シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「百円の恋」 (2014年 日本映画)

2015年03月21日 | 映画の感想・批評


 今、日本映画界で最も輝いている女優は誰かと聞かれたら、迷わず安藤サクラと答えよう。2014年度のキネマ旬報ベスト・テンの主演女優賞をはじめ、各映画賞での受賞は数知れず。「0.5ミリ」とともに対象となったこの作品を見れば、誰もが納得するに違いない。
 主人公の一子は32歳。自宅に引きこもり、自堕落な生活を送っていたが、子連れで戻ってきた妹が同居を始めると、居づらくなって自ら一人暮らしをすることに。行きつけの100円ショップで深夜労働の仕事にありつけたが、そこで働くのはそれぞれ心の問題を抱える者ばかりだった。楽しみといえば、帰り道にあるボクシングジムでストイックに練習している男たちの姿を覗き見すること。
 ある日、特に目に留めていた中年ボクサーの狩野が、バナナを買いに店にやってくる。忘れていった品物を届けたことがきっかけになって二人の仲は急速に発展。一緒に住むまでになったが、定年前の最後の試合に敗れた狩野は家を出て行ってしまい、別の女と生活するようになる。残された一子はなぜかボクシングジムの門をたたき、一途にのめりこんでいく。失恋の悲しみや、自らの日常を叩きのめすかのように。
 この素晴らしいストーリーは、松田優作の出身地でもある山口県の周南映画祭で新設された脚本賞・「松田優作賞」のグランプリ作品から生まれた。安藤サクラはボクシングが全くの素人ではないそうだが、一子になりきり、練習を積み重ねながら様になっていく姿、少し緩めの体型が見事にシェイプアップされていく姿がお見事。何と撮影期間は2週間だったそうだから、キツかったでしょうね。狩野を演じた新井浩文のボクシング姿も、一子が見惚れただけあってキマッテいます。
 ぜひスクリーンで見たい方は京都・木屋町にある「立誠シネマ」へどうぞ。(4月3日まで)ここは元小学校の校舎を改築してできた劇場。何か面白い発見がありそう!
(HIRO)

監督:武 正晴
脚本:足立 紳
撮影:西村 博光
出演:安藤サクラ 新井浩文 伊東洋三郎 稲川実代子 坂田 聡 松浦慎一郎 根岸季衣

「パリよ、永遠に」(2014年フランス/ドイツ)

2015年03月11日 | 映画の感想・批評
 世界中から多くの観光客が訪れるパリの街。もしかしたら美しいパリの街並み、エッフェル塔、ノートルダム大聖堂、ルーヴル美術館、オペラ座などの建造物は、第2次世界大戦末期ナチスドイツによって破壊され、パリを訪れる観光客を楽しませることが出来なくなったかも知れない。
 1939年9月ドイツがポーランドに侵攻した2日後、フランスはドイツに宣戦布告するが、翌年6月ドイツとフランスは休戦を締結、ドイツによるフランス支配が始まった。1944年8月25日未明、パリ防衛司令官コルティッツは、迫りくるレジスタンス・連合軍との戦闘指揮に追われていた。ベルリンが廃墟と化した今、かつて訪れその美しさの虜になったパリが健在であることが許されないと、ヒットラーが命じた「パリ壊滅作戦」の準備も整い、まさに秒読みの段階に入っていた。
 一方、スウェーデンの総領事ノルドリンクは、生まれ育った、愛するパリが破壊されることを阻止するため、ドイツ軍が駐留するホテルにコルティッツを訪問する。中立国の外交官とナチスドイツの軍人の、押したり引いたりの駆け引きが始まった。
 一刻の猶予も許されない状況の下で、パリはどのようにして生き残ったのか。パリ赴任前日に公布された「親族連座法」で身動きが取れないコルティッツに、もはやドイツの敗戦は目に見えている、隣国同士である両国の戦後を想像してほしいと、ノルドリンクは訴える。
 シリル・ジェリー作の舞台から続くコンビがそのままスクリーンでも息の合った演技を見せてくれる。ノルドリンクの登場の仕方が意表を突く。戯曲として創作された設定だろうか、それとも事実だとすればそれはそれで面白い。
 昨年公開された「シャトーブリアンからの手紙」に続き、フォルカー・シュレンドルフ監督は「仏独の和解」をテーマに込めている。戦後70年、未だに「日中」・「日韓」の和解は進まない。(久)

原題:Diplomatie
監督:フォルカー・シュレンドルフ
原作:シリル・ジェリー作、戯曲『Dipulomatie』
脚本:シリル・ジェリー、フォルカー・シュレンドルフ
撮影: ミシェル・アマチュー
出演:アンドレ・デュソリエ、ニエル・アレストリュプ、チャーリー・ネルソン、ジャン=マルク・ルロ

「おみおくりの作法」(2013年イギリス/イタリア)

2015年03月01日 | 映画の感想・批評


 ロンドン近郊の民政局に勤める主人公は身寄りのない住民が亡くなると現場へ赴き、遺品を整理して後始末を行い、遺族や知人を捜すという職務に従事している。遺族が見つかっても大抵は訳あって連絡を絶っていたという事情もあるから「今さら連絡されても」と困惑されるだけだ。それで、かれは葬儀と埋葬を公費で手配し、遺族も知人も来ない中で、ひとりさびしく祈りを捧げて佇むことになる。かれもまた、これといった身寄りもない中年男だ。
 この男の判で押したような一日の生活が的確に描写されるところは、これが2作目だというウベルト・パゾリーニ監督の絶妙な演出の賜だ。要するに、寡黙で几帳面で実直、誠実、慎重、従順といった美徳が、男の一挙手一投足にあらわれていて微笑ましい。さらに、通りを横切ったり、青信号をわたるときでさえ、男は左右を必ず確認してから一歩を踏み出すという動作が執拗に描かれ、まさかそれが衝撃のラストの伏線であることなど、観客の誰が予見できようか。
 いけすかない合理主義者の上司が、遺族を捜すのに手間暇かける仕事ぶりを非難し、葬儀など残された者の自己満足に過ぎず故人の知ったことかといい放って、男の仕事を他部署と併合することを宣告した揚げ句、馘首をいい渡す。それでも、この男はいま調査中の1件が片付くまで数日の猶予をくれと申し出て遺族捜しに奔走した結果、大きな成果に至るのだ。
 そうして、人生はままならぬもの、神様はときどき気まぐれを起こす。いかにもイギリス映画らしい苦い最後(ビター・エンド)だ。しかし、監督がイタリア人だということが関係しているのか、最後の最後で上司の放言をたしなめるようなこの世(現世)とあの世(冥界)の“つながり”が描かれる。つまり、ほのぼのとした癒しのラストが用意されているのである。 (健)


原題:Still Life
監督、脚本:ウベルト・パゾリーニ
撮影: ステファーノ・ファリヴェーネ
出演:エディ・マーサン、ジョアンヌ・フロガット、カレン・ドルリー