ふるさとは 無いと思っていた私の心の奥底に
ふるさとは 生きていた
毎日 ながめた 田園風景と かなた海辺にそそり立つ二つの山
その風景が わたしの心のなかで 生きていた
日曜画家の今はなき叔父が描いた 練習時代の下手な絵が手元にある
その風景画は、くしくも 私の心のなかのふるさとの風景だった
叔父が急死する前に 私は なにげなく その絵を 3万円で買った
叔父は 自分の絵を買ってくれる人はおまえが初めてだと喜んでいた。
私の部屋に その絵は ある
私にとっては かけがえのない風景が そこにある
幼少時から中学3年の1学期末まで 毎日 ながめていた風景だ
私は 中学3年で そこの町から脱出した
私は その町の人々には執着心はないが 風景はまた別だ
私は 自分の心を 風景にぶつけていたのだろうか
自然は厳しい。しかし また おおらかな優しさもあわせ持っている
山は 千年も 万年も そこに どっしりとして 「いる」
まさに わたしの 心のふるさとである風景
叔父のサインのはいったへたくそな油絵に 凝縮されている ふるさとの風景
私は、その絵を壁にかけない
ノートパソコンの乗っている和風テーブルのそばに たてかけて ある
ただ一枚の絵を選べといわれたら その絵をえらぶだろう
そばにおいて へぇーという気持ちで ながめている
ふるさとは 生きていた
毎日 ながめた 田園風景と かなた海辺にそそり立つ二つの山
その風景が わたしの心のなかで 生きていた
日曜画家の今はなき叔父が描いた 練習時代の下手な絵が手元にある
その風景画は、くしくも 私の心のなかのふるさとの風景だった
叔父が急死する前に 私は なにげなく その絵を 3万円で買った
叔父は 自分の絵を買ってくれる人はおまえが初めてだと喜んでいた。
私の部屋に その絵は ある
私にとっては かけがえのない風景が そこにある
幼少時から中学3年の1学期末まで 毎日 ながめていた風景だ
私は 中学3年で そこの町から脱出した
私は その町の人々には執着心はないが 風景はまた別だ
私は 自分の心を 風景にぶつけていたのだろうか
自然は厳しい。しかし また おおらかな優しさもあわせ持っている
山は 千年も 万年も そこに どっしりとして 「いる」
まさに わたしの 心のふるさとである風景
叔父のサインのはいったへたくそな油絵に 凝縮されている ふるさとの風景
私は、その絵を壁にかけない
ノートパソコンの乗っている和風テーブルのそばに たてかけて ある
ただ一枚の絵を選べといわれたら その絵をえらぶだろう
そばにおいて へぇーという気持ちで ながめている