シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「MEMORIA メモリア」(2021年 コロンビア タイ イギリス  メキシコ フランス ドイツ  カタール)

2022年04月27日 | 映画の感想・批評
 コロンビアのボゴタ。ある朝、ジェシカ(ティルダ・スウィントン)は地の底が震えるような爆発音で目が覚める。それ以来、折に触れてこの音がするようになり、徐々にジェシカの日常を支配していく。どうやらこの爆発音はジェシカにしか聞こえないようだ。ジェシカが音響技師のエルナンに音の再生と記録を依頼する時に、件の音を<私の音>と言っている。突然やって来る爆発音に恐れおののきながらも、まるで思い出の品のように<私の音>を慈しみ、大切にしている。
 本作はこの音の正体を探る<音のミステリー>である。音がミステリーの謎になっている珍しい作品で、そこにSF(宇宙)、宗教(輪廻)、ファンタジーの要素が盛り込まれているのだが、ストーリーの解読は極めてむずかしい。解釈は観客に委ねられていると言ってよいだろう。物語の全容を確信的に伝えることは困難であるが、以下に筆者が考えるストーリーを提示したいと思う。あくまでも筆者の個人的見解であることをご了承いただきたい。
 ジェシカは、いつ頃からか、記憶の混乱に悩まされるようになっていた。妹夫妻に記憶違いを指摘され、音を再生してくれた音響技師のエルナンも実在したかどうかが怪しくなる。相変わらず爆発音は聞こえていて、精神科医に「標高のせいで血圧が上がり、音が聞こえるようになる」と言われ、心を落ち着けるために抗不安薬ではなく、宗教を勧められる始末。
 ある日、ジェシカはせせらぎの音がする小さな村を訪れ、魚の鱗をとるエルナンという男(音響技師のエルナンとは別人物)と出会う。鱗とりのエルナン(以下エルナン)は「村を出たことがない。テレビや映画も見ない。すべてを記憶してしまうから目に入るものを制限している。経験は有害だ」と言う。また「自然界の物や人工物はすべて記憶をもっており、私はその波動を読み取ることができる」「私は宇宙で生まれた」と不思議なことばかり言うのだが、「記憶を制御できない」というエルナンの訴えは、ジェシカの症状とどこか似ている。ジェシカがエルナンの子供時代の記憶を読み取り、まるで自分の経験のように話すシーンがあるが、ジェシカにも他者が持つ記憶の波動を読み取る力があることがわかる。記憶をコントロールできない上に、他者の記憶も読み取ってしまうため、深刻な記憶の混乱に陥っているのではないか。エルナンとジェシカの症状には共通点があり、2人は類似した体質を持っていることがわかる。宇宙で生まれたと称するエルナンの発言が正しければ、ジェシカも他の星からやって来た地球外知的生命体かもしれない。
 エルナンがジェシカの腕を掴むと、どこからか争うような声が聞こえてきた。激しいスコールの音。エルナンが静かに森の記憶の波動を読み始めると、驚くべきことに森の奥に巨大な宇宙船が現れ、地の底が震えるような爆発音と共に飛び立っていった。その爆発音がまさにジェシカが探し求めていた<私の音>であった。ということはジェシカは過去に宇宙船が飛び立つ瞬間を見ていたことになる。単なる目撃者か、それとも宇宙船の関係者かは定かではないが、何らかの形で宇宙船に関与していることは間違いない。
 ジェシカは妹が入院する病院を訪れた時に、アニエスという考古学者と出会う。アニエスは6000年前の若い女性の人骨をジェシカに見せ、悪霊を追い出すために下顎骨に穴があけられたのだと説明する。映画の終わりの方で、放射能に汚染された6000年前の人骨が発見されたというラジオ放送が流れる。6000年前の人類が放射性物質を有していたとは考えにくく、この放射能汚染には地球外知的生命体が関与していることが推定される。つまり6000年前の地球に地球外知的生命体が来ていたのだ。400万年前の月の地層からモノリスが発見されたという『2001年宇宙の旅』と同じロジックである。少女の人骨、地球にやって来た宇宙人、宇宙船、ジェシカが同じ線上に浮かびあがってくる。
 ここからは筆者の推測だが、ジェシカは6000年前の地球にやって来た地球外知的生命体の生まれ変わりではないか。乗って来た宇宙船で放射能事故があり、汚染したジェシカは母星に戻れなくなってしまう。ジェシカにだけ聞こえる<私の音>は宇宙船が出発するときの爆発音であり、地球に取り残されたジェシカは飛び立つ宇宙船を絶望的な眼差しで見ていたに違いない。やがて地球人に捕えられ、悪霊を取り除くために下顎骨に穴をあけられた。少女の人骨はジェシカの遺骨ではないか。輪廻転生して現在に生まれ変わったジェシカに前世の記憶(6000年前の宇宙船の爆発音)がフラッシュバックのように蘇る。それは家族や仲間との別れを余儀なくされた、孤独な少女の悲しみを象徴しているのかもしれない。(KOICHI)

原題:Memoria
監督:アピチャッポン・ウィーラセタクン
脚本:アピチャッポン・ウィーラセタクン
撮影:サヨムプー・ムックディプローム
出演:ティルダ・スウィントン エルキン・ディアス ジャンヌ・バリバール


「とんび」(2022年 日本映画)

2022年04月20日 | 映画の感想・批評

 
 瀬戸内海に面した田舎町で、阿部寛演じる無骨な父親ヤスと、北村匠海演じる一人息子アキラを中心に繰り広げられる家族の物語。重松清原作「とんび」の映画化。ドラマにもなっていたようだが、原作もドラマも未読未見で全くの事前情報無しで観た。
 アキラが幼い時に、事故で母親を亡くし、ヤスが一人で子育てをする。周りの人達に助けられながら、子育てに迷いながら、親子共々成長していく。アキラは母親が亡くなった状況は記憶にない。ヤスからアキラには「事故」としか伝えていない。が、本当は、ヤスの仕事場の倉庫で荷物が崩れ、下敷きになる寸前のアキラを母親が身代わりになっていたのだった。これをヤスはアキラがまだ幼かったので、伝えていない。周りの人もそれを理解して合わせている。大人になって真実を知ったアキラはどんな反応を示すのか。ヤスがアキラを想う気持ちを理解出来るのか。ヤスはアキラに真実を伝えることは出来るのか。
 アキラの年少期は、昭和の行動経済成長期真っ只中で、街全体で勢いにのって大きくなり、人や子供が成長していた時代。「アキラはみんなの子じゃけんのう」という広島弁のセリフがあるくらい、街全体が大きな家族のようである。喧嘩しても仲裁役が存在する。温かくて深い愛情を注ぐ行きつけの飲み屋の女将(薬師丸ひろ子演じる女将のエピソードも泣けた)がいる。皆、元気で仕事には真面目。日頃は頼りない幼馴染が肝心な時は、一世一代の大芝居を演じる。今の時代(特に都会)では体験しないであろう状況が身近にある。この状況は、この時代だからだろうか。昭和~平成~令和と受け継いでほしい。今の子供達は理解出来るのか。ほんの少し前の話なのに、別の国みたいだ。国を挙げてがむしゃらに頑張っていた時代設定から始まるからかもしれないが、余りにも真正面から描かれるので、眩し過ぎる印象(優等生みたい)が残った。
 後半に、ヤスの幼友達の父親の住職がアキラに綴った手紙で、母親が亡くなった状況と、アキラのことを想い、嘘を付いていたヤスを「許してあげてほしい」と書かれ、アキラに伝わる。アキラが想いをきちんと受け止めたことには安堵と共に涙した。20年くらい掛かったかな。でも、受け取る側がきちんと理解出来る状況には必要だった年月だろう。その気持ちをアキラは、自分の子供達にも伝えていくことだろう。
(kenya)

原作:重松清「とんび」
監督:瀬々敬久
脚本:港岳彦
撮影:斉藤幸一
出演:阿部寛、北村匠海、杏、安田顕、大島優子、濱田岳、宇梶剛士、尾美としのり、吉岡睦雄、宇野祥平、木竜麻生、井之脇海、田辺桃子、田中哲司、豊原功補、嶋田久作、村上淳、麿赤兒、麻生久美子、薬師丸ひろ子

「逆光」(2021年 日本映画)

2022年04月13日 | 映画の感想・批評
 尾道を舞台にした作品といえば真っ先に大林宣彦監督作品がうかぶ。大林監督が鬼籍に入られて2年になるが、新たな尾道作品が20代半ばの監督の手によって生まれた。初監督作品であり、自ら主演もつとめている。従来の公開ルートとは異なり、まず尾道で公開され広島県内を経て全国へ。そして今また京都の出町座で上映されている。監督自らが映画館に足を運び配給や宣伝活動を精力的に行っている。
 1970年代の真夏の尾道に、東京の大学に通う22歳の晃(須藤蓮)が大学の先輩である吉岡(中崎敏)を連れ帰郷する。吉岡のために実家を提供し彼が退屈しないようにと幼なじみの文江(富山えり子)に、ちょっと風変わりなみーこ(木越明)を加え、四人で遊びに出掛けるようになる。四人で行動を共にするうちに、やがて晃の心に少しずつ変化が起こる。
 冒頭、静止画にロープウェイのアナウンスが流れ、映像が動きだす。尾道へ、この作品世界にいざなわれていく。坂道をのぼっていくと、中庭のあるゆったりとした日本家屋、晃の実家に辿りつく。
 前髪を下ろした晃は弟キャラが似合っている。長髪に髭を生やした吉岡には大人の色気がある。吉岡は正面からアップで映ることがなく表情が見えづらい。それが何を考えているのかわからないミステリアスな印象を一層強めている。この二人に絡む文江とみーこの存在が興味深い。みーこは不思議な女性だ。ある日四人で海に行った時、突然みーこが海に落ちる。驚く三人に構わずそのままぽっかりと浮かんでいる。身につけている物がカラフルで、キラキラ光る水面に包まれみーこ自身も輝いている。まるで海に手向けられた花束のように…。看護師の文江は子どもの頃にいじめられていた晃を庇ったことで一目置かれていたが、成長するにつれ立場が逆転していった。文江には周囲を見渡す冷静な目があり吉岡の本質を見抜いていた。晃に吉岡との関係を母親のように諭すその顔には諦観の美しさがあった。
 月明りの下、吉岡の日焼けした背中を氷枕で冷やす晃と、薄暗い病室で亡くなった患者の身体に氷枕を当てる文江。この場面は二人の置かれている状況の違いを表すだけでなく、生と死は隣あわせだとも語っている。
 この作品は光と闇の描写が効果的に描かれている。塞がっていた五感が研ぎ澄まされていくようだ。その光と闇の狭間には小さな喜びや悲しみや憂いが潜んでいるに違いない。
 エンドロールで流れる大友良英のギターの弦の音が、出演者・スタッフ・エキストラに至るまで作品に携わったすべての人々を紹介するかのように響きわたり、いつまでも耳に残る。(春雷)

監督:須藤蓮
脚本:渡辺あや
撮影:須藤しぐま
出演:須藤蓮、中崎敏、富山えり子、木越明


「THE BATMAN ーザ・バットマンー」(2022年 アメリカ映画)

2022年04月06日 | 映画の感想・批評


 資料によると、コミックス史上最も多く実写化され続けているヒーローといえば、バットマンだそうで、1939年「ディティクティブ〈探偵〉・コミックス」に連載が始まって以来、何と80年以上にわたり世界中の人々の注目を浴びていたことになる。自分も中学生になった頃、アダム・ウェストが演じるTV版の「バットマン」を毎週欠かさず見ていた記憶があり、軽快な主題歌と共にバットマンとロビンが活躍する姿を見るのが楽しみだったが、コメディ色が強く、ジョーカーやペンギン等のヴィラン(悪役)達も、恐ろしい敵というよりは、コメディアンの一人のように感じていたのも確か。そのイメージが一転したのはティム・バートンが監督した映画「バットマン」(’89)で、見ていて初めて「恐怖」という感覚を覚えた。その後クリストファー・ノーラン監督の「ダークナイト」3部作を始め、「ジョーカー」などの優れたスピンオフ作品も誕生したが、今回はマット・リーヴス監督が描く“新たなバットマン”。そのダークさ加減は想像を遙かに超えるものだった。
 幼い頃の両親殺害の復讐を誓い、夜になるとマスクをかぶって犯罪者を見つけては制裁を加え「バットマン」になりきろうとしている青年ブルース・ウェイン。ある日ゴッサム・シティの市長が殺され、その後権力者を狙った殺人事件が次々と発生する。犯人を名乗るリドラーは、犯行の後必ず?マークと“なぞなぞ”を残して警察やバットマンを翻弄し、挑発する。はたして彼は何のためにそのような犯行を続けるのだろう。その真の目的とは、いったい⁈
 今回のバットマンはとにかく悩む、悩む。なかなか自分の気に入った仕事が見つからず、転職を繰り返す今の若者達と同じように。復讐心から「正義の味方バットマン」になろうとしているのはいいのだが、なかなか世間は認めてくれず、警察の中でも協力してくれるのはゴードン警部補だけ。さらに優秀な探偵としての自分も大事にしたいものの、探っていくとリドラーの犯行により明らかにされる「嘘」がいっぱいの腐敗した政治や社会に絶望。父親との関わりも明らかになって、自分自身の「闇」の部分を知ることに。
 この悩めるバットマンを演じるのは「トワイライト」でブレイクしたロバート・パティンソン。一見華奢な体つきなのだが、バットマンのマスクをかぶり、スーツを着込むと見事に変身‼トレードマークのバットモービルに乗る姿も絵になる。変身といえば、恋愛関係になりそう(?)なキャットウーマンや、マスクならぬ黒いフードをかぶる正体不明のリドラー、ゴッドファーザーを彷彿させるコリン・ファレル演じる太っちょペンギンも見もの。
 コロナ禍がまだまだ収まらないパンデミックの状況下、ますます悪化するウクライナとロシアの戦いも先が見えず、国内ではいつまでたってもなくならない汚職や犯罪、そして分断。「こうなるとよい」というのはわかっているのだが、なかなか解決に向かっていかないこのご時世、暗闇を照らすバットシグナルに新たな自分の方向性を見つけ出したバットマンのように、人々の希望の光となるものの登場が切に待たれる。
(HIRO)

原題:THE BATMAN
監督:マット・リーヴス
脚本:マット・リーヴス、ピーター・クレイグ
撮影:クレイグ・フレイザー
出演:ロバート・パティンソン、ゾーイ・クラヴィッツ、ポール・ダノ、ジェフリー・ライト、ジョン・タートゥーロ、アンディ・サーキス、コリン・ファレル