トランペット軍団の平岡さんのコメントには、正直驚きました。
実は・・・平岡さんという名前を知っていまして、出そうか出すまいか非常に迷った挙句、個人情報保護法などもあり、やめたんです。
山本浩二ファンクラブ・・・実はわたしも中学のとき、東広島の西条に住んでましてね、初代の悪友が、このファンクラブのハッピ着て入団していたんです。
それでこの悪友が、結構幅を利かせてまして、当時のU会長に・・・「こいつも入れてやって~や」と談判し、昭和53年の8月の盆から9月終盤まで球場に行って、旗を振ってました。
そのとき、平岡さんとも触れ合ったりしたんですよ。実は・・・
ところで・・・昭和53年9月23日のヤクルト戦・・・
確かカープに大逆転優勝のチャンスがあった試合ですけど、結果終盤ヤクルトにひっくり返され負けたんです。(ここで負け越し、ヤクルトにマジックが点灯したんだったか…)
スタンドは超満員で、三塁側内野スタンドには、あのヤクルトの名物応援団長の岡田さん率いる相当数のヤクルトファンがいました。
そして試合終了後に、何とカープの応援団とヤクルト応援団が、スタンドをまたぎながら大喧嘩をしたんです。
当時の山本浩二ファンクラブには決められたルールがありまして、「他チームの選手やファンに野次は飛ばすな」・「応援団としてマナーのよい応援を心がける」などと・・・
それがあの日は違ったんです。
確か私の記憶では、試合終了後にヤクルトの東京音頭を聞かされながら、「クソったれ~」とか「頭にくるの~」などと、コソコソいいながら腹を立てていたんです。
すると、スタンドのお客さんが・・・「お前ら応援団は腹が立たんのか~」などと逆に野次を飛ばされてしまい、それでも応援団の先輩たちは 無言で我慢していたんです。
するとヤクルトの応援団が、「負けた、負けた、また負けた。鯉の季節は終わったよ~」と、刺激的なコールをかましてきました。
これには我慢していたU会長もキレまくり、「おどりゃ~なめとんかい。こうなったら売られた喧嘩じゃ・・・やったらかい」の一言で、何を思ったか初代悪友が、叫びながらレフトスタンドの3塁側ブルペンのあった方向まで団旗を持ち駆け込んでいきました。
そしてフェンスによじ登り、「わりゃ~こっちに来いや・・・喧嘩ならこうちゃろう」とか、「オトナしゅう、ここから出れる思うたら大間違いど~」などと叫びまくりました。
当然ヤクルトファンも、「おう、やるならやっちゃろう・・・」などと収まりがつかなくなり、気がつくと互いの応援団がレフトと三塁側のブルペンをまたぎ口論になったものです。(得意の口喧嘩ですね・・・いま考えると)
球場警備員も危険を感じたのか、警察官に応援を頼み、最後は互いの団長が呼び出され終息となりました。
しかしあの興奮は凄かった・・・