シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「52ヘルツのクジラたち」(2024年 日本映画)

2024年03月27日 | 映画の感想・批評
海の見える高台に、崖に張り出した六角形の木製デッキのある一軒家。東京から移住してきた若い女性、貴湖(杉咲花)。昔祖母が住んでいたという。
ある日、母親に育児放棄され言葉さえも発することができない、髪の長い幼い少年と出会う。母親からは「ムシ」と呼ばれる少年をほっておけず、かかわりを持とうとする。
貴湖自身が幼いころから母に殴打され、高校卒業後は母の再婚相手である義父の介護に明け暮れる毎日のなか、生きる意味を失いかけた時に出会った青年安吾(志尊淳)との思い出がよみがえってきたからだ。「今度は私がきみの声を聴く、願いをかなえる」その決心の表れが、安吾にもらった「52ヘルツのクジラ」の声のプレーヤーを少年と一緒に聴くこと。幼いのに絶望の淵に居た少年がようやく心を開き始める。

数年前、「家を出て新しく第2の人生を始めよう、きっと魂の番となる人にも会えるよ」安吾に導かれ、貴湖はようやく心身ともに安定した生活をはじめられた。そこには、貴湖の幼馴染の美晴(小野花梨)が偶然にも安吾の同僚としてそばに居てくれたことも心強かった。
安吾は、「アンコとキナコ」と新しい名前もつけてくれた。
貴湖は「アンさんはかけがえのない人、大好き」と告白するが、安吾は「キナコの幸せを願っているよ」と返すだけ。その言葉のかげに実は安吾は大きな秘密を抱えていた。
やがて貴湖は職場で、会社の御曹司(宮沢氷魚)に見初められ、タワーマンションの一室で同棲を始める。貴湖のためと称して開いたパーティーに呼ばれた安吾との出会いが御曹司に嫉妬の感情を燃え上がらせ、それがとんでもない事態を引き起こしてしまう。

「52ヘルツのクジラ」とは、他の仲間には聞こえない高い周波数の声で鳴く、世界で一頭だけという孤独なクジラのこと。そんな孤独なクジラの声も誰かに必ず届き、受け止めてくれる仲間がいるはず、形は違えど生きづらさを抱えている人たちに共感し、寄り添う人たちがいるという希望を見せてくれるお話。
原作を知らずに、できるだけ予備知識もなく見たので、時系列が錯綜しそうになるが、よくよく落ち着いてみると貴湖の髪型と、杉咲の演じ分ける力のおかげでしっかりとつかめる。義父の介護をしていた二十歳前後のころ、御曹司と同棲していたころ、九州の一軒家に移って少年と暮らす現代。
安吾と初めて出会ったときの自分を失ったうつろな目の表情に、杉咲花の演技力をまざまざと見せつけられる。昨年見おとした「市子」がなおのこと気になってくる。

安吾(志尊淳)も声を出せればよかったのに。キナコの思いを受け止められないと自制をかけてしまったのか。キナコの幸せだけを願って行動したことがかくも裏目に出るとは。
喪って初めて「生きてるだけでよかったのに。男でも女でもどっちでもよかったのに」と母の慟哭。名前の由来をキナコに語るシーンは泣かされる。余貴美子はやっぱりうまい。
性同一性障害と、安易に障害と言ってしまうのも違う気がする。安吾の引き金は母が発した「障害なのね」にあったのだろうか。志尊淳が本当にそのまま存在しているかのような演技力。顎髭を残しているのは、そうだったのか。キナコを守りたい、気持ちを受け止めたい、でも自分の体では応えられない。御曹司への嫉妬もあったのだろう。
御曹司は安吾の手紙を読みもせず焼いてしまう。安吾自身の声で手紙の続きが語られるシーンは涙がこぼれた。宮沢氷魚の御曹司役がいい意味ではまっていて、ますます役者さん自身も嫌いになってしまうくらい。そして、「志尊淳だからこそ」と思える絶対のキャスティング。

アンコの声を十分に聴きとれなかったキナコは、声を失った少年と出会い、少年の声にならない声を聴きとり、今度は少年の命を取り戻した。田舎のうっとうしいほどのお節介が廻りまわって貴湖と少年を守る力になっていく。少年の本名が「愛(いとし)」だったのも髪の長い理由も涙を誘う。
定職もない若い女性が果たして少年の保護者として認められるのか、そこがあやふやながら、希望を感じさせる余韻のある終わり方であった。ヤングケアラー、育児放棄、トランスジェンダー、DV、・・・ちょっと盛り込みすぎな気はするのだけど、ひとつひとつを考える契機になった。
(アロママ)
監督:成島出
脚本:龍居由佳里
撮影:相馬大輔
原作:町田その子「52ヘルツのクジラたち」
出演:杉咲花、志尊淳、宮沢氷魚、小野花梨、余貴美子


「ビニールハウス」(2023年 韓国)

2024年03月20日 | 映画の感想・批評
 この映画をうまいと思ったのはラストの切れ味にあります。一部に消化不良との感想もあるようですが、近ごろの映画には蛇の絵に足を描き加えて満足するような風潮が垣間見え、これをこころよく思わない私には実に潔い幕切れと映りました。大いに見習うべしです。
 前半を例えるなら、静謐な水を湛えた風ひとつない湖面に羽毛が漂うような描写が淡々と続きます。少年院と思しき施設で中学生ぐらいの男の子と面会する母親が「もうすぐ出所だから、そのあとは母さんと一緒に暮らそう」と呼びかけます。会話の内容から入所するまではおじさんと暮らしていたらしい。どういう背景があるのか映画はいっさい説明しません。こういうところも潔くていい。
 彼女はそこそこ資産家のおうちで認知症の老女を介護する仕事に就いていて、たくさんの書物が並ぶ書斎では盲目の老人(老女の夫)が小説の朗読テープを聴いています。老女に罵詈雑言を浴びせられても何食わぬ顔をして入浴を介助し、それを申し訳なく思う老人からはねぎらいの言葉をかけてもらって家路につく。野っ原の真ん中みたいなところにビニールハウスがぽつんと建っていて、そこが彼女の住まいなのですが、息子の帰還を心待ちにしていて、そのために小ぎれいなアパートを借りる資金を貯めている。多少の苦労も堪えられるわけです。
 ときどき彼女がパニックに陥ったり、何らかの困難にぶち当たったりしたとき、自分の頭を殴る場面が出てきます。これも最初何をしているのかよくわからないのですが、そのうち体育館のような広いところに集まった10人ほどの老若男女が輪になってパイプ椅子に座り、順番に自傷体験を話すミーティングの場面が登場します。そこに彼女も参加していて、ようやく事情が飲み込めます。
 老人は、同級生の医者に相談して大きな病院での認知症検査を薦められ、遅かれ早かれ妻のような状態になるという結果を告知されます。このことが、そのあとに起きる老妻がからんだ突発事故の後始末において重要な伏線を成すのですが、それ以上はいえません。
 物語は徐々にスリラー・サスペンスの様相を呈してきます。そのへんのサジ加減が絶妙で、はじめ静謐だった湖面の水がいつとはなしに波風が立ったことによって、じわじわと不気味さを増してくるあたりの穏やかな変化がラストの破局(破調といってもいい)を際立たせるのです。はずみで生じた過失や錯誤、すれ違いが最後に収斂されてゆき、まさしく暴発するようなラストシーンには唖然とせざるを得ませんが、果たして主人公の女性が目論んだ結果がどういう展開を見せるのか。むしろ、映画が終わったあとの語られなかった物語を想像してみることにこそ、この映画の面白さが隠されているのかも知れません。
 主役のキム・ソヒョンはホラー風の連続テレビドラマの秀作「誰も知らない」(20年)でサイコキラーに立ち向かう女刑事を颯爽と演じた人ですが、もともと抑制の利いた暗いイメージのキャラが得意と見えて薄幸な中年女を好演しています。(健)

原題:비닐하우스
監督・脚本:イ・ソルヒ
撮影:ヒョン・バウ
出演:キム・ソヒョン、ヤン・ジェソン、シン・ヨンスク、ウォン・ミウォン

「わが恋は燃えぬ」 (1949年 日本映画) 

2024年03月13日 | 映画の感想・批評
 明治17年の岡山、自由民権運動に共鳴する平山英子(田中絹代)は、自由党員である恋人の早瀬を追って東京に出てきた。英子は自由党のリーダーである重井の紹介で、自由党の機関誌を発行する仕事に着いたが、ほどなく早瀬が政府のスパイであることが発覚する。傷心の英子はやがて菅井と結ばれ、自由民権運動に傾倒していく。製糸工場で起きた暴動に参画したとして、英子は重井と共に投獄されるが、獄中で実家の小作人の娘であった千代(水戸光子)と出会う。憲法発布の恩赦で三人は出獄し、英子は千代を家に引き取って一緒に暮らすようになる。憲法発布後の最初の衆議院選挙で菅井が当選し、自由党内が湧き立つ中、英子は菅井が千代と関係をもったことを知る・・・

 溝口健二が世界的に有名になる前の作品で、「女性の勝利」(46)、「女優須磨子の恋」(47)と合わせて「女性解放3部作」と呼ばれているらしい。「女性解放」というテーマは溝口健二のイメージとにわかには結びつかないが、見ているうちに「やはり溝口だ」と奇妙に納得してしまうのは何故だろう。この作品もやはり溝口特有の虐げられた女性の物語であるからだ。そういう観点から見ると、婦人解放運動のさきがけとなった福田英子がモデルである英子より、脇役の千代の方が溝口映画を体現しているように思える。千代は生活のために人買のやくざに売られ、やくざに処女を奪われて、製糸工場で女工として働かされる。苛酷な労働に抗議すると同じ工場で働く男に強姦され、自暴自棄になった千代は工場に放火して監獄に入れられる。投獄された時、千代は妊娠していたが、看守に容赦ない重労働を課されて流産し、その看守にも性的行為を強要される。ボロボロの人生を送って来た千代が、最初の男であるやくざが忘れられないと英子に訴える場面は壮絶だ。出獄して重井と関係をもったことは恩人である英子への背信行為ではあるが、愛情を渇望する千代にとって重井はやっと掴んだ幸せなのだろう。
 自由民権運動を指導する重井が千代を「妾」だと言ったことに反発し、英子は重井と決別して岡山に帰り,女子教育に力を注ぐ。女性解放運動に目覚めた千代が英子に合流する場面で映画は終わるのだが、英子がいなくなれば重井の正妻になれるかもしれないのに、そのチャンスを捨てて女性の自立を目指すという展開にはやや違和感がある。溝口にしては甘い。親に捨てられ、教育も受けず、苛酷な人生を強いられてきた千代が、目の前の幸せより婦人解放という理念を優先するだろうか。自立した女性を描くという時代の要請に配慮したのだろうと想像するが、いささか不自然な感は免れられない。それでも全体としては溝口の特性がよく表れている作品であると思う。
 溝口の戦前の映画に「滝の白糸」(33)という名作がある。検閲で削除される前のフィルムには、身動きできなくなった長襦袢姿の女性の周囲に悪漢が刀を突き刺して弄ぶシーンがあったという。本作でも製糸工場で暴力事件が起こった際に、一人の女工が天上から吊るされて男にいたぶられるシーンがあり、溝口の加虐性を如実に表している。「レアリズム」という名の嗜虐性やサディズムは溝口の手法であり、体質であり、思想でもある。通奏低音となって溝口映画の全体を覆っている。徹底的に痛めつけ、凌辱し、どん底に突き落として、そこから這い上がってくる女性の強さ・美しさ・高貴さを描く、それが溝口の映画なのだ。(KOICHI)

監督:溝口健二
脚本:依田義賢  新藤兼人
撮影:杉山公平
出演:田中絹代 水戸光子 菅井一郎 小沢栄太郎

「身代わり忠臣蔵」(2024年 日本映画)

2024年03月06日 | 映画の感想・批評
 タイトルに「忠臣蔵」と付いているが、あの有名な“忠臣蔵”を、独自の視点で描くオリジナルストーリー。実は吉良上野介には身代わりがいて、その身代わりがお家存続の危機に対して、大芝居をやってのけるというストーリーである。“忠臣蔵”は赤穂側の目線で描いていると思っていたが、吉良側の目線で描いていたのに驚いた。
 従来通り(?)、嫌味たっぷりの吉良上野介(ムロツヨシ)が、江戸城内で赤穂藩主浅野内匠頭から切りつけられる。浅野内匠頭は即刻切腹。赤穂藩は取り潰し。でも、喧嘩両成敗のはずが、吉良上野介にはお咎めなし。それに怒った大石内蔵助(永山瑛太)はじめ赤穂浪士達が、幕府にお家存続の願いを出すが、聞き入れられず。討ち入りを予想した幕府は、吉良上野介を江戸城外に引っ越しさせる。後は、お前が何とかしろということ。さあ、そこで、身代わりの登場である。ここからが本格的なオリジナルストーリー。身代わりは吉良上野介そっくりの弟吉良孝証(ムロツヨシ二役)である。天性の明るいキャラと人間味溢れる視点で、幕府を騙してお家存続させる・身内を騙して兄の身代わりをする・敵の筈の大石内蔵助と共謀し討ち入りを中止させる、この3つの問題に挑むことになる・・・。
 本来の“忠臣蔵”の登場人物は同じでも、筋書きはかなり違う。よくここまで奇想天外なストーリーが出来たなと感心した。ベースは残しつつも、全くのオリジナルと言っても良い。原作も脚本も担当したのは、『超高速!参勤交代』や『引っ越し大名!』の脚本も担当された土橋章宏氏。この2作品は未見なので、是非、観てみたい。ただ、ラストに討ち取った吉良の首をラグビーボールに置き換えるシーンは、少し悪ふざけが過ぎた感があった。 
 ムロツヨシのテレビで見るキャラクターと役柄が一致しているので、安心して観られる。演技ではなく、本人のキャラクターそのままという感じ。2時間笑って、時にはほろりとして、映画を楽しむには間違いのない1本。また、CMで度々見る林遣都を映画館で観るのは初見だと思うが、キャラクターと風貌が合っていて、とても良かった。
 余談ですが、背中を斬られることは恥と捉えられることを始めて知った。相手に背中を向けたというように捉えられるということらしい。そういえば、木村拓哉主演ドラマ「教場」でも同セリフがあった。侍イズム警察イズムなのか。真偽の程は分からない。
(kenya)

監督:河合勇人
原作:土橋章宏『身代わり忠臣蔵』
脚本:土橋章宏
撮影:木村信也
出演:ムロツヨシ、永山瑛太、川口春奈、寛一郎、森崎ウィン、本田力、星田英利、板垣瑞生、廣瀬智紀、濱津隆之、加藤小夏、野村康太、入江甚儀、野村麻帆、尾上右近、橋本マナミ、林遣都、北村一輝、柄本明