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八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

東海道歩き旅(34)小田原宿から大磯宿、平塚宿へ

2020年03月17日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

3月17日(火)  0/12℃ 

東海道歩き旅(34)
小田原宿から大磯宿、平塚宿へ
 
 (昨夜は今日再び箱根宿へバスで登り、先日雪で下ることができなかった区間を歩く予定でいたが、今朝現地は0℃で氷が張り、旧東海道の山道もまだ雪が残り、しかも凍っているのでかなり危険とのことで断念した)
今日は小田原宿から出発し江戸日本橋から8番目の宿場大磯、7番目の宿場平塚を目指す
 
 東海道を歩き小田原宿の江戸口見附跡、一里塚跡をみる
 
 
 
 
 
 
 
新田義貞公首塚がなかなか見つからなくて住宅街を何度もウロウロしてやっと見つけた
 1338年義貞は越前藤島で戦死、その家臣・宇都宮泰藤は主君の首を抱いて上州新田へ向かう途中に病気になり、この地に首を埋めて自分も病死する  家臣の墓も何基か見られるが、なんとも悲しい史実で少し苦しかったので、すぐ横の小田原海岸に出て相模湾の空気で胸いっぱいにした 
 
 
 
いつも各地の首塚を見るたびに当時を想像しいつも気分が悪くなる  小田原の海岸に出て深呼吸する  海釣りをする人をしばし眺める
 
 
酒匂川を渡る 江戸時代には渡し場があったとか
 
 
 
 
歩いていると古い建物だが医院の看板が上がってる  見ていると一人の老人が もうすぐ解体するそうですわ・・ と話してくれた
 
海が横にあるので干物を売る店をよく見かけるが、この埃と排気ガスのすごい車道沿いで干す魚を買おうとは思わない・・
 
 
海岸に出て一休み・・ 当時の旅人もきっと海に癒されたことだろう
 
 
押切坂一里塚から二宮に入り大磯に向かう  いろんな史跡をみる
太田道灌や源実朝の歌碑などをみる
 
 
 
 
 
 
 
 
大磯の町に入る
 
路上に江戸から十七里の文字が
 
吉田茂旧邸のある城山公園に着く 
 せっかくなので覗いてみるがこの施設もコロナの影響で旧邸の中には入れないが、広大な庭園はオープンになっていたのでしばし体を休めながら散策する
 
 
 
 
 
 
吉田茂の銅像の先には相模湾と大磯の海岸が春の日差しを浴びてキラキラと輝いている  大磯は明治以後日本で最初の海水浴場ができ別荘地としても栄え、当時の面影が今も各所に残る  大磯ロングビーチは美しい
(お昼前だがちょうど歩いている時に買った蒸し芋を取り出し、吉田茂の銅像の前にあるベンチでそれをゆっくりと食べながら、戦後日本の復興に尽くし、その舵取りをした歴史を回顧したが、当時子供ながらにその堂々たる姿勢に安心したものだ  誰もいない広大な庭園の銅像の前で、芋を食べながら吉田茂像と向かい合うのもこれも面白いものだと自笑する)
 
 居心地がよくて長居をしてしまったが、また歩き出し江戸時代の本陣跡をめぐりながら、ふと目にした島崎藤村が住んだ晩年の家と墓、また新島穣の終焉の地などを巡る  お天気もよく快適だ・・ が、クシャミ鼻水の花粉も最盛期だ
 
 
 
 
島崎藤村が住んだ晩年の家と墓を訪ねる  かつて生家の信州・馬籠も訪ねたことがありその小説とともに親しみがある
 
 
 
また同志社の創設者・新島穣の終焉の地なども巡る
 
 
ここが湘南発祥之地とか
 
鴫立庵(しぎたつあん)に寄るが、ここもコロナの影響で中へは入れなかった
 
 
大磯は日本で最初の海水浴場だったとか
東海道上には今もいろんな史跡が残る
 
 
 
 
 
大磯宿から平塚宿へ向かう  
 
 
 
平塚宿に入る 
平塚宿は1601年にできた宿場だ  ここも東海道沿いに次々といろいろな史跡や本陣跡を見て回る
 
 
 
 
旧東海道沿いには江戸時代のいろいろな史跡が残されていて面白い
 1つ1つの説明は書物に任せるとして、それらの歴史を肌で感じながらゆっくりと楽しみながら歩いた
 
 
平塚宿の大きな石碑を見ながら夕暮れとなり、今日の歩き旅を終えた
 
今日の歩きは 29.3km、38457歩だった
朝からよく歩いたが、あちこち見過ぎて歩いた割には距離が出ないな~ と思いながらも疲れてバタンキューだった。
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