とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

皇后さま84歳の誕生日 皇居で最後の祝賀行事(18/10/20)

2018年10月21日 11時23分58秒 | 時事問題(日本)

皇后さま84歳の誕生日 皇居で最後の祝賀行事(18/10/20)

 

皇后さま84歳の誕生日 文書回答で心境を

10/20(土) 8:50配信  日テレ  動画

 皇后さま84歳の誕生日 「お言葉」全文

 
2018/10/20 5:00  産経新聞
 

 皇后さまは84歳の誕生日にあたり、宮内記者会の質問に文書で回答された。誕生日ごとに公表してきた「お言葉」は今回が最後となる。例年と変わらず自然災害の被災地への思いを記したほか、今年は代替わり後の生活についても言及。北朝鮮による拉致被害者にも触れられた。

問 この一年も、西日本豪雨や北海道の地震をはじめとする自然災害など様々な出来事がありました。今のお立場で誕生日を迎えられるのは今年限りとなりますが、天皇陛下の退位まで半年余りとなったご心境をお聞かせ下さい。

回答 昨年の誕生日から今日まで、この一年も年初の大雪に始まり、地震、噴火、豪雨等、自然災害が各地で相次ぎ、世界でも同様の災害や猛暑による山火事、ハリケーン等が様々な場所で多くの被害をもたらしました。「バックウォーター」「走錨(そうびょう)」など、災害がなければ決して知ることのなかった語彙にも、悲しいことですが慣れていかなくてはなりません。日本の各地で、災害により犠牲になられた方々を心より悼み、残された方々のお悲しみを少しでも分け持てればと思っています。また被災した地域に、少しでも早く平穏な日常の戻るよう、そして寒さに向かうこれからの季節を、どうか被災された方々が健康を損なうことなく過ごされるよう祈っています。

 そのような中、時々に訪れる被災地では、被災者の静かに物事に耐える姿、そして恐らくは一人一人が大きな心の試練を経験しているだろう中で、健気(けなげ)に生きている子ども達の姿にいつも胸を打たれています。また、被害が激しく、あれほどまでに困難の大きい中で、一人でも多くの人命を救おうと、日夜全力を挙げて救援に当たられる全ての人々に対し、深い敬意と感謝の念を抱いています

約30年にわたる、陛下の「天皇」としてのお仕事への献身も、あと半年程で一つの区切りの時を迎えます。これまで「全身」と「全霊」双方をもって務めに当たっていらっしゃいましたが、加齢と共に徐々に「全身」をもって、という部分が果たせなくなることをお感じになり、政府と国民にそのお気持ちをお伝えになりました。5月からは皇太子が、陛下のこれまでと変わらず、心を込めてお役を果たしていくことを確信しています。

陛下は御譲位と共に、これまでなさって来た全ての公務から御身を引かれますが、以後もきっと、それまでと変わらず、国と人々のために祈り続けていらっしゃるのではないでしょうか。私も陛下のおそばで、これまで通り国と人々の上によき事を祈りつつ、これから皇太子と皇太子妃が築いてゆく新しい御代の安泰を祈り続けていきたいと思います。

 24歳の時、想像すらできなかったこの道に招かれ、大きな不安の中で、ただ陛下の御自身のお立場に対するゆるぎない御覚悟に深く心を打たれ、おそばに上がりました。そして振り返りますとあの御成婚の日以来今日まで、どのような時にもお立場としての義務は最優先であり、私事はそれに次ぐもの、というその時に伺ったお言葉のままに、陛下はこの60年に近い年月を過ごしていらっしゃいました。義務を一つ一つ果たしつつ、次第に国と国民への信頼と敬愛を深めていかれる御様子をお近くで感じとると共に、新憲法で定められた「象徴」(皇太子時代は将来の「象徴」)のお立場をいかに生きるかを模索し続ける御姿を見上げつつ過ごした日々を、今深い感慨と共に思い起こしています。

 

皇太子妃、皇后という立場を生きることは、私にとり決して易しいことではありませんでした。与えられた義務を果たしつつ、その都度新たに気付かされたことを心にとどめていく―そうした日々を重ねて、60年という歳月が流れたように思います。学生時代よく学長が「経験するだけでは足りない。経験したことに思いをめぐらすように」と言われたことを、幾度となく自分に言い聞かせてまいりました。その間、昭和天皇と香淳皇后の御姿からは計り知れぬお教えを賜り、陛下には時に厳しく、しかし限りなく優しく寛容にお導き頂きました。3人の子ども達は、誰も本当にかわいく、育児は眠さとの戦いでしたが、大きな喜びでした。これまで私の成長を助けて下さった全ての方々に深く感謝しております。

陛下の御譲位後は、陛下の御健康をお見守りしつつ、御一緒に穏やかな日々を過ごしていかれればと願っています。そうした中で、これまでと同じく日本や世界の出来事に目を向け、心を寄せ続けていければと思っています。例えば、陛下や私の若い日と重なって始まる拉致

被害者の問題などは、平成の時代の終焉(しゅうえん)と共に急に私どもの脳裏から離れてしまうというものではありません。これからも家族の方たちの気持ちに陰ながら寄り添っていきたいと思います。

  ③

 先々には、仙洞御所となる今の東宮御所に移ることになりますが、かつて30年程住まったあちらの御所には、入り陽(ひ)の見える窓を持つ一室があり、若い頃、よくその窓から夕焼けを見ていました。三人の子ども達も皆この御所で育ち、戻りましたらどんなに懐かしく当時を思い起こす事と思います。

赤坂に移る前に、ひとまず高輪の旧高松宮邸であったところに移居いたします。昨年、何年ぶりかに宮邸を見に参りましたが、両殿下の薨去(こうきょ)よりかなりの年月がたちますのに、お住居の隅々まできれいで、管理を任されていた旧奉仕者が、夫妻2人して懸命にお守りして来たことを知り、深く心を打たれました。できるだけ手を入れず、宮邸であった当時の姿を保ったままで住みたいと、陛下とお話しし合っております。

 

公務を離れたら何かすることを考えているかとこの頃よく尋ねられるのですが、これまでにいつか読みたいと思って求めたまま、手つかずになっていた本を、これからは1冊ずつ時間をかけ読めるのではないかと楽しみにしています。読み出すとつい夢中になるため、これまでできるだけ遠ざけていた探偵小説も、もう安心して手許に置けます。ジーヴスも2、3冊待機しています。

また赤坂の広い庭のどこかによい土地を見つけ、マクワウリを作ってみたいと思っています。こちらの御所に移居してすぐ、陛下の御田(おた)の近くに一畳にも満たない広さの畠があり、そこにマクワウリが幾つかなっているのを見、大層懐かしく思いました。頂いてもよろしいか陛下に伺うと、大変に真面目なお顔で、これはいけない、神様に差し上げる物だからと仰せで、6月の大祓(おおはらい)の日に用いられることを教えて下さいました。大変な瓜田(かでん)に踏み入るところでした。それ以来、いつかあの懐かしいマクワウリを自分でも作ってみたいと思っていました。

皇太子、天皇としての長いお務めを全うされ、やがて85歳におなりの陛下が、これまでのお疲れをいやされるためにも、これからの日々を赤坂の恵まれた自然の中でお過ごしになれることに、心の安らぎを覚えています

 

しばらく離れていた懐かしい御用地が、今どのようになっているか。日本タンポポはどのくらい残っているか、その増減がいつも気になっている日本蜜蜂は無事に生息し続けているか等を見回り、陛下が関心をお持ちの狸の好きなイヌビワの木なども御一緒に植えながら、残された日々を、静かに心豊かに過ごしていけるよう願っています。

 

(注)「ジーヴス」…イギリスの探偵小説「ジーヴスの事件簿」の登場人物

 

美智子さまが「皇后最後の誕生日声明」に込めた、静かなる叫びの正体

10/20(土) 12:30配信

現代ビジネス

 美しい山の稜線に突如、黒々とした岩石が顔を出したかのようだ――。

 ある宮内庁幹部はこう形容した。皇后美智子さまが今日、「平成最後の誕生日」に発表した声明の「ある部分」を指して、である。

 〈陛下の御譲位後は、陛下の御健康をお見守りしつつ、御一緒に穏やかな日々を過ごしていかれればと願っています。そうした中で、これまでと同じく日本や世界の出来事に目を向け、心を寄せ続けていければと思っています。

 例えば、陛下や私の若い日と重なって始まる拉致被害者の問題などは、平成の時代の終焉と共に急に私どもの脳裏から離れてしまうというものではありません。これからも家族の方たちの気持ちに陰ながら寄り添っていきたいと思います〉

 皇室に嫁がれておよそ60年の歳月を穏やかに振り返る声明の中で、唐突に言及された「拉致被害者」の話題。そこにはいったい、どのような意図が込められているのか。

宮内庁、騒然

 天皇皇后両陛下、皇太子と皇太子妃雅子さまは、毎年の誕生日に会見を開き、「お誕生日に際してのご感想」を発表している(雅子さまは例年、文書での発表)。その際、宮内記者会に加盟する報道機関15社は、事前に質問事項を取りまとめて宮内庁へ提出する。

 しかし、今年の美智子さまの誕生日は「異例」であった。9月に入ってから、会見を取り仕切る高橋美佐男侍従次長が、宮内記者会幹事社のTBSと産経新聞(注:その後交代し、現在は日本テレビと北海道新聞)に対して、こう申し入れたのだ。

 「このたびの皇后陛下誕生日会見は、事前質問をなくし、皇后陛下が語りたいことを語れるようにしていただけませんか? これが最後の公式会見となります。お話しになりたいことを、存分に話していただきたいのです」

 もとよりご高齢を鑑みて、2015年から、天皇皇后両陛下への事前質問は1問に絞られている。申し入れを受けた宮内記者会は、記者総会を開いて各社の質問案を出し合い検討した。その結果、

 「今年の相次ぐ自然災害と、平成の30年間を振り返っていただきたい」

 という内容で、9月下旬に改めて高橋侍従次長に要望することになった。

 皇后陛下は、折しも10月に入ると風邪で体調不良となり、都内で10月7日に開かれた障害者和太鼓大会には、天皇陛下がひとりで出席した。高橋侍従次長から宮内記者会へ、「今年の皇后陛下の誕生日は会見をなくし、文書のみの回答としたい。ご要望に沿ったお答えをいたします」という旨の通告がなされたのはこの頃だ。

 「それから美智子さまは体調不良を押して、何度も原稿の推敲を重ねました。結果として、記者会が要望した『平成の30年を振り返る』だけでなく、実直な美智子さまらしい『皇室の60年を振り返る』ともいうべき、充実した内容になったのですが…」(前出・宮内庁幹部)

 仕上がった原稿の内容が明らかになると、宮内庁は奥(=侍従、女官をはじめ内廷職員)も表(=宮内庁特別職)も騒然となった。冒頭にひいた「拉致被害者」への言及をはじめ、予想外かつ意味深な内容が盛り込まれていたからだ。

 「これ、官邸はOK出すかな?」「(天皇陛下の生前退位の)特措法を作った政権に対する複雑な思いの表れでは?」

 そんな声が飛び交い、宮内庁幹部は軒並み頭を抱える。だが美智子さまは、「そのまま記者の皆様に配ってほしい」との意向を示すばかりだった、という。

 天皇皇后両陛下が、誕生日の会見で北朝鮮の拉致問題に言及した前例は、ないわけではない。もっともそれは、拉致被害者が帰国した翌年の2003(平成15)年と2004(平成16)年のことで、当時の一大ニュースであったのを思えば、ごく自然と言える。

 平成最後の、そして皇后としても最後となる声明で、美智子さまが拉致問題を特記した意図は奈辺にあるのか。ここ数年の皇室と政権の関係性を思えば、憶測を呼ぶのも致し方のないことだろう。

次代の天皇皇后へのメッセージ

 さらに、今回の美智子さまの声明で特筆すべきは、やはり次代の天皇たる皇太子さまと、皇后たる雅子さまへ向けたようにも読めるところが随所にちりばめられている点だ。ある元華族は声明を精読したうえで、このように指摘する。

 「おふたりに直接言及している箇所は、〈私も陛下のおそばで、これまで通り国と人々の上によき事を祈りつつ、これから皇太子と皇太子妃が築いてゆく新しい御代の安泰を祈り続けていきたいと思います〉だけですが、そのあとの記述をよくよく読むと興味深い。

 〈どのような時にもお立場としての義務は最優先であり、私事はそれに次ぐもの〉

 〈皇太子妃、皇后という立場を生きることは、私にとり決して易しいことではありませんでした〉

 〈「経験するだけでは足りない。経験したことに思いをめぐらすように」と云われたことを、幾度となく自分に云い聞かせてまいりました。その間、昭和天皇と香淳皇后の御姿からは計り知れぬお教えを賜り…〉

 これらの部分は――穿ちすぎかもしれませんが――、代替わり後の次代を担う皇太子ご夫妻に対するメッセージとみてよいのではないでしょうか。おふたりにも、今上陛下と同じく『象徴』の役割を全身全霊で担ってほしいという思いを、ご自身の経験を語る形式で間接的に伝えようとなさっている。

 また、〈陛下の御田の近く〉になっているマクワウリを〈大層なつかしく思い〉、〈頂いてもよろしいか陛下に伺うと、大変に真面目なお顔で、これはいけない、神様に差し上げる物だからと仰せで、六月の大祓(おおはらい)の日に用いられることを教えて下さいました〉というところです。

 ここで美智子さまは、マクワウリを挙げて昭和の記憶を匂わせるとともに、雅子様に向けて宮中祭祀の重要性と、『これからは、何がどうあれ雅子さまが皇后として皇室を支えてゆくしかない』という思いをお伝えになりたかったのではないでしょうか」

静かなる叫び

 この元華族は、今回の美智子さまの声明の異質さをひとことで言い表すとすれば、「静寂が叫んでいるようだ」と語るが、的を射た表現だろう。

 一見すれば、静かに淡々と、来し方を振り返っているかのように思える。しかしその奥には、ただならぬ強い願いが込められている。どれだけの国民が、そのことに気づいただろうか。

 政権幹部のひとりは、この声明に接した官邸の反応についてこう語った。

 「宮内庁の西村(泰彦次長)には、『了承』とだけ伝えたよ」

 おそらくは、美智子さまにとって今回の声明が、まとまった形で、しかも公式に国民や他の皇族方に呼びかける最後の機会となる。言葉の端々にまで込められた美智子さまの真の思いを受け止めて、われわれは平成の次の時代を迎えねばならない。

現代ビジネス編集部

 

平成皇室の「発言する存在」皇后美智子さまは、何を語ってこられたのか

10/20(土) 12:00配信

文春オンライン

「皇太子妃、皇后という立場を生きることは、私にとり決して易しいことではありませんでした。与えられた義務を果たしつつ、その都度新たに気付かされたことを心にとどめていく――そうした日々を重ねて、60年という歳月が流れたように思います」

【写真】眞子さまは天皇皇后両陛下の初孫

 今日、84歳のお誕生日を迎えられた美智子さま。今年のお誕生日に際した文書回答ではこのようなお言葉で、現在のご心境を述べられた。

 2018年の皇室の大きな話題であった眞子さまのご結婚延期に関連して、宮内庁が5月に発表した「眞子内親王殿下に関する最近の週刊誌報道について」の中では、「皇后さまは、これまでもご家族のどなたかが苦しい状況におありの時は必ず、それは家族全体の苦しみだからと言われ、心配しつつ見守ってこられました」とあり、そのお言葉は、雅子さまが長期療養に入られた頃の文書回答とも重なる。美智子さまは、皇太子妃時代から「発言する存在」として、どのような足跡を残してこられたのか。会見記録や文書回答を読み解きながら、象徴天皇制を研究する河西秀哉氏があらためて振り返る。

◆ ◆ ◆

「人々への配慮」と「家族への視点」

 10月20日、皇后は84歳の誕生日を迎えた。皇后は誕生日に際して、近年、長い文書回答を寄せており、特にその言葉で注目されるのが、「人々への配慮」と「家族への視点」だと思われる。

 例えば、「長い年月、ひたすら象徴のあるべき姿を求めてここまで歩まれた陛下が、御高齢となられた今、しばらくの安息の日々をお持ちになれるということに計りしれぬ大きな安らぎを覚え」という2017年の誕生日の言葉に代表されるように、夫である天皇の健康を常に気にかけ、それを助けてくれる人々への感謝の言葉がある。それぞれの人々への配慮は、国民一人ひとりを意識する「平成流」の思想がそのまま言葉として表れているのだろう。その年に活躍した人々や亡くなった人々について言及し、その人たちの功績を称える言葉も近年、多くなっている。2016年の誕生日の言葉では「長年皇室を支えてくれた藤森昭一元宮内庁長官や金澤一郎元皇室医務主管」に言及しているが、それはやはり夫である天皇を助けてくれた人々への感謝や配慮があるのだろう。

 それだけではなく、「身内では9月に、初孫としてその成長を大切に見守ってきた秋篠宮家の長女眞子と小室圭さんとの婚約が内定し、その発表後程なく、妹の佳子が留学先のリーズ大学に発っていきました」(2017年)など、孫世代の皇族の成長に関する文言も近年になってずいぶんと増えてきた。

 2004年には雅子皇太子妃の長期の静養に関して、次のような言葉を述べている。

「家族の中に苦しんでいる人があることは、家族全員の悲しみであり、私だけではなく、家族の皆が、東宮妃の回復を願い、助けになりたいと望んでいます。宮内庁の人々にも心労をかけました。庁内の人々、とりわけ東宮職の人々が、これからもどうか東宮妃の回復にむけ、力となってくれることを望んでいます」

 ここでは、長期療養中の雅子妃に対する「家族への視点」とともに、それを支える宮内庁の「人々への配慮」を見ることができる。美智子皇后の言葉にはそうした視点があふれている。

(後略)

 

【追記】

 写真特集

 1枚目/5枚中

 2018年10月20日   毎日新聞

 

【追記】動画がきました。

 皇后さま誕生日 愛子さま悠仁さまもお祝い

10/20(土) 21:29配信  日テレ   動画

 

 


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