ボブ・ホーナーを記憶している方は多いと思う。(30歳以上の野球ファン)
彼がヤクルトスワローズ(確か昭和62年)に入団したとき、マスコミは大挙して彼を追いかけた。その現象は、異常なものであった。
今でこそ現役バリバリの大リーガーが、日本にやってくることは珍しくなくなったが、当時の日本球界に、ボブ・ホーナーのような大物選手が来日することは予想もされなかった。
彼が来日したときの年齢は29歳。大リーグでFA宣言を行ったものの、どこからもオファーがなく、無職になっていたところ、当時低迷していたヤクルトが白羽の矢を立て交渉した。
当時の日本球界では破格の200万ドル(日本円で推定2億4000万)で来日が決定した。
この金額の破格だったことは、当時の日本人の最高年俸プレーヤーの平均が、7000万から8000万であったことから伺い知れる。
このボブ・ホーナーが来日したとき、巨人に在籍していたクロマティの発言が、今でも記憶に残る。(何かの雑誌か本だった)
「彼は日本では通用しないよ。ナゼなら彼は、下積みの経験が一度もないから。」
クロマティは、マイナーやメジャーの経験を持つ苦労人だけに、メジャーの経験しかない人間は、日本の環境に耐えられないということを指摘したと思う。
しかしボブ・ホーナーは、日本のキャンプやオープン戦も経験せず、4月末の来日からシーズン終了までに、怪我による離脱もあったが、31本のホームランを放った。(規定打席には未到達)
そのなかで圧巻だったのは、いきなりの出場で打てばホームランという印象で、我々日本人を驚かせた打撃技術であった。(恐らく日本野球を理解すれば、阪神に在籍したバースよりも記録を残したハズ)
また、異常で加熱するマスコミフィバーもあったが、彼を見たさに、それまで閑古鳥の鳴いていた神宮球場は、球団初の200万人以上の動員を計り、年俸の出費以上の還元を球団は受けたものである。
シーズン後に、ボブ・ホーナーと複数年で更なる高額契約を申し出たヤクルトだったが、ホーナーはその契約を断り、メジャーと1年約1億の契約を結び、日本球界から去ったが、今でも記憶に残る外国人選手であった。
当時のヤクルトと今のカープの状況は良く似通っている。
ただ唯一違うのは、親会社がないだけ。
ヤクルトが当時破格の契約を提示できたのも、ヤクルト本社の財力があったから。
しかし・・・低迷するカープが、松田オーナー先頭に昨年オフ、本気のチーム改革を公表していたのであれば、間違いなくファンは、カープ球団に惜しみない投資を行っていたであろう。
カープファンは、独立採算で頑張るカープを応援しているのではない。
広島東洋カープが、地元球団であり、ただ純粋に好きだから、惜しみない声援を送り続けていると、私は思う。
カープ球団に言いたいのは、球団に愛想を尽かした選手はFAできるが、大半のファンは、カープが消滅しない限りFA宣言できないということである。
それが どれだけ重いものか、松田オーナーはじめ、球団フロントは噛み締めてほしいものである。
ボブ・ホーナーが来日し、ヤクルト球団が学んだ教訓・・・
「有効な投資を行うと、必ず還元されるということを思い知らされた」