とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

イラク女性の占領下日記:リバーベンド   4(テロと原理主義の恐怖)

2008年02月13日 06時43分30秒 | 地理・歴史・外国(時事問題も含む)
2003年8月23日
「たった今始まったところ......」
 女性はもう、一人で出かけることはできない。誰か身内の男についてきもらわなければならない。占領が始まってから、まるで50年も昔に戻ったようだ。一人で外にいる女性や少女は、侮辱から誘拐まであらゆる危険な目に遭う。
 仕事をしたり、大学に行ったりしている女性にとっては、これはたまらなくいらいらする状況だ。
 戦争前は、大学生の約50%は女性だった。さらに全労働者の半分以上は女性だった。今は違う。イラクでは公然と原理主義が台頭してきて、とても恐ろしい。
 たとえば戦争前は、バグダッドの女性の約55%が「ヒジャープ」を被っていた。

*(訳注「ヒジャープ」:ムスリム女性が髪や肌を覆うヘッドスカーフのこと。)

 
 ヒジャープ=原理主義ではない。絶対に違う。私自身は被らないけれど、家族や友人には被る人がいる。要は、以前はヒジャープを被る被らないは、まったく問題ではなかったということだ。被っても被らなくとも、それは ”私”の勝手――そこらの原理主義者の知ったことではなかったのだ。
 知らない人のために言うと(最近わかったのだけど、意外と知らない人が多い)ヒジャープとは髪と首だけを覆うもののこと。顔は全部出ているし、グレース・ケリーのように前から髪を少しのぞかせている人もいる。ブルカというのはこれとは違って、アフガニスタンで見られる頭部全体――髪、顔、とにかく全部を覆うものだ。

 私は女性でイスラム教徒。占領前、私はほぼ自分の好きな格好をしていた。普段はジーンズや綿のズボンに気楽なシャツ。でも今はズボンでは外へ出ない。長いスカートと、ダブダブのシャツ(長袖がいい)が必需品だ。ジーンズをはいていると、攻撃、誘拐、侮辱される恐れがある。占領後、原理主義者が解放(!)されたからだ。
 親たちは、娘たちを安全な家の中に隠している。町で(特に午後4時以降)ほとんど女性を見かけないのはそのため。そうでなければ、娘や妻や姉妹たちにヒジャープを被せている。抑圧するためでなく、守るためだ。

 同じ理由で私は仕事を失った。女性は大学や学校をやめさせられている。14歳のいとこ(文字通りの優等生)は留年しないといけないだろう。なぜって?イラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)が、その学校の隣の会社を乗っ取って、”事務所”を設置したからだ。
 黒いターバンの男(映画「メン・イン・ブラック」ならぬ「メン・イン・ブラックターバンね)や、頭からつま先まで黒服のうさんくさい連中が ”事務所”の前の辺りにたむろしているて、隣の中学校に入る女の子たちや教師をじろじろ見る。ヒシャープを被っていなかったり、スカートが少しばかり短かったりするといやらしい目つきで眺めたり、にらんだり、嘲ったりするのだ。服装が ”適切”でないと、劇薬を投げつけられる地域もある。

 イラク・イスラム革命評議会(略してSCIRI だが、SCARY「恐ろしい」と言いたい)とは、1982年にテヘランで発足した。
最大の目標は、「イスラム革命」思想をイランからイラクに持ち込むこと。つまり、彼らは、イラクはシーア派ムッラー(イスラム法学者)に率いられる神権政治であるべきだと考えているのだ。SCIRIの副党首、アブドゥル・アジズ・ハーキムは、9人の輪番議長の一人で、もうじきイラク統治をやってみることになっている。
 SCIRIは、自分たちがイラクの全シーア派ムスリムから全面的な支持を受けているという印象を与えたがっている。でも本当は、シーア派ムスリムの多くはSCIRIと、彼らが権力を握った時に起こる事態を恐れている。ハキームは、イラン・イラク戦争の間中も、その後も、イランでイラク人捕虜を拷問し処刑してきた張本人だ。私が思うに、支配したときに、いの一番にやることは、イランとの国境を開放し、二国を統一するだろう。そうしたらブッシュはイラクとイランを、彼の言う、忌まわしい "悪の枢軸” としていちいち名を挙げなくとも済むようになり、ただ「悪の塊と邪悪な北朝鮮」と呼べばよくなる。(ブッシュの貧弱な言語能力には、こっちのほうが適切だろう)
 ハキームはイラク入国以来、バグダッドのCPAを彼の ”シーア多数派”どもと一緒になって恐喝している。彼は、”バドル旅団” に守られてイラクに入国した。この ”旅団”なるものは、イランで訓練を受け、イランの過激派に率いられた、何千人ものイラク過激派から成る。戦争の間中、国境に潜み侵入する隙を窺っていた。彼らは、スンニ派、シーア派、クリスチャン、どの派にとっても恐怖と不安の的だった。彼らと支持者たちは、多くの略奪・焼き討ち事件にかかわっている(復興の契約をとるつもりでやったんじゃないだろうか..........)さらに彼らは多くの宗教的・政治的誘惑や暗殺も実行した。
 目下のこの緊迫した空気は言葉では表せない。クリスチャンも過激派の標的になってきている。脅迫される人々、攻撃される人々........。
 ある数人は「女性は全員ヒジャープを被るべし。さもなくば ”罰” を受ける」という「ファトワー」を出した。
 「ハウザ・アル・イルミーヤ」に属すると称する、あるグループは「14歳以上の少女は、一人たりとも未婚であってはならない」という布告をだした。この布告はイスラム以外の宗教の女性にも及んでいた。南部では、国連と赤十字の女性職員が、ヒジャープを被らないと殺すと脅かされた。これは神の思し召しではなく、権力の仕業だ。「見よ。これほど力があるのだぞ。これほど勢力があるのだぞ」と人々に見せつけているのだ。

*(訳注「イスラム革命」:1979年にイランで起こった革命で、独裁王政が倒された。イスラム教に基づく共和国を樹立。イラン革命とも言う。)
*(訳注「ファトワー」:法学者がイスラム法に基づいて出す意見や裁定。法律的な拘束力はないが、重要な意味を持つ。)
*(「ハウザ・アル・イルミーヤ」:シーア派の聖地ナジャフにある宗教学校)

 酒屋もいつもファトワーの形で、「店をたたまなければ当然の報いがある」と脅しをうける。多くは放火か、爆破だ。同じようにバグダッドでは美容師が脅迫されている地区がある。本当に恐ろしいことだけど事実だ。
 これをイスラム教のせいにしないでほしい。どんな宗教にも過激派がいる。混乱と無秩序の時代は過激派の天下だ。イラクは素朴に「人にはそれぞれの生き方がある」という言葉に信をおいている穏健なイスラム教徒の国。私たちは、お互いうまくやっている――スンニ派とシーア派、イスラム教徒とクリスチャン、ユダヤ人、サービア教徒。異教徒同士で結婚もしているし、混ざり合って暮らしている。同じ地区にモスクも教会もあるし、子どもたちは同じ学校に通っている......。こうしたことは今までまったく問題にならなかった。

 ある人からイラク国民は、選挙でイスラム国家に賛成するだろうかと聞かれた。半年前なら、私は確信をもって「ノー」と答えただろう。しかし今はわからなくなった。人々は原理主義になだれを打って回帰している。宗教に救いを求めるようになってきている。その理由はいくつかある。
 最大の理由は恐怖だ。戦争に対する恐怖、死に対する恐怖、死より悪い恐怖(本当にそうなの。死ぬより悪い運命があるのだ)。この戦争の間、もし私が信ずるものを持っていなかったら本当に正気を失っていたと思う。祈るべき、誓いをたてるべき、契約を結ぶべき、感謝すべき神がなかったら.....乗り越えてこられなかっただろう。
 欧米的価値観や信条が入りこんできたことも、イラク人をイスラム文化へと向かわせる大きな役割を果たしている。欧米にも無知な人々がいる。まったく同じように中東にも無知な人々はいる。
 ムスリムとアラブといえば、欧米人は、自爆攻撃、テロリスト、無知、ラクダを思い浮かべる。アメリカ、イギリスといえば、イラク人は、堕落、売春、無知、支配、麻薬常習者、残忍さを思い浮かべる。仮想の脅威から自分自身を、また愛する者たちを守る一番の方法が宗教なのだ。

 最後に身も蓋みない話をする。イラク国民の65%は、現在、何らかの理由で失業している。ダーワ党とSCIRIなどのイランから支援されているイスラム政党は目下、家族を養わなければならない男性に、”支持” とひきかけに ”賃金” を提供して人集めをしている。"支持” とは、あらゆることを意味する。選挙の時は投票だし、ある店の爆破、”押収”、誘惑、車の乗っ取りまである。(チャラビのために働くのであれば........)
 だから、テロと原理主義の不安はどうかって聞かれたら、「カーペンターズ」で応えたい。
「たった今、始まったばかり......たった今.......

*(訳注「カーペンターズ」:カーペータンズの曲「愛のプレリューズ」の歌詞の一部。)
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