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あの頃カープは強かった・・・NO・10

2012年03月27日 10時17分45秒 | カープ

トランペット軍団の平岡さんのコメントには、正直驚きました。

実は・・・平岡さんという名前を知っていまして、出そうか出すまいか非常に迷った挙句、個人情報保護法などもあり、やめたんです。

山本浩二ファンクラブ・・・実はわたしも中学のとき、東広島の西条に住んでましてね、初代の悪友が、このファンクラブのハッピ着て入団していたんです。

それでこの悪友が、結構幅を利かせてまして、当時のU会長に・・・「こいつも入れてやって~や」と談判し、昭和53年の8月の盆から9月終盤まで球場に行って、旗を振ってました。

そのとき、平岡さんとも触れ合ったりしたんですよ。実は・・・

ところで・・・昭和53年9月23日のヤクルト戦・・・

確かカープに大逆転優勝のチャンスがあった試合ですけど、結果終盤ヤクルトにひっくり返され負けたんです。(ここで負け越し、ヤクルトにマジックが点灯したんだったか…)

スタンドは超満員で、三塁側内野スタンドには、あのヤクルトの名物応援団長の岡田さん率いる相当数のヤクルトファンがいました。

そして試合終了後に、何とカープの応援団とヤクルト応援団が、スタンドをまたぎながら大喧嘩をしたんです。

当時の山本浩二ファンクラブには決められたルールがありまして、「他チームの選手やファンに野次は飛ばすな」・「応援団としてマナーのよい応援を心がける」などと・・・

それがあの日は違ったんです。

確か私の記憶では、試合終了後にヤクルトの東京音頭を聞かされながら、「クソったれ~」とか「頭にくるの~」などと、コソコソいいながら腹を立てていたんです。

すると、スタンドのお客さんが・・・「お前ら応援団は腹が立たんのか~」などと逆に野次を飛ばされてしまい、それでも応援団の先輩たちは 無言で我慢していたんです。

するとヤクルトの応援団が、「負けた、負けた、また負けた。鯉の季節は終わったよ~」と、刺激的なコールをかましてきました。

これには我慢していたU会長もキレまくり、「おどりゃ~なめとんかい。こうなったら売られた喧嘩じゃ・・・やったらかい」の一言で、何を思ったか初代悪友が、叫びながらレフトスタンドの3塁側ブルペンのあった方向まで団旗を持ち駆け込んでいきました。

そしてフェンスによじ登り、「わりゃ~こっちに来いや・・・喧嘩ならこうちゃろう」とか、「オトナしゅう、ここから出れる思うたら大間違いど~」などと叫びまくりました。

当然ヤクルトファンも、「おう、やるならやっちゃろう・・・」などと収まりがつかなくなり、気がつくと互いの応援団がレフトと三塁側のブルペンをまたぎ口論になったものです。(得意の口喧嘩ですね・・・いま考えると)

球場警備員も危険を感じたのか、警察官に応援を頼み、最後は互いの団長が呼び出され終息となりました。

しかしあの興奮は凄かった・・・


素直さと客観的な視野を持つことの必要性

2012年03月27日 08時59分16秒 | カープ

東京出稼ぎ4年さまより、久々に内容の濃いコメントを頂戴しました。

ありがとうございます。

このコメントを読み、ある話を思いだしました。

拙い話を書きますが、読んでください。

 

 

ある人が、当時現役だったプロ野球選手2名に気がついたことをアドバイスした話を聞いたことがある。

一人の選手は・・・その人自身が記録した、その選手の打席を詳細にメモしたもを渡し、改善点を伝えた。

選手は「このような見方があったんですね・・・」とえらく感激してくれた様子。

当然、「よかった。伝えて・・・」と思った。

しかしその後、その選手の様子を見ても一向に改善傾向が見えない。

その後、選手に確認をしたところ、「コーチに指摘された問題点を伝えたんです。するとコーチが、ワシの言う事と素人の野球好きが言う事のどっちが正しいと思うんじゃ。お前がワシを信用できないのなら、今後一切使わない・・・」と、言われたと話した。

その後 その選手は、一軍と二軍を行き交いしながら、持つ能力を開花させることなく引退した。

 

次にもう一人の選手にも、同じく詳細にメモした内容を渡すと、「やはりそう思われますか。自分でもそうじゃないかと思ったんです。このメモいただけますか・・・」と言った。

しばらくしてその人は、ある光景を目撃し驚いた。

その選手が奥さんを引き連れ、公園でティーバッティング(新聞紙を丸めたものをボール代わりにして)をしていた。

次の日も、また次の日も・・・

その人は近寄りコエをかけた。

「先日はありがとうございました。あのメモのお陰で何とか改善の傾向が見えました。」

その選手は数年後にタイトルを獲得し、引退後は打撃コーチとなり多くの選手を育成した。

コーチとなったとき、「野球選手で成功するには、素直な気持ちが必要です。何でもかんでも聞く耳を持てとは言いませんが、これなんだという、自分だけにしかわからないものって、あると思うんです。それを確信にするには、人の声は大切なんだと…あのメモを見たとき思いました。いまも指導するとき選手に言うんです。オレにアドバイスを求める前に、自分で何かおかしい・・・こうではないのか・・・と、思うことがあるんじゃないかと?それを伝えてくれることにより、アドバイスをしやすいんだよ…って」

 

同じアドバイスを行ったのに、両者とも素直という点では共通したと思う。

しかしこの二人の選手の大きな違いは、自分を客観的に見れたか見れないかの違いにあったのかもしれないと、感じる。

プロ野球に入る大半の選手は、アマチュア野球で群を抜き、選びぬかれた精鋭たち。

しかし毎年多くの選手が、入団時の脚光とは逆に寂しく引退していく様子を見るにつけ、指導方法だけでない何かが存在するのであろうと、思わされる。

その何かは、自分を客観的に見れる素直さなのか…

 

 

赤松に関する東京出稼ぎ4年さんのコメントをコピーし、ある人に見てもらったところ、「恐ろしい内容だな~ここまで分析するとは…この人プロ経験者ですか?」と、聞かれたものである。

私も多くの人にコメントをいただく。

そして、建設的なコメントや有益と判断した場合は、数名の関係者に渡す。

今回のコメントも東京出稼ぎ4年さまに了解なく、提出させていただくことをお許しください。

ニック、永川、天谷、末永、山本、井生に、是非とも役立ててほしいだけに。


横断歩道を渡るにも、家庭教育が大切

2012年03月27日 08時21分01秒 | 世間の話

私の自宅から会社のある府中町まで行く道中で、前から気になることがあった。

信号機のない横断歩道を渡る学生さんなどに見られる光景なのだが、渡る際に足早に走り、下を向いていることである。

朝のラッシュ時には、車が渋滞しており横断歩道で待っている人を見かけると、親切なドライバーは停車し歩行者に道をゆずる。

その光景は、見ていて気持ちがよいもの…

 

しかし、その親切心が大きなアダとなる光景を私は過去に2回目撃した。

それは、車に道を譲られた歩行者が勢いよく横断歩道を駆け抜けたその瞬間のことである・・・停止していた車の左側から猛スピードを出したバイクが、何と歩行者をはねた。

そのあとの光景は、皆さんが想像してほしい。(まさしく生死は表裏一体だと思い知った)

 

今日その悲劇は起こらなかったのだが、気になったのは歩行者が横断歩道をわたる際には、絶対なる安全確認を行ってほしいということ。

車が道を譲ってくれ、それで安心というわけでなく、渡りきるまで安心ではない・・・その向こうには自転車やバイクなどの存在が必ずある・・・ということを周知徹底してほしいと願う。

 

小学生から高校生までのお子さんをお持ちの方は、特に気をつけてほしい。

特に年頃の女の子は・・・横断歩道を渡る際に恥ずかしさが出るのか、下を向き走ることが多い。事故が起こってからでは遅い。そして最悪命を落とすことになれば、悲劇以外の何物でもない。

親切心がアダになるようなことのないように、家庭のなかで交通ルールふくめ、最低限のマナー教育を行う会話は、どんなに忙しい人でも行ってほしい。

今日から、無駄なアクシデントで人命を失うことのない社会の実現に向け、歩んでほしいと願っている。