なんでも欲しいものが手に入れば、幸福で悔いのない人生を送れると思っていませんか。
太閤秀吉は、大阪城内に黄金の茶室を造り、天下の名器、財宝を集め、美女をはべらせ 威勢を張っていましたが、聚楽第(じゅらくだい)の湯殿や便所にまで、隠し堀を引いて舟を浮かべ、いつ襲われても脱出できるようにしていたという。
辞世は『露(つゆ)とおち露と消えにし我が身かな難波(なにわ)のことも夢のまた夢』。
少年時代は裸でどこにも寝転んで自由気ままに過ごしていた、それを考えると人間の生きる目的はほかにあると述べているようです。 なんでも夢を叶えても、いつか崩壊するという不安があったのでしょう。
仏教は人生は、ただ一瞬の稲光り、朝露のようにはかないものである。
楽しみといっても夢幻でしかない。
この世の別れとなれば、妻子も財宝もなにひとつあてになるものはない。
独りでこの世を去らね ばならぬからである。 と説いています。
人は夢を追い、夢に酔うことを幸福と信じてしまいがちです。
真の幸福とは何か考えてみるのもいいの ではと思いました。
良寛が竹林で拾った欠けたお椀を幸せそうにお粥を入れて使っていた。 幸せとは心の中にある。 そう感じてならないのです。
私は布の切れ端さえも 捨てれない古い人間です。 それでお守り袋や物入れ袋を作ったりしています。 布切れが生き返った気がします。
これが元祖お布施(布の切れ端を頂く)です。
太閤秀吉は、大阪城内に黄金の茶室を造り、天下の名器、財宝を集め、美女をはべらせ 威勢を張っていましたが、聚楽第(じゅらくだい)の湯殿や便所にまで、隠し堀を引いて舟を浮かべ、いつ襲われても脱出できるようにしていたという。
辞世は『露(つゆ)とおち露と消えにし我が身かな難波(なにわ)のことも夢のまた夢』。
少年時代は裸でどこにも寝転んで自由気ままに過ごしていた、それを考えると人間の生きる目的はほかにあると述べているようです。 なんでも夢を叶えても、いつか崩壊するという不安があったのでしょう。
仏教は人生は、ただ一瞬の稲光り、朝露のようにはかないものである。
楽しみといっても夢幻でしかない。
この世の別れとなれば、妻子も財宝もなにひとつあてになるものはない。
独りでこの世を去らね ばならぬからである。 と説いています。
人は夢を追い、夢に酔うことを幸福と信じてしまいがちです。
真の幸福とは何か考えてみるのもいいの ではと思いました。
良寛が竹林で拾った欠けたお椀を幸せそうにお粥を入れて使っていた。 幸せとは心の中にある。 そう感じてならないのです。
私は布の切れ端さえも 捨てれない古い人間です。 それでお守り袋や物入れ袋を作ったりしています。 布切れが生き返った気がします。
これが元祖お布施(布の切れ端を頂く)です。