シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「オール・イズ・ロスト~最後の手紙~」(2013年アメリカ映画)

2014年03月21日 | 映画の感想・批評
 わが青春時代のトップスターだったロバート・レッドフォードが老体に鞭をうつように挑んだ力作である。全編レッドフォードのひとり芝居、まさに終盤は満身創痍の痛々しさだ。私は思わずヘミングウェイ原作「老人と海」のスペンサー・トレイシーを思い出した(以下、結末を明かしているのでご注意ください)。
 映画は、「すべてを失ってしまった」という男(レッドフォード)のナレーションで始まる。そこから8日前にさかのぼり、インド洋の真ん中でヨットのひとり旅を続ける男が遭難し、無線も何もかも駄目になって途方に暮れる。そのうち、ものすごい嵐に遭って大破したヨットを放棄し、救命ボートで海を漂うことになる。
 しまいに万策尽きて、男は遺書を書きガラス瓶に入れて流す。それが冒頭のナレーションである。やがて日が落ちて夜のしじまの中で遙か彼方に一条のひかりを見出すや、理性を失った男は自身の存在を知らせようと救命ボートの上で書籍やら何やら燃やせるものは何でも火をつけるのだが、救命ボートが燃えだして海に飛び込んだ男はなす術もなくずんずん沈んで行くのである。こうして自然の脅威と、人間の不屈の精神、知恵と工夫の戦いが描かれる。「太平洋ひとりぼっち」ではないが、ヨットの生活やいろんな機器の修繕修復作業が写実的に描写され、この映画に真実味を与えている。
 ところで、絶望した男に幸運の女神が微笑んだかに見えた瞬間が一条のひかりであるが、ほどなく一艘の舟がサーチライトを照らしながら燃えるボートの方へ近づいてくるのが海中からもわかる。男が死に者狂いで海面へ浮き上がろうと水をかくと、海の中へすっと救いの手が差し伸べられて映画は終わるのだ。
 人生の皮肉を描かず、どんなことがあっても諦めるな、最善を尽くせ、そうすれば必ず願いはかなう、というところが、いかにもアメリカ映画らしくていい。(ken)

原題:All Is Lost
監督:J・C・チャンダー
脚本:J・C・チャンダー
撮影:フランコ・G・デマルコ、ピーター・ズッカリーニ
出演:ロバート・レッドフォード

「ネブラスカ ~ふたつの心をつなぐ旅~」 (2013年 アメリカ映画)

2014年03月11日 | 映画の感想・批評
 

 老人が一人、広い道路を歩いている。何か事件を起こしたのだろうか。画面は淡いモノクロ。2年前「アーティスト」を見て以来だが、ひょっとして舞台は1950年代?!と思いきや、電気店で売られているTVが薄型なのを発見して、これは現代の話だということがすぐに判明する。何とも新鮮なオープニングだ。観客は見事に映画の世界に入っていく。
 100万ドルの賞金に当たったと信じ込んだ父親。何と彼はその賞金を受け取りにモンタナからネブラスカまで高速道路を歩いて行こうとしていたのだ。その距離1500km。警察に保護された父を迎えに行った次男は、インチキだと知りつつ、助手席に父と父の夢を乗せ旅立つ。いざ、ネブラスカ!!実は、ネブラスカは父と母の故郷でもあった。“百万長者”になろうとしている男の久しぶりの帰郷に、親せきや知人たちがざわめく。はたして二人を待ち受けていたものとは…。
 父親のウディを演じるのはブルース・ダーン。その50余年のキャリアの中では、アンチ・ヒーロー的な役が印象的だが、今回は最も感動的な役に巡り合ったといっても過言ではないだろう。その型破りな演技で、カンヌ国際映画祭をはじめ、多くの主演男優賞を受賞したのもうなずける。オーディオ・ショップに勤める心優しい次男ディビッドを演じるウィル・フォーテも好感が持てる。旅の途上で少しずつ父子のきずなが深まっていくのが何とも心地よい。でもこの二人、いい人なんだけど、ダメなところも・・・。それをうまく補っているのが母ケイトだ。思った通りのことをずけずけ口にしながらも、夫や息子のことをしっかりわかっていて、ちゃんと家族を守っている、男どもには恐ろしい存在。ジューン・スキップの痛快演技に拍手!!
 アレクサンダー・ペイン監督はネブラスカ州のオマハ出身。よほど故郷への思い入れが強いのだろう。何と6本の監督作品のうち4本をネブラスカ州で撮影している。ハートランドと呼ばれる、時代から取り残されたようなここアメリカ中西部。その伝統的・保守的な雰囲気が、モノクロ画面にピッタリ合っている。
 (HIRO)

監督:アレクサンダー・ペイン
脚本:ボブ・ネルソン
撮影:フェドン・パパマイケル
出演:ブルース・ダーン、ウィル・フォーテ、ジューン・スキップ、ステイシー・キーチ、ボブ・オデンカーク

もったいない!(2011年ドイツ・ドキュメンタリー)

2014年03月01日 | 映画の感想・批評
 スクリーンに登場した男性2人がゴミ箱にダイビング。衝撃的なオープニングだ。そして彼らは、ゴミ箱に捨てられたビニール袋を引っ張り出して、まだ食べられる野菜、果物などを選び始める。中には封の切られていないものまである。
 大きなスーパーマーケットでは賞味期限の数日前に廃棄処分される食品の量は半端ではない。野菜や果物を収穫する農家では、形や大きさが揃わないという理由で、出荷の時点で撥ねられ廃棄される。農家の人々いわく、“消費者は味や栄養価ではなく見栄えで選んでいるが、そんなの間違っている”と。さらに、われわれ消費者も家庭から多少なりとも食品廃棄を行っている。地球上には飢餓で命をなくす人々が大勢いるというのに…。
 これではいけないと、少しでも食品廃棄を減らす努力を始めている人々もいる。品質には問題がない廃棄食品を引き取って、食べ物に困っている施設や人々に届ける活動を行っている団体。売れ残ったパンから廃油を作り、パン焼きの燃料として使っているパン屋。映画の冒頭に出てきた“ゴミ箱ダイバー”たち。
 “ゴミ箱ダイバー”のルールは、①先に入っている人が優先、②必要以上は持ち帰らない、③来たときよりもきれいにして帰る、だそうである。ゴミ箱にダイブする勇気のない当方としてはせめて、家庭では食料廃棄の量を極力減らす、外食などでは食べ残しも極力減らす、必要以上は買わない、などとりあえず自分の出来ることから始めようとつくづく考えさせられた。消費者は大量の食料廃棄を見越した価格で買わされ、そのうえ間接的に世界の飢餓を招く片棒を担がされているのだ。
 今地球が抱えている食料廃棄の問題を考えるいい機会なのに、京都シネマでたった2週間、1日1回の上映というのは“もったいない!”(久)

原題:Taste the Waste
監督:バレンティン・トゥルン
撮影:ロランド・ブライトシュー