがると乗り越えていけるものかもしれない。
押しつけがましくなく、つばめを振り回しながらも飄々と生き抜く星ばあは現代の老人の良いお手本なのかも。巻き込まれるのは大変だけど。

いろいろと悩み多きお年頃の少女の繊細な揺れる気持ちを清原は見事に演じきっている。自身は既にキャリアも十分な18歳だが、十分に中学生の女の子の表情豊かな姿を、セリフのないときにこそ、表現している。泣きの演技が素晴らしい。激することなく、静かに静かにためていく。NHK朝ドラの「なつぞら」でも主役を霞ませる勢いだったっけ。「透明なゆりかご」は本当に見ごたえがあった。
「ひとつひとつの屋根の下で、いろんな家族が生きている、愛情もって子供を守っている」ことをつばめは知ることができた。
清原果耶の瑞々しさに、将来がますます楽しみ。
久しぶりに大画面で桃井かおりの健在ぶりを見られたのもうれしい。
また、藤井監督のこれまでの作品も興味がわいてきた。この監督さんもこれから注目したい。
(アロママ)

監督、脚本:藤井道人
撮影:上野千蔵
原作:野中ともそ
主演:清原果耶、桃井かおり、伊藤健太郎、吉岡秀隆、坂井真紀ほか



「シチリアーノ 裏切りの美学」(2019年イタリア=フランスほか)

2020年09月09日 | 映画の感想・批評
 80歳を越えたマルコ・ベロッキオが渾身の力を振り絞って実録ものの社会派大作を世に問うたのがこの秀作である。
 20世紀末から21世紀初頭にかけて、イタリアの首相をも巻き込んだシチリア・マフィアの醜聞をご記憶だろうか。その一部始終が150分を越す長尺で描かれる。
 主人公はパレルモの裏社会を生きるブシェッタという男。シチリア社会の血の結束として生まれた共同体コーザ・ノストラの一員である。貧しい農村地帯の相互扶助的な色合いの強かった組織がやがて麻薬取引を仕切るようになって富を築く。そこからアメリカへ渡った者たちはマフィアと呼ばれた。しかし、地元に残った者は自らをコーザ・ノストラと称して誇りとした。
 ブシェッタがブラジルに隠遁している間に組織内の主導権争いが起き、パレルモに残した息子をはじめとする親族・親戚を次々と殺される。かれもまたブラジルの官憲に逮捕され拷問を受けるも決して組織の内情について口を割らなかった。そこで、本国に強制送還となり、担当するのがファルコーネ判事である。ブシェッタはいつしか判事と心を通わせるようになり、ついに全てを告白するのである。
 ファルコーネは実在した判事だが、この名前で思い出すのは、かつて三島由紀夫が絶賛したプロスペル・メリメの傑作短編「マリオ・ファルコーネ」だ。シチリアに材をとったこの短編は、たとえ幼児であっても裏切りに加担した者は容赦なく処刑するという冷厳な掟を描いて、私もまた一読驚嘆し、大きな衝撃を受けた。何という偶然だろう。
 この映画でも、邪魔者、裏切り者(原題)と認定された一族は長幼を問わず20親等まで殲滅するという冷酷さ。その血を根絶やしにするのだという。あの秀吉も真っ青だ。
 イタリアの司法には馴染みがないとはいえ、ずいぶんいい加減というか、未決囚はテレビ付き個室で自由を謳歌している。裁判は関係する被告が出廷を許され、野次と怒号の中で審理が行われるから裁判官はまず声が大きくないと務まらない。しかし、さすが古代ローマ帝国の国だけあって自己主張には長けていて議論は尽きない。被告同士が罵り合い、侃々諤々とやり合う。自己主張が苦手で同調圧力の強い日本人は少し見習うとよい。
 「ライフ・イズ・ビューティフル」などで知られるイタリア映画音楽の第一人者ニコラ・ピオヴァーニのテーマ曲が随所に流れて、「ゴッドファーザー」を彷彿とさせ哀愁に満ちている。(健) 

原題:Il traditore
監督・原案・脚本:マルコ・ベロッキオ
脚本:ルドヴィカ・ランポルディ、ヴァリア・サンテッラほか
撮影:ヴラダン・ラドヴィッチ
出演:ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ、ルイジ・ロ・カーショ、ファウスト・ルッソ・アレジ


「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」(2019年 アメリカ映画)

2020年09月02日 | 映画の感想、批評
 NYの裕福な家庭で育ったギャッツビー(ティモシー・シャラメ)は、母の勧めでアイビーリーグに進学するも脱落。現在は片田舎のヤードレー大学に籍を置いている。同じ大学に通う恋人のアシュレー(エル・ファニング)はアリゾナの銀行家の娘で、学生新聞の取材でNYにいる映画監督にインタビューすることになった。ギャッツビーはアシュレーに地元マンハッタンを案内しようと張り切っているが、アシュレーはホテルに着くやいなや出かけてしまい、約束の時間になっても帰ってこない。不安になったギャッツビーが電話すると、特ダネを取るために今すぐは帰れないと言う。一方、ギャッツビーは街で学生映画を撮影中の友人に偶然出会い、役者が足りないからと出演を頼まれる。そこでかつてのガールフレンドの妹、チャン(セレーナ・ゴメス)といきなりキスシーンを撮影することになる。
 天真爛漫なアシュレーは監督や脚本家に誘われるままついて行き、人気イケメン俳優のフランシスコ・ヴェガと知り合いになる。酒を飲むと酩酊状態になり、興奮するとしゃっくりが止まらなくなるアシュレー。ヴェガに誘惑されて舞い上がってしまい、「私の子宮を唸らせる」と欲望を隠さない。自宅に連れていかれ、服を脱がされ、下着姿になってしまうのだが・・・シリアスな役の多いエル・ファニングが無邪気な女の子のドタバタをかわいく演じている。
 ピエール、カーライル、セントラルパーク、メトロポリタン美術館とNY観光の定番のような場所が出てくるが、どれもアッパー・イースト・サイドの高級住宅地ばかりで、庶民が行くタイムズ・スクウェアやダウンタウンは出てこない。つまりここで描かれているのは、ウディ・アレンの行きつけのNYスポットなのだ。登場人物もみんな高級住宅地に住むセレブばかりで生活感がない。
 ジャズのスタンダード・ナンバー「everything happens to me」の弾き語り、雨のNY、メトロポリタン美術館のデート、時計台の下の待ち合わせ・・・状況設定は類型的だが、通俗性を逆手にとって既視感を楽しむ映画になっている。パーティ会場で掲げられていた往年の映画スターの写真、古風なクレジットタイトル、40年代の映画への言及・・・作品全体が古き良き時代へのオマージュになっている。昔を知らない人には古色蒼然とした世界が逆に新鮮に見えることだろう。ドニ・ド・ルージュモンやホセ・オルテガ・イ・ガセットといった思想家の名前がポンポン飛び出してくる、ユーモアとウイットに富んだ会話はスノビッシュだがイヤミではなく、ひとつひとつの場面がコントのようで楽しい。この軽やかさが魅力的だ。
 愛の痛みがないわけではないが、三角関係のドロドロはないし、修羅場があるわけでもない。近作の「ブルージャスミン」や「女と男の観覧車」のような嫉妬、苦悩、狂気はなく、70年代の「アニーホール」や「マンハッタン」と比べてみても、恋愛を掘り下げて描いているわけではない。恋愛映画というよりはむしろ青春映画か教養小説に近い。
 ギャツビーは親が決めたコースを進むことに抵抗があり、大学生活に身が入らない。人生の目標が見いだせないままである。ピアノの弾き語りが得意で、ヘビースモーカーでギャンブル好き。NYへ来てもポーカーで大金を稼いでいる。教育ママの母親にアシュレーを紹介する約束をしたが、彼女が帰って来ないので仕方なく娼婦を雇い、アシュレーの代役をしてもらうことにした。母親はすぐに本物のアシュレーではないことを見破るが、その際に初めて若かりし日の秘密を打ち明ける。ここがこの映画の最大の山場かつ転機となっていて、その後ギャツビーは大学に戻るのを止め、アシュレーに別れを告げる。母親のダークサイドを垣間見た息子は、NYに留まり、心の思うままに生きることを決意する。自分の中にある暗部が母親譲りであり、それが自分のアイデンティティーであることを認識したギャッツビー。アシュレーよりもチャンが好きになったというよりも、晴れの日に生きるアシュレーとは住む世界が違うことに気づいたのだ。自分には曇天のNYがふさわしいと。(KOICHI)

原題:A Rainy Day in New York
監督:ウディ・アレン
脚本:ウディ・アレン
撮影:ヴィットリオ・ストラーロ
出演:ティモシー・シャラメ  エル・ファニング  セレーナ・ゴメス