うしくの辺り:魅力度最下位? 茨城県の南部

茨城県の牛久市を中心に、散歩やドライブで見つけた素敵な場所や不思議に思ったことをつづった。魅力度最下位茨城の地味な魅力。

四国遍路へつづく畑の祠:だいりうの・・・

2020-01-13 15:00:00 | 散歩

茨城県牛久市のはずれを散歩していたら、畑の脇に小さな祠があった。

(県道土浦稲敷線、荒川沖へ向かう途中の「珈琲8代葵カフェ ひたち野うしく店」裏の旧道沿い。ここはすでに阿見町でした)

この程度の祠は、あちこちにあるが、立ち寄ってみた。

 

入り口の扉の上に看板があり、ひらがなで

第二十一番、だいりうの つねにすむぞや げにいわや・・・とある。

21番があるなら、近くに20番や22番があるのだろうか。

お供えもちも飾られて手入れはゆきとどいている。

 

 

家にかえってからグーグルに「だいりうの・・」いれて検索すると、1件それらしきものがヒット。

開けてみると、「四国偏礼道指南増補大成」を文字おこしした解説サイトだった。

四国88カ所のお遍路みたい。

21番はまさに阿波徳島の二十一番札所「大龍寺」であった。だいりうの・・は大龍の

空海が少年時代に修行したというずいぶんと古い寺だ。

 

この大龍寺、険しい山中にある。昔は行くのが大変だったろう。

今ではロープウェイがついている。

 

 

何のいわれかわからないが、四国遍路につながる秘密の通路を茨城県南部の畑の中に見つけた。

この祠の扉をあけると、不思議の国のアリスのように、阿波の国に行けるのかもしれない。

 

ではまた、ぶらり。

 

 

追伸:

ちなみに、この本「四国偏礼道指南増補大成」は、江戸時代のお遍路のガイドブックだ。

図書館蔵書や古本にヒットする。

著 者 [宥弁(真念)/著]
出版者 柏原屋清左衛門[ほか]
出版年 1767
ページ数 58丁

(たくさん出回ったようで古本2,3千円程度と安い)

 

検索でヒットした上記のサイトは、以下を参照してください。

(どなたが作ったかわからない匿名サイト。だが、資料としてすばらしい。いいね!いいね!)

 

第二十一番
舎心山   常住院      太龍寺

案内の現代語訳もある。

「空海がまだ出家していないとき、この嶽の霊威を見て攀じ登り、勤操僧正に教わった求聞持法を行った。・・・」などの寺のいわれやと道順、案内図等がわかる。

 

その阿波の部分 原文

「廿一番大龍(りう)寺【指南に「たつミむき」】 那賀郡 舎心(しやしん)山常住(しやうぢう)院と云 本尊虚空蔵(こくうそう)大師御作也【指南に「秘仏」】此所大師少年の時 霊を感(かん)じ求聞持(くもんち)を修(しゆ)し給へり霊験(れいけん)大師 ミつから三教指帰等にのべ給ふ名区なり 【本尊図】大龍(りう)のつねにすむぞやけに岩屋      しやしん聞持(もんぢ)ハしゆごのためなり 是より【異体字】平等(ひやうとう)寺迄二里。三十【異体字】町程(ほと)深山(しんざん)。本道ハ山口村に かヽる三里也【指南に「今の道はすぐなり」】。あせび村。おヽね坂。あらたの村。」

 

現代語訳 「{南東に向いて建つ。}那賀郡。舎心山常住院と号する。本尊は虚空蔵菩薩像で、空海の作。{秘仏。}空海が少年の頃に霊威を感じて求聞持を修めた。空海本人が霊験のほどを三教指帰で書いている。  詠歌「大龍の常に棲むぞや げに岩屋 舎心聞持は守護のためなり」  平等寺まで二里。三十町ほどは深山を行く。大きな道は、山口村を通る。三里の道程だ。{現在の道は、真っ直ぐ。}阿瀬比村、おおね坂を通って荒野村に着く。」

 

なお、このサイトには、「四国遍礼霊場記目次」もあり、現代語訳がついている。

以上

 

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