シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「スパイの妻」(2020年 日本)

2020年10月28日 | 映画の感想・批評


第77回ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞(監督賞)受賞で世間の大きな注目を浴びることになった。
黒沢清監督作品は初鑑賞。
もともとNHK8K放送ドラマとして今春放送されたらしいが、それも未視聴。
ストーリーもオリジナル。ストーリーについては先入観なしに、かなりの期待をもって鑑賞。
とはいえ、同日、休憩なしに先に観た「82年生まれ、キム・ジヨン」(韓国映画)の好印象がかなり影響して、入り込むには少々厳しかった。
かなり早い段階で緊迫のシーンもあり、後半が間延びした感をもったが、なかなか引き付けられた。

ストーリーについては宣伝やNHKの特集番組でずいぶん紹介されているので省略することに。

甥の文雄(坂東龍汰)に対する拷問シーンは目を背けざるを得ない。文雄の顔を映さず、背中だけなのだが十分に残虐さが伝わってくる。
彼らが持ち帰ったフィルムに焼き付けられていた日本軍の非道さも許しがたいし、それがこの物語のきっかけなのだが、こちらの憲兵の拷問シーンのほうがリアリティを感じ、正視できなかった。ひょっとして、黒沢監督の特徴なのか?


神戸の上流家庭の言葉遣いや時勢に逆らってあえて目立つ洋装を貫く聡子(蒼井優)。
その衣装のかわいらしさはとても奥様というより、まだまだお嬢様の雰囲気。これこそ彼女の置かれている環境の豊かさの表現。
人目も気にせず、往来や迎えに行った波止場で夫の優作(高橋一生)に抱きつく、妻のかわいらしさなのだが、彼女の奔放さもしるしている。
蒼井優がともかく、可愛い!

まるで舞台劇のような長台詞も、「お見事です!」

当時としては相当なお金持ちの道楽であろう自主製作映画まで登場するし、当時の有名な映画の話題も出てきて、ある種の入れ子のような構成。
クライマックスで、この自主映画が効いてくるのだけれど。それはそれは「お見事です!」な見せ場!

憲兵分隊長に任命された津森と聡子は幼馴染の設定のようだが、かなりの階級差をかんじさせる。津森は聡子に惹かれている。
聡子もそれを知っているからこそ、自ら彼を訪ねた場面では、聡子は和服を着ていく。
津森を演じた東出昌大は不気味さをうまく演じていたように思う。苦手な俳優さんだが、今作はそれなりに頑張ったかな。

本当に夫、優作はスパイだったのか。コスモポリタンだったのか。
高橋一生の影ある演技も見ごたえがある。
この夫妻、仮面なのかと思ったけれど、本気で愛し合っていたのだろう。
「あなたがたとえスパイであっても、私にとっての貴方は貴方。私はスパイの妻にもなります!」
そこからは貞淑で可愛い妻から、むしろ夫をリードするくらいの勢いで、貨物船に隠れて亡命する危険をも冒す。

が、・・・・・出航までに発見されてしまう。

ラストシーンについてはいろんな意見があると思う。3行の後日談が必要だったのかどうか。。

「狂っているのはどちら?」

今も問いかけられているのかも。いえ、今こそ。

(アロママ)

監督:黒沢清
脚本:浜口竜介、野原位、黒沢清
撮影:佐々木達之介
出演:蒼井優、高橋一生、東出昌大、坂東龍汰、笹野高史他



「博士と狂人」(2019年 アイルランド、フランスほか)

2020年10月21日 | 映画の感想・批評
 20世紀のはじめに全12巻が完成したオックスフォード英語大辞典(OED)の第1巻が出来上がるまでの艱難辛苦を描いた実話の映画化である。「舟を編む」の英国版といえばわかりやすいか。いや、「舟を編む」はきわめて地味な辞書づくりのお話であったが、こちらはまさに「事実は小説よりも奇なり」を地で行く力作である。
 19世紀後半、南北戦争の地獄を見た軍医大尉マイナーは気がふれて刺客の幻に怯えるようになり英国へ逃れるが、通りがかりの男を刺客と錯覚して射殺してしまう。裁判では責任能力がないと判断され、精神病犯罪者収容所での拘禁生活を言い渡される。子だくさんの被害者の未亡人に対する自責の念は高まるばかりで、従軍年金の受取人を彼女にしようとするが、恨み骨髄の未亡人はその申し出を拒絶するのだ。
 いっぽう、スコットランド出身の言語学者マレーはオックスフォード大学出版局が一大プロジェクトとして立ち上げた英語大辞典の編纂を任される。しかし、独学で斯界の泰斗にまで昇り詰めたかれには学歴がなく、周囲のやっかみもあって前途多難だ。家族や友人の励ましに支えられながら、膨大な単語と用例の収集に骨身を惜しまず没頭するのである。
 しかし、出だしのAの項で躓いたマレーの辞書編纂チームはボランティアの協力者を募る。そこへ病院から応募してきたのがマイナーであった。いつしか、ふたりの間には信頼と友情が生まれる。マレーがいう台詞「鋼鉄は鋼鉄によって磨かれるが、人は友によって磨かれる」がいい。
 マレーとその家族、かれをOED編集責任者に推挙し擁護する友人ファーニヴァル、狂人マイナーとかれを秘かに尊敬する看守マンシー、被害者の未亡人イライザ、収容所長の陰険な精神科医ブライアンが複雑な人間模様を織りなす。とりわけ、マイナーと未亡人の確執が徐々にほぐれて行く過程が丁寧に描かれ、一編のロマンスとなる。許しとは何か、寛容とは何かが、この映画のもうひとつのテーマとなっているのである。
 メル・ギブソンとショーン・ペンのがっぷり四つの横綱相撲も見ものである。
 また、若き日のチャーチルが終盤に至って重要な役割を担う。
 波瀾万丈の運命に翻弄されながらも、真摯に誠実に懸命に生きようとする人びとの物語は、見る者の心を癒すに違いない。(健)

原題:The Professor and the Madman
監督:P・B・シェムラン
脚本:ジョン・ブーアマン、トッド・コマーニキ、P・B・シェムラン
原作:サイモン・ウィンチェスター
撮影:キャスパー・タクセン
出演:メル・ギブソン、ショーン・ペン、ナタリー・ドーマー、スティーヴ・クーガン、エディ・マーサン、ジェニファ・イーリー、スティーヴン・ディレイン

「極楽特急」(1932年 アメリカ映画) 

2020年10月14日 | 映画の感想・批評
 オペレッタ風に物語は始まる。月夜のベニス、カンツォーネを歌う陽気な男、運河。盗賊が暗闇に紛れて逃げていく。倒れている男、窓辺に佇む紳士、非常事態が発生しホテル中が大騒ぎになっている。ゴンドラに乗ってやって来た淑女を紳士が迎える。愛を囁きあう二人。男の名はガストン、女の名はリリー。紳士淑女を装っているが実はこの二人は泥棒なのだ。ガストンは今しがた金満家から財布を失敬してきたばかり。大騒ぎを尻目に二人は濃厚な夜を過ごす。
 時は過ぎ、舞台はパリ。ガストンは美しくてエレガントな女社長・コレ夫人に近づき、言葉巧みに懐柔して社長秘書になってしまう。やがてコレ夫人はガストンを愛するようになり、二人の関係は急速に深まっていく。嫉妬の炎を燃やすリリーは早々にガストンを連れて逃げようとする。その頃、ベニスで財布を盗まれた男が、ガストンの正体をコレ夫人に明かしていた・・・
 ロマンティック・コメディ(ラブコメディは和製英語)の基礎を築いたのは、ユダヤ系ドイツ人のエルンスト・ルビッチ(1892~1947)と言われている。1922年にハリウッドに招かれて以来、「結婚哲学」「ウィンダミア卿夫人の扇」「天使」「青髭八人目の妻」「桃色の店」「天国は待ってくれる」・・・等々と優雅で洗練されたコメディタッチの恋愛映画を奇跡のように世に送り出してきた。そのルビッチ作品の中でも特に評価が高く、多くの監督や評論家、そしてルビッチ自身が最高作だと認めているのが本作である。ここには洗練さのひとつの典型がある。
●主人公はおしゃれで、繊細で、機知とユーモアに富んだ会話ができる。
●時計の針と音声だけでデートの進行を表したり、ドアの鍵を閉めるタイミングの違いで情事への期待値を表現したり、婉曲で間接的な表現によって恋愛を描いている。見えないところで大事なことが起こったり、会話が急に聞こえなくなったりするので、観客の想像がかきたてられる。
●三角関係に陥っても愛のドロドロにはならない。ルビッチの映画ではたいてい三角関係は元のさやに収まり、ハッピーエンドを迎える。保守的で冒険を好まず、新しい恋人と駆け落ちするなどという劇的なラストにはならない。別れのシーンもジョークで悲しみをカムフラージュして、過度に切ない気分にさせないようにしている。ガストンとコレ夫人の別れのシーンを見てみよう。
「あなたがなくしたものが何かわかる?」
コレ夫人は黙ってうなずく(ガストンとの愛をなくしたと思っているのだ)
「違う、あなたがなくしたのはこれだよ」
ガストンは内ポケットから自分が盗んだ真珠のネックレスを取り出した。
●泥棒映画なのに盗むシーンが一切ない。緊張感のある盗みの場面は省力され、いつのまにか魔法のように財布やバッグが消えている。リリーは手品に見惚れる子供のように、ガストンの盗みのテクニックに魅了されている。盗みは一種の恋愛ゲーム。ベニスのホテルでピンとガードルを掏(す)られたリリーは怒るどころか、ガストンの腕前に感激し惚れ直している。ラストシーンのタクシーの中でも、二人はお互いがお互いから掏った戦利品を自慢げに披露し合う。リリーにとってガストンに掏られるのは愛の行為と同じであり、コレ夫人から盗んだ10万フランも見事に掏られてしまい、感極まってガストンに抱きつく。

 ガストンは本気でコレ夫人を愛していたのか、それともお金目当ての恋だったのか・・・おそらく両方の感情が同居していたのであろう。だからこそリリーはガストンの気持ちを敏感に感じ取って、コレ夫人から引き離そうとした。それにしてもひどい目にあったのはコレ夫人だ。10万フランと高級ハンドバッグ、真珠のネックレスを持ち去られ、おまけに心(ハート)までガストンに盗まれてしまった。それでも別れ際のコレ夫人が幸せそうだったのは、甘美な思い出に浸っていたから。さんざん騙されたのに恨んでいない、警察にも通報しない、批判めいたことも言わない。恋は盲目と言うべきか。エレガンスには寛容の精神が必要なのだろうか。本作品には監督の恋愛哲学が典型的に反映していて、この哲学と美意識がルビッチの作品全体を貫く通奏低音にもなっている。後年、多くの映画監督がロマンティック・コメディを手掛けたが、優雅さと洗練さにおいてルビッチを超えるものを筆者は知らない。(KOICHI)

原題:Trouble in Paradise
監督:エルンスト・ルビッチ
脚本:グローヴァ―・ジョーンズ サムソン・ラファエルソン
撮影:ヴィクター・ミルナー
出演:ハーバート・マーシャル ミリアム・ホプキンス ケイ・フランシス


「浅田家!」(2020年日本映画)

2020年10月07日 | 映画の感想・批評

 
 本作は、写真界の芥川賞と呼ばれる(らしい)木村伊兵衛写真賞を、『浅田家』という自身の家族写真集で受賞した浅田政志氏が、カメラに触れる幼少期から30歳の頃までを描いている。
 全編を通して、涙が途切れることが無かった。「泣き」がほしい人には是非お薦めである。
 二ノ宮和也演じる主人公は、父親からカメラを誕生日祝いでもらうことで、カメラの虜になり、専門学校に入学する。決して、優秀な学生ではなかったようだが、その学校の先生から、「あと一生に1回しかシャッターが切れないとしたら、何を撮る?」を問いかけられたところから、「家族写真」を撮り出すことになる。その写真を引っ提げて、三重から東京に出たものの、あまり稼げていない状況の中で、幼馴染の家に転がり込んで悶々としていたが、前述の賞を受賞したことで、家族写真を撮影する写真家として、全国から撮影に呼ばれることになった。一つ一つの家族に事前インタビューし、ただ単に写真を1枚撮るだけではなく、その家族の想いまで1枚の写真に込めてしまう魔力で人々を幸せにしていた。ここまでのシーンだけでも涙が止まらない。仕事で忙しくしている中で、東日本大震災が発生し、以前、撮影した東北の家族は無事なのか心配で東北を訪れた際に、被災した家から出てきた写真を水で洗って、持ち主にお返しするボランティアに出会う。そこで、出会った少女から、「家族写真を撮っているプロであれば、(亡くなった)お父さんも一緒の家族写真を撮ってほしい」と頼まれるのである。彼女の中ではまだお父さんは生きているのである。実際は、地震で亡くなっておられるので、「僕には撮れない」を断っていたのだが、あることが切っ掛けで、家族写真を撮ることに成功するのである。撮影に成功した少女の笑顔を観ながら、涙が止まらなかった。あの笑顔は本当の笑顔だったと思う。浅田政志氏が撮っていたのは、「1枚の写真」ではなく、その写真を撮った時の状況や気持ちを含めた「家族そのもの」なのである。哀しみを抱える人達ばかりの中で、折れそうになる心をお互いに支えながら、それでも生きていく。商業映画に仕上がっているが、今なお、深い傷跡が残る被災地に対する深い想いが詰まった脚本だと感じた。中野量太監督は「湯を沸かすほどの熱い愛」以来だったが、今後も観続けたい。
 エンドロール最後にはほっこりする1枚の写真が出てくる。是非、劇場が明るくなるまで観ることをお勧め致します。
(kenya)

監督:中野量太
脚本:中野量太、菅野友恵
撮影:山崎裕典
出演:二ノ宮和也、妻夫木聡、平田満、風吹ジュン、黒木華、菅田将暉、北村有起哉他