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あの頃カープは強かった…NO5

2012年03月22日 13時35分44秒 | カープ

古葉監督時代に行ったトレードを一言で現すと

改革しながら勝つ野球への挑戦…で、なかろうかと思う。

 

しかし全てのトレードがすんなりと球団同士で決まったものではなかった。

相手が大物になればなるほど、困難を極めたものである。

 

そのようななか、あの時代、本当に驚いたのは、江夏投手の獲得である。

それも交換でなく金銭だった。

 

いまさら理由はいるまいが、振り返ってみたい。

江夏氏の当時(昭和52年オフ)在籍していた南海ホークスの野村監督兼捕手解任騒動で、野村派に属した江夏・柏原も、「野村監督について行きたい」と、意思表明したのがトレードの始まりであった。

柏原には日ハムが早くから獲得に乗り出すも、江夏氏には問題児というレッテルからか、獲得を積極的に申し出する球団はなく、現役引退も覚悟していたようである。

野村さんは、江夏氏の能力を高く評価しており、自分のことより江夏氏を何とか移籍させることを第一に懸命に奔走された。(野村監督はロッテに選手として移籍)

 

古葉監督は、野村監督率いた南海ホークスでコーチ修行をした関係から、早くから打診を受けた。

そして、松田耕平オーナー(故人)に対し「江夏と柏原の二人を獲得したい」と申し出たのだが、松田オーナーは「柏原はまだしも、江夏は・・・」と、難色を示した。

そして一番の難関は、当時 南海ホークスの監督も経験し、オーナーよりも絶大なる影響力をもち、また出身で、広島アマチュア野球界やカープにも強い影響力のあった、親分こと鶴岡一人氏(故人)の存在であった。

松田オーナーは鶴岡氏に相談を持ちかけたが、答えは当然のように・・・「NO」

しかし当時のカープは、ここからが今のカープと大きく違った。

 

なんと・・・オーナーの反対を抑え込み、古葉監督が単身で鶴岡親分のもとに乗り込み談判を行った。

この行動は誰もが驚くことであり、鶴岡親分の機嫌を損ねた場合、古葉監督の野球人生だけでなく、その後の広島カープが終わりを告げる可能性もあった。

しかし古葉監督の強かさは鶴岡親分に談判するまえ、広島野球界のご意見番であり、鶴岡親分と刎頚の友と称されたU社長に仁義をきったことである。

U社長は、当時プロ野球界では、有力選手の大タニマチと評され、広島遠征に来た選手は何をさておき挨拶を欠かすことの出来ない存在であった。

U社長に、江夏氏獲得の必要性を延々とのべた古葉監督。

しかし、U社長もすんなりと 「よし、わかった」と言えない大きな理由が存在した。

それは野村監督解任騒動の火付け役の先鋒が、何を隠そう鶴岡親分とめされていたからである。

(つづく)


コメントへの御礼・・・

2012年03月22日 08時38分16秒 | 日本再生

毎回多くのコメントで激励してくださったり、コメントはありませんが、こんな私のつたないブログを楽しみに拝見していただいている多くの皆様に、心から感謝申し上げます。

ありがとうございます。

 

昨日から春の甲子園が始まりました。

選手宣誓を行った石巻工業のキャプテン・・・

胸にジーンとくる宣誓でした。

まだ復興は始まったばかり。

多くの被災者が、それぞれに多くの喜怒哀楽を持ちながら、前へ前へ進んでおられると思います。

多くの国民の中には、志を持ち行動を起こす人や、何を綺麗ごとを言っているなどと批判的な人もいます。

わたしのスタンスは、誰が何を言おうが被災地復興第一です。

人間だけでなく、牛や豚や犬や猫などの動物・・・そして多くの自然も苦しんでいる現実。

そのために、何とかしてやるという気持ちです。

 

話は横にそれますが、今年になって独居で亡くなられた仏さんを4名預かりました。

葬儀屋は儲かる仕事のようにいわれますが、正直・・・儲けにはならない仕事です。(広島市の生活保護のように恩恵を受けないからです)

しかし・・・あの被災地に行ってからか、何というか・・・独居の孤独死される人を現実に見ますと・・・なんか妙な気合というか、俺がやってあげんと誰が葬儀をしてあげるん・・・みたいな気持ちになるんです。

昨日も孤独死の方の火葬をしたんですが、その人の面倒を見られていたケースワーカーの方が、「本人の遺留金が数万円あるんです。私の思いからすると、お寺さんにお経をあげてもらい、できれば戒名もつけてやりたい。それに、お花やたばこを買って棺おけに入れてやりたいのだが・・・」

正直一瞬・・・「エッ」と思いました。

しかし私も48年生きてきて、その半数以上の27年も葬儀屋をすれば、不思議なもので何とかしようと思えば何とかなるんです。

これまで48年間、正直言いましてロクな生き方をしてきませんでした。

お金も残していませんし、人を踏み台にして粗末にしたこともあります。親不孝は相当なもんでした。

そんな自分が偉そうに、社長になってから社員に言うんです。

「金を貯める習慣をつけろよ。イザとなったらお金がないと生活はできんないんだから。そして、人には嫌われたらいけん。好かれんでもいいから嫌われることはするな。最後に親孝行は絶対せいよ。亡くなってから後悔しても遅いんじゃ。どんなに完璧な親孝行した人でも、親が亡くなると後悔するのを見とるじゃろう。だから親は大切にせんといけん。あと、親の悪口は人に漏らすな。親がいなかったら生まれてこなかったんだから。感謝はしても、親が悲しむことだけは絶対にするなよ・・・」

これら全てが、私の後悔であり反省なんです。

だから社員は、わかってくれているんです。

 

被災地では多くの方が亡くなられ、いまだに行方のわからない人が多数おられます。

それにくらべれば天涯孤独や独居であっても、誰かが看取り、葬儀まで出してもらえることが、実は寂しいものでなく有難いことだと思うのです。

 

これからもワケのわからない主義主張や思いを綴っていきますので、末永いお付き合いよろしくお願い申し上げます。