痒いの痒いの飛んでいけ

2024年05月23日 | 日記
痒みと蕁麻疹が出るようになって1年半。

病院に通って、いろいろ飲み薬を処方されてるのだが治らず。

血液検査をしても、何もアレルギーが無く、原因不明とのことだった。

蕁麻疹て、原因不明が多いとは聞くけど、1年半も治らないてどうなんだろう。

半年前には病院も変えた。

前の病院では、「もう飲み薬は効きそうにないから注射を打ちましょうか」と言われた。

聞けばその注射、1回打つのに2万円。それを月に3回打つのだという。しかも月に3回打つのを定期的に続けるというではないか。

無理だわ!

どこにそんなお金があるというの😭

そして病院を変え半年。

何も変わらず😢



時々こうして体中、あちこちが痒くなってくる。痒くなくても何かが体のどこかに擦れるだけで赤くなる。

たとえば洗顔でゴシゴシ洗った後の顔も、歌舞伎役者かいって感じで赤い線がいくつも出ている。


え…私の蕁麻疹て、何か病気の前ぶれなんじゃないの?って、不安になってしまう。


ていうのは、こういうことがあった。


3月に、私は喀痰吸引の講習会を受けに行ったのだが、実技を人前でしなきゃならない日に、手に蕁麻疹が出ていて恥ずかしかったので、その時居合わせていた方々にチラッと言っておいた。

「すみません、私、蕁麻疹でこうなるんです…」

すると私より少し年配の女性が、

「あ、私もそうでしたよ!」

と言った。

「え!そうなんですか?治ったんですか?」

と聞くと、その女性、

「あ…でも私はその後、大病をしてしまって…」

と、急にトーンダウンな口調になった。

「え、大病て何のご病気だったんですか?」

「あ、うん…ちょっとね…ああ、ごめんなさいね、怖がらせて」

ええぇー!教えてくれよー!気になるじゃないかー!

と、心で叫んだが、しつこく聞く雰囲気ではなかったので聞けなかった😣

あの講習会でしか会えない人だったから、いまだに気になっている。

でも何の病気かわからなかったけど、治って喀痰吸引の講習会に来れる状態なんだろうから、良いように考えよう!

大丈夫大丈夫、うん!


ただ、そうは言っても蕁麻疹はひどくなる一方のような気がしていた。

痒くて1番辛いのは寝る時。痒くて痒くてよく眠れなかったりもする😣

それでも…

毎月通っている皮膚科の担当医が、この前は何かで居なくて別の医者だった。

40代後半ぐらいの女の先生で、カルテを見ながら私の蕁麻疹の状態を見てこう言った。

「たかぽんさん、蕁麻疹は必ずいつか治りますからね。いろいろ薬を組み合わせて合う薬を探して、根気よく治療をしていきましょう」

え!

嬉しかった。今までそういうふうに言ってくれる医者はいなかったから。

何だか涙が出そうになった(;_;)

そしてこうも言われた。

「たかぽんさん、できるだけストレスから離れた生活を心掛けてくださいね」

それもまた涙が出る。

とにかくあの先生、また次回も担当してくれないかな。

いつもの先生は実はどこか怖くて😅 また薬が効きませんでしたって言いづらくて。このまま休み続けて、なんならやめてくれないかな。笑


ところで昨日はストレスまみれの自分を癒すために、プチドライブをして可愛いポピーを見て来た😂

蕁麻疹の赤じゃなく、愛らしいポピーの赤い大群🌼🌼🌼

たまに私の好きなピンクもそっと混じっていて可憐だった💠












そうだねそうだね。こうして自分を癒すゆったりした時間も過ごそう。








私の母、私も母

2024年05月18日 | 日記
先日は、また実家の母の元へ行って来た。

でも、今回夜は母の部屋ではなく隣の部屋で寝た。

普段泊まる時は一緒の部屋で、夜中に何度も排泄やらとりとめの無い用事やらほぼ私を眠らせてくれない母。

だからか母は、

「同じ部屋じゃ寝れないだろうから、今日は別の部屋で寝て」

と筆談してきた。

同居の家族達の話だと、排泄は夜中に自分でパット交換してるとのこと。

それでも私は母が夜中に自分一人でやってるのは心配で、

「来た時は私が手伝うから一緒に寝るよ」

と言った。

すると母は眉毛をひそめて『大丈夫』というジェスチャー。

「じゃあ隣の部屋で寝るから、何か困った時はスマホを鳴らしてね」

と言って隣の部屋で寝た。

その1時間後、隣の部屋から母の声が。

「あー!あー!あー!」

飛び起きて行ってみると、両手を私の方に差し出し、「起こして」のジェスチャー。

え、こんな感じなのに一人でどうやって過ごしてるんだろうと思いつつ、母を起こして座らせた。

「どうしたの?」と聞くと、さっきまで騒いで大声をあげていたのに、まるで我にかえったように静かになって私を見た。

「寝る?」と聞くと、うなずいて、また何事もなかったように横になった。

呼ばれたのはその時だけで、あとはまったく呼んでこなかった。

明け方にトイレに起きたついでに母の部屋を覗くと、母は自分でどうにか頑張って起き上がったようで、ベッドに座り本を読んでいた。

その姿を見て、なんだか涙が出そうになった。

今までなら夜中に私を寝かせてくれず、頼りすぎるくらい頼って、そしてイライラをぶつけてくる母。

もう迷惑をかけたくないという気持ちだったんだろうけど、辛い病気なんだからそんな気を遣わなくても…

母が可哀想で本当に悲しい。


翌日、車で母を週1で通うデイサービスに送った。

実家の家族が母をデイサービスで通わせることは、私は疑問だった。

ただの高齢者ならまだしも、ALSの母をデイサービスに行かせるのは何かと可哀想過ぎて…

デイサービスといえば、皆で歌ったり体操をしたりゲームをしたりして過ごすのが定番。

母は歌うどころか喋ることも出来なくなったし、体操やゲームをする体の力も無い。

デイサービスに行っても母は辛い気持ちになるだけだと、私もそして私の妹も心配だった。

実際母はどういう想いで行っているのかわからないけど、送る時、少なくても楽しい気持ちには見えなかった。

やるせないような気持ちで母を送った後、母の部屋を掃除して、私は自分の家に帰って来た。


こうして離れていても、いつも母のことを考えている。


そんな中、昨日、なんと息子から可愛らしいカーネーションが送られて来た🌸



「送るの遅くなってごめんね」の方が「ありがとう」より目立つカード。笑


ついこの前母を見て涙が出たけど、昨日は息子から花をもらって嬉し涙が出た(;_;)

実は息子から花をもらうなんて初めてのこと。

ていうか母の日のプレゼントってもらった記憶が無い😅


社会人になって離れてみて、少しは私を想うようになってくれたのかな😁


息子から励まされた気分。

母のことはあるけど、少しは明るく元気でいないとね!















母との2泊3日間

2024年05月13日 | 日記
先日、実家から母を私の家に連れて来た。

といっても2泊3日間だけだけど。

昨年、残酷な難病、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症してしまった84歳の母。

現在はまだ寝たきり状態ではないけど、いずれこの難病はそうなる。呼吸さえいつか自発では出来なくなる。

今は話すことはまったく出来なくなり、それでも手はまだ動くので筆談でのコミュニケーションを取っている。

立つこと歩くことに関しては、自力では出来ない。


働き者だった母、じっとしてることなんてなかった母が、気力も薄れ表情も乏しく、日中をほぼソファーで過ごしている。

外に出るのは通院の時ぐらい。

それで私は母を私の家に連れて来て、変化を感じて欲しいと思った。

ただ、ちょっと遠い。

実家からウチまでは車で片道2時間弱。

病気になってからというもの母は、ひとが変わったように怒りやすくなった。

長い時間の車の中で、イライラするんじゃないかな。心配。

でもまあ、それは大丈夫だった。

車の中であれこれ会話をしながら(母は筆談)無事に家に到着。

一泊目は私の息子にも来てもらっていた。

この春息子は、車で更に1時間半行った町に就職した。

連休中は、お付き合いしている彼女と楽しく過ごしていたようだが、おばあちゃんが来る日は帰って来てくれた。

私が母を連れて家に到着した時息子が居たのはかなり助かった。

何しろちょっとした段差が上がれない。

私一人では玄関さえも大変だったと思う。

ちなみに帰りの日は私一人でもなんとか大丈夫だった。上がるのと降りるのとではやっぱり勝手が違う。


…と、あら、なんか母が来た時のことを書き始めたら、このままじゃ長ーい内容になってしまうなあ😅

いろいろ割愛。

書きたいことたくさんあるけど省略😅✋


母と過ごして大変だったこと二つ!

まずは排泄介助。

実家のトイレだと、広いし、掴まる所も作り、介護用トイレに改修して、なんとかトイレは自分でできてるようだ。

でも、私の家のトイレは狭いし介護用じゃないし、掴まる所も無い。

これでは母一人では出来ないから、介助に私も母と一緒に入った。

が、狭い。

身動きが取れない😣

しょうがないので、トイレには入らず、紙パンツに用をしてもらい、立った状態で私が交換することにした。

しかしながら交換中にいろんなモノが私の手や腕にタレてきたり😅、短時間で替えないとヨロヨロしてる母だから、転んだら大変と毎回焦った💦

ついに娘にこんなことをさせるようになってしまったかと、きっと母はそう辛く思ったと思う。

母のプライドを守りたかったけど、仕方がない。

せめて安心して頼ってもらいたくて、

「お母さん、私はヘルパーの資格を持ってるんだから、ぜんぜんこういうことは慣れてるんだよ😄」

と、言った。母はうんうんと頷いていた。

とまあ、排泄介助はそんな感じでやったけど、今回何が大変て、母が夜寝なかったこと😱

ウチはちゃんとしたベッドが無い。

でも、息子が大学時代アパートで使っていた脚つきマットレスがあったので、それに寝てもらうことにしていた。

だが、スプリングがボヨンボヨンと弾むもんで、母は寝心地を嫌がり、ソファーに寝ると言う。

私は普段2階で寝ているが、母が居る期間は私もリビングで寝ることにしていて、私がソファーに寝るつもりだった。

でも私がベッドに寝ることになった。多少ボヨンボヨンするけど、ソファーよりはのびのび寝れるんだけどなあと思いながら寝た…

が、母が「あー、あー、あー」と声を出してすぐ私を起こした。

何?と聞くと、「そっちのソファーに移りたい」と筆談で言って来た。

ウチには古いソファーか二つあり、別のソファーに移ると言うので支えて違う方に移動した。

「じゃあおやすみなさい」と寝たのだが、数分後にまた「あー、あー、あー」と呼ぶ。

何?と言うと、やっぱり違うソファーがいいと言う😱

もぉー、と多少イラつきつつ、また母を支えて移動。

そして寝ようとすると、また数分して「あー、あー、あー」が始まる😱

いっそ寝たふりをしてみた😅

すると、今度は怒ったように「あー!あー!あー!」と大声。

何よ~?と聞くと、「オムツ濡れたから交換して」。

はいはい、それはしょうがないねと、交換して、やっと寝せたと思ったら、またしても私を呼ぶ。

なんとまあまた別のソファーに行きたいとのこと。

「いい加減にしてよ!」と、つい怒ってしまった。

でも、可哀想だからまた支えて移動。

そしてその後すぐ、オムツ交換したいと言って来て、交換して寝たかと思うとまた起こされ、

結局一睡も出来ずに朝を迎えた😱

私は頭痛いわフラフラするわだけど、息子に母の相手してもらっている間に朝食準備。

母のはすべてミキサーにかけ、トロミを入れる。母は飲み込みの力も弱っているから、誤嚥しては大変。

食事の後は、引き続き息子におばあちゃんを預け、食材の買い物をして来た。

そうそう、母が寝なかった夜中、実は母を支えて立たせる時、眠くて私と母の力が弱っていたのか、1度母がソファーからズリ落ちた。

床に倒れた母を私は起こすことが出来ず、寝ていた息子を呼んで起こしてもらった。

やっぱり力仕事は男が居ないとねぇ、とその時は良かったのだが、

なんと2泊目の夜中も同じ事態になった。

しかし息子は二日目は次の日から仕事なので帰ってしまっていた。

どうにかして私が起こすしかない。

あの時は我ながらすごかった。火事場の馬鹿力とはこのことか!て気合で母を抱えてソファーに戻すことが出来た😭

あれをもう一回やれと言われたら無理だわ。どこからあんな力が出たんだか。

そんな2泊目の夜は、1泊目の夜よりは母が頑張って私を起こさないようにしてくれた。

とはいうものの4.5回起こされたけど😅、まあ1泊目に比べたら。

ただ、2泊目の夜も起こされた時、またしてもつい母を怒ってしまった😢

「寝せてくれないとさすがに二晩徹夜は私だってキツいよ!明日はお母さんを送って運転しなきゃならないんだよ!危ないことになるじゃない!」って。

「眠れなかったら本でも見て!」って言って、昔買ったシルバー川柳の本を母に渡した。



なかなかユニークな川柳が載っていて、きっと母もクスッとしてくれるんじゃないかなと思った。

その後、私は3時間ほど眠れたけど、母はやっぱり起きていたようだ。

しかも明け方誰かに電話をかけていた。

私は半分眠りながらその光景を見ていた。

喋ることが出来ないのに、誰に何処にかけているんだろう…

と思いながらまた眠った。


そして翌日、母を実家に送って行く日になった。

たった2泊3日間なのに、寝不足のせいかどこからが一日の始まりか終わりかわからないような長い2泊3日だった。

帰る途中、「花苗を買いたい」と母が筆談で言うので道の駅に寄って、車イスを借り、母を乗せて見て廻り、母が選んだ花苗をいくつか買った。

ちょっとの時間だったけど、母にとっては花を選ぶなんて久し振りで嬉しかったんじゃないかなと思う。

実家に無事に着くと、同居のお嫁さんが言った。

「今朝4時に、お義母さんが家に電話をよこしたんだよ!」

え…😅

今朝の電話は実家にだったんだ。

何も喋ることが出来ないけど、ただ実家の電話のベルを鳴らした母。

私に怒られ、ホームシックになったのだろうか…

もっと優しくしてあげれば良かったなあと反省しつつ家に帰ったあと、母と過ごしたリビングを見渡してなんだか涙が出た😢

そして、ウチに滞在中、母が筆談で使っていたメモ帳を見た。

え!

シルバー川柳に書かれていた中から
母がこんな句を書き写していた。

なんでこんな句を…

涙が止まらなかった。

























明日、母を迎えに行く

2024年05月04日 | 日記
昨年、難病ALSを発症した母。

実家の弟家族(母からみれば長男家族)と暮らしていて、私は時々帰って母を看ている。

今の症状は、もうだいぶ前から喋れなくなったことに加え、手足、特に脚の筋力もかなり落ちてきて、自力での歩行が難しくなった。

食事は流動食。でもそろそろ口からは限界が近づいているようにも見える。

排泄に関しては、流動食ということもあるためか、膀胱の筋力の低下のせいか、トイレの回数がかなり多い。漏れもあるので夜間だけではなく常に紙パンツになった。

そういう身体的なことだけではなく、気力も無くなり、そうかと思えばイライラして怒りやすくなった。

病気をする前は、いつも明るく元気で笑顔が多い母だった。

病気が母の性格まで変えてしまった。

もしかしたら鬱にもなっているかもしれない。

そりゃあ鬱にもなる。

こんな残酷な難病にかかってしまい、筋力を徐々に失ってきて、普通に出来ていたことが出来なくなっていき、母はどれだけ絶望していることか…

今はまだ寝たきりまでにはなっていないけど、一日の大半をソファーで過ごしている。座ったり横になったりの繰り返しだけ。無表情で…

本当に辛い。

なんで私の母が…


今は病院に行く時しか外出の機会が無い母。

明日は私が泊まりに行くのではなく、母を私の家に連れて来ることにした。

車で片道二時間、大丈夫かな。

長い時間車に乗っていて、イライラされそう💦 

「疲れた」「お腹空いた」「トイレに行きたい」って怒りそう。

そんな母じゃなかったけど、病気になってからは、わがままな子どものようになってしまった。

そして喋れなくなったもんだから、「あー!あー!あー!」と叫ぶ。伝わらないと怒鳴るように、或いは泣き叫ぶように。

そして1番心配なのはトイレ。

前、実家の方に介護保険で車イスをレンタルした方がいいよと言っていたのだが、まだレンタルしていないようだ。

車イスが無いなんて本当に困る。道中、トイレにも連れて行けない。

家の中のトイレならまだしも、出かけ先のトイレまでの距離は、私が支えても歩けない。

ホントに車イスをレンタルして欲しい。


さて、私の家に連れて来て、今回は2泊させてみるつもり。

なぜ2泊って、母は夜、眠りが浅すぎて、ほぼ私は徹夜になる。私ひとりでは2泊が限界💦

実家に泊まりに行くと私は母の部屋で寝るのだが、なんと5分おきに、「あー!あー!あー!」と、私を呼ぶ。

何かしら用事を筆談で言って来るのだが、トイレ介助等だけならまだしも、たまに「今何時?」とか時計見ればわかるでしょうよーって思うことまで聞いてくる。

更には私を大声で呼んでいながら「なに?」って言うと「なんだったか忘れた」って答えることもあり、寝かせてくれーってさすがに私もちょっと頭にくることも😣

今はそんな母だから、明日からどうなることやら。
 

でも、大変、辛い、苦しい、悲しい、という感情は心の奥にしまっておき、できるだけ明るく過ごそうと思う😄

そうじゃないと介護は滅入る。

母にも伝わってしまうし。


まずは片道二時間の珍道中(?)も含め、

母よ、私がついている、大丈夫。(←ホントに?😅)




































レコードどうしようと考える昭和の日

2024年04月29日 | 日記
先日実家に帰った時に見つけた、ゴミ袋に入って捨てられる寸前になっていた私のレコード。

レコードプレイヤーも無いし、そのまま捨てられてもいいかなと思ったけど、

やっぱりなんとなく救済して連れて来てしまった。




小学3年生の時に、テレビで初めて見た瞬間、ファンになった私の永遠のアイドル。

初めて買ったレコードは、やっぱり郷ひろみで「裸のビーナス」。4年生の時だった。

LPレコードを並べてみた。


あれ?少ないな。こんなもんじゃなかったぞ。



ゴミ袋の中のレコードを全部出してみたけど、あれも無いこれも無い。

中学生の時、この世の全てのレコード作品においてナンバー1だ!と思い込んで陶酔した原田真二の「フィールハッピー」も無いじゃないのよ!(そんなに好きならなぜ実家に置きっ放しにしてた)

あと、私が中学生の時、世は洋楽ブーム。洋楽は私もいろいろ買った。それも無いわ。

そっか、レコードが入ったゴミ袋、もう一袋あったんだな。既に捨てられたか。

仕方ない。諦めよう。


洋楽や昔でいうニューミュージックもたくさん持っていたけど、やっぱりアイドルレコードも。

ちょっと70年代の物の一部を並べてみた。



どうよ!(何が)


天地真理とかファンだったわけじゃないけど、この「思い出のセレナーデ」がアイドルらしからぬ名曲でね、片平なぎさのこの曲も名曲。




郷ひろみ郷ひろみと言いつつ、豊川誕とか荒川努とか川崎麻世とかも当時ちょっとファンだった😝

わかる人はわかる、メッツとかジャニーズジュニアスペシャルとかのもある!


それはそうと、

どうしよう。このレコード達…

捨てるべきか捨てないべきか、

それが問題である🤔

レコードプレイヤー買う?

いやいや今さら…

それとも売りに行ってみる?

写真にある70年代だけじゃなく、80年代ものもたくさんあるから、80年代ものなら少し売れるかな。

でも持って行って売れなかったらちょっと恥ずかしいな、すごすごと持って帰って来なきゃならないのが。

いや、でも捨てるよりは試しに持って行ってみようかなあ。

ああ、でも郷ひろみのLPでまた聴きたいのもあるなあ。

安いプレイヤー探して買おうかなあ。

うーん…