幸喜幸齢 生きがい 日記!       

八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

東海道歩き旅(33)箱根湯元から小田原宿へ

2020年03月16日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

3月16日(月)  3/11℃   

東海道歩き旅(33)
箱根湯本から小田原宿へ
 
 一昨日、突然の大雪の箱根路を登って来てやっとの思いで宿に着いたが、下りはとても危険との宿の主人のアドバイスで一旦歩き旅を断念した
 
昨日は雪はやんだものの、歩いての箱根下山は絶対危険との事で運行再開のバスで箱根湯本へ下り休養日とした
 
 
 今朝の情報ではまだ箱根宿からここ箱根湯元まで旧東海道を歩いて下るのは危ないとの事なので、今日はここ箱根湯元から先に小田原宿へ向け歩き旅を始める
(いづれ雪が解けて歩けるようになればバスに乗った間は当然歩くのだが・・)
 
 
 箱根湯本村の旧東海道沿いにある金湯山早雲寺からスタートする  ここは言うまでもなく北条早雲の菩提寺でこのお寺に眠るが、豊臣秀吉が小田原攻めの時に本陣が置かれたとか  朝早いのに犬の散歩をする人やウォーキングをする人たち何人かと挨拶を交わした  白山神社の下水から湯気が立っているので何事かと思ったがここは箱根なんだと納得
 
 
早川に架かる三枚橋を渡り箱根登山鉄道沿いに山を下る
 
箱根山はまだ雪が見える
 
三叉路の角にさりげなく当時官軍と幕府軍が戦った古戦場の碑がぽつんと立つ
 
箱根登山鉄道沿いを進む
 
風祭の町とその周辺は小田原蒲鉾の店が並ぶ 
 
 一休みしようと箱根登山鉄道の小さなガードをくぐり上に出ると小さな神社があった  そこへ登山電車が走ってきてなんとも撮り鉄になった気分で絵になる光景をビデオで撮った
 
 
早川沿いで一休みする  雪解けの水が冷たい
 
 
 
やがて小田原市内に入る  鳥居の上を登山電車が通る
 
 
 
 
トンネルを抜けるとそこは小田原城跡だった・・ その周辺の史跡を歩く  
小田原城跡が美しいのでその保全保護に感心した 
 
 
 
 
 
 
 小田原は統治軍事的に地理的にも江戸防衛の重要な拠点だった  小田原城下町は栄えたようだが、豊臣秀吉の小田原攻撃によって小田原城は半日で落城したとか  しばし城跡に佇む
 
 
 
 
 
 
 
 
小田原と言えば蒲鉾だが、町中にかまぼこの看板をみる
 
 
小田原宿場の史跡をみつつ町を散策
 
 
 
 
 
 
 相模湾の小田原海岸に出てみた  なんと気持ちの良い光景が広がることか  江戸時代の旅人もきっとこの海に心癒されたことだろう
 
 
 
今日はゆっくりノンビリ歩きで 17km、22971歩 だった
 
小田原駅前では70数歳の老人が行方不明だと、捜索協力の街頭マイクが大きく流れている。 間違われないようにせねば・・?  
 駅前の散髪屋が安いのでつい入ってみた。 何と老人割引で散髪、洗髪、髭剃りにカタモミ付きで1500円也  大阪にあったら毎週でも行きたい位!?
 
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東海道歩き旅 箱根宿にて

2020年03月15日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

3月15日(日) 3/11℃ 晴曇

東海道歩き旅 箱根宿にて
 
 昨日の突然の大雪に「大雪警報」が後から出て、週末の箱根路は何かと大変だった。
 
  自分も旧東海道 箱根路の登りの途中で周りは山道で人一人いないし、もちろん家も店も何もない所で避難する所もなく、一度は大木の下や藪漕ぎするような所に身をかがめてみたものの、それまでの大雨でずぶ濡れの身体になっていたので、じっとしているだけで体がしんしんと冷え一瞬遭難するのかとさえ頭をかすめた。 吹雪はやがてボタ雪となり見る見るうちに積もっていった。
 
 大袈裟のようだが、一歩一歩前に進むしか生きる道はない... ナビは目的地まであと6km、約1万歩と言うが... 雪道の登りにドン亀が後3時間以上の歩きはキツイ...
ウォーキングシューズの中は雨水から今度は積もった雪の中を歩くことになり冷たく、凍傷になるのではないかとさえ思った...
 
 今朝の箱根宿は一面真っ白の雪景色だ。 昨日はよく無事に宿に着いたものだと振り返る。
 今日は箱根宿の関所跡から旧東海道の名所旧跡を訪ねながら杉並木を経て小田原宿へ向かう予定だが、各所で雪のため通行止めになっているとの事なので歩いてみないと状況がわからない?  しかもウォーキングシューズで山を下れるのかどうかも疑問だ。
 
 
 宿の主人からは今日歩いて山を下るなんてとんでもないこと...  無謀だ! と怒られてしまった。 皆さん山の下りは楽ちんだと思われがちだが、実は登りよりも下りの方が怖いんですよ と何度も注意されたので、今日は歩き旅を止め、一旦箱根湯本へバスで下る事にした。
 
 まさか3月中旬になって大雪で歩き旅が中断されるとは思いもよらなかったが、ここは地元の人の忠告に従うことにした。
 
 一旦箱根湯本に下り、湯本から明日は小田原宿へ歩いて向かうことにした。 
 そして小田原から箱根の情報を得て、もし雪が溶け歩いて旧東海道を歩けそうなら、再び箱根の関所跡へ戻り、そこから旧東海道を箱根湯本まで歩くつもりだ。
 
 余談だが東京にいる学友からは、東京は新型コロナウィルスの影響で大混乱しているから、今は東京へは来ないほうがいいとのメールが入った。 1人で歩き旅をしていると全くそのような情報もなくまた影響もないのであまりよく知らないのだが、たまに旅の宿でテレビを見るたびに世界はこのパンデミックで大変なのだと実感する。
 
  明日の天候を見て明日朝に1日の行動を判断することにしよう。
 
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東海道歩き旅(31)三島宿から箱根宿へ

2020年03月14日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)
3月14日(土)6/11℃ 雨&雪
 
東海道歩き旅(31)
三島宿から箱根宿へ
 
 いよいよ旧東海道最大の難所、箱根の峠越えが始まる。 小田原と三島の間はいわゆる箱根8里で30数キロほどあり、その険しい登り下りから参勤交代で江戸へ向かう西国大名からの要請により、1618年小田原と三島からそれぞれ数10件ずつ宿を移転させて宿場を形成したのが箱根宿だとのこと。
 
 今日の予報は雨との事なので、夜明けとともに早く歩きだす   でも三島宿三嶋大社はもう朝の散歩の人たちがいる  
 
 
旧東海道を箱根へ進む
 
 
早速 旧街道の愛宕坂をフーフーと生き弾ませ上る
 
寒いのに汗を拭きつつ坂を上る
 
 
箱根旧街道に入る頃、ポツリポツリと雨が降り出した・・
箱根路の松並木がきれいだ
 
 
一里塚の前で本降りとなり雨カッパを着る
坂を上り箱根路を上る
 
休み休み山を上るが野草が癒してくれる
 
石畳の旧東海道、雨の山道に入る
 
やがてまた国道と合流する
 
箱根旧街道のますころげ坂を上る
 
 
 
 
 
 錦田の1里塚からこわめし坂を上る ここの坂道があまりに急なため、背負っていたお米が汗と熱でおこわになったことから名前がついたとか、確かにきつい急な坂だが途中から通行止めだ  台風や土砂崩れ等災害の影響で箱根の東海道だけでも4カ所ほど通行止めで歩けなかった
 
 
 
 
 笹原の一里塚から柴切地蔵を経て、まさに山の中の山中城跡へ  この辺からまた雨が急に激しくなってきた
 
人一人見かけない山道を歌を歌って歩く
山の中の山中城跡に着く
 
 
 
 
 
 
 雲助徳利の墓へ  終生酒を愛した雲助の頭らしく盃と徳利の墓石が面白い  石畳を歩くがものすごい雨と風で何度も滑って転びかけた 雨対策の服装でリュックを背負い山を登ってきたものの、また今日もずぶ濡れになってしまった
 
 
 
 
 
 兜石を経て接待茶屋へ  雨が急にみぞれとなり雪に変わった  瞬く間に山は一気に真っ白となり、冷たい雪混じりの風が吹く とても寒い! 冷たい! 足も手も感覚がなくなってきたが、雪道で思うように歩けない  接待茶屋への道も雪が積もりどれがどの道かわからず諦めた
 
 
 
 
 甲石坂の石畳道から茨ケ平へ  もう雪が一気に深くなり道がわからなくなって国道へ戻る
 
 
 箱根の脚気地蔵から箱根峠へ  国道を除雪車が何台も上下行き交いその度に頭から除雪の雪を浴びる  雨で濡れた体に雪が追い討ちする
 
 
 しかし山の中で1歩1歩前へ進まなければ遭難する  でもウォーキングシューズは雨水と雪で濡れ、凍傷になるかと思うぐらいうまく歩けず、深く積もった雪道を歩いて進むのは難しい  山の変化や自然の怖さは今まで何度も体験してきているがこれはきつい...
 
 
 
藪漕ぎ状態の薮下で休憩するも体は余計に冷え、人一人居ない山の中で本当にここで人生も終わりかと思うほどきつい  箱根峠までまだ6kmもある  1万歩か!?
 
 
  じっとしてたら遭難する・・ 必死に一歩一歩と歩いた  
何とか箱根峠までたどり着くと一軒のラーメン屋があった  早速飛び込むが店に誰もいない  でもストーブがあり暖かい  奥から店主が出てきて雪なので閉店しようかと思っていたところだとか  早速ラーメンを注文しながら濡れた体をストーブで温める  3月にこんな雪が降るのは箱根でも珍しいとのこと  でも本当に命拾いした
 
 
  箱根関所跡へあと数キロ  少し元気になってまた雪の中を歩くが途端にまた寒く冷たい でも一歩一歩前に進むしかない  聞けばバスも運休し、通行止めもあるとの事で車も少ない
 
 
道に迷う  どっちへ行けばいいのか?
 
 
 
箱根関所跡から杉並木を経て元箱根へやっとの思いで着いた  
芦ノ湖も雪で全く何も見えない
 
 
 
  予想以上にきつい箱根の山登りを何とか乗り越えて箱根の宿に着いた。 
自分の一つの小さな夢が叶った。
距離は23.7km、31335歩だったが、人はこの間の登りを300階建てビルの屋上へ上るのと同じだと言うが、私にとってこの雨と雪と風の急坂の箱根路はこの歩き旅のハイライトになるぐらいにきつかった。 
 
余りにもきつい雨雪風の箱根登りだった。 重いリュックサックを下ろし、ボトボトになった靴を脱いだ時は心底ほっとした。 体は冷たくなり風邪を引きそうなので熱い風呂に入り温め、美味い鍋と旨い酒で体を癒した。
 
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東海道歩き旅(30)沼津宿から三島宿へ

2020年03月12日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)
3月12日(木)6/16℃  晴

東海道歩き旅(30)

沼津宿から三島宿へ

 今朝も快晴のお天気だ。
今日は沼津宿から旧東海道11番宿場の三島宿を目指す。 三島宿は三島大社の門前町として古くから発展していたが、慶長6年正式な宿場として制定されると、箱根を越えてきた旅人や、これから越えていく旅人の一息つくところでもあり、富士山からの湧水が市内至る所で見られ、その水と景観の街として発展してきた。
 
 沼津宿を出ると日本橋から数えて丁度30番目の玉砥石の一里塚  砥石の記念碑がある  次いで「日本3大仇討ちの1つ 鍵屋の辻の仇討ち 平作地蔵の由来」などを書かれた黒瀬橋のたもとから、狩野川沿いを歩く
 
 
 
 
足の疲れを季節の花々が癒してくれる
 
 
 「源の頼朝、義経の対面石」が残る八幡神社から三島宿に入り、国道沿いにぽつんと立つ世古本陣跡、樋口本陣跡の石碑を経て三嶋大社へ向かう
 
 
 
 
三嶋暦師の館を訪ねる
 
 
 
三嶋大社は古くより三島の地に鎮座し、特に源頼朝の祈願が成功して以来、東国武士の崇敬を集めてきた 広重の三島宿の絵は、この三嶋大社の鳥居が描かれている
 
 
 
 
その後 水辺の文学碑通りを経て白龍観音堂、楽寿園から三島の街を歩いた
 
 
 
 
 
明治4年に最初に設置された郵便差出箱一号丸型ポストだと
 
 今日は体調管理もあり、早めに宿に入りコインランドリーで洗濯を終えた後、いつもの旨い酒も止めて早めにベットに入る。
今日は 16.3km、21780歩 だった。
 
明日は休養日とする予定。
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東海道歩き旅(29)吉原宿から原宿、沼津宿へ

2020年03月11日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

3月11日(水)10−21°C 晴

東海道歩き旅(29
吉原宿から原宿、沼津宿へ
 
 今日は昨日とは真逆の快晴の朝。  昨日嵐の中を歩いた東田子の浦からスタートする。  先ずは昨日雨と霧でまったく見えなかった田子の浦の海へ向かう。
 
 この美しさなんだろう・・ もう感激で息がつまった・・ 紺碧の太平洋・・ 打ち上げる白波・・ 続く松並木・・ 誰もいない海岸で一人なぜか感動の涙を流す・・
 
 
 しばらくして振り返り松並木を見ると、その先に真っ青な空に冠雪の富士の山が見えるではないか・・ 再び感激と感動で涙がこぼれおちる・・ 何というこの言葉では表せない感謝と喜びと幸せにしばし呆然と富士を仰いだ
 
 
 富士山に見とれていると、刻々と姿を変える  雲がかかり見えなくなったり、また少し見えたり・・ まるで生きているみたいだ
 
 
 
 万葉の歌人・山部赤人の歌「田子の浦うち出て見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」に詠まれた田子の浦、その何キロも続く松並木を左方に見ながら、右に広がる太平洋の白波を見、春風に吹かれながら真っ青な空のもと海岸沿いを歩いた
 
 
 やがて江戸の旅人も巡ったであろう旧跡を巡りながら旧東海道13番宿場の原宿へ向かう
 原宿は宿場としては小さな規模で慶長6年に宿場として成立した  ここは「浮島ヶ原」と呼ばれる沼沢地帯で大雨が降れば一体の一帯の田畑は水浸しになってしまったようだ  しかい広重の絵にもあるように富士山を眺めて一休みする旅人が多かったようだ
 
 
 
 
 「元吉原宿」の毘沙門天  1616年、1680年に起きた地震や津波によって当時の宿場の殆どが崩壊し天和2年に移転し、その近くにある毘沙門天で知られる妙法寺だ  
次いで古い高嶋酒造の造り酒屋を経て有名な白隠誕生地碑を訪ね、松陰寺を見る
 
白隠禅師誕生地碑
 
 
 
 
 
 その後町を離れて再び田子の浦の浜辺に出て12番宿場の沼津宿へ向かう  
昔から千本松原の景観で知られた沼津は、水野出羽守五万石の城下町として栄えた  富士の山は刻々移り変わり、朝見た後からは雲がかかり振り帰る度に松林越しに垣間見える富士の様相が違い、それはそれで趣きがあった  延々と続く松林・・ しかし今日は東北大震災から9年目の日だ  あの津波に流された陸前高田の松林を想像するに以前はこんな様子だったのかと悲しい回顧をする
 
 沼津宿に着き当時の東海道名所図にある浅間神社を経て川郭の旧道を歩く 狩野川を横手にその由来をみる  本陣跡などは簡素な石碑が一つが町中に立つのみ
 
 
 
 
 
 
 
 
今日はここまでとし日没までまだ2時間ほどあるが今日の宿へ向かう。  
風邪は引いてないが少しなぜか疲れた・・ 歩いた距離は 20・3km   27231歩 だった。
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東海道歩き旅(28)蒲原宿から吉原宿へ

2020年03月10日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

3月10日(火)8/12℃ 

東海道歩き旅(28
蒲原宿から吉原宿へ
 
 昨日の快晴から一転、今朝は朝から小雨模様の天気だ。 荒れ模様の予報にしっかり雨対策をして出発する。 
旧東海道の昨日歩いた蒲原宿から出発し、旧東海道14番宿場の吉原宿へ向かう。
 
歌川広重の「蒲原夜之雪」は有名だが、その蒲原宿場の碑前から今日はスタートする
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ここより富士川の宿坂を上る  結構な急坂道だ
何度か道端の草花に癒される
 
 
 急な坂道を上り、かいた汗をぬぐいながら高速道路の陸橋からふっと前方をみると なんと! 冠雪した富士の山が目の前に現れた  突然のことにビックリし感動!!
 
 
 
坂を下ると富士の町に入るが、この町の人々は日常の風景なのだ
 
 
 
 
富士市内に入る  間宿の岩淵一里塚跡で一休み
 
 
 
富士川へ向かう
 
 
 
歩き旅には時折の花々が心を癒してくれる
 
富士川に着く  富士市内に入り、富士川を渡る頃から雨が激しくなり、やがて強い風とともに傘が全く役に立たず雨対策用の上下カッパも音を立てて激しく打ちつける横殴りの雨にタジタジの始末  
何よりこの橋上からの富士山は最高だと聞いていたが、まったく見えない  暫く欄干上で雲の流れをみていたが、一瞬冠雪の山頂が少し垣間見えるぐらいで残念だった
 
 
期待していた富士山は見えない・・ 雨では難しい
 
富士川を渡り、水神社で一休み
 
 
 
間もなく本降りの雨になり、東海道と併行する国道を歩く
 
 
 
東海道一里塚碑にて
 
雨の中 鶴芝の碑を探してやっと辿り着いが、民家の庭先にあり余りの貧弱さに雨の疲れもありガックリ!
 
気を取り直して前に進むがまたあの青年に会った  少し前あの高架で富士山を見て感動していた時と水神社で、また今目の前を歩いている青年と会った  同じルートだろうか?
(それから数日間 時折り前後して東海道の史跡などで出会い、東海道を歩いているのだと、次出会ったら話をしてみようと思ったがそれ以来出会わなかった)
 
季節は春だな・・ 土手のつくしんぼに見とれる
 
吉原宿に入り富士市内の東海道史跡を歩く  
 この宿場は1680年8月の大津波で壊滅的な被害を受け、内陸に移転し2年後に宿場として成立したとか  今は製紙工場が林立する町として富士市の中心街として賑わうが、ここも特別の宿場表示があるわけでなく、雨のせいで探せなかっただけかもしれない  しかし宿場によってその地域の行政や住民の意識度や保護の仕方に差があるものだと思った   
 
 
 
1180年の源平の戦いで有名な平家越えの碑をみる
 
名勝・左富士を探してやっと着いたが、工場前でこれも少しガッカリ!
でも少し離れたところに神社や記念碑などがあった
 
 
 
 
元吉原宿跡を歩く
 
 
道路沿いの看板に北斎や広重の絵が大きく描かれている
 
 
富士市は製紙工場が多いのか、煙突から黙々と煙が上がり気になる
 
 
旧東海道と併行する国道は大型車が多く、通るたびに雨水を被るのが辛い  
 途中前が見えないぐらいの土砂ぶり雨に国道の大型トラック何台かから風圧と跳ね水を頭から浴びて少し危ない! と感じ、脇道へ入りどこかでひと休みしようと思ったがコンビニもないし・・  
 
 
 
立園寺に着き境内の望嶽碑をみる
 
 
 
 なにか閉塞感から地図をみる・・ するとあの田子の浦が近くだ  早速寄り道する  お天気がよければきっと富士山と共に絶景だっただろうな・・ と溜め息をつく  しかしその延々と続くような立派な松並木に感動し、また堤防に上がってみるとすぐ目の前は太平洋の白波が立っている・・ すぐ先から雨と霧で先は見えないが、きっと素晴らしい光景なんだろうな・・ と想像する
 
 
 
 
再び国道沿いを史跡を見ながら東田子の浦へ向かう
 
 
吉原宿を後にして原宿へ向かうが、益々雨は激しくなりもう上から下までずぶ濡れ状態だが・・
 
 
 
夕暮れとなり、今日はここまでとした。  明日はお天気が回復して欲しいものだ。  今日は歩き旅には雨風冷たさと最悪条件だったが、こんな日もあるさ! と自分なりに自由に歩ける嬉しさと、楽しく過ごせた一日に感謝しつつまた歌った。
 
今日の歩数はApple watchから 25・8km  35517歩 だった
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東海道歩き旅(27)興津宿から由比宿、蒲原宿へ

2020年03月09日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)
3月9日(月)8/22℃  晴
 
東海道歩き旅(27)
興津宿から由比宿、蒲原宿へ
 
  昨日の大雨から今日は一転朝から抜けるような青空だ。 昨日の暴風雨で行けなかった清水港へ先づでかけた。 
 
 港で振り替えるとなんと予想外に冠雪の富士山が遠望できた
 
 青空に真っ白な冠雪の富士山を仰ぎみるともう感激だ!  
よくここまで歩いてきたものだとの感動もあるが、美しい富士山はいつも写真やビデオで見る限りだが、この目で美しい富士山を見るのは初めてだからだ
 
清水港を歩く  随所に清水の次郎長親分の面影をみるようだ
 
 
 
 興津(おきつ)宿から由比宿へ向けスタートする  由比宿は「由井、油伊、湯居」など書かれていたのが、由比に表記が統一されたと  桜海老などの漁業が盛んで、町では「桜海老の町」との表記が目立つ  また薩埵峠(さったとうげ)から見る富士山の絶景は観光の町のシンボルだとの解説に期待膨らむ
 
旧東海道と併走する国道1号線沿いを交互に歩きながら駿河湾と太平洋を望む
 
 ふっと広重の風景を思い出し海岸へ下りてみた  すると何という絶景!  これは広重でなくても描いてみたくなるまさに絶景に感激しながら空筆で写生してみる  しばらくそこから動けずただ黙って海をみ、また富士山をと交互に眺めながら春風に酔いしれながら至福のひと時を過ごした。  カモメや海鳥が楽しそうに舞い戯れている・・ いいな〜
 
 
 
角度を変えて東を見ると・・ なんとあの広重の富士山が見えた
 
 冠雪の富士の山と駿河湾の波の音を聴きながら、どのぐらい幸せな一時を過ごしたことだろう・・・
  
 ふっと思い出したようにやっと腰をあげまた旧東海道に戻り歩き始める  
旧東海道・薩埵(さった)峠を登る  昨日の大雨のお返しのように今日は雲一つない快晴のお天気で春風も気持ちいい~
 
東海道・往還坂を上る
 
 
 
 
 
 
さった峠に着く
 
 
 山道から徐々に視界が広がり眼下に駿河湾が見えたところで前方を見ると何と!  あの冠雪を抱いた富士山の勇姿が目の前に飛び込んできた  凄い!  美しい・・ うっとりとして見惚れてしまった  なんという美しさ・・
 
 
 
 周辺にはさすが静岡! 沢山の柑橘類の木にオレンジ色のみかん類がたわわに実り、横は紺碧の海、そして真っ白い雪を抱いた富士の山と、この絶景はこの旅で最高のお土産だ 
 
 
 
 
 
 
再び長い時間を富士を見ながら過ごした  やっと由比の街へ下る   
 
 
旧東海道の面影が残る由良宿の町は建物には昔の商屋の名残も見え、いい雰囲気の宿場町だ 
 
 
 
旧東海道を思わせる街道が続く
 
この町はどこからでも、いつも富士山が望めそうだ
 
 
 
 
周辺の神社仏閣はみんな山麓にあるようだ
 
 
 
 由比宿に入り、由比本陣跡へ  由比城主・由比助四郎光教が桶狭間の合戦で、主君今川義元に殉じて討死してから、江戸時代その子権蔵光広が帰農してこの屋敷に住し、代々岩辺郷衛門を襲名し本陣職・問屋職をつとめ、近郷きっての名家として大名的な存在であったとか  今は広重美術館として賑わっている様だが、今日月曜日は定休日で休館で残念だった  近隣の施設や店も休業でガッカリだった 
 
 
由比の港を見る  由比は桜エビの町との表示があちこちに見られる
 
 
 
 
由比川を渡る
 
 
 
 
 
 
御七里役所の址があった  紀州徳川家の七里飛脚の役所だったところだ
 
 
 
「由比正雪」は学校で昔習ったがその大逆事件「慶安事件」の首謀者として自刃しているが、その由比正雪の名の酒蔵があり小売りもしていたので旨い地酒を送ってもらった 
 
 
 
 
由比宿を経て蒲原宿へ向かう
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 今日は昨日の真逆で22℃と暑く、汗を流しつつの歩き旅だった  旧東海道とその歴史を辿りつつ、なんと言ってもあの富士の光景は忘れられない・・  明日はまた一転、春の嵐で雨風が強いので警戒を! との予報  目まぐるしく天候も変わりつつ徐々に春が近づいてくる様だ
 
今日の距離は浸り歩きだったので21・02km、27841歩だった
 明日は蒲原宿から吉原宿へ向かう予定だ。  今日は富士の山をいろんな角度から存分に見たのでいい夢も見れそうだ。
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東海道歩き旅(26)府中宿から江尻宿、興津宿へ

2020年03月08日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

3月8日(日)9/14℃ 

東海道歩き旅(26)

府中宿から江尻宿、興津宿へ

 朝4時に起床し、8時半には静岡に着き、先週最後に終えた府中宿を出発する。  今日は江尻宿から東海道53次17番宿場の興津宿を目指す。 静岡は雨、しかも終日本降りの雨だ。 時折り横殴りの冷たい雨風が吹き付け折りたたみの傘などは役に立たない。

雨の静岡駅前の徳川家康公之像前にて

  清水港を訪れたいものの先ず旧東海道から江尻宿、興津宿を目指すことにする。 手と顔が雨と風の冷たさで感覚が鈍りガチガチとなり自販機の缶コーヒーで温める。 江戸時代の人々はこんな雨の寒い日はどうして体を温めたのかと思う  人もまばらな東海道を進む

 

旧東海道記念碑の前に立つが、迷いに迷っての到着だった

草薙の一里塚にて  横の狸八相縁起が面白い

江尻宿の江尻とは川の尻、つまり下流と言うこと  江尻宿は巴川が造る砂州上にできた宿場である  宿場の中心は今の清水商店街だが昔の面影はない  しかし駿河国内では一番大きな宿場として栄えたようだ

1695年創業の追分羊羮の店を訪ねるも日曜日は休業で残念!

 清水商店街の昔、この辺は旅籠屋が軒を連ねていたようだ

 稚児橋から江尻城跡へ  今はもう面影もないが、江尻城は1569年、武田信玄の命により作られた城で武田信光、山懸晶景、穴山梅雪などが城主となったとか、しかし関ヶ原戦いの後は廃城となった

巴川に架かる稚児橋は江戸時代に建設された折のエピソードによる河童の童子像が乗る

江尻宿を後にし、興津宿(おきつしゅく)を目指す  雨は益々強くなり靴の中は雨水、服もずぶ濡れ状態だった

 

興津宿に入る

東海道・興津宿の碑の前にて

興津駅の近くの線路沿いには「撮り鉄」の若者で一杯! 何かラストランがあるかららしいが!?  傘もささずひたすらカメラを構える姿は外から見れば異様だが、自分も人のことは言えないがいろんな趣味があるものだ

雨の日は前回スマホカメラの操作を間違えて当日撮った数百枚の貴重な写真を回復不能としてしまいショックだったが、何かついてないので注意せねばと思っていたのに、今日は宿につき何キロ歩いたかな? と楽しみに見たApple watchが電源0で、連動するスマホも記録ゼロ・・ そんな〜 と天を仰ぐ!  

 しかし、今までの時間記録は平均3.5〜4.0km/時なので、今日は8時間歩いたが時間3kmとして24.0kmと記録した。 あまり寄り道もせずによく歩いたが冷たい雨と寒さに閉口した。 宿で熱いお風呂に入り、ワインとコンビニ弁当を食べたらもうバタンキューだった。

明日は興津宿から由比宿、そして旧東海道15番宿の蒲原宿へ向かう予定だが、お天気が良ければいいのだが・・

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わざわざ好き好んで~

2020年03月07日 | 春・喜寿の青春賦 日記!

3月7日(土)3/13℃ 

わざわざ好き好んで~

 今朝目覚めると春らしい快晴のお天気!  気持ちのいい澄んだ冷たい空気に深呼吸も一瞬控えるが、でも気持ちがいいーー 

 目の前の公園では早くから多くの老人方が散歩したり、体操したり、ジョギングしたり、犬の散歩したりと行動的だ。 

 私より一回り上の信州の叔母から どうしてる? と電話があった。 元気に歩いてる・・と伝えると、まーわざわざ好き好んでそんな遠くまで歩くなんて・・ と開いた口が塞がれないぐらいに呆れられた。 

 昔の老人は75歳ともなると今頃は畑を一回りしたら朝からこたつに入り、猫を膝に新聞読んだりラジオを聞いたり、野沢菜や信州リンゴを口にお茶を楽しむぐらいだった・・ とか。

 健康寿命が延びたのか今の世代は当時の7掛けとか聞いたので75x7で今52.5歳だ。 まだこれからだと元気になる年齢だ。 

 明日からの歩き旅の荷造りをする。 背負うリュックをできるだけ軽くと思うが、どうしても10数kgとなり、体重と合わせると80数kgとなり両足腰肩体の負担となるが、これもヤドカリみたいな? 歩き旅の醍醐味だから楽しむしかない。 ヤドカリは世帯道具一式を担ぐが? そんな家を担ぐ位の重いものでないので気が楽だが、さてこれで天下の剣、箱根峠越えが出来るのか? 自分の体力と知恵に我ながら楽しみだ。 

・わざわざと呆れる叔母の歩き旅

・その昔爺さん居眠り炬燵かな

・いま昔健康寿命7掛けと

・ヤドカリに似てる姿で歩き旅 頑爺

 TVを付けると感染した豪華客船が映り、なんだか無残な姿だ。 何年か前にこの絵を描き自室に飾るMSCの豪華客船だが、当時は描きつつも夢がいっぱいあったものだが...


 歩き旅の間はいつもバタンキューでBlogを書く時間も余裕もないのでいつも休みとなるが、今回は新しいiPadをリュックに入れたので少し挑戦してみようかな!?)
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すべてキャンセル!

2020年03月06日 | 春・喜寿の青春賦 日記!

3月6日(金)3/13℃ 

すべてキャンセル!

 新型コロナウイルスの影響で、ここ数日で参加を予定していたいろんなイベントや催しが次々と全てキャンセルとなった。  少人数のサロン的な絵の教室も予防策からしばし休みとなり、友人は楽しみにしていた海外旅行も全てキャンセルになったと憤慨していたが、この時期子供から老人まで総国民がこの蔓延を防ぐためにはしばらくは堪えないといけないようだ。

 そんな時だが予定がなくなり、自分はやはり東海道歩き旅を完遂させようと、また明後日の8日から歩き始めることにした。  一人歩き旅なので宿が開いていさえすれば日中は多くの人と出会うことも殆ないため影響はないように思う。  

 先週区切りとした旧東海道53次の19番宿場、静岡・府中宿から江戸・日本橋を目指し、更に二人の曾孫に会うために孫夫婦のいる千葉の浦安まで歩き、その望みを叶えられたらと夢見ながら歩く。  

旧東海道は天下の剣、箱根峠を歩いて超えるのがプレッシャーだが、ゆっくりノンビリのマイペースだが頑張ってみよう・・ 

 75歳に感謝し記念にと歩き旅に出た。 大阪・箕面(みのお)から高麗橋・大坂城を起点に京街道の57次を歩き、京都三条大橋から弥次・喜多さんに見送られて旧東海道53次を歩き始め23日目、静岡・府中宿へ着き、再び弥次・喜多さんと出会ったのだが、この間の総距離はapplewatchとスマホのアプリから 579.4km(一日平均25・19km) 790.365歩(一日平均34.363歩) で、ドン亀歩きにしては今のところ上々だと自分の足腰肩体に感謝する

・コロナだが世界を動かす力持つ

・人々の生活脅すコロナかな

・予定消え歩く旅路をまた探す

・ウイルスは大気に弱いと歩き旅 頑爺

 先週、府中宿・駿府城の弥次・喜多さんと一緒に写真を撮ったが、頑張れよ!! と励まされ、またここから次の宿、江尻宿、興津宿、由比宿・・ へと歩き旅を始める。

 先週までの旧東海道一人歩き旅は<23日目>まで、ブログに遡ってUPした

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桜の季節へ

2020年03月05日 | 春・喜寿の青春賦 日記!

3月5日(木)5/10℃ 

桜の季節へ

 先ほど東海道歩き旅の掛川宿を書きつつ、資料を整理していたら掛川城で2月25日に撮った桜があり、考えたら早かったんだな~ と思い出した。

掛川桜というらしいが、早咲きなのかな?  旅の途中で時折り満開の桜を見て感激したものだが、どうやらそれは早咲きの河津桜らしい。

2月25日小雨振る掛川城にて

   大阪での桜の開花は今月下旬らしいが、圧倒的にソメイヨシノが多くどこも均一的だ。 しかし一歩近郊の箕面の山などへ入るとヤマザクラ、エドヒガン、大島桜やウワミズザクラなどなどいろんな種類の桜が次々と咲き、これから山は新緑と共にいい季節だ。 それにしても各地で種類の違う桜が次々と咲き始め、各地を歩く歩き旅にはもってこいの季節が始まる。  

 一つ難点はこの季節、歩き旅をしつつもクシャミ、涙目、鼻水と花粉症には迷惑な季節だ。

・歩き旅 各地の桜垣間見る

・歩き旅 違いが分かる人模様

・井の中の蛙といえど世界あり

・不思議なり歩かなければ足痛い 頑爺

この桜も2月25日の東海道・袋井宿にて  桜の名称は!?

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歩き旅の準備は?

2020年03月04日 | 春・喜寿の青春賦 日記!

3月4日(水)7/10℃ 

歩き旅の準備は?

 外は雨・・ 見ると公園の東屋で母子が遊んでいる。 学校が新型コロナの影響で休校となり、低学年の子供たちは家の中で退屈なのだろうな・・ お母さんも大変だろうな・・ とお察しします。

 こんな質問を頂いた・・

「65歳となり退職したものの何をしていいのかわからず、自分も東海道を歩いてみようかな? ついてはどんな準備をしたらいいのか?」と。 

 私の答えは簡単です 

「先ず東海道53次ならその西の起点、京都三条大橋の弥次喜多像の前から一歩踏み出すこと。 何の準備も要りません。 とにかく旧東海道の道を一歩一歩と歩いてみてください。 旧東海道は本屋でも図書館でもnetでも沢山の資料がありますからルートを調べるのは簡単です。 

 次に体調は個々に差があるものの、自分の場合はほとんど何の前準備もなくのスタートでした。 一日10kmも歩けたらとの思いも今は平均25km以上も歩け意外です。 持ち物も考えだすときりがなく、最低限でいいです。 できるだけ物は持たず軽いほうが歩き旅は楽です。 歩く度に本当に歩き旅に自分が必要なものと不必要なものが分かってきますから・・ 当初は一日歩いて帰宅してもいいじゃないですか・・ 

 綿密に計画を立ててもその通りにはいきません。 宿や食事は今の時代当日でも何とかなるものの、自分はケセラセラの気持ちで人様に迷惑をかけない限り何とかなるさ! であるがままに自分らしく日々過ごしてます。 でも行動するには目標や目的意識は大切です。

 要するに歩き旅は楽しく、興味津々に見て回り、体調に合わせ臨機応変に歩けばいい・・ 自分は歩いている間はほとんど自然と何かしらの歌を口づさんでます。 歩くリズムはいつものクラシックやジャズ、好きなブルーグラスなどでなく、偶然に聴いたEXILEの曲やリズムがピッタリだと発見し、そのATSUSHIの歌詞にも涙し青春を回顧したりと爺じいの自分でも気分一新で楽しい毎日です。 

 旅の途中でたまに挨拶して会話する老人の話は面白いものの、ほとんどが自分より年下で萎れてました。 まだ私より10年も若い貴方ならすぐにでも歩き旅は始められると思いますよ・・」

岡部宿から丸子宿へ向かう宇津之谷・明治のトンネルを抜ける

・歩き旅お勧め旅は一人旅

・お一人はあるがままの贅沢旅

・準備するその時間すぐ旅立てる

・現代は情報豊か歩き旅  頑爺

 人さまに偉そうに言える経験はまだないものの、自分は青春時代のやり残し症候群? 当時は小田実著「何でも見てやろう」に触発された多くの若者と同じに世界一周無銭旅行や、日本一周歩き旅、アメリカ大陸横断など・・ 綿密に計画してたのに全て夢・・ その万分の一でも人生の最後に悔いなくやってみたいだけです。

岡部宿から東海道・宇津の谷峠越え 丸子宿へ向かう

 所属する自然学校や自然保護団体の予定イベントもことごとく中止となったので、また8日頃から歩き旅にでる予定。 次は先週最後となった静岡の府中宿から箱根の麓まで、出来れば東海道最大の難所 箱根の峠越えをしたいもののどうかな~??

今日<2月20日の東海道歩き旅(15)知立宿から岡崎宿、藤川宿へ> 2月21日の東海道歩き旅(16)藤川宿から赤坂宿、御油宿、吉田宿へ>を遡ってブログUP!

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ひな祭り回顧!

2020年03月03日 | 春・喜寿の青春賦 日記!

3月3日(火)6/15℃ 

ひな祭り回顧!

 昔々 自分に女の子が誕生した時は神様の恵みだと真から感謝し喜び幸せに震えた。 あの日からもう幾年過ぎたことだろうか?

 幼い頃は豪華なお雛様を一緒に飾った。 部屋いっぱいに並べその組み立てには数日かかったものだ。 自分は男3人兄弟だったし、子供も当初は男ばかりで全く色気も何もなかったので、女の子の誕生に大喜びだった。 しかし不器用でその扱いには全く不慣れでぎこちなかったと思うが自分では夢中だった。 

 アメリカに住む長男の孫娘も今年はもう大学生になる。 年月の速さに自分の頭が付いていけない・・ トホホ!  今日はひな祭りなのか・・・

・よちよちと歩く娘のひな祭り

・幼き娘(こ)共に並べた内裏様

・伴歩きバージンロードの夢をみた

・ひな祭り膝の娘は今いずこ  頑爺

今日は先日の総合健診結果を聞きに病院へ  大きな問題はなく一安心!  スーパーで買い物をし、夕暮れの南公園を歩きながら帰路へ

夕暮れのパークカフェの灯りが嬉しい・・

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コロナを知らず

2020年03月02日 | 春・喜寿の青春賦 日記!

3月2日(月)8/16℃ 

コロナを知らず

 今回の東海道一人歩き旅の間はTVや新聞を見なかったので、帰宅しその情報を知るほどに新型コロナウイルスの広範囲な影響に驚嘆している。 

 歩き旅から一旦帰宅したのも今週に予定されていた自然学校の合宿で地方へみんなと出かける計画があったからだが、直前にその地域で感染者が出てしばし外出自粛などもあって中止となった。 残念だがこの現状ではそれが妥当だと納得!  

 出かける前も新型コロナの件は気にしてはいたものの、TVであるコメンテーターが 毎年のインフルエンザでさえ年間4000人も亡くなる人がいるので、数人の方が亡くなったぐらいで過度に大騒ぎしすぎだ・・ と言っていたのでそうなのか・・!? と安易に気にもせず旅をしていた。

2月19日 鳴海宿から知立宿へ向かう途中の桶狭間の古戦場で歴史に浸る頃、世間では新型コロナのニュースが飛び交っていたんだな・・

   情報は今の時代瞬時に世界に広がりその対策も世界的だが、情報は個人がTVやネットなど自らが自主的に収集しなければその行動が促されない事、それに人は人との交わりの中でそれを知ることが多く、やはり情報も人との交わりも全く無ければ一人では生きた情報が伝わらない事も知った。 と言うのも、この歩き旅の間は江戸時代の旧東海道を一人歩きつつ当時の旅人の心境も思いながら歴史を学び、また自分の人生を回顧しながらや、足腰肩など体調や重いリュックのことなど自分の事で精いっぱいだったので他の事は気にもならなかったのだが自省している

2月27日の丸子宿では有名なとろろ汁を一度味わってみようかと初の店食に入ろうとしたら一時間も開店前で、しかも小雪降る寒さに待つのも諦めた  

 この旅の間は人との交わりもほとんどなく、挨拶して立ち話をしても旅の事ばかりで何ら世情を知らないできた。  それがいいのか悪いのかは別にして、今は世界的な流行期で情報不足で何も知らずは今回の大きな反省点だな~

・この時代 浦島太郎は生きている

・情報は意識しないと危機知らず

・知らずとも生きていけるが孤立也

・現代は有難いことTVあり  頑爺

今日は暖かく、歩き旅でへこんだ腹を撫でながらラーメンでも・・ と南千里の駅前に出かけたものの、済生会病院の前でPONTA像を見て考え、結局自分の腹を触りながら家に引き返した  これ以上腹がでたら江戸城まで歩けないぞ!?

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緊張と緩和!?

2020年03月01日 | 春・喜寿の青春賦 日記!

3月1日(日)5/15℃ 

緊張と緩和!?

 一昨日迄 宿で朝は5時に起きて旅の準備をし、歩く用意をして心を整え、朝食をしっかりと取り体調も確認し、7時過ぎから遅くても8時前には出発して一日のスタートをきった。 

 今日歩く目標とその間の旧東海道の歴史や名所旧跡を大まかに調べてコースを決め、Googleナビを活用しては時間と距離を測りつつ一日をフルに活用した。 勿論体調、天候、状況による変更は多々あるものの、歩ける楽しさや感謝と共に常に緊張感があった。 

というのも全て初めての土地で地理もよく分からず、特に人の気配の全くない山中や田舎道では何もなくても慎重になり緊張感もあったので、目的地に着きそして暗くなる前に定めた宿に着いたときは正直ホッとする。 

 足や腰、肩や頭など体中の痛み疲れを熱い風呂に浸り、ゆっくりと癒すひと時が心底一日に感謝する時だ。 昼食もほとんど抜きで歩き続け、夕食も地元の地酒や料理を味わう余裕もなく、事前にコンビニなどで買った弁当やビールを飲みながら一日を回顧するも心身ともに疲れてすぐにバタンキューの毎日だった。 (次回からはもう少し余裕を持って歩きたい)

2月26日の島田宿で東海道金谷坂を上り下りの石畳は、雨の影響もあり滑りまくり緊張の連続で両足腰が悲鳴を上げていた 

2月28日の府中宿、その駿府城で弥次・喜多さんに出会い、あの京都三条大橋の出会い以来で嬉しかった

 そんな日々を10日ほど過ごして一昨日一旦帰宅したものの、翌日からのこの緊張緩和? のグータラ体たらくぶりに我ながら呆れてる。 朝寝坊、朝食を作るのも面倒、風呂はまたでいいや、掃除洗濯はまあ後で、ベットでゴロゴロ、起きても何もする気なく旅の整理や後片付けもそのままにとにかく何もやる気なし! 

 でも2日目の今日は食べるものなく仕方なくスーパーへ食材を買いに出る。 あれだけ毎日歩いてきた足腰までが、そのスーパーへの少しの時間と距離さえもしんどい、疲れたと訴える。 なんだこの落差は!? 我ながらそのグータラぶりに改めて呆れてる。 

・老いお前 ホンマにあそこ歩いたか

・グータラは家に居る時 本音が出

・ありのままそれでいいのさこの爺は

・緊張と緩和の落差ありすぎや 頑爺

と言うことでまだ2月19日からの旧東海道57次一人歩き旅の続きブログを書けてない・・ トホホ!! 

スーパーの帰り道、久しぶりの千里南公園で・・

絵を楽しむ人 そうだ来週は絵の教室だ

石碑には「日々是好日 道元」とある  まさに今の心境だ!

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