緑には、東京しかない

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

2月の神田神保町:神保町交差点から地下鉄東西線九段下駅まで PART2

2017年07月31日 06時01分00秒 | 皇居周辺・城西


靖国通りの歩道を西側へ向かって歩いていくと、前方に「専大前交差点」が見えて来ました。近くには「専修大学神田キャンパス」の建物群が整備されています。




南東側から「専大前交差点」の全景を撮影しました。




南東側から、交差点の北西側(神田神保町三丁目地区)の建物群を撮影しました。この界隈は、意外と再開発によって高層オフィスビル群が形成されています。




専大前交差点から振り返って、靖国通り(東側)を見渡して撮影しました。




専大前交差点の横断歩道を渡って、更に西側へ向かって歩いていきます。前方に日本橋川に架橋されている「俎橋(まないた橋)」の道路橋梁と、集古総則都心環状線の道路高架橋が見えて来ました。




南東側から、2011年9月から始まった解体工事によって更地状態となっている「九段下ビル」の跡地を撮影しました。地上4階建ての赤レンガ造りのモダンチックな建物でしたが、現在は地上駐車場として活用されているようです。




「九段下ビル」の跡地をズームで撮影しました。以前に建っていた建物は南省吾が設計し、関東大震災の復興助成を受けて1927年に竣工した耐火建築の店舗併用住宅となっていました。築90年近くが建っていたことから、解体されました。




前方に、日本橋川に架橋されている「俎橋(まないた橋)」の道路橋梁が見えて来ました。道路橋梁の西岸側は、東京地下鉄東西線の九段下駅一帯の「九段北地区」のオフィスビル街が広がっています。




南東側から、「俎橋(まないた橋)」の道路橋梁を撮影しました。名前の由来は、橋が2枚の俎(まないた)を渡したような板橋であったことによるとする説と、近くに存在した台所町との関連で名付けられたとする説があります。




俎橋を渡り、西岸側の九段南1丁目地区へ向かって歩いていきます。道路橋梁の真上には、首都高速都心環状線の道路高架橋が架設されています。




西岸側の九段下地区のオフィスビル街と、東岸側の神田神保町の古書店街とを結んでいる俎橋ですが、人通りが非常に多かったです。この橋自体は、江戸時代の初期からこの場所にかけられていたそうです。




俎橋の東岸から、神田神保町三丁目地区内の市街地を見渡して撮影しました。九段下ビルの建物が解体されて更地になったことによって、「専修大学神田キャンパス」の建物群を見渡すことができるようになりました。




南西側から「九段下ビル」跡地の駐車場の全景を撮影しました。2011年9月の解体工事が終わって約6年が経過していますが、現在も更地状態のまま放置されています。




俎橋上から、日本橋川の下流側(南側)を見渡して撮影しました。




俎橋を渡り、西岸側(九段下側)にやってきました。奥には「九段坂」の緩やかな上り坂の地形や、靖国神社の大鳥居が建っているのが見えます。




九段坂下交差点前の、東京地下鉄東西線の九段下駅にやってきました。これで2月下旬の神田神保町地区の散策は終わりです。



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2月の神田神保町:神保町交差点から地下鉄東西線九段下駅まで PART1

2017年07月31日 06時00分00秒 | 皇居周辺・城西


靖国通りの歩道(神田神保町一丁目地区内)を西側へ向かって歩いていきます。靖国通り沿いや周辺の路地裏には「神田古書店街」の町並みが広がっています。




「書泉グランデ」の建物前から、靖国通りの大通りを撮影しました。




靖国通りの歩道を西側(神保町交差点側)へ向かって歩いていきます。歩道沿いには、中小の古書店の店舗が多く並んでいて、歩道内にも書籍の棚が展開していました。




平日の午後1時過ぎの時間帯だったので、神田古書店街はあまり人通りは少なく、ひっそりとしていました。古書の店舗の多くは、通りの南側に即ち北向きに建っています。これは日光が当たって本が傷むのを防ぐためのしきたりなのだそうです。




靖国通りの歩道を西側へ向かって歩いていくと、前方に白山通りと交差している「神保町交差点」が見えて来ました。




南東側から「神保町交差点」の全景を撮影しました。この交差点の真下には、東京地下鉄半蔵門線の神保町駅が設置されています。




神保町交差点から北側へ向かって伸びている「白山通り」を撮影しました。この白山通り沿いも古書店の店舗が多く集まっていて、この白山通りを北側へ向かうと、JR水道橋駅前に出ることができます。




神保町交差点の横断歩道を渡り、九段南地区方面へ向かっていきます。




神保町交差点から北側へ向かって伸びている「白山通り」をズームで撮影しました。奥には、JR水道橋駅前の「東京ドームホテル」の高層ビルが建っているのが見えます。




南西側から(岩波ホールビル前から)、神保町交差点の北東側に広がっている建物群を撮影しました。オフィスビルや雑居ビルなどが密集して立ち並んでいます。




岩波ホームビル前から振り返って、靖国通り(東側)を見渡して撮影しました。この神保町交差点の一帯が、神田古書店街の中枢的な場所となっています。




神保町交差点の南東角の「広文館書店」の建物をズームで撮影しました。この本屋さんも、この場所に相当昔から建っていますね。私が子供の頃から、店の雰囲気は全く変わっていません。




「岩波ホール」などが入っている「岩波神保町ビル」の脇を通り抜けていきます。




神保町交差点からさらに西側、「岩波ホール」の周辺にも古書店の店舗が多く集まっています。「神田古書センター」の建物のそばを通り抜けていきます。




映画や演劇関係の書籍が多く集まっている「矢口書店」の脇を通り抜けていきます。この界隈は太平洋戦争の空襲を受けていないので、戦前の雰囲気がそのまま残されています。




靖国通りの歩道を西側へ向かって歩いていくと、前方に「専大前交差点」が見えて来ました。




2000年代に入ってから、神田神保町地区内では再開発や建て替え工事が行われるようになりました。神保町センタービル隣の敷地も建替え工事が行われていました。



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2月の神田神保町:神田淡路町一丁目から神保町交差点まで PART2

2017年07月30日 06時01分00秒 | 皇居周辺・城西


靖国通りの歩道を西側(神田神保町側)へ向かって歩いていきます。神田小川三丁目地区内に建っているスポーツ用品店の「ヴィクトリア本店」の建物の全景を撮影しました。




南東側から、「ヴィクトリア本店」の建物の低層階部分をズームで撮影しました。




「アパホテル神田神保町駅東」のシティホテルの敷地前から西側を見渡して撮影しました。前方には「駿河台下交差点」が設置されているのが見えます。




駿河台下交差点の北東側、神田小川町三丁目地区内の建物群を見上げて撮影しました。この場所にも、スポーツ用品を扱う「ヴィクトリア」の別店舗の建物が建っています。




靖国通りと明大通りが交差している「駿河台下交差点」前にやってきました。これから、この交差点から西側一帯に広がっている神田神保町地区内の「神田古書店街」を散策していきます。




JR御茶ノ水駅の南側約500メートルの場所にある古書店街であり、明治大学や日本大学、東京医科歯科大学、順天堂大学などが集まる御茶ノ水駅周辺に程近いことから、学生の姿が多く見受けられました。




南東側から「駿河台下交差点」の全景を撮影しました。右上には、JR御茶ノ水駅前の「明治大学御茶ノ水キャンパス」の高層ビルが建っているのが見えます。




北東側から、神田神保町一丁目地区に建っている「三省堂書店神保町本店」の大型書店を撮影しました。名実ともに、日本一の規模を持つ大型書店の本店となっています。




駿河台下交差点から北側へ向かって伸びている「明大通り」を撮影しました。JR御茶ノ水駅がある駿河台台地へ向かって上り坂の地形となっていて、坂の名前は「文坂(ふみざか)」となっています。




北側から、三省堂書店神保町本店の低層階部分を撮影しました。




三省堂書店神保町本店のそばを通り抜けていきます。以前はこの書店に通っていたのですが、2004年9月に東京駅丸の内地区に「丸善丸の内本店」が開業してからは、ほとんど来なくなってしまいました。




靖国通りの歩道(神田神保町一丁目地区)を西側へ向かって歩いていきます。この神田神保町地区ですが、東京最大の古書店街が形成されています。神田神保町地区だけではなく、皇居の北側一帯が、出版社や書店などが集まるエリアとなっています。




この古書店街は、明治10年代(1880年代)にこの地域に相次いで創立された法律学校、明治法律学校(明治大学)、英吉利法律学校(中央大学)、日本法律学校(日本大学)、専修学校(専修大学)の学生を当て込んで古書店も含めた法律書の書店が次々にできていったのがその始まりだといわれています。




神田古書店街は約130年の歴史があることになり、古書店街の総数は約200軒です。このうち約140軒が古書店で都内の古書の約三分の一がこの地域に集約していることになります。




「書泉グランデ」の建物のそばを通り抜けていきます。



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2月の神田神保町:神田淡路町一丁目から神保町交差点まで PART1

2017年07月30日 06時00分00秒 | 皇居周辺・城西


南東側から、靖国通りと本郷通りが交差している「小川町交差点」を撮影しました。小川町交差点の真下には、都営地下鉄新宿線の小川町駅が設置されています。




南西側から、小川町交差点の北東側に広がっている千代田区の神田淡路町一丁目地区の建物群を見上げて撮影しました。




小川町交差点前から、東側(神田須田町側)へ向かって伸びている靖国通りの大通りを撮影しました。東京都心部を東西方向に横断しているので、車の交通量が非常に多かったです。




小川町交差点から、さらに靖国通りの歩道を西側(神田神保町側)へ向かって歩いていきます。この辺りの神田小川町地区ですが、東京随一のスポーツ用品店街が形成されています。




緩やかな左カーブを描いていく靖国通りを撮影しました。2017年2月の真冬の時期だったので、スキーやスノーボードなどのウインタースポーツ専用のお店などが多くの人で賑わっていました。




東京東部の錦糸町と新宿方面とを結んでいる靖国通りですが、1923年(大正12年)の関東大震災の帝都復興事業として明治通りや昭和通りとともに計画されて整備された経緯があります。計画当時は靖国通りではなく「大正通り」と言われていたそうです。




靖国通りの歩道を西側へ向かって歩いていくと、前方に「駿河台下交差点」が見えて来ました。




靖国通りの北側、神田小川町三丁目地区内に建っている「エルブレス御茶ノ水店」の建物を撮影しました。神田小川町地区内では、最も大きなアウトドア用品店の建物となっています。




靖国通り沿いだけではなく、大通りから一歩路地裏へ入った場所にも、多数のスポーツ用品店街が形成されています。




靖国通りですが、この神田小川町地区において大きな左カーブを描いていきます。北側に「駿河台台地」と呼ばれている丘陵地帯があり、それらを避けて通っているためです。




同じ場所から振り返って、東側(神田淡路町側)を見渡して撮影しました。




南西側から、神田小川町二丁目地区内の「スポーツボンバー」の店舗を撮影しました。以前はアオキの紳士服のお店がこの場所にあったと思いますが、変わっていました。




スポーツ用品店街は駿河台下交差点の周辺までであり、それから西側は神田古書店街が広がっています。




靖国通りの南側、神田小川町三丁目地区内の「スポーツパラダイス」の店舗を撮影しました。




東京都内でスポーツ用品の買い物をしたいのであれば、とりあえずは神田小川町地区に来れば何とかなるということですね。



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2月の神田神保町:JR神田駅前から神田淡路町一丁目まで PART2

2017年07月29日 06時01分00秒 | 皇居周辺・城西


靖国通りに架橋されている「須田町歩道橋」から東側を見渡して撮影しました。正面右側の奥には、靖国通りの「須田町交差点」が設置されているのが見えます。この辺りは、秋葉原地区の繁華街の南側に相当しています。




歩道橋から東側一帯の、千代田区の神田須田町一丁目地区の市街地を見渡して撮影しました。JR神田駅の北側に広がっているオフィスビル街となっています。




靖国通りと中央通り(国道17号線)が交差している「須田町交差点」をズームで撮影しました。須田町交差点の奥には、JR在来線や東北・上越新幹線の鉄道高架橋群が通っているのが見えます。




須田町歩道橋を下りて、靖国通りの歩道を西側(神田淡路町方面)へ向かって歩いていきます。都営地下鉄新宿線の小川町駅のA1出口を見下ろして撮影しました。




須田町歩道橋のそばには、「神田青果市場発祥の地」の石碑が設置されていました。江戸時代の初期は青物市場が江戸中に分散していましたが、明暦の大火(1657年)以降、徐々にここに集まってきたといわれています。




靖国通りの歩道を西側(神田淡路町方面)へ向かって歩いていきます。靖国通りの真下には、都営地下鉄新宿線の小川町駅が設置されています。近くにはJR神田駅もあり、交通の便が非常にいい場所となっています。




前方に、靖国通りと外堀通りが交差している「淡路町交差点」が見えて来ました。靖国通りの車の交通量は非常に多かったです。




南東側から「淡路町交差点」の全景を撮影しました。この交差点から北西側の一帯は、千代田区の神田淡路町一丁目地区の市街地が広がっています。




「神田淡路町」の地名ですが、淡路坂に由来しています。淡路坂は江戸前期に坂上西側に鈴木淡路守の屋敷が存在したことに由来し、一口坂(いもあらいざか)、相生坂とも呼ばれていました。




淡路町交差点の横断歩道を渡っていきます。




淡路町交差点前から北側を見渡してみると、正面にはJR御茶ノ水駅前に建っている「ワテラスタワー」の高層オフィスビルがそびえ立っていました。2013年4月に開業した高層オフィスビルとなっています。




靖国通りから南側の一帯は、千代田区の「神田小川町一丁目地区」の市街地が広がっています。




淡路町交差点の横断歩道を通り抜けて、さらに西側へ向かうと、前方に靖国通りと本郷通りが交差している「小川町交差点」が見えて来ました。




南東側から「小川町交差点」の全景を撮影しました。この小川町交差点から西側沿いが、東京随一のスポーツ用品街の町並みが広がっています。




小川町交差点前から振り返って、靖国通り(東側)を見渡して撮影しました。



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