緑には、東京しかない

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

早春の港の見える丘公園:イギリス庭園と神奈川近代文学館 PART2

2016年05月26日 06時01分00秒 | 石川町・元町


「大沸次郎記念館」の敷地前に整備されている小さな展望スペース内から、横浜港を撮影しました。横浜ベイブリッジの道路橋梁が正面に写っています。




神奈川近代文学館の建物方向へ向かって伸びている「霧笛橋」の人道橋を撮影しました。全長51メートルの長さの橋で、1986年に建設されました。




霧笛橋の北岸部から、「神奈川近代文学館」の建物を撮影しました。神奈川県が設立し、管理・運営は公益財団法人神奈川文学振興会が行っています。




神奈川近代文学館の本館前は、周囲の橋梁地帯よりも標高が低い「谷津地形」が広がっています。谷津地形の上に霧笛橋が架橋されています。




霧笛橋上から、赤レンガ壁が特徴的な「大沸次郎記念館」の建物を撮影しました。周囲と比べて標高の高い高台に建物が建っています。




橋上から西側一帯を見渡してみました。港の見える丘公園の緑地帯の西側一帯の、中区の山下町地区の住宅密集地帯が広がっています。




下を見下ろしてみると、大沸次郎記念館や神奈川近代文学館の敷地内の庭園や道などが整備されています。




橋上から東側一帯を見渡してみると、ここからも横浜港の風景を眺めることが可能です。新山下二丁目地区の低地に降りることができる階段も整備されています。




霧笛橋の人道橋の全景を撮影しました。




「神奈川近代文学館」の敷地前にやってきました。施設は本館と展示館、展示館(増設分)の3つの建物群で構成されています。この建物は展示館です。




霧笛橋の南岸部分を撮影しました。「霧笛橋」という名前は、大佛次郎の作品である「霧笛」から付けられています。かながわの橋100選に選定されています。




霧笛橋から、下の谷津に降りる階段も整備されています。




神奈川近代文学館前から引き返していきます。帰り際に、大佛次郎記念館の建物の全景を撮影しました。




元来た道を引き返して、港の見える丘公園の北端部にやってきました。




谷戸坂の坂下部分に整備されているペデストリアンデッキを散策して北側へ向かいます。




ペデストリアンデッキ上から「山下橋交差点」の周辺を見下ろして撮影しました。




山下橋交差点をズームで撮影しました。これで元町通り商店街と港の見える丘公園の緑地帯の散策は終わりです。



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早春の港の見える丘公園:イギリス庭園と神奈川近代文学館 PART1

2016年05月26日 06時00分00秒 | 石川町・元町


「港の見える丘公園」の展望台の全景を南側から撮影しました。横浜港を見下ろせる丘陵地帯の東側の斜面に展望台が整備されています。




展望台スペースのすぐそばには広場が整備されていて、ベンチなどの休憩スペースも設置されています。




展望台エリアの南側にも、まだ緑地帯の散策道は続いています。




南側へ向かって伸びている散策道を歩き、「神奈川近代文学館」の建物方向へ向かいます。




展望台広場前に建っている「ポートヒル横浜」のホテルの建物を撮影しました。




散策道を進んでいくと、左右対称形の「イギリス庭園」が見えてきました。庭園内は現在工事中であり、一般の人間は入ることができませんでした。




庭園の中央部は通り抜けて南側へ行くことは可能となっていますが、散策道の両側の庭園部分は工事用フェンスで覆われていました。




工事用フェンスには、イギリス庭園の再構築工事の完成予想図が掲示してありました。




北端部から、工事中のバラ園内を見渡してみました。完成予想図に描かれていた「香りのバラの回廊」の整備工事が進んでいました。




階段上から、散策道の西側に広がる庭園部分を撮影しました。




同じ場所から、散策道の東側を撮影しました。




散策している人たちも、新しいバラ園内の様子が気になっているようでした。




庭園の中央部に整備されている噴水前にやってきました。




庭園の敷地南側に建っている「大佛次郎記念館」の建物を撮影しました。大佛次郎の没後、遺族より蔵書や愛用品などの寄贈を受けた横浜市がそれらを収める施設として建設されました。




大佛次郎記念館の建物敷地前から、更に南側へ向かって散策道が伸びていました。展望スペースも整備されているみたいです。




展望スペース前にやってきました。神奈川近代文学館の敷地前へは、人道橋が整備されています。




展望スペース前には、「日本初のワルツ」の石碑が建っていました。



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早春の港の見える丘公園:フランス山と港の見える展望台 PART2

2016年05月25日 06時01分00秒 | 石川町・元町


「港の見える丘公園」の緑地帯の中枢にある展望台前にやってきました。展望台や周辺は、人の気配が全くないみたいですね。




展望台スペースの背後は、広大な広場が整備されていました。南側から流れてくる雲の一団が気になりましたが、散策を続けていきます。




展望台から横浜港の風景を見渡していきます。南東側一帯、横浜市中区の新山下町地区の市街地を撮影しました。奥には「本牧ふ頭」の広大な埋立地が広がっています。




新山下二丁目・三丁目地区の住宅密集地帯を見下ろして撮影しました。中低層マンションが多く、一軒家はほとんどありませんでした。




本牧ふ頭の埋立地の全景を撮影しました。コンテナを移送するためのガントリークレーンが多く建ち並んでいます。




山下埠頭と本牧ふ頭の間の低地帯に広がる新山下町地区一帯ですが、この辺りは大正時代に埋め立てられて市街地が形成された経緯があります。




本牧ふ頭の手前側には、首都高速湾岸線の道路高架橋が通っています。




展望台から東側を見渡して撮影しました。新山下一丁目地区の住宅密集地帯と、奥には首都高速湾岸線の「横浜ベイブリッジ」の道路橋梁が写っています。




横浜ベイブリッジの道路橋梁をズームで撮影しました。




北側方向を撮影してみると、横浜港の「山下埠頭」の広大な埋め立て地が広がっているのが見えます。




北側を見渡してみると、JR横浜駅の東側一帯に広がっている「ポートサイド横浜」の高層ビル群も撮影することが出来ました。




山下埠頭の埋立地の全景を撮影しました。大手企業の物流倉庫群などが広がっています。




手前側には首都高速神奈川3号狩場線の道路高架橋が通っています。




この日は雲一つない快晴の天候だったのですが、展望台内も人通りは全くありませんでした。




しばらく横浜港の風景を眺めていました。




展望台の柵には「花火禁止」「柵の乗り越え禁止」と書いてありましたが、本当に花火をする人間がいたということでしょうか。




展望台スペースから更に南側へ向かって散策を続けていきます。



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早春の港の見える丘公園:フランス山と港の見える展望台 PART1

2016年05月25日 06時00分00秒 | 石川町・元町


横浜市中区の山手町地区内の丘陵地帯に整備されている「港の見える丘公園」の緑地帯を散策していきます。北端部から南側へ向かって伸びている階段を登って行きます。




階段を登った上にあるのが「フランス山」と呼ばれている丘陵地帯です。ここの丘陵地帯は「フランス領事館」の建物があったことから名付けられています。




花壇などが周囲に整備されている遊歩道を南側へ向かって歩いて行きます。




しばらく歩くと、前方に「フランス領事館」の建物の跡地が見えてきました。建物の跡地の周囲は、鬱蒼とした木々に囲まれていました。




江戸時代末期の1863年(文久2年)6月から1875年(明治8年)3月まで、フランス海兵隊がこの山に駐屯していた経緯があります。その後は海兵隊は撤退し、跡地にフランスの領事館が建設されることになりました。




1894年(明治27年)にフランス人建築家サルダの設計により領事館と領事官邸が建設されます。この時に作られた領事館は、関東大震災で倒壊し、1930年(昭和5年)にスイス人建築家ヒンデルの設計で再建されています。




2代目の領事館の建物も1947年に火事で焼失してしまい、現在残っている領事館の遺構は、2代目領事館の建物の1階部分となっています。




領事館跡地前から振り返って北側方向(元町方向)を撮影しました。この日は意外と暖かかったのですが、公園内は人通りはそんなに多くはありませんでした。




跡地の脇には、揚水式の風車が設置されていました。当時のフランス山には上水道設備が無かったらしく、この風車で水をくみ上げていました。




フランス領事館の跡地周辺では、花壇の植えかえ作業が行われていました。




フランス領事館の跡地のそばを通り抜けて、南側へ向かって道なりに歩いて行きます。この先に、横浜港を見渡すことができる展望台があるはずです。




散策道の真ん中には「レンガ造り井戸遺構」と呼ばれる井戸跡が設置されていました。明治時代中期のフランス領事館時代に整備された井戸のようです。




そばには説明板が設置してありました。




レンガ造り井戸遺構の全景です。2004年2月に保存整備されたらしく、レンガも新しいままです。




港の見える丘公園の丘陵地帯の東側に広がっている「新山下町一丁目地区」の低地帯に降りることができる階段やスロープも整備されています。




この丘陵地帯の標高は、20~30メートル前後でしょうか。




しばらく南へ向かって歩くと、横浜港を眺望できる展望台が見えてきました。



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早春の横浜元町:元町プラザと港の見える丘公園北端部

2016年05月24日 06時01分00秒 | 石川町・元町


元町通り商店街の東端部から、更に東側へ向かって伸びている道路を歩いて行きます。東側へ向かって道なりに進むと、港の見える丘の公園の敷地が見えてきます。




谷戸橋南岸部から振り返って、元町通り商店街の全景を撮影しました。手前側にはフェニックス塔のモニュメントが設置されています。




谷戸橋の南岸部に設置されているシドモア桜のソメイヨシノの木々と、元町通り商店街を撮影しました。




谷戸橋前から東側へ向かって進むと、前方に「港の見える丘公園」の入り口が見えてきました。みなとみらい線が15年ほど前に開通したことによって、交通の便がよくなりました。




みなとみらい線の「元町・中華街駅」の5番出口の全景を撮影しました。元町通り商店街前の雑居ビルの1階フロア内に設置されています。




港の見える丘公園入口の手前側に建っている「山の手迎賓館」の建物を撮影しました。日本全国に展開している結婚式場チェーンの一つらしいです。




「港の見える丘公園」の緑地帯入口の交差点を撮影しました。




交差点前から更に東側へ向かうと、山下橋方向へ向かうことができます。




交差点から南側へは「谷戸坂」が伸びていきます。私の住んでいる千葉県内では「谷津」と言う地形をあらわす言葉がありますが、神奈川県内では谷戸と言うのですね。




緑地帯入口前から山の手迎賓館の建物の全景を撮影しました。




同じ場所から、中村川に架橋されている谷戸橋方向を撮影しました。




港の見える丘公園の緑地帯内を散策していきます。最初は「フランス山地区」へ向かいます。




緑地帯の北端部の広場内にはペデストリアンデッキが整備されていて、ここから山下公園やマリンタワー方面へデッキを介して移動することも可能です。




広場内には緑地帯内の地図が掲げてありました。緑地帯内を散策する時は、まずは地図を見て頭の中に叩きこんでおかないとスムーズに散策できなくなりますね。




緑地帯内はそんなに人通りは多くは無いみたいでした。




フランス山の高台へ向かって整備されている急階段を歩いて行きます。



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