ニックほしかったです。
しかし相手の吉見・・・緊張してますね。
それに比べてマエケン・・・大したもの。
今年は大きく期待していいでしょう。
さて堂林を起用しましたね。
これは凄いことです。
さあ・・・がんばれカープ!!
ニックほしかったです。
しかし相手の吉見・・・緊張してますね。
それに比べてマエケン・・・大したもの。
今年は大きく期待していいでしょう。
さて堂林を起用しましたね。
これは凄いことです。
さあ・・・がんばれカープ!!
さあ、間もなく開幕です。
今年に監督生命をかける野村・・・
堂林をスタメンで起用しましたね。
さあ・・・がんばれカープ!!
私のような会社は両方も購読する必要はないのだが、このたび久々に心するものがあり広島経済レポート(青)も取り始めてみた。
この2誌・・・なかなか頑張っている。
これまで多くの地元経済誌関係の書物が販売されてきたのだが、この2誌だけが生き残っているといっても過言ではなかろう。
似通った内容が経済誌だけにあるのは仕方がないのだが、わたしが個人的に注目し興味を持っているのが、経済レポート(赤)ではパラボラアンテナ、広島経済レポート(青)は、こぼれ話である。
これは両社の特徴が出ていると勝手に思っている。
経済レポート(赤)は 思想信条を前面に出し憂国の士を強調しながら毎回奮闘するパラボラには共感を覚えながらも、抗議の電話や不買運動は起こらないかと心配もする。
あのパラボラを書かれる記者さんには、お会いしたことは当然ないが、意外やこのような方は会えば普通の人だったりすることが多く そのギャップもまた良かろう。(笑)
かたや広島経済レポート(青)は、今月久々に散見すると企業にスポットを当てまとめてある。
両者とも、当然購読数や協賛広告がカギになり、毎回取材される記者の方は取材をしながら営業も行うという過酷?また表に出せない話しなどと毎日葛藤の連続であろうが、多くの読者に有益な情報を掲載し続ける書物であってほしいと願う。
がんばれ・・・記者のみなさん。
カープの強かった時代・・・
それを知っているのは30代後半の方ではないだろうか…
私の子どもは今25歳になるが、彼が生まれた昭和61年・・・カープは強かった。
そして彼が5歳の平成3年・・・カープは最後の優勝だっただけに、息子は強いカープの記憶が皆無に近い。
カープがここまで20年間優勝に見放された原因は、多くの方が指摘されているので、いまさら私が語る必要もないのだが、私なりに強かった時代を改めて回想してみたい。
強かった時代・・・この筆頭は、古葉監督と松田耕平オーナーの協力体制が強固だったことである。(晩年は崩壊し、古葉監督は去ったが・・・)
それは、古葉監督の率いる現場は当然のこと、編成に関する大半に信任をおいたことからも伺い知れる。
一年を戦った結果、チームとして不足している補強部分を出欠覚悟で行えたことは、チームに毎年のように緊張感をもたらし、選手の意識改革に成功した。(松田オーナーの器量の大きさもあった)
また古葉監督は、選手を好き嫌いで起用することは殆んどなく、実力主義の起用を行った。
衣笠の連続フルイニング出場を断腸な思いで止めた決断(昭和54年)や山本浩二を4番やスタメンから外す大胆さ(昭和59年)から見られるように、情に流される選手起用を行う監督ではなかった。
そして伝説の江夏の21球・・・これはカープ初の日本一となった試合であるが、この21球のなかでも、古葉監督は冷静沈着な対応を取った。
あの絶対絶命のピンチを迎えた場面、ブルペンに池谷と北別府を向かわせる用意周到さ…あれは当時の古葉監督でなければできない采配だっと言っても過言ではなかろう。
江夏はあのとき…マウンドからベンチの指揮官を睨みつけた。
ナゼなら、このシリーズの あの瞬間まで、カープベンチには江夏以降の投手起用はあり得なかったからである。
そこまで絶対的な守護人として、江夏への信頼と信用は誰もが認める存在であった。
ブルペンに行かされた池谷も北別府も、それを受ける石川ブルペン捕手も柴田猛コーチも、当時の模様を複雑な思いで受け止めていた。
恐らくベンチの古葉監督以外の全員が、そう思っていたことであろう。
しかし古葉監督は、あのときの模様を「確かに江夏以外に、あの場面にマウンドにいる投手はいなかったでしょう。しかし私はあの場面、残り時間など色々なことを考えた。もしあの回、同点で終わると延長戦に入る。そして次の回…江夏に打順がまわる可能性もありました。そうなれば、当然交代も視野にいれなければならない。また江夏にアクシデントも予想される。そのようなことから、あの場面、監督として当然のことをしたまで・・・」と、語った。
その様な事情を知る由もない江夏は、マウンドで怒りをあらわにする。
それを目にし、江夏のもとに駆け寄っり、落ち着かせたのは盟友の衣笠である。
「オマエ何をイライラしとるんじゃ。オマエの相手は近鉄じゃないのか?自軍のベンチと喧嘩してどうする。」この衣笠の言葉で、江夏は冷静さを取り戻し、見事に近鉄打線を封じたのは有名な話。
(あのときの選手には、反江夏も多数おり、あの伝説の21球は自作自演と囁かれたもの。それにしても例え事実であったとしてもスゴイ偉業で、誰も真似はできないであろう)
衣笠の連続イニングを止める決断をした際には、衣笠に自ら歩み寄り事情を説明したと聞く。当時の衣笠の不調は深刻で、さすがに我慢をし続けていた古葉監督も衣笠をスタメンから外すには、相当悩んだと語っていた。(連続試合は継続させると伝え、後に偉業は達成した)
山本浩二の場合は少し事情が違った。
当時報道された内容に目を通すと、スタメン落ちを内田コーチに知らされた山本は激怒したらしい。「何で監督でなく、コーチのオマエが伝えるのか・・・」(内田コーチは山本より年下であった)
衣笠と山本浩二への古葉監督の対応の差・・・
この真相を知る由もないが、次回はこの両雄に対することを振り返ってみたい。 つづく
最近、葬儀後の相続に関して、士業の方の売り込み(セールス)が活況を呈してます。
一番多いのは司法書士のかた。
次いで弁護士、税理士とつづく。
なかには、それらの方がタッグを組み、相続何でも相談事業所もお目見えする。
ナゼここまで活発なのか?
結論から言えば、士業の乱立からきた競争激化に思える。
数年前に、ある弁護士さんが言っていた。
「国の政策で、弁護士を増やす傾向なんだよな~これから大変だよ。」
その弁護士さんは少年裁判を得意分野にしており、当時、弁護士のイロハを教えてくれるなかで、弁護士の増員政策を危惧していた。
さていつもながら話しがそれたが、現状の相続に関する状況はどうであろうか?
相続関係の需要から見ると、老後の不安に多くの方が関心があるようだ。
自分の財産で子どもが争う可能性を示唆する人や、子どもがいないため有効な活用策を模索する人など、結論から言えばお金絡みの相談が多い。
これまでも潜在的に需要はあった相続だが、今のように色々な媒体で取り上げられることは少なかった。
昔・・・葬儀終了後に集金にお伺いしたとき、時たま「子どもには言えないのだが・・・」と、相続に近い相談を受けたこともあったのだが、そのときは笑い話で済ますこともできるkらい、今ほど深刻なものには思えなかった。(実際は大変なことも発生したのだと思うが…)
しかし時代も変わり、いまのように家族葬が主流になると、我々葬儀社には葬儀の話より、その家族の核心に触れる相談が増加したのも事実。
その時は、「相続人全員で、洗いざらい話しをしてみて、それから法の専門家なり入れてみるのが得策でしょう・・・」と言うものの、肝心の法の専門家を信用しない人が多いのも事実。
ネット社会に入り、瞬時に情報を仕入れることもでき、それで理論武装を行う人も多く、「自分の財産は自分で守る」ひとも増加傾向にある。
私がこれまで係わった経験で言えば、自身のお金を他人様に采配されたくない人は、家庭裁判所に駆け込むことをお勧めする。
そのかわり・・・自身ですべての必要書類などを用意することになるので、時間はかかり面倒なのも事実。
しかし・・・行ってみれば、意外や簡単なこともあった。(これは経験からそう思う)
その反対に、足がないとか、多くの時間を費やす暇がない人は、その道のプロに任すのが早道。
幸いにも私には、それらを信頼して任せるプロがいただけに、父や伯母の相続では大変に助かったと、今も思う。
いずれにしても自分の財産を守るのは、自分の考えひとつ。
もしこれから、相続で悩むことがあるなら、いまから良い人脈を築き、自分なりの対策を講じておくことが重要ではないかと思うのだが…皆さんはどう思われるであろうか?