とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

戦争を知らない子どもたち

2007年11月16日 07時34分00秒 | 時事問題(日本)
 雄大な海、久しぶりの海!1時間ほどのドライブのあと、延々と続く海のすばらしさに、あっと驚き、友と砂浜に並び立ち見た。それは、心からの雄大さへの感嘆だった。なんて、すばらしい!写真は、ちょっと失敗しましたが。 
 友は、この海を見て育ったと語る。ずっとこの海を見て育ったと。

サーフィンをしている若者が二人だけいた。

「今日の海はものすごく穏やかだわね。ここは、泳ぐのは危険なの。沖の潮の流れが強いから、うっかりすると帰ってこれない人になるのよ。でも、今日の海はとても穏やかよ」
さらに、
「ここの砂浜はね、歩くと足がきれいになるのよ。小さい頃は、もっともっと砂浜が広がっていたの。今はつまらないわ。こんなものじゃあなかったのよ。もっともっと広がっていたのよ、砂浜は」

 細かな粒子の砂浜。私にとっては十分に感動的なのに、友は「つまらない」と言う。

 私は、友に言う。
「私は日本海も太平洋も知っているけれど、太平洋のほうが雄大ね。いろいろな海があるわね!」
 

 さて、海を見ながら心に浮かんだことですが、どなたかが、HIROSIMA,NAGASAKIの原爆投下を「仕方がなかった」と発言し、叩かれておりました。が、私は、ひっそりと涙しておりました。実は、私も中学か高校の歴史の時間で、同じことをおそわったからです。そのようにおそわったのは、事実です。

 なぜ?タブーになっていたのか............?

 私は、それを思うと、ただ複雑な思いにかられるのみです。

 戦争経験者である父が、ようやく最近、やっと少しだけ東京焼け野原のことを語りはじめました。が、あまり言葉にならない。空襲時、灯りがもれないように、布をかけた列車に乗った、とか、東京郊外にある空港を守るために、本心は恐ろしかったが、兵隊が壕に入ったら話にならないので、必死に地上に残り、空港を守った。空からは、アメリカ軍のヘリコプターが襲いかかる。自動小銃を撃ってくる敵の顔が見えた。日本兵は、物陰に隠れ、身をかわした.........................
(父は戦中、内地で飛行機の設計をしていた。陸軍の幹部候補生の教育に当たっていた).........

 外地へ行った叔父は、戦争映画をやっているテレビを家族が観ていると、

「戦争は、こんなキレイごとではない!もっと汚く、悲惨なものだ。絶対に観るな!こんなドラマ!」と、堪忍袋が切れたようになりテレビのスイッチを切った!たびたび...........もう、亡くなってしまったが.......戦争映画を生涯憎んだ.............

 寄せてはかえす、海.......そんなことが思い浮かぶ.....戦争を知らない子どもたち、どうしょうもなく、戦争を知らない子どもたち。しかし、これだけは知っている。戦争になると、まず若者たちが前線に送られることになる。それを決してやってはいけないことを。

 どうしょうもなく、戦争を知らない子どもたち.................秋深し海辺にて
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« パンジーの苗の話  ラスト | トップ | 私の海は、敗戦後しばらく経... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

時事問題(日本)」カテゴリの最新記事