郷が杜備忘録

旅行や読書と日々の行動の記録。
日常のできごとや思い出の写真が中心。 たまに旅行の記事も投稿します!

「終わらざる夏」(浅田次郎著)を読む

2018-03-19 | 読書

「終わらざる夏」(浅田次郎著)を読む

浅田次郎氏の著作。
浅田次郎氏は1951年東京都生まれ。
1997年、「鉄道員(ぽっぽや)」で直木賞を受賞。
2010年、「終わらざる夏」で毎日出版文化賞を受賞する。

浅田次郎の作品で最初に読んだのは、「一刀斎無録」だったと思う。その流れで、「壬生義士伝」、
「輪違屋糸里」と新選組の物を、読んできた。
そのほか、中国の清朝のものから第二次大戦頃のものまでがあるのを知っていたが、今回読んだ
「終わらざる夏」はその流れにあるものかもしれない。

浅田さんの作品は、歴史小説的なところがあるが、歴史そのものよりも、歴史に題材をとった文学作品
という感じがする。
今回の作品も、時代は終戦間際の日本そして当時の日本領千島列島の最北端、占守島である。
場面はいくつかに別れ、赤紙で招集される主人公のいる東京から、出身地の盛岡、子供の疎開して
いる長野県、満州から移動してきた中隊段列の兵隊たち、戦場となる占守島、終戦後に攻め込んできた
ソ連軍の動きとその中で戦う兵士の視点などなど。
中心的な3人の招集兵とその人たちを囲む家族、友人などの戦争中の思いが綴られてゆく。
終戦時にこのようなことがあったことは初めて知った。そして、この地で戦った日本兵たちは、強力な
兵器と鍛えられた戦闘力があったにもかかわらず、勝つことはできず降伏し、武装解除され、ソ連軍の
捕虜となってシベリヤに抑留されたのである。

先の大戦、太平洋戦争とか第二次世界大戦とかいろいろな呼び方をされているが、それらは後から
つけられた符号のような気もする。本当の中身を表していないかもしれない。
私の父も若くして兵役を志願し、軍隊に入隊して中国大陸で戦ってきたようであるが、1年近くの訓練の
あと中国大陸に渡ったのは、東京空襲の後だったようである。すでに戦争も終盤になった時期である。
この小説を読んでも、戦争中の家族や身内の思いなど、父のことを思い出さずにはいられなかった。
父はこの小説の主人公たちとは違い、1年ほど中国で捕虜となった後、終戦の翌年復員できたので、
私も存在するのであるが、若い時の軍隊の経験はほとんど話すことはなく亡くなってしまった。
今となってはもっと聞いておきたかったと思うが、過去を振り返る年にならないと、なかなか聞けない
ものであるし、わからないのかもしれない。
ただ、戦友会にはよく行っていて、軍隊での訓練のことや、戦友会の資料を残していたので、
これからは父の残した資料を整理しながら読んでみたいと思っている。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村田町に行って来ました。「糀ダイニング藍」

2018-03-07 | 日記

日曜日、遠刈田温泉の日帰り温泉に行った帰り、村田町の蔵のある通りを歩いてきた。
前の週にテレビでイベントをやっている情報を得ていたからだ。

蔵の町として有名な村田町に、発酵文化を活かした「糀ダイニング藍」がプレオープンしていました。
そこで、豆乳甘酒と桜餅のセットをいただいてきました。ブルーベリー味と干し柿味をいただきましたが、
飲みやすくおいしい味でした。


☆「糀ダイニング藍」
 ※~3/11(日)までプレオープン 実際のオープンは3/20(火)
 宮城県柴田郡村田町大字村田字町187 かねまん店蔵内
 TEL090-4048-6990
 (営業時間)平日11:00~15:00
       土曜、日曜、祝日10:00~17:00(L.o16:00)
 (定休日)水曜 ※祝日の場合は翌日
 ●豆乳甘酒 400円(税込)
 ●糀美人セット 1,500円(税込)


江戸時代の村田は、仙南地方の紅花集散地となり、村田商人が上方や江戸と活発に取引をしていました。
明治時代になると、紅花の流通は途絶えますが、替わって繭や生糸の集散地となります。その他、醸造業や
地主経営等により積極的に活動を行い、商業地として大いに賑わいました。
現在町並みに残る土蔵造りの店の多くは、近世から近代にかけて富を蓄積した商人によって明治時代以降に
建てられたものです。
村田町中心部の蔵のある街並みは、平成26年9月18日に、宮城県初の国の重要伝統的建造物群保存地区に
選定されました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする