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あの頃カープは強かった…第1回(カープOB の思い出)

2012年03月18日 09時53分18秒 | カープ

昭和54年春・・・私は高校一年だった。

当時住んでいた場所は、カープ三篠寮の近く。

開幕前、暇を見つけては寮へと通った。

連日通いつめる私に、ある選手が親しく声をかけてくれた。

その選手は九州の高校から入団し、背番号もいい番号をもらっていた。

 

「おまえ学校は?」

彼が発した最初の言葉であった。

 

それから数日後、毎日ひとりで練習している彼に頻繁に出会うことになった。

「おまえ、前から気になったんじゃが、学校にいかんでええんか?」と彼が聞いた。

わたしは、彼に親しみを感じていたので本心を話した。

「受験に失敗したんよ。それでいま定時にいきようるから」と言うと、彼は「そうなんか。定時か・・・」と、答えた。

「オマエ野球好きか?」と聞く彼に、わたしは「大好きじゃね」と答えると、キャッチボールせんかと言ってくれた。

生まれて初めて、プロ野球選手とキャッチボールをした瞬間。今でも鮮明に覚えている。

彼は軽く投げてくれたのだろうが、私にめがけてくるボールは驚くほど速いボールだった。

そのとき、(これがプロなんだ)と感激というか、恐ろしさを感じた。

「どうしたら、あんな凄いボールを投げれるん?」と聞くと、「自分でも正直ようわからんのよ。手首の使い方とか肩が強いとか、昔から言われているんだが、こどもの頃からそうだったんで、何でと聞かれても説明できんのよ」と、言った。

「プロ野球選手って凄いよね。本当に憧れるよ」と聞くと、彼は「そうかなぁ?規則や色々なことが多すぎて、面白くないわ」と、語った。

 

それから数ヵ月後の夏、市民球場で行われていたウエスタンリーグを観戦した。

当時の二軍は強かった。

一軍は常勝軍団でレギュラーが固定されており、今のようなチャンスは当時のカープにはないと言っていいくらい、一軍昇格の切符はなかった。

ファームには長内や木本に木山、そして達川や山崎に小川がいた。

長内のパワーは凄かった。

山崎のショートも高橋慶彦よりうまく感じた。

木山の守備力や打率の高さ、木本のガッツなど、いまのファームとは全然比較にならないくらい、選手の目つきが違った。

特にサードの木山は、よく声の出る選手で、当時ファームの中心的な存在であった。

 

そんな選手を尻目に、彼はベンチでも存在感がなかった。

カープの選手が守備に着くときに、外野でキャッチボールの相手で姿をみせるくらいで、私がその後も観戦した試合で、レギュラーはおろか代役での出場機会もなかった。

ある試合の終了後、球場の表で彼の帰りを待っていた。

多くの選手が出てくるなか、彼は一番最後に出てきた。

そこで私は驚いた。

彼の姿は野球選手でなく、当時のツッパリ兄ちゃんに変貌していたからである。

また、大半の選手は自転車であったが、彼は球場前を流すタクシーを止め乗り込んだ。

 

あまりの変わりように驚いた私に、「元気にしとるんか」と彼が言った。

「どうしたん。変わったね?」と聞くと、彼は「大人になったんじゃ」と吐き捨てるように発してタクシーに乗り込んだ。

その年カープの一軍はリーグ優勝を飾り、日本シリーズでは伝説となった江夏の21球で日本一になり、連日報道はスターにばかり焦点が当たっていた。

彼の退団の記事も、見落としそうな小さなもので、ショックはなかった。

 

思えば幼少から野球一筋で、小さな町から独り立ちし、いきなり大きなお金を手にしたことで、彼の野球人生は、その瞬間に終えたのかもしれない。

それなりに野球に打ち込んだ春先から、プロの壁にあたり、試合にも出場できない挫折。

プロ入り前は常にレギュラーであり続け、挫折の経験もなかったはず。

それが、プロ入り後には一転し、気がつくとそれまでの反動からか、遊びをおぼえ 違う方向に進んだ結果、球団から早々と見切りをつけられたのかも知れない。

昨年末、カープOB会のコンペに参加させてもらったとき、ある人から「野球をやめたあと、いばらの道を歩む者が多い」と聞かされた。

そのとき見せられたOB会名簿には 彼の名前はなかった。 


過去のドラ1 鈴木将光に見る競争原理の虚しさ

2012年03月18日 08時14分45秒 | カープ

なぜか、この選手には魅力を感じるのは、私だけかも知れない。

まだ一軍経験はないのだが、一度起用してみてほしい選手である。

プロの眼からみると、「一軍レベルに達していない」選手かもしれないが、私が生でみたファームの試合では、彼が一番バットを強く振る選手に思える。(今年は見てないが)

また右にも強い打球を打てる技術も備えており、ここらあたりは配球に対する打席での心構えは出来ていると感じた。

ドラフト1位で入団し7年目。

チーム編成によっては今年が最後になるかもしれないと、本人も危機感を持っているであろう。

鈴木のようにファームには埋もれた選手がたくさんおり、スポットライトを一度も浴びることなく引退していく選手がいる。

今更だが、本来はオープン戦の初期に、鈴木のような新顔を実戦適応力が備わっているのかテストする余裕がほしかった。

いまだに外野手が固定しないカープ。

現有戦力のなかで、一部選手のみ限定でテストする指揮官。

昨日の岩本をみて思ったが、チャンスを与えられるのは一部の人間である。

カープの真の競争原理とは何であろうか?

「いくら頑張っても無駄だ」という思いが蔓延し、ファームボケする選手を憂う。