郷が杜備忘録

旅行や読書と日々の行動の記録。
日常のできごとや思い出の写真が中心。 たまに旅行の記事も投稿します!

最近読んだ本 2018.2.25 司馬遼太郎・傑作短編選「戦国の忍び」  

2018-02-25 | 読書
最近読んだ本 2018.2.25   

司馬遼太郎・傑作短編選
「戦国の忍び」PHP文庫
  2007年4月18日 第1版第1刷 

  前回も司馬遼太郎を読んでいたが、このところまとまって時間が取れなかったので、手元にあった
 短いものを通勤途上に読むのが多かった。
  司馬さんの忍者物は直木賞をとった「梟の城」を以前に読んだことがあった。司馬さんの作品は、
 はじめは人気作家になってからの長編のものを読んでいたので、初期の忍者物などはあとから
 読み始めたものである。やはり人気作家になってからの物とは違って、小説としての面白みもあり、
 文章が違っているような気がする。後からの作品には、小説の途中に余計なと言っては失礼だが、
 いろんな講釈が割り込んでいたような気がする。いろんな書物を読んだり、現地を訪ねたりした
 時の知識が入り込んでいたような気がする。

 「下請忍者」       (「講談倶楽部」1959年12月号)
 「忍者四貫目目の死」 (「週刊新潮」1961年5月8日号)
 「伊賀者」        (「週刊読売」1963年1月6日、13日号)
 「伊賀の四鬼」     (サンデー毎日特別号」第52号 1961年11月1日)
 「最後の伊賀者」    (「オール読物」1960年7月号)

  司馬さんの作品はすべて伊賀忍者であった。かつて、他の作者、池波正太郎さんとか、隆 慶一郎
 さんの作品も読んだが、甲賀忍者や八瀬童子だったようだ。それぞれ得意とする分野が違うのだろう。
  今回の小説を読んでも、戦国武将や歴史の表面に出てくる人物の陰には、裏側で活躍する忍者や
 下働きの者の苦労や悲哀があるのがわかる。
  「下請忍者」は郷士配下の下忍猪ノ与次郎の話である。下忍は、郷士が諸国の大将から依頼された
 仕事をするために、大将のところに派遣される忍者である。もちろん報酬は郷士に支払われ、下忍は
 そこから分け前をもらったり、生活を保障されたりするわけである。
  与次郎は小さい時に河内国から買われてここへきて、忍者に訓練されたのである。いやになって
 逃げようとしたことから、いろんなことが起こってくる。
  読んでいると今現在の派遣労働者の悲哀と似ているようで、時代が変わっても、同じようなことが
 あるのには、がっかりするばかりである。
  司馬さんのそれまで読んだ小説、戦国武将の物や明治維新、日露戦争の物にはそういうものは
 あまりなかったように思う。その時は自分も武将や軍人のようにどんどん頑張れば、いい未来がある
 ように思えたが、実際はそうではなかったし、そのように思っていた自分もバカみたいである。

  「伊賀者」は、真言立川流や戦国武将・筒井順慶の伝説が絡まる作品で、読みごたえがあった。
  筒井順慶は明智光秀の本能寺の変後にも関りがあり、よく「洞ケ峠」で話題になるが、順敬死後
  養子定次が継ぎ、伊賀二十万石に移封されたが、のち奥州磐城平に配流されたという。

  「最後の伊賀者」は、伊賀同心が二代目服部半蔵に叛旗を翻した事件の、新たな解釈でつづったと
 いうことである。服部半蔵正成は、家康に仕え、各地の戦場で活躍したほか本能寺の変の時、堺にいた
 家康を領国三河まで無事帰らすことができた貢献で、八千石の知行をうけたものである。
  戦国から太平の時代に移行する中で、半蔵が郷里伊賀で集めた伊賀者二百人が家康の家人となり
 伊賀同心として半蔵の支配におかれたものである。
  二代目半蔵正就は、伊賀の忍び上がりの伊賀同心から能力もないのに頭領になっていることから
 不満を持たれ、一揆をおこされ無役に落とされてしまった。


  司馬さんの忍者物は池波正太郎さんや隆 慶一郎さんと違って、今の時代につながるものがあり、
 現代批判的な、サラリーマン悲哀を下地にしたようなところがあるなあ、と感じた。
  忍者の小説にすれば、池波正太郎さんの一連の武田信玄の頃から、大坂の陣のころまでの、
 「蝶の戦記」や「忍びの風」の於蝶、「忍者丹波大介」「火の国の城」の丹波大介、「忍びの女」の
 小たま、など甲賀忍者や真田氏絡みの忍者物が面白かった。
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大黒様の面、展示準備してきました。

2018-02-16 | 日記
公民館まつりで展示するため、準備に行って来ました。
彫刻教室に通った仲間の作品もできていました。
ほかの皆さんは柿渋で表面を塗ってよくできていました。
私の出来も、まずまずだったと思います。 -->
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「大君の通貨」(佐藤雅美著)を読む

2018-02-12 | 読書・佐藤雅美著
「大君の通貨」(佐藤雅美著)を読む

佐藤雅美(さとうまさよし)の著作。
佐藤雅美(さとうまさよし)氏は1941年兵庫県生まれ。早稲田大学法学部卒業。
会社勤務を経て、43年よりフリーに。60年、「大君の通貨」で新田次郎文学賞を受賞。
平成6年、「恵比寿屋喜兵衛手控え」で直木賞を受賞する。

この本は、幕末「円ドル」戦争と副題にあるように、幕末の開国に絡む物語である。
通常の幕末維新ものにあるような幕府と薩長軍の対決の物語ではない。志士も新選組も出てこない。
ペリー来航後の日本が諸外国と開国交渉をしていく過程の物語であり、登場するのは、開国に当たり
外国から来た外交官と幕府の老中や外務官僚との交渉の物語であり、幕末の経済的側面を対象とした
珍しいものである。しかし、著者のわかりやすい著述により、幕末開国期の裏事情が非常にわかり
やすくなっていると思う。
中心に描かれるのは、イギリスの初代駐日外交代表ラザフォード・オールコックと米国の外交官
タウンゼント・ハリスであり、幕府側は外務官僚水野筑後守忠徳(みずのちくごのかみただのり)、
老中間部下総守詮勝(まなべしもうさのかみあきかつ)らである。

開国時、外国と日本の貨幣の交換は、同一硬貨は同一重量で交換が決められた。これが国際的
共通事項であった。
その取り決めによると、1ドル銀貨は日本の一分銀3枚との交換が適当であった。しかし、幕府の
水野筑後守は、1ドル銀貨は1分銀1枚と同等であり、別に2朱銀をつくりこれの2枚との交換を
外国側に主張していた。
オールコックとハリスら外国交渉者はこの主張に不信を持ち、頑なに自己の主張を通し外交官特権
を得ていた。
しかし、この交換比率が金貨小判との交換において外国側の有利になり、多くの銀貨が金貨に交換され
日本の金貨、小判が外国に流失するという騒動そして損失が発生した。
ハリスはこのことを事前に知っており、銀貨と金貨の交換で蓄財をしていた。オールコックは後で気づいて
日本側に対処を進めたが、日本側はそれに従わなかった。
実は日本の銀貨は粗悪な品質に改鋳されており、銀の実質重量は本物の三分の一であった。
そして一分銀4枚が日本では金貨小判1枚と交換できた。したがって、1ドル銀貨1枚と1分銀で小判1枚
と交換できるので、1ドル銀貨が4枚あれば、金貨の小判が3枚得られるわけである。
このことが後々物価の上昇を招き、庶民の反発を買い、また幕府財政の悪化にもつながり、反幕府勢力
に優位に働いて、幕府の崩壊を招くことになったということである。

オールコックは後に「大君の都」という著作を書き上げ、その中でこれらの事情の詳細を記している。

もう少し裏事情を明かすと、幕府による貨幣の改悪は11代将軍徳川家斉の時代に行われたようである。
家斉には子供がたくさんいて、それぞれを他の藩に出したり嫁にやったりしたときにお金がかかり、それを
補うために、家来のものが殿の意を受けて考え出したもののようである。そのことは、幕府にも余剰の
資金を生み出し、幕府財政も潤ったようである。このことが、孤立した日本だけの世界であればまだよか
ったが、開国をしてグローバルな国際世界と交流する時代になって、不具合が出てきたのである。

今の時代にも似たようなことがあるのではないだろうか。黒田日銀の低金利政策は大丈夫だろうか?
ジャブジャブの金余りはどこに行って、この結末はどうなるのか、非常に心配である。
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司馬遼太郎の短編「割って、城を」「雨おんな」

2018-02-10 | 読書
最近読んだ雑誌、本から2018.2.4 

司馬遼太郎さんの本もたくさん読んできた。でもすべて読んでいるわけでもない。
戦国時代、幕末維新期、日露戦争期、「この国のかたち」などの随想、「街道をゆく」など
好きな本ばかりである。
その博学な知識には驚かせられるし、知らなかったことがいろいろ知れるのが楽しみでもある。
以下の雑誌は、父の蔵書の中から出してきて読んでみた。父も好きだったのである。 

 

1.中央公論 平成8年9月号臨時増刊
  1996年9月1日 発行 
 「司馬遼太郎のあしおと」

 司馬遼太郎の短編
 (1)「割って、城を」(初出 『別冊文藝春秋』昭和38年3月号)
   関ヶ原の戦いで主家を失った、善十こと鎌田刑部左衛門と茶人大名古田織部正との話である。
   河内と大和の境の竹内峠に世から隠れていた善十のところに、仕官を勧めに使者が来た。
   鎌田刑部左衛門には百戦不敗の閲歴があり、槍組を指揮させては、絶妙の戦上手であった。
   旧主宇喜多家で大禄を食んでいたころ、故太閤から「天下第一の物仕」という褒辞さえもらった
  ほどである。
   古田織部正は、太閤の茶坊主であったが、利休七哲の一人であり、太閤在世中、御伽衆という役で
  三千石にまで累進した。慶長五年の関ヶ原の役では東軍につき、役後家康から元の知行地である
  伊勢松坂で一万石に加増され、諸侯に列した。
   茶人が乱世生き残りの武者を求めるのは何故か、善十は古田織部正に会いに伊勢松坂に向かった。
   織部正に会い仕官した善十は、善十の持っていた飯茶碗を異国渡来の陶器と目利きされ、「軒蓑」
  と名付けられた。そしてその茶碗を取り上げたのと交換に、越中則重の脇差をいただいた。
   元和元年五月、大坂夏の陣のとき、大坂城落城の直前に、古田織部正は京都にあって身柄を
  拘束された。織部正が大坂方に内通していて大坂方と共謀して東軍を挟撃する計画があったらしい。
  娘婿の鈴木左馬助は断首、その子はじめ一族も同様、しかし織部正は事前に逃げている。
   古田織部正として、元和元年六月堂々と切腹したのは、ありようは善十であった。
  織部正はのち薩摩に流寓し、その墓と言われる石が西南の役前まであったという。


  ※戦国大名と茶道、利休と秀吉など、城や合戦だけでなく、戦国時代には現代にもつながっている
   ものがあるようだ。
   織部正には、茶器を割って金で継ぐという技術というか、好みがあったようである。
   芸術を突き詰めると、創作されたものを割って、つないで自分のものにするという暗い愚劣な
   行為を行うこともあるようだ。だが、そこに前衛というものがあるのかもしれない。
   織部正は家康が固めた天下を割って、作り直してみたかったのかもしれない。



 (2)「雨おんな」(初出 『講談倶楽部』昭和36年12月号)
   おなんは出雲の歩き巫女であった。村々を歴訪して、出雲大社の神符を売ったり、死者に祈祷し、
  口寄せをして金をもらうのである。
   時は関ケ原の合戦の直前、戦場となる美濃関ヶ原の近くの牧口村に、おなんと老人の与阿弥、
  童女の市の三人が遭遇した。
   村人が逃げてしまった屋敷に仮の宿としていた三人だが、夜中武者の行軍に目が覚めたおなんは
  宇喜多中納言家の家来、稲目佐馬蔵に犯された。稲目は「合戦の前におなごができると、よい武運
  に当たるという、縁起が良い」といって出ていった。
   その後、後からその家に入ってきた福島左衛門大夫家の家来、尾花京兵衛に「戦場を前に女と
  ちぎると、よい武運がつく」といわれ抱かれてしまう。
   後から分かったことだが、この日の朝から昼過ぎにかけて、関ヶ原の野で、天下分け目の大合戦が
  あったという。
   それから半年たって、おなんらは伊勢、志摩、紀州を経て大坂に出て、備前岡山の城下に入った。
  岡山城には宇喜多家はなく、小早川秀秋が57万石の大封の主となっていた。
   おなんは稲目の消息を訪ねた。しかし、宇喜多家の御家中は離散しており知るものはなかった。
  しかし出入りの商人たずねると、あまりいい評判はなかった。おなんは稲目の武運が良かったかが
  知りたかった。
   それから冬を越して、また廻国の旅に出て、安芸広島の城下に入った。尾花京兵衛の消息を訪ね
  たのである。尾花の場合は、彼の主人、福島正則は関ケ原の勝者であり、功により尾張清州から
  安芸49万8千石の太守に栄達しているので、尾花京兵衛は足軽大将になっていた。
   訪ねて行ったおなんに、はじめは思い出せなかったようだが、関ヶ原での戦ばなしをしている間に、
  初戦の大乱戦の中で生き残ったことに、その武運はおなんのおかげがあったことを思い出していた。
  そして、そのままおなんは尾花の女になって広島に落ち着いた。
   それから二年後、広島城下に一人の乞食が現れ、相生橋のたもとに寝転んで、「この首進上」の
  高札を立てて、槍での勝負を挑んでいた。
   この乞食を打ち取るように命じられたのは、尾花京兵衛であり、打ち取りに出かけたが相手が
  手強く、顔を見られたうえ逃げられてしまった。その時の乞食は関ケ原で戦った稲目佐馬蔵であった。
   稲目佐馬蔵は関ケ原で敗退ののち戦場を離脱するときに、尾花京兵衛に遭遇し一騎打ちをして
  尾花を仕留めようとしたが、それをやめて尾花を残して戦場を去っていたのであった。
   おなんは二人のいきさつを聞き、佐馬蔵を追っていこうとするが、佐馬蔵は「おれには武運が
  なかった」と言って去っていった。







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