ここに出したい話があるんだが、出せばまた誹謗中傷が起こるし・・・(笑)
どうせなら・・・知らなきゃよかったんだが。
でも一つだけヒントを出します。
悪友さんいは悪いけど
阪神は間違いなく優勝か最下位だな。(笑)
この極端さ・・・カープにもほしいよな。
追伸・・・
楽天の大久保コーチに・・・けちったらしい話を持っていたのは、どこの球団じゃ・・・
見てみろ・・・後悔するぞ・・・
だから言ったろう。俺を通せと・・・(笑)
ここに出したい話があるんだが、出せばまた誹謗中傷が起こるし・・・(笑)
どうせなら・・・知らなきゃよかったんだが。
でも一つだけヒントを出します。
悪友さんいは悪いけど
阪神は間違いなく優勝か最下位だな。(笑)
この極端さ・・・カープにもほしいよな。
追伸・・・
楽天の大久保コーチに・・・けちったらしい話を持っていたのは、どこの球団じゃ・・・
見てみろ・・・後悔するぞ・・・
だから言ったろう。俺を通せと・・・(笑)
私はウエスタンリーグが好きだ。
一年契約のプロ野球で毎年多くの選手が解雇されるなか、ウエスタンで必死に一軍にあがろうとする選手を見るのは脚光を浴びる一軍の試合とは、また違った味わいがある。
しかし、ここ数年のウエスタンには昔の味わいを感じない。
選手の気質が、あまりにも変わりすぎたからだろうか…
最近見て思うのは、選手自身がプロ野球に憧れや魅力を感じない世代が多くなった印象を受ける。
私たちの世代は、プロ野球といえば憧れを通り超し、夢の世界でもあった。
また、プロ野球選手は遠い存在に感じながらも、何とか触れ合うチャンスはないかと捜し求めた世代でもある。
しかし現在は、プロ野球選手の方から ファンサービスの名目などで、ファンの前に現れる存在になった。
大リーグに多くの選手が流出し、また国内FAで選手が自由に移籍できるようにもなり、プロ野球の環境も大きく変わってきたことも要因だと思う。
それだけに、これからの少子高齢化を迎える時代、プロ野球はどのような舵取りをしていくのか興味深く見守りたい。
話は脱線したが、私は高校時代・・・広島市民球場で行われていたウエスタンリーグによく通い、なかでも昭和54年から昭和57年の4年間は、一番多く観戦したものである。
当時のファームは市民球場が主戦場となり、一軍と親子ゲームということが頻繁にあった。
親子ゲームの際には、一軍で出場機会の少ない選手も多く参戦し、格の違いを見せ付けたもの。(斎藤浩幸や小川達明などのパワーは凄かった)
そのファームの試合で、ある日から私以上に頻繁に観戦するオジさんがいた。
そのオジさんは、私が観戦する試合には必ずいたので、恐らく全試合を見に行かれたのではなかろうか?
そしてそのオジさん・・・席も必ずと言っていいほど決まっていた。
バクネット裏の最前列に座り、頭にタオルをかけ、炎天下であろうが曇っていようが、その指定席に必ず座り、いつも試合終了まで観戦していた。
私が、そのオジさんを今でも記憶しているのには、大きな理由がある。
それは・・・そのオジさんが発するヤジの痛快さであった。
これは聞くもの全てを楽しませるヤジで、思わずそのおかしさで、タイムを要求する選手までいたほどである。
試合開始早々、オジさんのヤジが始まる。
立ち上がりにストライクの入らない投手に、まずは軽くパンチを浴びせるように・・・「あれ~どうしたん?ブルペンじゃストライク投げてたが、打者がおったらダメなんか?」とくる。
また、自打球を当て痛がる選手には、「そがいに痛いんなら、代われ~や。見とるワシまで痛くなるワイ」と、ボルテージが少しずつあがってくる。
他にも・・・記憶する限りをあげれば、
アキレス腱を断裂し、昭和54年にファームで復活を期していた中日の谷沢選手に・・・「お~い谷沢。もう足はエエんかいの。海水浴いったみたいに日焼けしとるが、ええ加減に上がれ~や。中日は低迷しとるんでェ。二軍監督、いつまで谷沢をあげんのや。いらんのじゃったら、カープにくれや。の~備前さん(当時二軍監督)そう思わんかいねェ)
またカープで苦労人と言われ、後に韓国プロ野球にいった木山英求選手が打席に入ると、「木山・・・お前は立派なもんじゃ。来る日も来る日も、夢も希望も見えんカープで腐らず頑張ってから…ワシはお前を尊敬するよ。松田オーナー・・・ええ加減にどこかへ出してやれ~や。衣笠がおったら、このまま一生出れんどぉ」
同じく、二軍で最多勝を獲得した新美敏投手には・・・「新見よ・・・本当に運がないよの~こがいに二軍じゃええのに、古葉さんに嫌われたんかいの~。大石さん(当時二軍投手コーチ)、あんたも古葉さんと仲が悪いけん、推薦できんのじゃろう・・・」
昭和40年代後半に甲子園を騒がせ、大きな期待をされ近鉄に入団し、のちに投手から野手に転向したジャンボ仲根(故人)には、「仲根・・・オマエまだおったんかい。甲子園じゃほんまに凄かったの~藤井寺や日生(当時の近鉄のホームグランド)じゃ~人が見にこんから、気合が入らんのか。それともこのまま一生・・・低空飛行が実力か?」
また南海(現ソフトバンク)に在籍した、ドカベン香川捕手がセカンドからホームに帰ってきたときは。「おーい香川・・・すぐ体重計に載ってみい。500グラムやせとるぞ~」
まあ挙げればキリがないくらい、このオジさんのヤジは痛快であった。(やっている選手や監督、コーチはたまらなかったと思うのだが)
いまでも、ファームの試合でヤジを耳にする。
しかし・・・あのオジさんのような痛快さはない。
最後に あのオジさんのヤジは、褒めるメリハリもあった。
斎藤選手が目の故障から復活を期していたとき、「斎藤・・・目のせいにするな。お前のパワーはコウジや衣笠より上なんど~ 自信を持てよ。」
そして斎藤選手が持ち前のパワーを見せると、「ほら・・・打てるじゃろうが。お前は目を気にしすぎじゃ。バットを振るところに投げさせる打者になれよ・・・」
斎藤選手は、あのアクシデントから立ち直りは叶わなかったが、当時のウエスタンには、指導者以外にも、選手を時には厳しく、そして優しく見つめ続けるファンがいたものである。