まるぞう備忘録

無題のドキュメント

多重層。邂逅。

2013-11-04 11:32:31 | 多重層

ユダヤの人たちが長い間共にあったヤハウェ信仰ですが

イスラエル王国が滅亡した時に大きな転換を迎えました。

一つの流れは東の果てのエデンの国に戻りました。

この日本に戻ったユダヤ人たちは、

ヤハウェを信仰していましたが、

ユダヤ教徒では有りませんでした。

ユダヤ教が誕生したのは彼らがイスラエルを脱した後です。

さてイスラエルにいたころ、そしてその以前、

ヤハウェは厳しい父なる神でありました。

しかし日本の土地に上陸すると、

ヤハウェは母なる愛情の神になりました。

彼らはヤハウェの鏡を神宝として上陸しました。

その鏡の裏には古代ヘブライ文字でヤハウェの言葉が書いてあります。

「私はありてあるものである。」

しかし日本ではその鏡は八咫の鏡と呼ばれ、

母なる太陽神「天照太御神」として祭られるようになりました。



大いなる神様には、

愛情深い母なる面(次元)もあれば、

厳しい父なる面(次元)もあります。

どちらを感じるかというのはこちらの人間側の問題です。

放浪のスサノオであったユダヤ人たちは、

ずっとヤハウェを厳しい父と感じていました。

しかし母性のふるさとに戻り安住したときに、

そのヤハウェが母なる太陽神になったのです。

とても興味深いことであります。



ゾロアスター教の最高神アフラ・マズダも同様です。

愛情深い母なる一面(次元)と、

悪を成敗する厳しい一面(次元)があります。

もしゾロアスター教が日本に戻ることがあれば、

アフラ・マズダは太陽神として祭られたでしょう。

「ラ」とは太陽神を意味します。

しかしイスラエルに残ったユダヤ人にとっては

アフラ・マズダは厳しい父なる神ヤハウェと映りました。



さて私たちが知るユダヤ教は、

ほとんどがその骨格をゾロアスター教から移管しました。

最高神が全知全能の光の神であること。

この世が善なる神と悪魔との闘いであること。

死後善なる魂は天国に行き悪なる魂は地獄に行くこと。

これらの思想はユダヤ教だけでなく、

キリスト教やイスラム教にも引き継がれ、

世界でもっともメジャーの宗教観になっています。

ただもとのヤハウェ信仰にはありませんでした。



さて、自らの神性に気づけるか戻れるか、というのが

古代からのユダヤ人たち(スサノオ)の課題でありました。

人(他民族)より神性を気づきやすいことの引き換えに

逆境や誘惑が多いという旅であります。

今回のイスラエル王国の滅亡で

ユダヤ人たちは一つの壁に突き当たりました。

民族の神性が何人もの預言者を輩出して、

彼らに警告を与え続けたのにこの結果です。

ワレヨシの欲のために御蔭信仰(偶像崇拝)に精をだし、

王国の繁栄を魔物との契約をしてしまいました。

そのため風紀も道徳も乱れ、

結局それらの因果により王国は消滅しました。

単なる預言では救えなかったのです。

もうこれで何度目でしょう。

やはり神性から離れた自我に対して自覚させるには

真理を教義として理解させることが必要です。

無垢な子供であれば純粋に神様を信じます。

しかし欲にまみれた大人であれば理屈が必要なのです。

なぜこの世に善と悪があるのか。

なぜ善を行わなければならないのか。

なぜ悪の誘惑に堕ちてはいけないのか。

この真理がユダヤ人たちに開示されました。



ヤハウェは私たちの中にある善なる心なのです。

ゾロアスター教を触媒として思い出した人たちがいました。

彼らを歴史家はパリサイ派と呼びます。

一方旧来のままヤハウェは豪華な神殿にいると唱えた人も残っています。

神殿関係の既得権益を持つ彼らはサドカイ派と呼ばれます。

権威主義であったサドカイ派は間もなく衰退し、

パリサイ派が唱えるヤハウェ信仰がユダヤ教となりました。

ユダヤ人たちが神性への回帰に近づいた瞬間でもありました。



しかし神に近づけば近づくほど、

悪魔の誘惑が巧妙になる旅でもあります。



つづく




おひさま、ありがとうございます。