作家・翻訳者の石井桃子さん100歳イベント
2世代、3世代にわたって読み継がれてきた石井桃子さんの本が並ぶ(東京・銀座の教文館で)
「ノンちゃん雲に乗る」作者、「プーさん」翻訳
戦後の児童文学を代表する作家で翻訳者としても活躍する石井桃子さんが3月10日に100歳を迎えることを記念したイベントが、東京・銀座の書店「教文館」で開かれている。
同店6階のナルニアホールでは、「うさこちゃんシリーズ」や「ピーターラビットの絵本シリーズ」など、200点を超える石井さんの作品の表紙をパネルで紹介。ドイツ語やロシア語など、外国語に訳された作品も展示されている。
また、「べんけいとおとみさん」や「迷子の天使」など、長い間品切れとなっていた著書も、今回の100歳を記念して復刊され、同店で販売している。
石井さんは1907年(明治40年)埼玉県生まれ。海外の児童文学の翻訳第一人者として活躍し、「クマのプーさん」など数多くの作品を日本の子どもたちに紹介してきた。
作家としても、「三月ひなのつき」や「幻の朱い実」など、数多くの作品を書き続けた。1951年の第1回芸術選奨文部大臣賞に選ばれた「ノンちゃん雲に乗る」は、終戦直後の殺伐とした世相の中、子どもたちに夢を与えるロングセラーとなった。
1958年には、自宅の一角に「かつら文庫」を開設。ここでの活動をまとめた実践記録書「子どもの図書館」は、家庭文庫普及に貢献した。
イベントは3月15日まで。問い合わせは、同書店(03・3563・0730)へ。
(2007年2月21日 読売新聞)
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石井桃子
新潮社
石井桃子さんといえば、「クマのプーさん」「ピーターラビット」「ちいさいおうち」など児童文学の名作の翻訳者として知られる存在です。また世代によっては、戦後まもなくの大ベストセラー「ノンちゃん雲に乗る」の作者としても記憶されている方も少なくないでしょう。石井桃子さんは現在97歳。今もなお現役で翻訳の仕事を続け、執筆活動が続いています。
石井桃子さんが最初に「子どもの本」に目を開かれたのは、菊池寛が采配をふるう文藝春秋社で働くようになって数年が経った頃のことでした。1933年、昭和8年のクリスマス・イブ。東京信濃町の犬養健邸で、犬養道子さん(のちに作家)と犬養康彦さん(のちに共同通信社社長)と一緒に読んだ「The House at Pooh Corner」(『プー横丁にたった家』)。この一冊の洋書が、その後の石井さんの運命を変えたのです。
1998年、国際児童図書評議会の大会で美智子皇后が触れた少国民文庫の『日本名作選』と『世界名作選』は、あの信濃町のクリスマスイブの出会いの二年後に、石井桃子さんが編集同人として参加しスタートしたシリーズでもありました。
会社員としての男女格差がなくなったとはまだとても言えないものの、仕事の実績としては、現在は女性編集者全盛の時代と言っていいかもしれません。しかし、石井さんが編集者として働いていた当時は女性として働くことがまだ一般化するにはほど遠かった時代です。そのなかで自らが信ずる仕事を丹念に積み上げ、日本における子どもの本の大きな土台と築き上げたことの意味ははかり知れません。
石井桃子さんの仕事をふりかえりながら、「子どもの本」が私たちに届けてくれるものとは何かを考えます。
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中日新聞
石井桃子さん、10日で100歳
「クマのプーさん」日本に初めて紹介
世代を超えて愛されている「クマのプーさん」を日本に初めて紹介するなど、戦後の児童文学の第一人者である石井桃子さんが、10日に100歳の誕生日を迎える。翻訳家、作家、編集者として活躍、児童図書館の整備にも尽力し、「その存在なしには、日本の子どもの本の現在はなかった」と評される。静かだが着実なその歩みは、常に日本の児童書の世界を動かし続けている。
「子どもの本に対する関心が低い時代から、子どもの本の質に高い基準を持ち続けてきた人。でも、それを“信念”という言葉にされるのは嫌うでしょう」
石井さんの素晴らしさをこうたたえるのは、子どもの本と図書館の質向上に向けた活動を続ける財団法人「東京子ども図書館」(東京都中野区)理事長で、石井さんと親交の深い松岡享子さん(71)。
石井さんは1907年生まれ、埼玉県出身。戦時中の40年に初めて出版した「クマのプーさん」をはじめ、「ピーターラビット」や「うさこちゃん」のシリーズなど、海外児童文学を多数翻訳した。
第1回芸術選奨文部大臣賞を受けた「ノンちゃん雲に乗る」などの創作も多く、手掛けた作品は200点以上。90歳を超えてからも「プーさん」の作者ミルンの自伝を翻訳するなど、精力的に仕事を続けている。
58年、東京・荻窪の自宅の一角に児童書をそろえ、「かつら文庫」と名付けて地域の子どもたちに開放。同文庫を引き継ぐ形で設立されたのが「東京子ども図書館」だ。子どものための図書館の在り方を追求、提言し続けてきた。
最近は体調が優れず自宅にいることが多い石井さんの気持ちを、松岡さんがこう代弁する。
「作品が世代を超えて読み継がれているのを見ることができる100歳というのは、とても幸せだと思います」
岩波書店
2世代、3世代にわたって読み継がれてきた石井桃子さんの本が並ぶ(東京・銀座の教文館で)
「ノンちゃん雲に乗る」作者、「プーさん」翻訳
戦後の児童文学を代表する作家で翻訳者としても活躍する石井桃子さんが3月10日に100歳を迎えることを記念したイベントが、東京・銀座の書店「教文館」で開かれている。
同店6階のナルニアホールでは、「うさこちゃんシリーズ」や「ピーターラビットの絵本シリーズ」など、200点を超える石井さんの作品の表紙をパネルで紹介。ドイツ語やロシア語など、外国語に訳された作品も展示されている。
また、「べんけいとおとみさん」や「迷子の天使」など、長い間品切れとなっていた著書も、今回の100歳を記念して復刊され、同店で販売している。
石井さんは1907年(明治40年)埼玉県生まれ。海外の児童文学の翻訳第一人者として活躍し、「クマのプーさん」など数多くの作品を日本の子どもたちに紹介してきた。
作家としても、「三月ひなのつき」や「幻の朱い実」など、数多くの作品を書き続けた。1951年の第1回芸術選奨文部大臣賞に選ばれた「ノンちゃん雲に乗る」は、終戦直後の殺伐とした世相の中、子どもたちに夢を与えるロングセラーとなった。
1958年には、自宅の一角に「かつら文庫」を開設。ここでの活動をまとめた実践記録書「子どもの図書館」は、家庭文庫普及に貢献した。
イベントは3月15日まで。問い合わせは、同書店(03・3563・0730)へ。
(2007年2月21日 読売新聞)
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石井桃子
新潮社
石井桃子さんといえば、「クマのプーさん」「ピーターラビット」「ちいさいおうち」など児童文学の名作の翻訳者として知られる存在です。また世代によっては、戦後まもなくの大ベストセラー「ノンちゃん雲に乗る」の作者としても記憶されている方も少なくないでしょう。石井桃子さんは現在97歳。今もなお現役で翻訳の仕事を続け、執筆活動が続いています。
石井桃子さんが最初に「子どもの本」に目を開かれたのは、菊池寛が采配をふるう文藝春秋社で働くようになって数年が経った頃のことでした。1933年、昭和8年のクリスマス・イブ。東京信濃町の犬養健邸で、犬養道子さん(のちに作家)と犬養康彦さん(のちに共同通信社社長)と一緒に読んだ「The House at Pooh Corner」(『プー横丁にたった家』)。この一冊の洋書が、その後の石井さんの運命を変えたのです。
1998年、国際児童図書評議会の大会で美智子皇后が触れた少国民文庫の『日本名作選』と『世界名作選』は、あの信濃町のクリスマスイブの出会いの二年後に、石井桃子さんが編集同人として参加しスタートしたシリーズでもありました。
会社員としての男女格差がなくなったとはまだとても言えないものの、仕事の実績としては、現在は女性編集者全盛の時代と言っていいかもしれません。しかし、石井さんが編集者として働いていた当時は女性として働くことがまだ一般化するにはほど遠かった時代です。そのなかで自らが信ずる仕事を丹念に積み上げ、日本における子どもの本の大きな土台と築き上げたことの意味ははかり知れません。
石井桃子さんの仕事をふりかえりながら、「子どもの本」が私たちに届けてくれるものとは何かを考えます。
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中日新聞
石井桃子さん、10日で100歳
「クマのプーさん」日本に初めて紹介
世代を超えて愛されている「クマのプーさん」を日本に初めて紹介するなど、戦後の児童文学の第一人者である石井桃子さんが、10日に100歳の誕生日を迎える。翻訳家、作家、編集者として活躍、児童図書館の整備にも尽力し、「その存在なしには、日本の子どもの本の現在はなかった」と評される。静かだが着実なその歩みは、常に日本の児童書の世界を動かし続けている。
「子どもの本に対する関心が低い時代から、子どもの本の質に高い基準を持ち続けてきた人。でも、それを“信念”という言葉にされるのは嫌うでしょう」
石井さんの素晴らしさをこうたたえるのは、子どもの本と図書館の質向上に向けた活動を続ける財団法人「東京子ども図書館」(東京都中野区)理事長で、石井さんと親交の深い松岡享子さん(71)。
石井さんは1907年生まれ、埼玉県出身。戦時中の40年に初めて出版した「クマのプーさん」をはじめ、「ピーターラビット」や「うさこちゃん」のシリーズなど、海外児童文学を多数翻訳した。
第1回芸術選奨文部大臣賞を受けた「ノンちゃん雲に乗る」などの創作も多く、手掛けた作品は200点以上。90歳を超えてからも「プーさん」の作者ミルンの自伝を翻訳するなど、精力的に仕事を続けている。
58年、東京・荻窪の自宅の一角に児童書をそろえ、「かつら文庫」と名付けて地域の子どもたちに開放。同文庫を引き継ぐ形で設立されたのが「東京子ども図書館」だ。子どものための図書館の在り方を追求、提言し続けてきた。
最近は体調が優れず自宅にいることが多い石井さんの気持ちを、松岡さんがこう代弁する。
「作品が世代を超えて読み継がれているのを見ることができる100歳というのは、とても幸せだと思います」
岩波書店