シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「クィーンズ・オブ・フィールド」(2019年 フランス映画)

2021年03月31日 | 映画の感想・批評


 フランスで長年続く田舎のサッカークラブが、クラブ存続の危機を掛けて臨んでいたリーグ戦(?)で、思うように勝てないことから苛立って、試合中に乱闘騒ぎを起こしてしまい、メンバー全員が出場停止となってしまう。主催者(?)に掛け合うが了承はもらえず、メンバーを集められずクラブ存続の危機が迫っていた監督に、監督の娘からの一言、「男子で集められないのであれば、女子にしてみたら?」。他の方法もなく、何とかメンバーを集めたが、次から次へと問題が噴出!初戦を迎えたものの、思った通り、散々な結果。さあどうする・・・。
 想定内の出来事とはいえ、その都度「どうなるのかな?」と思わせる。娯楽の原点!演出と脚本の妙味。気楽に「何か映画観たいな」という時は最適!軽妙に話が展開され、細かい部分は気にせず、観られると思う。映画館で観られなかったときは、DVDでも大丈夫。しかも、ラストには、「現実はそうだよね」と現実の世界に引き戻してくれる部分もあり、きれいに一本の映画に仕上がっている。
 男女差別(サッカーは男性しか出来ないという考えや、家事が女性に一方的に偏る等)、シングルマザー、DV等々、社会問題にも直接気にも間接的にも触れ、さり気なく問題提起も行う。日本のオリンピック委員会は笑うに笑えない。ラストは、「世の中、それ程甘くないよ」としながらも、満面の笑みを浮かべる選手達。選手達の笑顔が清々しい。一時だが、熱い想いで、記録には残らなかったかもしれないが、選手やスタッフ、応援する人達の記憶には残るだろう。チームは残らなかったかもしれないが、人と人との繋がりはこれからもずっと続くのだ。
 エンドロールに流れる曲も、サッカーが題材からなのかホーン系で爽快だった。映画に合っている!全体的に小粒の作品だが娯楽映画としては王道を突き進む安定感を味わえた。
(kenya)

原題:Une belle equipe
監督:モハメド・ハムディ
脚本:モハメド・ハムディ、アラン=ミシェル・ブラン
撮影:ローラン・ダイアン
出演:カド・メラッド、アルバン・イバノフ、セリーヌ・サレット、サブリナ・ウアザニ、ロール・カラミー、アンドレ・ウィルム、ギョーム・グイ

「あのこは貴族」(2020年 日本映画)

2021年03月24日 | 映画の感想・批評
  弥生三月、上映館内の入口で葉書大のイラストカード(塩川いづみ作)を受けとる。二人の女性がまっすぐにこちらを見つめている画。主演の二人のようだが、監督と原作者のようにも見える。これから上映される作品への期待が高まる。
 岨手(そで)由貴子監督は大阪芸術大学出身。初のオリジナル長編作品「グッド・ストライプス」で新藤兼人賞金賞を受賞している。原作者の山内マリコはこれまでに作品が何度も映画化され、映画業界から注目されている作家の一人である。共に富山県出身というのは偶然だろうか。
 東京に生まれ何不自由なく育った榛原華子(門脇麦)は、20代後半になり結婚を考えていた恋人に振られる。結婚が幸せへの道と信じていた華子にとって人生の危機である。相手探しに奔走し、ついに義兄の会社の顧問弁護士青木幸一郎(高良健吾)と出会う。ハンサムで家柄もよく申し分のない相手である。相手の気持ちがよくわからないという不安を抱えながらも結婚話は進んでいく。
 一方、富山県生まれの時岡美紀(水原希子)は、猛勉強の末に慶應義塾大学に合格し上京する。しかし実家からの仕送りが途絶え、夜の世界で働くも学費が払えずに中退する。地元に帰りたくはないが、東京にいる意味も見いだせずにいた。幸一郎とは大学の同期生で、付かず離れずの関係が続いている。
 華子の友人相楽逸子(石橋静河)の計らいで、華子と美紀は出会うことになる。別世界に生きる二人だが、限られた狭い世界に生きてきたという意味では似ている。この邂逅により華子はある決断をし、美紀もまた新しい世界へ飛びたとうとする。
 華子が初めて幸一郎の家を訪ねる場面が印象的だ。幸一郎の祖父母や両親が華子を品定めしようと待ちかまえている。和室の大広間に入る際、華子はお茶室の作法でゆっくりと皆の前に進み出る。一連の所作は家柄や育ちの象徴的表現で、やや誇張はされているが映像ならではの効果的な表現である。原作ではこの場面はあっさりと描かれている。
 この作品は20代後半から30代にかけての、特に女性の生き辛さを描いている。どのような境遇にあっても、自ら問題意識を持ち行動を起こさないと自分の人生は始まらないというメッセージが伝わってくる。そして何より、女性同士の繋がりが頼もしく描かれている。華子、美紀、逸子、美紀の友人平田佳代(山下リオ)を演じる女優陣が魅力的だ。女性は連帯する生き物だと再認識させてくれる。
 幸一郎はと言えば、議員の伯父の跡を継ぐために弁護士事務所を辞めて秘書になる。男性社会の居場所は確保しているが、華子たちのように翼を持たない、そこが切ない・・・。
 華子と幸一郎のその後に興味のある方は、原作本の終章を読むことをおすすめする。原作と映画は別物だが、原作には映画を補完する清々しいストーリーが用意されている。(春雷)

監督:岨手由貴子
脚本:岨手由貴子
原作:山内マリコ
撮影:佐々木靖之

「心の傷を癒すということ 劇場版」 (2021年 日本映画)

2021年03月17日 | 映画の感想・批評


 あの東日本大震災から10年、TVの特集番組を見ていると、今でもなお多くの人々が心の傷を抱えたまま懸命に生き続けていらっしゃることがわかり、心のケアがいかに必要かを改めて思い知らされた。この「心の傷」やPTSD(心的外傷後ストレス障害)という言葉は、さらに今から26年前に起こった阪神・淡路大震災をきっかけに広く認知されるようになったと記憶している。この作品は阪神・淡路大震災で自ら被災しながらも他の被災者の声に耳を傾け、日本におけるPTSD研究の先駆者となった若き精神科医・安克昌さんが歩んできた道と、彼を支えた家族との絆を描く感動作だ。
 資料によれば、元々は東日本大震災が起こった2011年、安さんの著書「心の傷を癒すこと」に出会ったNHKの番組制作者・京田光広が、安さんが生きた姿はきっと東北の人たちの力になると確信して企画したもので、10年という時を経てようやくテレビドラマ化(全4話)。さらに110分に再編集したスペシャルドラマ版が放送されて好評を得、新たに劇場版として公開されることとなった。本作では安さんが震災後に行った様々な治療行為よりも、妻や家族、友人などとの交流に重点を置き、ある意味プライベートな内容にスポットを当てて編集がなされている。
 在日韓国人として大阪で生まれ育ち、いったい自分は何者なのかと思い悩んでいた青春期、著書に感銘を受けた精神科医がいる大学の医学部に進学した主人公の安和隆(役名)を演じるのは、今や映画やTVに引っ張りだこの柄本佑。現在TVドラマ「天国と地獄」でも謎の人物を好演中だが、どんな役でも自分のものにしてしまうところは並々ならぬ演技力を持ち合わせている証拠。今作でもネクタイ姿に白衣を着用して優しいまなざしで診療に当たる姿は、安さんそのものだと高く評価されている。安さんの妻となる終子を演じるのは尾野真千子。朝ドラ「カーネーション」のヒロインで注目され、昨年の大河ドラマ「麒麟が来る」でもキーパーソンを演じるなど、確かな演技力には定評があり、NHKスタッフも安心して任せられたことだろう。この二人が初めて出会う場所が神戸の映画館なのだが、そこでのエピソードが実に微笑ましい。当時の三宮の街を知る神戸っ子には、同じ思いをした当時の映画館が思い出されてきてたまらないことだろう。他にも震災前後の街の風景が幾度となく登場し、神戸でのロケとともに、NHKの当時の所蔵画像がうまく生かされている。
 心のケアで一番大切なことは「誰もひとりぼっちにせえへんことや」という安さんの言葉は、阪神・淡路大震災の後も様々な災害を経験してきた日本人の心を優しく包んでくれている。震災からの復興を祈念して始まった「神戸ルミナリエ」は26年経った今も続いているが、安さんの想いは実演してくれた3人の子どもたちにしっかり受け継がれていることを、育てた母の想いと共にルミナリエの光の中で感じることができた。
 安克昌という人物をもっと知りたくなった。原案となった安さんの著書も是非読んでみたい。
 (HIRO)

演出:安達もじり、松岡一史、中泉慧
脚本:桑原亮子
原案:安克昌「心の傷を癒すということ 神戸・・・365日」
出演:柄本佑、尾野真千子、濱田岳、森山直太朗、濱田マリ、上川周作、キムラ緑子、石橋凌、近藤正臣

安克昌氏の著書



「すばらしき世界」(2021年、日本)

2021年03月10日 | 映画の感想・批評
 

13年の刑期を終えた元ヤクザの主人公三上(役所広司)は、弁護士夫妻(橋爪功、梶芽衣子)の暖かい出迎えを受ける。しかし、社会復帰に向けての生活保護申請、病気の治療、思った以上に難しい環境が待ち受ける。
万引きを疑われたが、間違いをしっかり謝るスーパーの店長(六角精児)や、役場のケースワーカー(北村有起哉)など、主人公の経歴にとらわれずに真摯に向き合う人もいる。
テレビ局のプロデューサー(長澤まさみ)は彼を面白おかしくドキュメンタリーで追うつもりで、若いライター(仲野太河)をたきつけるが、ライターは三上のもつ凶暴性に振り回されながらも、しだいに彼に寄り添い始める。


前週に観た「ヤクザと家族」も主人公の設定は元ヤクザ
あの映画もすばらしいと評価が高いし、それは否定しない。が、私は不思議に入り込めなかった。
本作品、静かに共感している。
何が違う?
俳優の違い?いえいえ、役所広司も綾野剛もすばらしい演技だったし、そもそもこの二人の演技を楽しみに見に行った。

西川美和監督作品はほかにも「ゆれる」や「永い言い訳」をレンタルで観たことがある。
人に対する冷静な視点と温かさを感じる作品だった。


主人公がようやく就労できた介護施設での障害者いじめが痛々しい。それに対し、三上が怒りを呑み込むシーンは手に汗を握る。よくぞ我慢した‼️と主人公をほめてあげたい気持ちと同時に、私もやはり同じように「同調圧力」に屈して、笑いでごまかしたのかもと、複雑な気分になった。じゃあ、どうすれば良かったのか。

「上手に生きること、逃げるが勝ち」も真実。

北村有起哉、六角精児、脇が皆良い仕事をしている。
役所広司はやっぱり素晴らしい。憎めない、愛嬌のある人柄を余すところなく発揮している。もちろん、仲野太河も素晴らしかった。
「あっちの世界は空が広いと言うよ」と、主人公を送り返してくれたキムラ緑子姐さん。
ラストシーン、確かに青い空は広かった。
♪見上げてごらん、夜の星を♪
梶芽衣子の歌も耳に残る。

パンフレットは表紙絵とシナリオ掲載があって、値打ちもの‼️
(アロママ)

監督:西川美和
脚本:西川美和
撮影:笠松則通
出演:役所広司、中野太賀、橋爪功、梶芽衣子、六角精児、北村有起哉


「黒いオルフェ」(1959年 フランス・ブラジル・イタリア)

2021年03月03日 | 映画の感想・批評
 ギリシア神話のオルフェとユリディスの物語をカーニバルで盛り上がるリオデジャネイロを舞台に再現した悲恋物語。原作はファベーラ(貧民街)の実情を告発した社会派の舞台劇だが、映画は運命的な出会いと死、魂の再生を描いた哲学的な作品になっている。映画が始まるやいなやカーニバルの熱狂と激しいサンバのリズムに包まれるが、しばらくすると陽気に踊る人びとの映像にボサノバ「フェリシダージ」のメロディが重なる。「悲しみは果てしなく、幸せははかない、貧しい者の幸せはカーニバルがもたらす・・・」と哀愁に満ちた歌詞が流れる。喧騒と静寂があざやかにコラボしているオープニング。リオの美しい海岸が見える丘で、ベネジットという少年が友人のゼッカが上げる凧を見て「太陽だ」と叫ぶ。象徴的なシーンだ。太陽はこの作品を解読するキーワードになっている。
 カーニバルの前日、従姉を訪ねてリオにやって来たユリディスは市電の運転手であるオルフェと恋に落ちる。オルフェは婚約者がいるにもかかわらず、初対面でユリディスに夢中になってしまう。ユリディスは自分を殺しにくる男の存在におびえていたが、やがてそれが死神であることがわかる。ユリディスはほどなく亡くなる運命にあり、神の使いである死神が彼女を迎えに来ていたのだ。カーニバルの夜、ユリディスが事故で死ぬと、悲嘆に暮れたオルフェはユリディスを求めて街をさまよう。祈祷所に導かれたオルフェは霊媒師が呼び寄せたユリディスの声を聞く。「振り返らないで」と言われたにもかかわらず、オルフェは後ろを向いてしまいユリディスと永遠の別れをすることになった。翌朝、オルフェは遺体安置所でユリディスの亡骸を見つける。ユリディスを抱きかかえ家に戻ると、嫉妬に狂った婚約者が投げた石が当たり、オルフェはユリディスと共に崖から落ちて死ぬ。
 この映画には神秘的なエピソードがいくつか出てくる。オルフェの古いギターには「オルフェは私の主人」と書いてあり、ギターが代々オルフェという名前の人物に受け継がれてきたことが示されている。できたばかりの曲「カーニバルの朝」をオルフェが初めて披露すると、ユリディスはこの曲に聴き覚えがあると言う。オルフェはベネジットの求めに応じて、歌とギターで太陽を昇らせる。ここには魂や精神、記憶が時代を越えて人々の心で生き続けるという世界観が息づいている。厳密な意味での輪廻転生ではないが、肉体の死が生の終わりではないことを暗示している。
 映画の最期でユリディスの化身のような少女が登場し、海の見える丘の上でベネジットやゼッカと共に踊る。ゼッカがギターを弾いて太陽を昇らせると、朝日が子供たちの顔を照らし、少女はゼッカに「今はあなたがオルフェね」とつぶやく。「私のために弾いて」少女は海に輝く太陽を背に踊り出す。サンバのリズムが高まり少女の体が移動を始めると少年たちはその後を追う。まるで魂の再生を祝うかのように三人は晴れやかに踊り続ける。(KOICHI)

原題:Orfeu Negro
監督:マルセル・カミュ
脚本:マルセル・カミュ  ジャック・ヴィオ
撮影:ジャン・ブルゴワン
出演:ブレノ・メロ  マルペッサ・ドーン