くもり空の下で……

アルコールとギャンブル。依存症からの回復と成長を目指しながらの日々の雑感を発信。趣味の渓流釣りなども公開しています。

2017-11-25 00:23:22 | 日記
突然ですが………




私は"絆"という言葉がテレビなどで出てくる度に違和感を感じます。






東日本大震災以降、やたらと使われるようになったこの絆という言葉。



ですが、普段の生活の中で、周りを見渡してみて、身近に絆を感じる人が貴方には何人いますか?



職場に絆を感じる人はいますか?

近隣の人に絆を感じますか?

ネットの中で絆を感じる人はいますか?

もっと言えば、家族や恋人に絆を感じますか?



絆を感じる相手が身近ですら数えるほどしか居ないのに、見ず知らずの相手に対して"絆"という言葉を使うのはおかしな話だと私は常々感じています。

私は家族や友人に対して「絆で結ばれている」……などと考えたことはありません。
逆に、私の家族(母や弟たち)からしてみれば、私の存在は絆で結ばれているというよりは、切りたくとも切ることのできない腐れ縁とでも思っているのではないでしょうか。


ネチネチと何度も言うのもアレですが、私は1Kの民間アパートに暮らしておりますが、私よりも後に入居してきた方が3人ほどおりました。
しかし、近隣の方々で入居時の挨拶のあった人は一人もいませんでした。

私のアパートにはさほどの年配者、介護が必要な老人の姿はありませんが、全国的にみても近所との繋がりも希薄になった現代では、老人や病人の孤独死も年々増え続ける一方です。
そんな中で、やたらに"絆"絆"と言葉だけが独り歩きしていて、一人一人の絆が深まったとは私には到底感じることができません。



そういった意味では20年前、もしくは30年前の頃のほうが、"絆"というよりは人と人との繋がりは深かったのではないかと感じております。
そもそも私が子供の頃に暮らしていた田舎では、家にカギをかけているようなウチはほとんど無かったし、それが当たり前だったので、人を疑ったことなどあまり無かったようにも感じます。

いざという時には、酒を飲んで暴れていたオヤジを止めてくれる近所の人も居てくれましたし、酒を飲み過ぎて会社を無断欠勤し、ガーガーッとイビキをかいて寝していたオヤジを、わざわざ仕事中にも関わらず迎えに来てくれた上司の方も当時はおりました。
(どんなオヤジだ💧)


現代では考えられないような話です。


それを絆と言うわけではありませんが、当時と比べると現代ではネット、SNSなどを介して、他人と簡単に繋がることが可能な時代にはなったけれど、希薄な関係ばかりのような気がしてなりません。

そもそも"絆"などという言葉を意図的に使わなければ築けないような関係性などは、私に言わせればたいした関係でもないと思う。





今、自分の周りを見渡してみて、身近にいる家族、友人、仲間、職場の人。

その身近な人たちを大切にしていくことすらできなければ、誰に対してもかけがえのない関係を作ることなどできるわけがない。
……と感じるわけですよ、私は。

絆……
もしあるとすれば、それはわざわざ言葉にはしなくとも、知らず知らずのうちに相手との間に生まれているようなものなのかもしれません。