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宮崎勤が奪った幼い命…被害者家族が明かした悲痛な胸の内。

2023年09月25日 23時03分40秒 | 事件と事故

宮崎勤が奪った幼い命…被害者家族が明かした悲痛な胸の内。「行方不明になったAちゃんのポスターを見た娘は『かわいそうだね』と言っていました。まさか、その子が同じようにいなくなるなんて…」#1

9/16(土) 18:05配信


集英社オンライン
昭和・平成 闇の事件簿1~東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件発生から35年~
宮崎勤・元死刑囚


昭和から平成にかけて日本中を震撼させた「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」の発生から35年が経った。4人の幼い少女の命を奪い、“日本犯罪史上最悪の殺人鬼”とも言われた宮崎勤・元死刑囚とは何者だったのか? 本稿では、事件の経緯、被害者家族の悲痛な胸の内を、当時、写真週刊誌記者として事件を追い続けた小林俊之氏が振り返る。(全3回の第1回)


【画像】写真誌記者(当時)が撮影した宮崎勤・元死刑囚の自室ほか


街の公園から、子供たちの歓声が消えた
昭和が終わろうとする1988年8月22日、午後6時23分。4歳(当時)の女児Aちゃんの母親(当時44歳)から、埼玉県警に電話が入った。


「本日午後3時ころ、近所に遊びに行く、と言って外出した次女が未だに帰宅しない」


県警が駆けつける前には、すでにマンション自治会の方々がAちゃんの捜索を行っていた。そこに父親(当時47歳)の姿がなかったことで、のちにあらぬ詮索を受けた。父親が娘の失踪を知ったのは翌朝、経営する都内の設備設計会社にかかってきた県警からの連絡によってだった。


自宅は埼玉県入間市。マンションの裏には入間川が流れている。この日、仕事に忙殺されていた父親は、終電前に仕事が終わらなかった。


「あの日は、いつものホテルに泊まる予定だったが満室で、以前一度だけ世話になった旅館に宿を取ったのです。いつもならすぐに熟睡するのに、胸がドキドキして眠れなくて。体の具合が悪いのかなと思うほどでした」


この想定外の行動で、奥さんからの連絡は途絶え、娘の失踪を知る由もなかった。父親は、帰宅してからはAちゃんの足跡を求め、奔走した。


「Aを連れ歩いた場所や、西武線沿線を一駅一駅下車して、手がかりを求めて探しました。もしかして山の中の水溜まりにはまっていないか、と80日間歩き回りました。5年でも10年でも娘を探そうと覚悟を決めたのです」


そうした地獄のような日々が続くなか、同年10月3日、今度は隣町の飯能市に住む7歳(当時)の女児Bちゃんが行方不明になった。


さらに2か月後の12月9日、川越市に住む4歳(当時)の女児Cちゃんが自宅近くで忽然と姿を消した。5日後、「C かぜ せき のど 楽 死」と書かれた謎解きのようなハガキが、川越市のCちゃんの自宅に届く。翌日、全裸にされたCちゃんの遺体が入間郡名栗村(現・飯能市)の山林で発見された。


小さな女の子を持つ親たちは、震え上がった。街の公園から、子供たちの歓声が消えた


Aちゃんの葬儀当日に届いた「告白文」
このCちゃん殺害事件から、当時写真誌の記者だったわたしは取材に関わった。写真誌記者の宿命で、少女たちの顔写真を入手するため奔走した。


川越署は情報提供のため積極的にメディアに対応した。今では考えられないが、Cちゃんの写真提供を依頼すると「親御さんの了解があれば」と、その場で母親に電話を入れてくれたのだ。この週の誌面には、笑顔のAちゃん、Bちゃん、Cちゃんが並んだ。


確たる情報があったわけではないが、このころからメディアは連続誘拐事件を匂わせた。この時期、捜査線上に、のちに逮捕される宮崎勤に繋がる情報は皆無だった。


元号が平成に変わった1989年2月6日、Aちゃんの自宅玄関前に段ボール箱が1個置かれていた。Aちゃんの父親がそのときの状況を語ってくれた。


「あの日は、午前5時半に会社に行こうとドアを開けたらズズーと何かに当たった感触がありました。近所の子供の忘れ物かなと思って中を見ると、これはまずいと直感しました。Aが穿いていたパンツの写真、遺骨らしいものや暗号のようなコピー用紙が入っていた。とても女房には見せられないと思いました」


拡大されたコピー文字には「A 遺骨 焼 証明 鑑定」と書かれていた。送られてきた子供の歯を見た瞬間、父親は娘の死を確信したという。


しかし、捜査本部が置かれていた狭山署は「発見された歯牙は、Aちゃんの治療時のカルテとは異なるものと認められる」ため、別人の歯牙と断定した。


だが、3月1日、狭山署は段ボールの人骨はAちゃんのものであると発表し、死亡が確定。3月11日には葬儀が執り行われた。


遺骨が入った段ボールが届いた直後、「今田勇子」の名で朝日新聞東京本社とAちゃんの自宅に「犯行声明」が郵送された。捜査の攪乱を狙ったのか、「子供を産めない女」を演じていた。


「私は、神に斗(たたか)いを挑まなくてはなりません」


Aちゃんの葬儀当日には、今田勇子からの「告白文」が届いた。犯行声明と同様に、朝日新聞社にも郵送されたことが葬儀会場内に広がり、騒然となった。ワイドショーは連日、「子供を亡くした中年女性」などと、今田勇子像を分析、解説した。

「娘はまだ元気で、子供の好きな人に育てられていると信じているのです」
3人の幼女失踪事件のなかで、まったく手がかりがなかった飯能市の小学1年生Bちゃんの母親(当時39歳)が、愛娘の写真を前につらい胸のうちを、切々とわたしに訴えた。


「昨年の12月にCちゃんが遺体で発見されたとき、一瞬でうちの娘だと思いました。Aちゃんの家に骨が送られて、歯型がAちゃんのものでないと発表されたときは、目の前が真っ暗になりました。


残された親御さんの気持ちが痛いほどわかるし、本当につらい毎日だったと思います。心のどこかで、もしかしたら同じ犯人では、との思いもあります。でも娘はまだ元気で、子供の好きな人に育てられていると信じているのです」


Bちゃんが行方不明になったのは1988年10月3日、Aちゃん失踪の約2か月後である。Bちゃんは午後1時50分すぎに友達と学校を出て、欠席した男の子の家に連絡帳を届けて帰宅。その後、外に出たまま足取りが途絶えた。有力な目撃者はいなかった。


Bちゃん一家は、飯能市に越してくる4年前まで、入間市のAちゃん宅から数百メートルのところに居住していた。だが、面識はなかったという。


「近所に住んでいたことが、今回の事件と関連があるとは思えないし、思いたくないです。街で行方不明になったAちゃんのポスターを見た娘は『かわいそうだね』と言っていました。まさか、その子が同じようにいなくなるなんて……。


お姉ちゃんは、今でも毎朝、Bのランドセルにその日の授業の教科書を揃えてやっています。私は夜、パジャマを着ません。いつでも飛び出せるように洋服のまま床に入っています。見る夢は、娘の元気な姿。かくれんぼをしていて、あの子がワッと笑顔で出てくるのです。つかまえようとしても手が届かない……やっぱり夢だったのか……。


誘拐した方にお願いいたします。どうか一言でも、一言だけでも元気な声を聞かせてください」


この母親の悲痛な願いは、悲しいかな、届くことはなかった。


6歳女児の全裸写真を撮り、現行犯逮捕された宮崎勤
わたしがBちゃんの母親にインタビューした3か月後の1989年6月6日。都内江東区の団地に住む5歳(当時)の女児Dちゃんが、近所で遊んでいるうちに行方不明になった。


5日後の11日午前11時ころ、飯能市の霊園で頭部や両手、両足が切断された幼女の遺体が発見された。その後の捜査で遺体はDちゃんと判明。想像を超えた猟奇ぶりに、列島は震撼した。


その翌月の7月23日、日曜日の午後4時35分ころ。東京都八王子市の郊外で、幼いふたりの姉妹に「写真を撮らせて」と若い男が声をかけた。不審に思った姉は、父親に助けを求めた。


近くの沢に妹を連れ出した男は、買ったばかりの一眼レフのカメラを構え、全裸になった6歳(当時)の妹にレンズを向けた。駆けつけた父親が偶然近くをパトロールしていた警官に身柄を引き渡し、強制わいせつの現行犯で逮捕された。


男は、26歳(当時)の宮崎勤。


8月7日、宮崎勤はわいせつ目的・強制わいせつで起訴された。9日、八王子署に派遣された特別捜査部員の追及に、宮崎勤はのらりくらりとあいまいな供述を繰り返していたが、夕食後にDちゃんの殺害を自供した。


8月10日、快晴。この日から所属していた写真誌編集部の夏休みが始まった。家族を車に乗せ、奥多摩湖に向かった。奇妙な縁だが、4人目の被害者Dちゃんの頭部が発見された吉野街道を走行していた。


「八王子市内でわいせつ事件を起こした五日市町の男が、Dちゃん殺害を自供」


カーラジオから臨時ニュースが流れた。心臓がばくついた。わたしは車を急転回させ、西多摩郡五日市町(現・あきる野市)へ向かった。





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なぜ東大や京大をハズしたのか…岸田政権の10兆円大学ファンドが東北大を選んだ残念すぎる理由

2023年09月25日 22時03分27秒 | 科学のはなし

なぜ東大や京大をハズしたのか…岸田政権の10兆円大学ファンドが東北大を選んだ残念すぎる理由(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース 

■政府に従う大学とすぐには従わない大学で明暗




なぜ東大や京大をハズしたのか…岸田政権の10兆円大学ファンドが東北大を選んだ残念すぎる理由
9/25(月) 11:17配信


プレジデントオンライン
防災功労者内閣総理大臣表彰式に出席する岸田文雄首相=2023年9月15日、首相官邸 - 写真=時事通信フォト


■年間予算500億円の東北大に100億円を配分


 大学の研究力を高めるために政府が創設した10兆円規模の大学ファンドの初の支援対象候補に東北大が選ばれた。昨年12月から公募を開始し、国立、私立の10大学が手を挙げた。最終候補に東大、京大、東北大の3校が残ったが、なぜ東大、京大が落選し、東北大が選ばれたのか。


【この記事の画像を見る】


 ここ20年にわたって日本の研究力は低下してきた。挽回の切り札として政府が打ち出したのが、この大学ファンドだ。


 政府の出資で10兆円規模のファンドを作り、その運用益を使って、文部科学省が「国際卓越研究大学」と認定した数校の大学を支援する。


 政府の計画では、約3~約4%の運用益を目指し、2024年度から年間3000億円を上限に国際卓越研究大学に配分する。配分期間は最長で25年間続く。


 今回選ばれた東北大は、その候補第1号というわけだ。


 東北大には、2024年度に100億円程度の資金が配分される見通しだ。この資金を研究や若手研究者育成に充てる。東北大の収入予算は1458億円(2021年度)。このうち国から東北大に配分されている予算(運営費交付金)は458億円で、これが100億円増えることを考えると、影響は非常に大きい。


■なぜ東大や京大は外されたのか


 政府は国際卓越研究大学の認定は、数校に限る方針だ。


 2000年代に入ってから政府は、経済活性化につながると思われる研究分野に手厚く予算を配分する「選択と集中」を続けてきた。国際卓越研究大学は、その大学版といえるだろう。


 ただ、実際にどれぐらいの規模の資金が国際卓越研究大学に配分されるかは、運用益次第だ。ファンドを運用するJST(科学技術振興機構=文部科学省が所管する国立研究開発法人)は2022年度の運用で604億円の赤字を出しており、苦しいスタートとなった。


 次回の公募について文科省は、「来年度中に開始したい」としつつも、「運用状況を勘案し、段階的に行う」と慎重な姿勢も見せる。


 世間の関心を集めたのは、なぜ東北大なのかということだ。


 最終候補の3校はトップクラスの大学であり、どこが選ばれてもおかしくないが、多くの人は、東大あるいは京大が選ばれると思っていたのではないか。


 英国企業「クアクアレリ・シモンズ」の最新版世界大学ランキングでも、東大28位、京大46位、東北大は113位と差が開いている。


 逆転現象が起きた理由のひとつは、文科省など政府の希望に沿った改革を目指しているかどうかだ。


 文科省は選定にあたって、経済界、学術界、外国人の大学関係者など10人の有識者からなる「アドバイザリーボード」を設け、審査をした。アドバイザリーボードの報告書を見ると、なぜ東大、京大が落選したか、理由が浮かび上がってくる。

■政府に従う大学とすぐには従わない大学で明暗


 報告書は東大に対してこう指摘する。


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〈既存組織の変革に向けたスケール感やスピード感については必ずしも十分ではなく、工程の具体化と学内調整の加速・具体化が求められる〉
〈「成長可能な経営メカニズム」の具体化に向けては、長期的・世界的規模のビジョンと戦略を構築する「法人総合戦略会議」の設置(などが求められる=筆者注)〉
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 京大には


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〈新たな体制の責任と権限の所在の明確化が必要〉
〈実社会の変化への対応の必要が感じられた〉
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 東大、京大は、経営改革や組織改革などのスピードの遅さや、全学としての取り組みが不足していることが問題視されている。


 一方、東北大については、


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〈改革の理念が組織に浸透している〉
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 と、評価した。


 文科省やアドバイザリーボードは、ガバナンス(組織統治)の強化、従来の慣習の廃止や見直しなど、徹底的な改革を大学に求めている。その大学像に向かって進む大学と、すぐには進めようとしない大学との差が今回の結果につながったと思われる。


 ただ、報告書は、東大や京大に対して、含みを持たせた。


 東大には


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〈今後、構想の具体的内容を学内の多くの構成員が共有し、全学として推進することが確認できれば、認定候補となりうる〉
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 京大についても


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〈構想の具体的内容を学内の多くの構成員が共有し、全学として推進することを期待したい〉
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 文科省など政府が望むように経営などのガバナンス強化をきちんと行えば認めるということだろう。


■「災害からの復興」というメッセージ


 東北大が選ばれたもうひとつの理由はストーリー性だ。最近、メディアなどで東北大がよく取り上げられるようになった。


 東日本大震災以後、政府は東北地方を科学技術や研究成果を生かすイノベーションの拠点にしようとしている。


 文科省は東北大の「東北メディカル・メガバンク機構」「災害科学国際研究所」や、東北大が中心になって進めている「ナノテラス(次世代放射光施設)」といった最先端研究施設新設を次々と支援している。


 東北大学が第1号になるというのは、そうした一連のイノベーション拠点政策の集大成であり、「災害からの復興」というメッセージ効果が大きい。こうした点も評価されたのではないか。


 大学ファンドに対しては、大学の研究者からかなり批判が集まっている。多くの大学や研究者が予算不足に悩んでいる。日本の研究力を高めたいのなら、数校に絞らずに幅広く支援すべきではないかというのだ。そうした意見が根強い背景には、開始前にどういう制度にするかを十分検討することや、議論が不足していることがある。


 政府が制度を作る際にお手本にしたのは、米国のハーバード大など、欧米のトップ大学だ。


 経営トップのガバナンスによる経営が行われ、大学独自の莫大なファンドの運用益を研究費などに使っている。政府はそこに着目し、日本の大学にもそうしたやり方を持ち込もうとしている。

■海外大学を真似ても成功するはずがない


 ただ大きな違いがある。欧米の大学の多額のファンドは、産学連携や寄付などによる大学自身のお金が原資になっている。一方、日本は巨額の税金が原資という政府丸抱えだ。


 どういう制度にするかを議論するために、政府は、まず内閣府に有識者会議を設けた。会議では、海外の大学学長経験者や関係者のヒアリングを行ったが、日本国内の大学については東大、京大、東北大、大阪大の学長経験者や、産学官からなる大学改革支援組織のヒアリングですませた。


 国際卓越大学の審査を行ったアドバイザリーボードのメンバー10人のうち半数は、この議論をした内閣府の有識者会議のメンバーだ。大学に大きな変革を求め、これからの日本の将来を決めるものだけに、審査する側の多様性や、大学の現場の声をもっと重視すべきではなかったか。


 ファンドを運営しているJST(科学技術振興機構)が初年度の運用で600億円を超える赤字を出したことも暗雲を投げかけている


 文科省は9月にJST法の施行令を改正した。これまでファンドの運用方法は株や債券だったが、新たに「金利先物」「上場投資信託オプション」「株価指数先物オプション」「金利先物オプション」など10項目を加えた。


 文科省はその理由として、「大学ファンドは元本の約9割が負債である長期借入金(財政融資資金)であり、さらに、毎年度の損益を確定させていかなければならないという性格がある」「よりきめ細かに損失のリスクを低減した資金運用を可能にするため」など、と説明する。


 だが、不確実で不安定さを伴う資金調達法であることに変わりはない。研究支援、若手育成にあまりふさわしいとは思えない。


■また同じ失敗を繰り返すのか


 これまでも、政府が税金を投じて、民間も走らせ、結果、頓挫してしまった例は多々ある。


 最近の例でいえば、三菱重工業を説き伏せて、国産初のジェット旅客機MSJ(旧名MRJ)を開発したが、開始15年後の今春に頓挫した。三菱重工は当初予定の1500億円を大幅に超える1兆円規模を投じたと見られている。


 民間にも資金を出資させて官民ファンドをたくさん作ったが、赤字を流し続けていたり、きちんと機能していなかったりするところも目立つ。
ビジネス感覚に乏しい官主導の問題点を露呈しているのではないか。


 大学ファンドについても、運用益を約3%~約4%と見積もったことに対して、経済関係者からは「甘すぎる」と批判が出ている。


 研究力の低下からの脱却は日本にとって喫緊の課題である。これまで通りの大学の在り方では、新しい時代にそぐわないこともある。ただ、甘い見通しと希望的観測が先行して大学を巻き込んでの失敗となると、日本の将来を潰しかねない。


 大学の組織改革や巨費のファンドだけで、研究力や大学の国際競争力向上につながるわけではない。研究に必要な予算をきちんと投じて成果を上げるためには、現場の意見をもっと聞きながら着実に進める必要があるだろう。


 税金を使う以上、国民への説明責任や透明性確保という問題があることも忘れてはならない。






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知野 恵子(ちの・けいこ)
ジャーナリスト

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【内閣改造の内幕】最大のサプライズは林芳正・前外相の交代 岸田首相は「4年後の政権禅譲」を確約か

2023年09月25日 20時03分58秒 | 政治のこと

【内閣改造の内幕】最大のサプライズは林芳正・前外相の交代 岸田首相は「4年後の政権禅譲」を確約か(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース 



【内閣改造の内幕】最大のサプライズは林芳正・前外相の交代 岸田首相は「4年後の政権禅譲」を確約か
9/25(月) 7:13配信

記者D:林さんは総理と会った後、厳しい表情で官邸を出て行きましたよ。
記者A:岸田内閣が4年後まで持つと思っていないからじゃないか。



NEWSポストセブン
G7外相会議の議長を務めていた林芳正氏だが…(写真/EPA=時事)


【政治部記者覆面座談会・第1回】岸田文雄・首相は低迷する支持率を挽回しようと過去最多に並ぶ5人の女性大臣を起用し、11人を初入閣させて人事刷新をアピールしようとしたが、各社の世論調査で支持率は横ばい、自民党内には人事の不満が高まる結果となった。


【写真】首元はスカーフ調のブラウス姿の加藤鮎子担当相。他、岸田文雄・首相と閣僚ら


 アテが外れた岸田首相は「支持率に一喜一憂しない」と言いながら国内向けに物価対策の新たな経済対策をまとめることを表明して訪米すると、国連総会演説で「核なき世界」を訴えて核軍縮に30億円、感染症対策などに75億ドル、アフリカ連合の平和支援に900万ドルの拠出を表明するなどバラマキ外交を展開、国内外で失点をお金で挽回しようと躍起になっているように見える。


 政治部ベテラン記者A氏は「まるで政権末期の改造」と語る。


「総理にとって改造人事が支持率回復につながらなかったのは誤算でしょうが、当然といえば当然。政権の骨格は変えられず、官房長官、財務大臣、経産大臣など主要閣僚は再任、初入閣組が11人といっても、女性大臣以外は組閣前に各派の領袖から推薦されていた大臣候補をほぼそのまま任命した。自民党伝統の派閥順送り人事で、新鮮な印象はない。


総理は当初、大幅人事を考えていたようだが、途中から保身のために安全策に切り替えた。だが、それが結果的に党内の不満を強め、政権の寿命を縮めたのではないか」


 内閣改造は政治部記者たちにとっても腕の見せ所だ。首相官邸が建て替えられるまでは、改造の時期になると官邸前に報道各社のテント村がつくられ、各局は特番を組んで取材合戦を展開した。現在はテント村こそなくなったが、改造前から人事情報が飛び交い、総理と自民党実力者たちの水面下の駆け引きが展開された。


 そこで本誌・週刊ポストは官邸詰めや自民党担当の政治部記者4人による緊急覆面座談会を開催し、改造の舞台裏を辿った。参加者はキャップクラスのベテラン記者A氏とB氏、取材の第一線に立つ若手・中堅のC氏とD氏だ。座談会で浮かび上がったのは、政敵をなんとか葬ろうとする総理と、総理を潰そうと計略をめぐらす自民党実力者たち、リーク情報に踊らされてそうした権力闘争に利用される大メディアの姿だ。


司会(編集部):取材していて最大のサプライズ人事は?


記者D:やはり林芳正・前外相の交代でしょう。林さんはG7外相会議の議長を務めていたから、途中で交代させるのは外交的にもマイナス。各社とも完全にノーマークで記者はみんな「エッ」と驚いた。

記者C:国連総会の直前のタイミングとあって、当の外務省の幹部たちでさえ当日まで林大臣は留任と思いこんでました。改造当日(9月13日)は外務省で岡野正敬・事務次官がオーストラリアの大使と面談する予定があったが、大使がやって来たときには大臣が交代すると聞かされた省内はパニック状態だったそうです。


記者B:岸田総理は交代の理由を聞かれて「外交は首脳外交が大きなウェートを占める」と言った。外交は自分がやるからいいんだというわけだが、説明になっていない。後任の上川陽子・新外相はハーバード大学大学院に留学し、米国上院議員の政策立案スタッフを務めた経験もあるというが、外交経験はない。いきなり外相会議の議長というのはいくらなんでも荷が重い。


記者C:総裁派閥の宏池会(岸田派)には、来年の自民党総裁選に向けてまとめ役がいない。総理は同派座長でもある林さんを派閥に戻して閥務を担わせることにしたといわれてますが、本当のところは、女性大臣を過去最多の5人にするにはポストが足りなかった。かといって他派の大臣枠を削ると不満が出るから、数合わせで岸田派の林外相がはじき出されることになったということでしょう。


記者A:総理は改造前日の昼前、官邸で林さんと30分ほど話し込んだ。そこで相当激しくぶつかったようだ。


記者B:衝突した? 林さんは派閥に戻ることを納得したんじゃない?


記者A:表向きは2人で「宏池会の未来」について話し合ったことになっている。が、林さんはその席で総理から、「どうしても降りてほしい」と外相交代を告げられても納得しなかった。そこで総理は、来年の自民党総裁選で自分が再選すれば、その次の4年後の総裁選には宏池会から必ず林さんを擁立すると確約したそうだ。つまり政権禅譲すると。同じ宏池会内での総理たらい回しの密約だから、「宏池会の未来」の話には違いないんだがね(苦笑)。


記者D:林さんは総理と会った後、厳しい表情で官邸を出て行きましたよ。


記者A:岸田内閣が4年後まで持つと思っていないからじゃないか。


(第2回につづく)


※週刊ポスト2023年10月6・13日号



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秋の夕暮れの境内ですが

2023年09月25日 19時03分07秒 | 日々の出来事
高麗神社の境内です⭐

まだ、真夏の蒸し暑さですが



9/16/2023
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やっと、ヒガンバナの群生地らしくなって来ました

2023年09月25日 09時03分45秒 | 日々の出来事

埼玉県日高市の巾着田祭です⭐
10月1日まで続きます。


9/18/2023
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