和歌山大学の中島教授が熊野那智勝浦に設置されている、
水車電力による、世界初の「シンセサイザーさくらのコンサート」!
何か予感はありました。
一日の始まりは、朝食の勝浦ならではから。
たぶん日本でも唯一の無人まぐろ販売所です。
有名なすぐそばの勝浦漁港から直行の最高のマグロが、
なんと・200円とかで購入できます。しかも・無人です。
シャリは、これもすぐ近所にある勝浦の人しか知らない、
通のおすし屋さんで購入!
この二つを合体して、
カツどん(勝浦どんぶり/まぐろどん)の完成です!
それを持って、不陀洛山寺で朝食会。
この船で、十何代もの住職達が、
夢の楽園を求めて、それこそ、バリ・ロンボクに向けて太平洋に旅立ちました。
隣には、「熊野三所大神社(浜の宮王子社)」が。
不陀洛山寺で、秘仏の千手観音様を御開帳していただきました。これもサプライズな事件で、私のCDを、那智の上の那智山青岸渡寺さんに報告していただけるという事でした。昨日の温泉での那智大社の禰宜(ねぎ)さんとの出会いと言い、今日のこのウエルカムと言い、今回の、この演奏に向けての吉兆。昨日のピアノのコンサートで、今回は観音様に導かれているというお話をお聞きしたところでした。
この小学校が今回の舞台です。
そのプールのそばの水路に水車はありました。
隣を流れる川にはサクラが映え,
その元にシンセをセット。
今や、日本の生活で使っている電力の殆どが原子力です。
私達はその事をどれだけ知っている事でしょう。
それは私達普段の生活に最低必要以上の有り余る電力を供給し、最終的にはウランの放射能を撒き散らします。
そんな反面、世界にはまだまだ電気も通じていない場所が今もあります。この春の色んな場所での体験は、そんな、エネルギーを考えさせられる時間でした。
ロンボク島では、一年前に電気が通じた古代文明の面影の残る最後の集落を訪ねました。
その時も、
「果たして電気は、その人達にとって必要なのか・・・」
と、思いました。
電線が通っていても、電気を点ける事も無く家の中は真っ暗で、
部屋のかまどで飯を炊き、川で洗濯をし行水し、自給自足で畑や酪農をし、それだけでなんの不足のない生活を何千年も続けて来た者が、そこに、たった一本の電線が引かれたとしても、その必要以上のエネルギーを使う必然性がない。
たぶん、その余分な電力が出来る事は、TVを観る事や、電話をする事くらい。
それも、集落が・人々が必要としないならば、何の意味もない。
果たしてこの人たちに、電線からくる電力は必要なのでしょうか。
「小水力発電で何ができるか」
今回のこのテーマに参加して一番感じたのは、
唯一、節電の事。
新しく、電力で得るものはもう何も必要ありません。
最小限に必要なエネルギーを、どううまく使うか。
一度電力を知ってしまった私達が、それ以前に戻ることはもはや不可能です。
でも必要以下の電力しかなければ、私達も節電を考えるでしょう。
【新たなる大自然と人類の共生】
私達には、それを始める道のみが残されています!