郷が杜備忘録

旅行や読書と日々の行動の記録。
日常のできごとや思い出の写真が中心。 たまに旅行の記事も投稿します!

高知城

2023-04-11 | 

高知城(2001年撮影)・・・レンズ付きカメラ撮影のため、写りはよくない

所在地    高知市丸ノ内1-2-1

城の種別   平山城

築城者    山内一豊(24万石)

築城年    慶長8年(1603)   

歴代城主   山内氏(24万石)

遺 構    天守閣・黒鉄門・追手門・廊下門・懐徳館・納屋蔵・東多聞・西多聞まど

       15棟(重要文化財)

       本丸・二の丸・三の丸跡の石垣と堀の一部(史跡)    

天守閣の構造 木造3層6階本瓦葺(寛延元年(1748)竣工)

追手門とその上に天守閣が見える

追手門

追手門を過ぎて杉ノ段に上がるところに

山内一豊の妻(千代)の像があります。

本丸・天守閣

天守閣からの眺め

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会津若松城(鶴ヶ城)

2021-09-12 | 

(2012年撮影)

所在地    福島県会津若松市追手町1番1号

城の種別   平山城

築城者    葦名直盛

築城年    至徳元年(1384)

歴代城主   葦名氏、伊達氏、蒲生氏(92万石)、上杉氏(120万石)、蒲生氏(60万石)、加藤氏(40万石)、保科氏‐松平氏(23万石)

遺構     城跡(史跡)

天守閣の構造 鉄筋コンクリート造り鉄骨一部木造、5層7階、基礎/特殊井筒基礎 

至徳元年(1384)、葦名直盛によって東黒川館として築城され、天正18年(1590)会津に移封となった

蒲生氏郷により本格的天守閣が築かれた。このとき「鶴ヶ城」と命名された。

その後歴代城主が整備拡充を図り明治維新を迎えたが、明治7年惜しくも取り壊された。

現在の天守閣は、昭和40年(1965)に再建された。

平成22年(2010)には天守閣全体の屋根瓦を戊辰戦争当時の色である”赤瓦″へ葺き替え、翌年には

外壁の化粧直しも終えて、まさに戊辰戦争直前の姿が蘇った。

 

 

天守閣から眺めた磐梯山(頭が雲に隠れてしまった)

 

この時は、鶴ヶ城を見てから福島市で行われるイベントを見に福島市に戻ってきた。

福島市から眺めた吾妻小富士

松川を渡って、飯坂温泉へ。

 

翌日は、福島競馬場で行われていたイベントを見学。

名物の円盤餃子を作っていたので、並んで購入。

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白石城

2021-09-06 | 

白石城(2011年5月撮影)

所在地        宮城県白石市益岡町1番

城の種別  平山城

築城者   蒲生氏郷

築城年   天正19年(1591)

歴代城主  蒲生郷成、甘粕金景継、石川昭光、片倉小十郎(初代1万3千石、8代より1万8千石)

遺構    本丸、二の丸跡(市指定史跡)、石垣の一部、土塁、堀

天守閣の構造 木造3層3階、本瓦葺(平成7年復元)

 

慶長7年に仙台城の支城として片倉小十郎景綱公が入城してから11代260年にわたり

片倉氏が居城しました。

白石城は元和元年の一国一城令以後も仙台城と共に城として存続が認められ、また明治維新の際に

は奥羽越列藩同盟締結の舞台となった。

写真は2011年5月ですので、東日本大震災のため壊れたところも写っていました。

 

白石は片倉小十郎景綱公の城下町でしたが、片倉家は真田家と深い関わりがありました。

二代目片倉小十郎重長公は大坂夏の陣において真田幸村公と激戦を繰り広げました。

大阪城落城前夜、幸村は敵将である重長公を知勇兼備の将と見込み、子女阿梅(おうめ)大八(だいはち)らの

後事を託しました。

長じて阿梅は重長公の後妻となり、大八は片倉四郎兵衛守信と名乗り片倉家臣から後に伊達藩士に取り立てられています。

白石市は真田家ゆかりの地ともなっています。

 

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佐賀城跡

2021-08-24 | 

佐賀城跡(2010年4月撮影)

佐賀藩36万石の居城跡。全国でも屈指の濠をめぐらし、5層の天守閣を持ち栄城、亀甲城、沈み城などと呼ばれる名城でしたが、

明治7年の佐賀の役でほとんどを焼失。

現在は鯱の門と続櫓が佐賀のシンボルとなり残っている。

中に、佐賀城本丸御殿の一部を忠実に復元した「佐賀城本丸歴史館」が建てられている。

 

 

さがレトロ館

明治20年に建てられた洋館(旧警察部庁舎)を活用した佐賀県産食材のレストランや物販コーナーがある。

 

佐賀駅(2010年当時)

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岡山城

2021-08-22 | 

岡山城(2011年11月撮影)

別名     烏城(うじょう)、金烏城(きんうじょう)

所在地    岡山市北区丸の内2-3-1

城の種別   平城

築城者    宇喜多秀家(57万4千石)

築城年      慶長2年(1597)

歴代城主   宇喜多氏(57万4千石)・小早川氏(50万石)・池田氏(姫路系28万石)・池田氏(鳥取系31万5千石)

遺構     月見櫓、西丸西手櫓(以上重要文化財)、本丸を中心に櫓・門・旧本丸などの石垣、内濠及び後楽園(特別名勝)

天守閣の構造 鉄筋コンクリート造3層6階(昭和41年再建)、地下1階(再建時に増設)

 

JR岡山駅から、桃太郎大通りを東へ進むと旭川という川にあたり、その先に岡山城が見えてきた。

北側のほうを望むと、川の右側は岡山県立博物館と岡山後楽園である。

近づくにしたがって、立派な城の姿が見えてきた。

城は昭和20年空襲により焼失しましたが、昭和41年に再建されました。

月見橋の向こうに、後楽園の一角らしきところが見えましたが、時間がなく行けませんでした。

 

今日は、午前中は小雨、午後からは曇りになりました。

雨が続いているうちに、庭の樹木に毛虫が付きスカスカに葉が食われてしまいましたので、

午前中に枝を切ってしまいました。伸び放題の雑草やつる草も抜いて少しはきれいになりました。

その代わり汗びっしょりになり、即シャワーを浴びて昼になりました。

午後からは、プールに行って水中ウォーキングと軽く泳いできました。

最初プールの入り口を入ったら、だれもいなくて貸し切り状態でした。びっくりしました。

でも監視員の人はいたので、休業ではありませんでした。そのあと2~3人が来て、少しずつ増えてきました。

安心しました。

宮城県もコロナ感染者が急増していて、このところ200人越えも続いていました。

仙台市がまん防指定となったので、みんな自粛しているのかと心配になりました。

 

早く落ち着いた日々が戻ってほしい、今日この頃です。

 

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