通院

2019年05月30日 | 日記
眼科と内科に月1度、歯科に二カ月に1度、それぞれ通院している。

内科は高血圧の治療のため、歯科はボロボロの歯がこれ以上酷くならないためのメンテナンス、

そして眼科は、今年1月に網膜剥離になったため。

幸い網膜剥離は初期だったため、レーザー治療で事なきを得た。

レーザー治療の経過観察と、他に剥離になってないか診てもらうため、月に1度通院することになった。


今日は眼科に行く日だった。

毎回眼科に行くのは緊張する。

また網膜剥離が見つかるんじゃないかとか、レーザー治療が上手くいってなかったからやっぱり手術になりますと言われるんじゃないかとか、

緊張と不安で眼科に通院している。

今日も緊張しながら診てもらった。

しかし今回も大丈夫だった。ホッ。

治ったわけでなく、まだ視界には黒い影が映るからこれが悪化してるんじゃないかと怖かった。

また来月の通院時はドキドキするんだろう。



通院といえば、姑のことも定期的に消化器内科に連れて行っていた。

でも、もう立つこともできなくなった姑を、これからはどうやって通院させたらいいんだろう。


今入院している病院から、今日、電話が来た。

リハビリをする意欲が本人にないため、これ以上病院では何もできないのでそろそろ退院して欲しいという趣旨の内容だった。


そう言われても…


寝たきり状態の姑を、これからどこでどうしたらいいのか。


病院からの話しだと、この状態では家で家族がみるのはもう無理なので、受け入れの施設を探して下さいとのことだった。


















憎たらしいがハッピーバースデー

2019年05月29日 | 日記
姑は相変わらずベッドから起きる筋力は無いが、点滴も取れ、少しだが口から食事を摂っている。

腸閉塞も肺炎も今は治った状態だが、認知症が更に進んでしまった。

誰のことも、もう憶えていない。

あんなに可愛がってくれた私の息子、孫のことも忘れてしまった。

以前なら、忘れても写真を見せれば「ああ、○○ちゃん(私の息子の名前)か」と思い出していたのに、

今は写真を見せても首をかしげ、

「誰だかわからない…」

と言うようになってしまった。

更には、

「この前の日曜日は○○さん(姑の娘である義理の妹)が来たみたいですよ」

と言ったのに、

「○○さんて誰だ?」

と言っていた。

「おかあさんの娘ですよ」

と教えても、

「…わからない」

と、自分の娘のことも忘れてしまっていた。


もしかしたら、こうして会話をしていても、本当は私のことも誰だかわからないのかもしれない。

でも、混乱させては可哀想だから、

「きっと会えば思い出すから大丈夫ですよ」

と言っておいた。


愛する孫のことも実の娘のことも忘れてしまった姑だが、

一応ダンナの名前を出して聞いてみた。

「○○のこともわからないですよね?」。

しかし姑、

「それはわかる」。

ちょ、そうなんだ。

「憎たらしいから忘れない」。

姑キッパリ。笑


いろいろ自分の息子から苦しめられていた姑。

嫌な思い出が今も刺激になって、忘れられないのだろう。

そんなことは忘れて欲しいのに。

バカ息子のことは忘れなくて、

可愛い孫のことと、優しい娘のことは忘れてしまうなんて…


姑よ、そんなアナタの憎たらしい息子は
今日、61歳の誕生日ですよ。








給与六千円

2019年05月25日 | 日記
ずっと休んでいる職場から、先月に続き給与明細書が送られて来た。

6千円 笑

4月の勤務は1日しか行ってないからしょうがない。

5月はまったく行ってないから、来月からは0円になる。

ついに無職になる。

一応、勤務先にまだ名前はあるから、肩書き的には無職ではないのだが、働いてないから実質無職者だ。

いつかまたあそこに戻りたいような、戻りたくないような、それでもまだこの状況だから戻れないような、でも…

複雑な心境と、予定が立たない現実と。


施設の子ども達はみんな元気かな。

ヒロキもちゃんと仕事してるかな。

新しく入った若い職員は慣れたかな。


給与明細書を送ってくれた担当の上司にLINEをした。

『給与明細書、受け取りました。ありがとうございました。皆さんお元気ですか?』

するとすぐ返事が。

『届いたんですね。よかったです。はい、元気ですよー。』


そうか。元気なんだ。

なんか、それはそれで寂しいな。










自然という準備

2019年05月24日 | 日記
昨日は無事、姑の入院先を転院した。

大きな県立病院で安心感があったから、まだしばらくそこに入院させていたかったのだが、

腸閉塞と肺炎自体は治ったから退院しなければならないと促されている雰囲気だった。

そうはいっても筋力が弱り、寝たきり状態になってしまった姑。

更には本人に動かなければという意欲も無い。

このままの状態では私もどうしたらいいかわからないので、リハビリをやっている病院に転院した。

寝たままストレッチャーで介護タクシーを使い転院したのだが、介護タクシーって助かるなあと思った。

運転手さんがすべてテキパキとやってくれてありがたかった。


そして転院先の病院で入院手続きをした後、担当の看護師さんからいろいろ聞かれたり説明があった。

「今、一番心配してることは何ですか?」

と聞かれ、

「寝たきりになるんじゃないかと心配です。腸閉塞が治っても、ちゃんと食べれてる様子もないし、自分では動けなくなってしまったし、こちらでリハビリをして、なんとか少しでも入院前のようになって欲しいんですが…」

と私は答えた。


しかし看護師さんは眉間にしわを寄せて「ウーン…」と首を少しかしげた。


「リハビリというのはですね、本人にやる気があってのことなんですよ。ましてや40歳50歳とかならまだしも90近い年齢なんですよ。リハビリもだし食事も本人が嫌がるのを無理にはさせられません」


え・・、まあ確かにそうだけど・・


「そうすると姑はずっとこのままってことなんですか?」

「もちろん私達も努力はしてみますが、そういう可能性はあります」


そうなんだ・・


「そして、あとは自然に任せるということでいいですか?」


え?


「自然に任せるというと?寝たきりにってことですか?」


「それもそうなんですが、やはり動かない食べないとなると、この先どんどん内蔵の機能も弱っていきます。そうするとこのまま自然に亡くなるかもしれません。これを老衰というんです」


私は看護師さんの話を聞きながら涙がこぼれた。

「老衰」という言葉にハッとさせられ悲しくなった。


看護師さんの言うことは確かに間違っていない。

間違ってはないんだけど、


「自然に任せるというのは意識したことがなかったので、今はまだ私は受け入れられないです」

と、泣きながら答えた。


看護師さんは、

「ただ、今はそういう段階にきていることを頭の片隅に入れていてください」

と言っていた。


「はい…」。

それは「はい」と言うしかない。

確かにそうなのだから。


夜、姑の実子である義理の妹にそのことをLINEした。

文面で見る義理の妹からの返信は、なんだか現実を実感してる様子が無さそうだった。

きっと義理の妹は、『そんなはずは無い、また元気になるはず』と、現実を受け入れたくない気持ちでいるのだろう。


私もそうだった。


でも、少しずつ覚悟をしていこう。

そして、姑に対しては、最後の最期まで優しくしよう。





























雨ニモマケズ

2019年05月21日 | 日記
昨日は台風のような風で怖かったが、今日は今日で酷い大雨だった。

姑の入院先の病院まで車で二時間。

ザーザー雨が降る中運転していて、地元放送局のラジオを聴いていた。

アナウンサーも雨の話題を話していた。

姑の居る街が近づくにつれ、雨はだんだん激しくなってきた。

するとラジオから、

「今、県内で一番雨が降ってるのは○○地域ですねぇ」

と聴こえてきた。

シェー!○○地域て、ここじゃん!

ザザザザッーザサザザッー

そしてそれはそうとトイレに行きたくなってきた私。

ホームセンターの駐車場に停め、ホームセンターのトイレに飛び込んだ。

ついでにティッシュなど少し買い物をして外に出た。

バババババーッドドドドドドドーッ

もはや雨の音が恐ろしいほどの大雨。

バシャバシャと音を立て車に走って行くと、なんと車を停めていた側の下水の雨水が溢れ出ていて、車の周りは私の足首までの雨水となっていた。

車に乗り、びしょ濡れの足が気持ち悪かったが病院に向かった。


病室に入ると、姑は横になってボンヤリしていた。

相変わらず姑は立つどころか座ることさえできない。

いつも寝たまま。

食事も口からはあまり摂れず、ずっと点滴をしている。

こんな状態なのに、あさっては退院をするなんて。

退院といっても転院をするのだが、もともとは「退院」ということになっていた。

いくら腸閉塞と肺炎が治ったとはいえ、こんな弱ったままの退院では本人も周りもいったいどうしたらいいかわからない。

それで私は「退院」ではなく「転院」をお願いしたのだった。


あさってはリハビリをしてくれる病院に転院する。

起きれないのでストレッチャーに寝たまま介護タクシーを利用して転院。

大丈夫かな。。

私がいろいろ頑張らなきゃ。


帰りは嘘のように雨が上がっていた。


いろいろ大変なことがあっても、ひとつひとつちゃんとやっていこう。