くもり空の下で……

アルコールとギャンブル。依存症からの回復と成長を目指しながらの日々の雑感を発信。趣味の渓流釣りなども公開しています。

日記

2017-01-22 07:42:24 | 日記
最近は夜中の12時頃になると1日の出来事などを日記につける習慣が続いている。

この歳になるまで日記を書くなどという習慣はまったくなかったのだが、自分がいつまで生きているのか………
もし、死んでしまったら生前に自分の考えていたことなどを誰かに知ってもらうことなどできるのだろうか?……などと考え出すようになり、いつのまにか日記を書くようになっていた。

それは私が昨年のちょうど今頃に肝硬変を患い、病院のベッドの上でボーッと過ごす以外に何もすることなどできなかった頃に思いついたことだとは認識している。
それから今日に至るまで、たまに忘れてしまうときもあるけれど書き続けている。

日記帳…といっても単なるB5サイズのどこにでも売られているノートだけれど、いつの間にか5冊めになった……

今まで読み返したことなどなかったけれど、昨夜なんとなく読み返してみた。
一冊め………「字汚な💧」これぞミミズが這ったような文字と言えるような感じ。 確かに自分で書いた物には間違いないはずなのだが、何を書いているのか今読み返してみると自分でも理解不能。。。
その当時の私の精神状態をそのまま物語っている文字と内容だった。

2月◯日(晴れ)
病院食のメニュー、院内売店での買い物履歴、回診時の様子、見舞いに来てくれた家族に対しての自分の思いなどがダラダラと書かれている。

我ながら今になって当時を振り返りながら読んでいて恥ずかしくなることが多いのだが、あの頃から約1年経った現在の自分と、一年前の自分の思いがリンクしている部分としていない部分とが明らかになっていて不思議な気分になった。

当時の私は明らかに家族、先生や看護士、友達などに依存しきっている様子がよく書かれている。そして入院してからの20日間は一切外への散歩なども許されてはいなかったので、許可が下りて病院の外に出してもらえた時の歓び、その時はただ病院の近くにあるコンビニへ買い物へ行っただけなのに、世界で一番オレは幸せだぁ〜……みたいなことが書かれていた。この頃になると少しは精神状態も落ち着いてきたのだろう。他人が見てもなんとか読めるぐらいにまで文字もだいぶまともになってきた。


二冊め……… 二冊めの終わり頃になると退院してからの様子が書かれていた。
アパートへ戻ってきてからルアーづくりに夢中になっている様子、負債の整理に出掛けたり、以前に迷惑をかけた人への埋め合わせなどの出来事………など。この頃は退院したばかりで、「自分無敵〜✊」……みたいな訳のわからない自信のあった時期だった。
ずっとその状態が続けばいいのだろうが、必ずそのぶんのリバウンドが付き物………


…………
…………
そんな感じで現在でも誰に読んでもらうわけでもない日記だけれど、自分自身で一年経った今 読み返してみると恥ずかしくなることのほうが多い💧しかし意外な発見もあったりする。

他人のことは客観的にみる習慣がついているけれど、自分のことを客観的にみることはなかなかできない。
改めて日記を読み返してみると、紛れもなく自分自身が書いたものであるから当時の自分が何を考えていて、どういう精神状態であったのかを知ることができる。(私の場合文字の汚さで)

気分の浮き沈み……それは現在でも続いていて、気分の良い日、活動的だった日には文字もキチンとしていて(あくまでも自分目線で)何ページも記入しているのに、鬱っぽく何もする気がおきないときにはミミズが這ったような文字で2~3行しか書いてはいなかったりする。

昨年の入院、そして現在に至るまで、あくまでも主治医の先生からの私に対しての診断はアルコール依存症のみ……ということだけれど、日記を読み返してみると明らかに「躁鬱だなオレ」……と自覚できる。

今まで自分では気付くことができなかったけれど、いつか弟に「兄ちゃんは昔から冬になるとオカシクなってるよ。」………と言われたことがある。

原因の一つは自分でも思い付くことがある。私はこのブログでもカテゴリを別にして紹介しているけれど、渓流ルアーフィッシングが大好き。
その渓流釣りはルアーに限らず、秋から春にかけての冬の間は渓流魚の産卵の時期。そのため釣りは全国で全面禁漁になる。

その間は自分でハンドメイドルアーまで紹介しておきながら恐縮だが、他にたいした趣味もないので時間をもて余すことが多い。
今までは冬の期間はスロットにドッブリと浸かっていた。。。

精神的にいいわけがない。そんなこと自分でも解っていながらもスロットをやめることなどできなかった。




自分では鬱などあるはずがない とずっと思って生きてきたのだが、実際にはかなりの鬱症状が出ていることも最近では自覚している。

そもそも私は自分自身にも鬱気があることに気づくのが遅すぎた。
酒浸りだった入院前には「もう死んでもいいや」……などと考えていたこともあったのだから、すでにその時点で重度の鬱である。すっかり忘れてた。

いいのか悪いのか解らないけれど、すっかり習慣になってしまっているので、これからも日記は続けていこうと思っている。

誰かが読む訳でもないが、自分の為に📚