今までにない年末

2019年12月30日 | 日記
気がついたんだけど、こんな自由気ままな年末って、半世紀以上生きてきて初めてだ。

まず、今仕事をしていない。

パートでいろいろ働いてる頃はサービス業や介護関連だったから、年末だって仕事があった。

パートに出てない頃は息子の世話などもあったり、あ、一応ダンナの世話もか。

独身の頃は、実家が商売の家なので、自分の仕事もやりつつ家の手伝いでバタバタしてた。

ああそうだ。年末とかお盆とかって、商売の家に生まれた者は大っ嫌いなものなのだ。ただただ忙しい。

商売の家の子じゃなきゃよかった!といつも思ってていて、いつだったかな、たぶん小学校高学年が中学1年生の頃だったと思うんだけど、何かで反発して、母に

「店なんかつぶれてしまえばいいんだ!」

て言ったことがあった。

そしたら母にひっぱたかれた。笑

まあ私が今まで生きてきて、母に反抗したのは、あの時の1度きりだったと思う。

今も実家は忙しくしてるだろうなあ。

お盆は手伝いに行ったんだけど、年末は行かない。

遠い実家に行くには、冬は大変過ぎるから。
雪や凍結の峠を越えていかなきゃならなくて、それはもう命がけなのだから。笑

そうして今年の年末は、無職な上に息子は東京に遊びに行ったまま。

ダンナは入院してるし、遠距離介護していたカヅさんはもう居ない。

カヅさんが亡くなった後のいろいろな整理もほとんど終わって、今はひと息つけている。

てことで、このところ自由はプチ一人暮らしを送っている。

まあ、ちょちょっと年末の掃除をして、神社に御札を納めて新しい御札に交換してきて、あとは自分のことと雪かきをしてるくらい。

あとは申し訳ないほど好きなように過ごしてる。

自由過ぎて罪悪感。

そろそろまた仕事しなきゃね。

でも、こんなのんきな年末って今までなかったから、たまにはいっかな。



















いのちの歌

2019年12月29日 | 日記
先日たまたまテレビで「歌唱王」という番組を観た。

歌の上手い素人のコンクール的な番組で、前からやっているそうだが、私は今回初めて観た。

皆上手くてびっくり。

世のだいたいの歌手より上手いと思う。

そんな中、私は男子大学生が歌った「いのちの歌」という曲に感動した。

その大学生の声も素晴らしいのだが、曲自体に感動した。

そして、竹内まりやの曲ということも初めて知った。

その後YouTubeで竹内まりやの「いのちの歌」を聴いたら涙があふれた。

歌を聴いて泣けたのは、中島みゆきが歌う「宙船」をラジオで聴いた時以来。

あの時は鳥肌が立ったものだ。鳥肌が立ちながら涙が出た。

「いのちの歌」は鳥肌が立つのとは違う感動。ジーンと心に沁みてくる感じ。そして、はらはらと涙が出てくる。

いやもうこんな感動的な曲を作ってくれて、竹内まりやにありがとうだ。










未明にはまた雪が降るらしい

2019年12月27日 | 日記
今日は昨夜から降り始めた雪が、一日中降っていた。
大雪警報も出ていて、朝から雪掻きに追われた。
まだそこまで寒くはないから、湿っぽい雪が重い重い。

午前中は息子にも手伝わせた。

斜め向かいのお喋りおばさんが、自分ちの雪掻きをしてる手を止め、

「奧さん、〇〇くんがいて助かるねぇ。〇〇くんはホント礼儀正しくて良い息子さんだよねぇ」

と褒めちぎってくれたが、いやいや実はあれでいて意外な面もあるんですよと言いたい。

ただただ大人しいイメージを持たれがちな息子だが、先日こんな事もあった。

ウチの隣の家は敷地をアスファルトで敷き詰めているのだが、このところ劣化してそのアスファルトがところどころ剥がれている。

私の家の敷地はアスファルトじゃなく砂利を敷いてるだけなのだが、いつぞや、コンクリートの欠片があった。

なんとなく察しはつく。

隣のジジイがウチに放り投げてきたのだろう。

でも面倒なことにはなりたくないから我慢して、そのコンクリートの欠片をウチの敷地の裏に置いた。

だけど先日はもっとデッカいコンクリートの破片が大胆にウチに置かれていた。

さすがにムカつく。

今回は、私は何気にウチと隣の堺に移動させた。

そして息子にそのことを話すと、

「え、なんで?」

と言って、何をするのかと思いきや、そのコンクリートの破片を隣の敷地に向かって蹴った。

しかもその時の息子の眉毛がつり上がっていた。笑

いや絶対私にはできないや。

こんな大胆なことをいつの間にか平気でできるようになったんだな。

それと隣の植木や花の枝が、完全にウチの敷地まで伸びて歩く時も邪魔になっていたのだが、その枝も、

「俺が切ってやる」

と切りに行こうとしたので、さすがにそれは止めた。

その代わり私がその枝を無理やり隣に向かって曲げてウチの敷地から追い出してやった!夜にコッソリね。イヒヒ。

ま、切ったわけではない。枝をグニャッと戻しただけ。フンッ!

これで隣からのコンクリートと枝の迷惑ブツは親子で退治した。

さてそんな息子だが、今日の午後からは東京に行った。

れいによって、明日からはコミケだから。

大晦日の夜まで帰って来ないそうだ。

今回は長いな。雪が降ったらしばし一人で雪かきか。

雪かきの時、隣のジジイと顔つき合わせたくないな。



























今年最後の眼科通院

2019年12月23日 | 日記
今年の1月、右目に網膜剥離が見つかってレーザー手術をした。

幸い初期だったから日帰りのレーザー手術で済んだのだが、もし進んでいたら入院して本格的な手術をしなければならなかった。

こわいこわい。

でも今だって怖い。

眼科には定期的に通わなければならなくて、毎回診察の時はドキドキする。

特にこのところ右目に映る黒いモヤッとしたものが気になって不安だった。

網膜剥離が判った時も、右目にいつも黒いモヤッとしたものが視界にあったから。

そして今日は通院の日。

怖かったけど、覚悟を決めて眼科に行った。

いつものように検査前に瞳孔を開く薬を目に入れて診察。

先生がレンズ越しに私の目をいろいろな角度から診る。

ドキドキ…

「うん、まあ…」

ドキドキ…

「大丈夫でしょう…あ、レーザーね」

「えぇっ!?」

レーザーという言葉にびっくりして私は先生を見た。

「いやアナタじゃなくて」

と先生。

そう言う先生の目線を見ると、私の後ろに看護師さんが居た。

どうやら別の患者さんのことで看護師さんが先生に確認に来たタイミングで「あ、レーザーね」と言ったようだ。

「いや、たかぽんさんは大丈夫だから。黒いものは、もうしょうがないものなんでね。ハイじゃあまた二カ月後に来て下さい」。

そうですか。ああ、良かった。

ていうかあのタイミングで「レーザー」て言われたらそりゃびっくりしますから先生。

とりあえず、黒いモヤッとしたものはもうしょうがないものなんだと解ったから、またひとつ元気になった!
















アン・ドゥ・トロワ

2019年12月22日 | 日記
今日はダンナの外出。

先日、閉鎖病棟から開放病棟に移った。

前に居た開放病棟は最悪だったのだが、もう一つ開放病棟があって、今回はその初めての開放病棟だ。

どんな感じだろうと心配だったのだが、普通だった。

良かった。普通で。

やっと病院らしい病棟だ。

この普通の病棟に居るために、ダンナにはもう問題を起こさないように過ごして欲しい。

だけど気になったのは、今日のダンナは異様なくらいぼんやりしていたこと。

なんか、いつも以上に話し方がおかしい。

ついこの前の四十九日と納骨式で会ったダンナはまだ話がまともだったし表情もあったのだが、今日はそれがどちらもなかった。

食欲だけは相変わらずだったが。

それでいてこんなことを言った。

「俺が死んだら二人は泣いてくれるのかな」

え?

何言ってんだ。

「何言ってんのっ?」

とだけ言ったらダンナは黙っていた。

もしかしたら、ダンナの母カヅさんが亡くなって、今になって実感してきて落ち込んでるんだろうか。

それとも強い薬に変わったのだろうか。

いつも以上にボンヤリして気になった。

そういえば、先日家にあるCDを整理していたら、ダンナが買ったキャンディーズのCDが出てきた。

若い頃、キャンディーズのファンだったダンナ。

車の中で聴かせてあげようと思って持って行ってかけた。

それでもやっぱりボンヤリダンナ。

運転は息子がしていたのだが、初めて聴くキャンディーズの曲に、

「なんか70年代の歌謡曲って、洋楽の影響受けてる感じだよね」

と言っていて、なるほどそうかもと思った。

それにしても、今どき車でキャンディーズのCDを聴く三人家族のエヅラ。笑

「春一番」とか「年下の男の子」のような、いかにもって感じの代表曲より、私は「哀愁のシンフォニー」が好きな曲だった。

キャンディーズのファンだったわけじゃないが、その「哀愁のシンフォニー」が流れてきた時に懐かしくて、「この曲好きだったんだよー」とか息子に言ったりしていた。

するとそのうちに、聴いたことがあるような無いようなイントロが流れてきた。

私は、

「ん?この曲は何だったかな…」

と一人言のように言うと、ボーッとしていたダンナが突然ひとこと。

「アン・ドゥ・トロワ」。

「あ、そうだ、そんな曲あった」。

てゆうかイントロが少し出て来ただけで答えるダンナ。

まだまだ大丈夫だダンナ。