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ベイルート爆発の発端は「疑惑の貨物」 古びた倉庫に6年間放置
【8月6日 AFP】レバノンの首都ベイルートで4日発生した大規模爆発の原因とされる大量の硝酸アンモニウムは、少なくとも6年間、港の倉庫にぞんざいに保管され、いつ爆発してもおかしくない状態だった。
治安当局筋によると、保管されていた硝酸アンモニウムの爆発の威力は、TNT火薬少なくとも1200トンに相当する。地震のような揺れを伴う大爆発で街の大半が破壊されたのも不思議はない。
複数の治安当局者がAFPに語ったところによれば、レバノンの港湾当局と税関職員は、ベイルート港に硝酸アンモニウムが保管されていたことを知っていた。しかも、昨年になって治安当局が調査を開始し、倉庫から硝酸アンモニウムを移動させるよう求めていたという。
だが、港湾当局はこの警告に耳を貸さなかった。そして、大爆発により首都の半分が廃虚と化した翌日になって、政府は起爆性の非常に高い物質の保管に関与していた責任者らの自宅軟禁を命じた。
この爆発について誰もが知りたくてたまらないのは、次の疑問点の答えだろう。そもそも、なぜこれほど大量の硝酸アンモニウムがベイルートに運ばれ、なぜ港にこれほど長期にわたって保管されていたのか?
■疑惑の貨物
AFPの取材に匿名で応じたある治安当局者によると、約2750トンの硝酸アンモニウムは2013年、ジョージアからモザンビークへ向かっていたモルドバ船籍の貨物船「ロサス(Rhosus)」によってレバノン最大の港ベイルートに運ばれてきた。
船舶の位置情報などを提供するウェブサイト「マリントラフィック(Marine Traffic)」によれば、ロサス号は2013年11月20日にベイルート港に到着し、その後、出港していない。
ロサス号の乗組員の代理人を務めるレバノンの法律事務所は、船に「技術的な問題」が生じたと説明している。
複数の治安当局者の話では、ロサス号の寄港は一時的なものだったが、あるレバノン企業が船主を訴えたため、船は差し押さえられた。港湾当局は積み荷の硝酸アンモニウムを降ろして倉庫に保管したが、その倉庫は壁にひびが入り、荒れ果てた状態だった。ロサス号はその後、破損が原因で沈没したという。
この倉庫から異臭が漂い始めたため、治安当局は2019年に調査を開始。「危険な」化学物質を倉庫から移動させる必要があるとの結論に達した。
治安当局はまた、倉庫の壁が不安定な状態だと指摘し、港湾当局に修理するよう強く求めていた。
だが、ようやく倉庫に作業員が派遣されて修理が始まったのは、今週に入ってからだった。この修理作業が大爆発の引き金となった可能性がある。(c)AFP/Rouba EL HUSSEINI
恐竜もがんになる、医学・恐竜の専門家らが共同研究で発見
【8月6日 AFP】かつて自然界に君臨していたと考えられている恐竜が、現代に生きる人間と同じように「がん」を患っていたとする論文が、医学誌「ランセット・オンコロジー(Lancet Oncology)」8月号に発表された。化石に悪性腫瘍(しゅよう)の痕跡を初めて確認したという。
カナダのアルバータ(Alberta)州で1989年に発掘されたセントロサウルスの脚の骨の化石には、著しい変形がみられたが、古生物学者らの当初の見解に基づきこれまで骨折が治癒した痕だと考えられていた
ハリウッド、中国市場目当てに映画を自主検閲 脚本変更やシーンカットも
【8月6日 AFP】人口14億人を有する中国の巨大市場目当てに、米ハリウッド(Hollywood)は中国政府を満足させようと、映画を自主検閲している。言論の自由の擁護団体「ペン・アメリカ(PEN America)」が5日に公開した最新の報告書で明らかとなった
これによると、ハリウッドの脚本家やプロデューサー、監督らは、中国政府の検閲に触れることを恐れ、台本を変えたり、シーンをカットしたり、内容を差し替えたりしているという。
野戦病院と化した医療現場 医師「終末戦争そのもの」 レバノン大爆発
【8月6日 AFP】レバノンの首都ベイルートの港湾地区で4日に起きた大爆発は、市内の病院を「終末戦争」さながらのカオスに陥れた。
市中心部のオテル・デュー病院(Hotel Dieu Hospital)で5日、AFPの取材に応じた外科医、アントワーヌ・カーバン(Antoine Qurban)氏は、患者と同じように頭に包帯を巻いていた。60代後半のベテラン医師は普段自分が勤務する病院でこの日、患者の側にいた。
「負傷して道路の真ん中で血を流している人もいれば、病院の中庭に倒れ込んでいる人もいた……昔、国境なき医師団(MSF)でアフガニスタンへ行ったときのことを思い出した」「ハルマゲドン(キリスト教の終末戦争)そのものだった」
大爆発による負傷者は4000人以上。市内各地の病院も激しく損壊した。その病院に負傷者はよろめきながらたどり着き、あるいは運び込まれた。4日夜、病院はどこも負傷者であふれていた。
今回の大爆発によって、すでに新型コロナウイルスの流行と深刻な経済危機の中で悪戦苦闘していたレバノンの医療機関に、さらに大きな負荷がかかっている。
4日午後6時(日本時間5日午前0時)ごろ、職場近くのコーヒーショップにいたカーバン医師は、爆風で20メートルほど吹き飛ばされた。自分の病院は数分で負傷者があふれかえり、見知らぬ人がバイクで他の病院へ急送してくれた。1時間ほど待たされた後、路上で頭の傷を縫ってもらった。
■「娘さんはもう死んでいる」
一夜明けても、現場の混乱は収まらなかった。降り注いだガラスの破片でけがをした人々が、壊れた機材やがれきであふれるオテル・デュー病院の廊下を一晩中さまよっていた。
子どもの容体を必死に尋ねる母親たち。他の病院から移送された妻の様子をすがりつくように尋ねる老人。聞こえてくるのは耳障りな携帯電話の着信音と、疲れ切った声で交わされる会話。大抵は爆発をどう生き延びたかという体験談だった。
オテル・デュー病院のジョルジュ・ダバール(George Dabar)院長によると、同院では4日に少なくとも300人の負傷者を治療し、うち13人が死亡した。15年にわたったレバノン内戦中、医学生だったダバール医師は「当時でさえ、昨日のような光景は見たことがなかった」と述べた。
ある少女の家族のことを思い出しながら、ダバール医師の声は震えた。「幼い娘を助けてほしいと運んできた父親に、娘さんはもう死んでいると言うのは本当につらかった」
病院では少なくとも5人の看護師が死亡し、医師や患者数人が重傷を負った。「この国のもろもろの状況、それからコロナウイルスの流行のせいで医療チームはすでに疲れ切っていた」「けれど昨日の危機的状況を前にして、みんな素晴らしい団結を見せた」とダバール院長。調理師から保守係まで、スタッフは一丸となって病院を開け続けた。
■新型ウイルス患者の避難
一方、ベイルート最古の医療機関の一つ、聖ジョルジュ病院(St. George Hospital)はもっと不運だった。天井は崩れ、割れたガラスが降り注いだベッドの上に電気の配線が垂れ下がっていた。
「うちの病院は診療を停止した」と医局長のエイド・アザール(Eid Azar)氏は言った。「今の経済状況では、修復にどのくらい時間がかかるかも分からない」
スタッフは夜明け直前までかかって患者を避難させ、機材や書類を運び出した。患者の中には、非常に慎重な移送が必要な新型コロナウイルス感染症(COVID-19)治療中の患者20人も含まれていた。
野外病院と化した中庭では、血まみれの白衣を着た医師らが、爆発のショックに陥った人々を手当てしていた。「まさに次々と負傷者がやって来る中で、患者でいっぱいの病院を丸ごと避難させるほど難しいことはない」とアザール氏は述べた。「病院のスタッフ自体負傷していて、私たちは自分の病院で働く人々も移送しなければならなかった」
爆発によってエレベーターは止まっていたため、医師らは9階分の患者を一人ずつストレッチャーに乗せて運んだ。電気も水道も止まっている中、看護師らは大きなリスクを冒しながら全力で救命措置を提供した。
「病院の電気は通常24時間ついている。それが真っ暗闇になった」という臨床専門看護師のララ・ダヘル(Lara Daher)さん。「昨晩は携帯電話のライトを頼りに負傷者の縫合手術を行った。どうやってやったのか分からない。こんな状況は初めてです」 (c)AFP/Layal Abou Rahal
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