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今年こそ、今日のような試合を減らしてほしい

2012年03月17日 17時33分13秒 | カープ

今日の試合をテレビで見ていて思ったのが、「この様な負け方が、今年も続くのか」と嫌な予感がした。

8回に代打丸の逆転ツーランが出て1点勝ち越し、抑えのサファテで逃げ切りの予定が、エラーやボークが絡み逆転される展開。

終盤の逆転シーンは、年に数試合必ずある。

しかし、投手が打たれ点を取られるならまだしも、エラーやボークでの負けは後味が悪すぎる。

 

解説の達川氏は、ボークの判定に異論を唱えていたが、それよりもボークで興奮状態にいるサファテを孤立させ、すぐにマウンドへ集まらないナインや首脳陣に呆れた。

しばらくし、監督が通訳を伴いマウンドに行ったが、あのタイミングでは遅すぎる。

また監督は、審判に確認もしなかった。

あれでサファテは呆然とし、気持ちを入れ替えられなかったと思う。

その後、四球になるわ、捕逸が2回もあるわで、見ているファンは「あ~あ、今年もダメなんかな」と思ったのでは…

シーズン開幕まで一週間。

オープン戦でよかったと思いたいが、今年は無駄な負けを減らしてほしいものである。


盈進高校と言ったら永本裕章だな…

2012年03月17日 08時40分05秒 | カープ

昨日のコメントで盈進卒のOBが触れてあり、そこで思い出したのが

永本裕章。

「誰だそれ~」という声もあるでしょう。

 

佐伯・金城と同期で、当時(昭和49年)若手三羽烏で大きな期待を持たれた投手なんです。

残念ながら、カープでは大きな華が咲くことはなかったのですが、ダイナミックな投球フォームから繰り出される速球は魅力でした。

伸び悩んだカープ時代でしたが、当時の首脳陣は毎年大きな期待をかけていました。

初優勝した昭和50年。谷間に先発で起用され、勝利投手になったこともあり、佐伯には大きく引き離されていたのですが、将来性の伸びシロは永本に部があったと聞きました。

私の永本に対する一番の思い出は、昭和51年の春キャンプ。

臨時コーチで来日した、往年の大リーグで名投手といわれたウオーレン・スパーンが、永本の潜在能力に目をつけ、ジャックナイフ投法というフォーム着手したことです。

これは今でもみることのない、変則的な投球フォームでした。(言葉で表現できなくてすいません)

意図は、それまでのフォームでは出所が打者に見えやすいため、永本の速球のよさを生かし、大化けさせるためだったと、記憶しています。(しかし結果は出ませんでした)

カープでは伸び悩んだ永本ですが、その後、阪急ブレーブスへトレードされ開花しました。

期間は身近かったですが、先発ローテにも定着し、山田、足立、今井という、当時のパリーグを代表する投手と阪急で活躍できたのは、カープ時代の苦労が身を結んだものと言われました。

現役最後は巨人へ移籍。

 

現在 風の噂によると地元福山におられるとか・・・

 

しかしこの永本投手を生で見た当時小学6年の私には、精悍な顔つきで大きなからだ。

そして大きな手が印象に残っています。

あのときもらったサイン・・・どこに行ったのやら(笑)