『もしかしたら、もう断酒してから一年も経つし、ビールの一杯ぐらいなら……………
オレ……、本当は依存症じゃなかったのかも……………』
…………これを回復書籍(書籍アルコホーリクス・アノニマス)では妄想と言っている。
第三章
さらにアルコホリズムについて
私たちのほとんどは、自分が本物のアルコホーリクだとは認めたがらなかった。自分の肉体や精神が、まわりにいる人たちと違うなどということを、喜んで認める人間がいるわけがない。
だから私たちが、ふつうの人のように飲めるかもしれないと、役にも立たない実験をしてきたからといって、驚くことはない。
何とかなるだろうという考え、いつかは飲むことを楽しむことができるようになるという大きな妄想が、病気の酒飲みに取り憑いている。この恐ろしい妄想を、たくさんの病的酒飲みは死の門口に立つまで、そうでなければ狂ってしまうまで、手放させないでいる。
私たちは自分がアルコホーリクであることを心の底から認めなくてはならないことを知った。これが回復の第一ステップである。自分はふつうの酒飲みと同じだという、あるいはいまにそうなれるかもしれないという妄想を、まずは徹底的に打ち砕かなくてはならないのだ。
(回復書籍p45より引用)
夕方、友人が久しぶりに電話をくれた。
その友人は私が昨年の精神科病棟に入院中だった時にもお見舞に来てくれたこともあり、今でも2~3ヶ月に一度ぐらいのペースで電話をくれる友人。
入院前に私が在籍していた会社でも長い間一緒に仕事をしていた同僚でもあったので、私とは気心知れた仲。
友人もたまには私の書いているブログを覗いてくれているらしく、電話での第一声が
『まーた仕事辞めたんか、こら!』
…………と、冗談混じりな挨拶。
しばし互いの近況を話し、楽しく会話していた中で
『もう、普通にビールとか飲んでもいいんじゃないの?
もともと仕事していた頃だってそんなに毎日浴びるほど飲んでたわけじゃないじゃん。』
…………と友人。
仕事を辞め、ギャンブルに溺れ、その度にやけ酒を繰り返し肝硬変になり、精神科病棟入院。という経験をしていながらも
正直いうと、今でも
「オレはそんなに毎日呑んだくれていたわけではない。呑んだくれていたのはギャンブルに溺れていたせいだ。ギャンブルさえしなければ、ビールぐらい自分自身でコントロールすることができる。」
『オレは依存症者じゃない。』
そういう思いが未だに自分の中にはあると思う。。。
認めたくはないが、自分自身に正直になる…………という意味ではこれは今の私の正直な気持ち。。。
12ステップを実践していながらも、未だにステップ①を完全に認めていない証拠かもしれない。。。
ステップ①
【我々はアルコールに対して無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた】
昨年、入院したばかりのころには絶対的にステップ①を認めることができていた。
なのに…………
きっと入院当時の、あのツラかった思いを、時が経つにつれ忘れかけているのかもしれない。
回復のための12ステップではステップ②~⑫までは完全でなくてもいい。しかしステップ①だけは完全に認めなくてはならない。
…………………と言われている。
しかし私の中には上に書いた妄想が未だにつきまとっている。
『だったらチョットだけ飲んで試してみなよ。』
………と冗談で言うAAの仲間もいるが、実際に試さずとも結果は見えている。
これから毎日350mlのビール1本だけ…………
などでは私にとってはヘビの生殺し。
風俗で言うなら"おっぱいパブ"みたいなもんだ。
「いくらでも触っていいけど、貴方は気持ちよくなっても、いっ・ちゃ・ダ・メ・よ😚」
…と言われているようなものだ。
AAでのミーティングで仲間の話を聞いたり、イロイロな方のブログを読んだりしていると
「あー、お酒辞めてよかったー。」
………とか、
「なんでもっと早く辞めなかったんだろう。」
とかよく聞くが、まだ私は残念ながらその域にまでは達してはいない。
そんなAAの仲間よりも、もしかしたら身近な家族や友人のほうが私のアルコールに対しての事をまだ懐疑的に感じているのではないかと思う。
『◯◯にはもう、酒とかスロットとか絶対に禁句だからね🙊』
…………みたいな。
しかし、もしそんな気遣いをしてくれていたとしても、「依存症者」と言われるぐらいまでいってしまった人にとってみれば、逆にその気遣いが仇となってしまっているケースがある。
これは私に限った話ではないが、一緒に暮らす家族によくありがちなケースが、依存対象物を本人から遠ざけようとする行為。これは本人にとってみれば取り上げられれば、取り上げられるほど気になってしまうもの。
お酒やギャンブルは違法なものでもないし、本人が買いに行こうと思えばいつでも購入できるもの。
無理に隠したり、その話題は避ける……などといった行為は病院、あるいは専門の治療施設に入院したばかりの回復初期には効果があるのかもしれないが、そのあとは周囲の人たちも依存対象(アルコールやギャンブル、薬物、etc…)に対して必要以上に過敏になりすぎないことが大切。
確かに言えることは、私は今までの人生の中で酒によって多くのものを失ってきたアルコール依存症者。
でも逆に、酒で精神面で助けられたこともたくさんあった。
一時はアルコールの量をコントロールできていた時期もあったのかもしれないが、"あること"をきっかけにそのコントロールスイッチは突然効かなくなってしまう。
その"あること"とは厄介なことに、ギャンブルだけではなく自分にとっての恐れ、怒りであり、いつ自分の身に起こるのかも分からない。
要は健常者よりもメンタルが繊細、デリケート…………
(オマエが言うな)
というよりメンタルが人一倍弱いのだ。
情けないが、これがわ・た・し。である。
もちろん、ただ酒を否定するだけではなく、酒のもたらす幸せな部分だってたくさんあることも知っている。
職場でのたまの宴会の席。
日頃はあまり会話することのない上司や部下でも酒の席では良い潤滑剤のような役割をもっていたり、それをきっかけにその後の仕事がスムーズになることさえあったりする。
友達同士の飲み会。
まさに楽しい出来事だ。
私はよく酒の力を借りて調子に乗り、意中の彼女をゲットしたこともあった。
それだけではなく、お酒は適度であれば、人と人とのコミュニケーションを円滑にもしてくれる。
そんな楽しい酒ならば毎日でもいいのだが、しかし末期の頃の私にはそれは当てはまらなかった。
一人の殻に閉じ籠り、ただひたすら現実逃避の大量飲酒。。。
アルコール依存症とギャンブル依存症である私。
自覚してはいるけれど、その対象(アルコールやギャンブル)から逃げるように避けながら、それを後ろ向きに考えながらこれから生きていこうとは思ってはいない。
『もう、あの人は酒飲まなくなっちゃったから、飲み会誘っちゃダメだよ。』
…………などと周りの人たちが考えているのであれば、少し寂しい。。。
これからは注文するものが烏龍茶かコーラになると思うけど、
アッシーぐらいならやれますぜ。
たまには飲みにでも行きましょうか?
オレ……アルチュウですけど
d=(^o^)=🍹🍺\(^^)
オレ……、本当は依存症じゃなかったのかも……………』
…………これを回復書籍(書籍アルコホーリクス・アノニマス)では妄想と言っている。
第三章
さらにアルコホリズムについて
私たちのほとんどは、自分が本物のアルコホーリクだとは認めたがらなかった。自分の肉体や精神が、まわりにいる人たちと違うなどということを、喜んで認める人間がいるわけがない。
だから私たちが、ふつうの人のように飲めるかもしれないと、役にも立たない実験をしてきたからといって、驚くことはない。
何とかなるだろうという考え、いつかは飲むことを楽しむことができるようになるという大きな妄想が、病気の酒飲みに取り憑いている。この恐ろしい妄想を、たくさんの病的酒飲みは死の門口に立つまで、そうでなければ狂ってしまうまで、手放させないでいる。
私たちは自分がアルコホーリクであることを心の底から認めなくてはならないことを知った。これが回復の第一ステップである。自分はふつうの酒飲みと同じだという、あるいはいまにそうなれるかもしれないという妄想を、まずは徹底的に打ち砕かなくてはならないのだ。
(回復書籍p45より引用)
夕方、友人が久しぶりに電話をくれた。
その友人は私が昨年の精神科病棟に入院中だった時にもお見舞に来てくれたこともあり、今でも2~3ヶ月に一度ぐらいのペースで電話をくれる友人。
入院前に私が在籍していた会社でも長い間一緒に仕事をしていた同僚でもあったので、私とは気心知れた仲。
友人もたまには私の書いているブログを覗いてくれているらしく、電話での第一声が
『まーた仕事辞めたんか、こら!』
…………と、冗談混じりな挨拶。
しばし互いの近況を話し、楽しく会話していた中で
『もう、普通にビールとか飲んでもいいんじゃないの?
もともと仕事していた頃だってそんなに毎日浴びるほど飲んでたわけじゃないじゃん。』
…………と友人。
仕事を辞め、ギャンブルに溺れ、その度にやけ酒を繰り返し肝硬変になり、精神科病棟入院。という経験をしていながらも
正直いうと、今でも
「オレはそんなに毎日呑んだくれていたわけではない。呑んだくれていたのはギャンブルに溺れていたせいだ。ギャンブルさえしなければ、ビールぐらい自分自身でコントロールすることができる。」
『オレは依存症者じゃない。』
そういう思いが未だに自分の中にはあると思う。。。
認めたくはないが、自分自身に正直になる…………という意味ではこれは今の私の正直な気持ち。。。
12ステップを実践していながらも、未だにステップ①を完全に認めていない証拠かもしれない。。。
ステップ①
【我々はアルコールに対して無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた】
昨年、入院したばかりのころには絶対的にステップ①を認めることができていた。
なのに…………
きっと入院当時の、あのツラかった思いを、時が経つにつれ忘れかけているのかもしれない。
回復のための12ステップではステップ②~⑫までは完全でなくてもいい。しかしステップ①だけは完全に認めなくてはならない。
…………………と言われている。
しかし私の中には上に書いた妄想が未だにつきまとっている。
『だったらチョットだけ飲んで試してみなよ。』
………と冗談で言うAAの仲間もいるが、実際に試さずとも結果は見えている。
これから毎日350mlのビール1本だけ…………
などでは私にとってはヘビの生殺し。
風俗で言うなら"おっぱいパブ"みたいなもんだ。
「いくらでも触っていいけど、貴方は気持ちよくなっても、いっ・ちゃ・ダ・メ・よ😚」
…と言われているようなものだ。
AAでのミーティングで仲間の話を聞いたり、イロイロな方のブログを読んだりしていると
「あー、お酒辞めてよかったー。」
………とか、
「なんでもっと早く辞めなかったんだろう。」
とかよく聞くが、まだ私は残念ながらその域にまでは達してはいない。
そんなAAの仲間よりも、もしかしたら身近な家族や友人のほうが私のアルコールに対しての事をまだ懐疑的に感じているのではないかと思う。
『◯◯にはもう、酒とかスロットとか絶対に禁句だからね🙊』
…………みたいな。
しかし、もしそんな気遣いをしてくれていたとしても、「依存症者」と言われるぐらいまでいってしまった人にとってみれば、逆にその気遣いが仇となってしまっているケースがある。
これは私に限った話ではないが、一緒に暮らす家族によくありがちなケースが、依存対象物を本人から遠ざけようとする行為。これは本人にとってみれば取り上げられれば、取り上げられるほど気になってしまうもの。
お酒やギャンブルは違法なものでもないし、本人が買いに行こうと思えばいつでも購入できるもの。
無理に隠したり、その話題は避ける……などといった行為は病院、あるいは専門の治療施設に入院したばかりの回復初期には効果があるのかもしれないが、そのあとは周囲の人たちも依存対象(アルコールやギャンブル、薬物、etc…)に対して必要以上に過敏になりすぎないことが大切。
確かに言えることは、私は今までの人生の中で酒によって多くのものを失ってきたアルコール依存症者。
でも逆に、酒で精神面で助けられたこともたくさんあった。
一時はアルコールの量をコントロールできていた時期もあったのかもしれないが、"あること"をきっかけにそのコントロールスイッチは突然効かなくなってしまう。
その"あること"とは厄介なことに、ギャンブルだけではなく自分にとっての恐れ、怒りであり、いつ自分の身に起こるのかも分からない。
要は健常者よりもメンタルが繊細、デリケート…………
(オマエが言うな)
というよりメンタルが人一倍弱いのだ。
情けないが、これがわ・た・し。である。
もちろん、ただ酒を否定するだけではなく、酒のもたらす幸せな部分だってたくさんあることも知っている。
職場でのたまの宴会の席。
日頃はあまり会話することのない上司や部下でも酒の席では良い潤滑剤のような役割をもっていたり、それをきっかけにその後の仕事がスムーズになることさえあったりする。
友達同士の飲み会。
まさに楽しい出来事だ。
私はよく酒の力を借りて調子に乗り、意中の彼女をゲットしたこともあった。
それだけではなく、お酒は適度であれば、人と人とのコミュニケーションを円滑にもしてくれる。
そんな楽しい酒ならば毎日でもいいのだが、しかし末期の頃の私にはそれは当てはまらなかった。
一人の殻に閉じ籠り、ただひたすら現実逃避の大量飲酒。。。
アルコール依存症とギャンブル依存症である私。
自覚してはいるけれど、その対象(アルコールやギャンブル)から逃げるように避けながら、それを後ろ向きに考えながらこれから生きていこうとは思ってはいない。
『もう、あの人は酒飲まなくなっちゃったから、飲み会誘っちゃダメだよ。』
…………などと周りの人たちが考えているのであれば、少し寂しい。。。
これからは注文するものが烏龍茶かコーラになると思うけど、
アッシーぐらいならやれますぜ。
たまには飲みにでも行きましょうか?
オレ……アルチュウですけど
d=(^o^)=🍹🍺\(^^)