とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

イラク女性の占領下日記:リバーベンド   3(占領・宗教の違い)

2008年02月12日 19時36分03秒 | 地理・歴史・外国(時事問題も含む)
2003年8月22日
  「事実関係の整理」
 ここできっぱり事実関係を整理しよう。
 私はアメリカ人を憎んではいない。憎んでいると思っている人が多いようだけど、それは違う。理由は、私がアメリカ人を愛しているからではなく、単に憎んでいないだけ。フランス人やカナダ人、イギリス人、サウジアラビア人、ヨルダン人、ミクロネシア人その他が憎くないのと同じ。すっきりしてるでしょう?何百万人ものイラク人と同じく、私はイラク人であることやイラクの文化に誇りを持って育った。同時にまた、何百万人ものイラク人と同じく、異文化や異なる国民、宗教に敬意を抱くように育てられた。イラク人は生来探究心が強い。それに異なる価値観を受け入れようとする。ただし、その価値観と信念を推しつけられない限り、だけど。
 イラクに今の形で米軍が駐留することは憎むけれど、米軍兵士を憎いとは思わない。いや、待って。時には憎い。

 爆撃の間中、私はずっと彼らが憎かった。毎日、昼も夜も、私たちは次の爆弾、次の飛行機、次の爆発に怯えながら坐っているしかなかった。暗闇の中に坐って、自分自身や愛する人たちの命のために祈り、イラクの存続を願って祈った。家族や友人の顔に恐怖が浮かび、恐怖の記憶がよみがえる。そんな時、私は米軍を憎んだ。
 4月11日、私は彼らを憎んだ。この日、家族ぐるみで付き合っていた友人が夫と息子、そしてまだよちよち歩きだった娘を亡くした。
 6月3日、私は彼らを憎んだ。この日、バグダッドの中心部で、私たちの車は停止させられ、車から降ろされ、一列に並ばされた。その間ハンドバッグはひっかきまわされ、男性は身体検査をされ、車は荒っぽい兵士たちにくまなくチェックされた。この時の屈辱はとうてい言葉に言い表せそうもない。
 7月13日の2時間、私は彼らを憎んだ。バグダッドを出る時、うだるような猛暑のなかを検問所で他の数十台の車とともに引きとめられた時だ。
 私のいとこの家が強制的に家宅捜査された晩、私は、彼らを憎んだ。いとこは手を頭の後ろにして家の外に追い出され、20人ほどの兵士たちは手分けをして家をオモチャ箱のようにひっくりかえしていった。
 4月28日、バグダッド西部のファルジャーで米軍が小さな子どもたちとティーンエージャーを十数人も撃ち殺した時、私は彼らを憎んだ。地元の学校(やっと残っているうちの1校)を接収したのだ。
そのとき、子どもたちと親は校舎の前に立って静かに抗議の意思表示をした。一部の子どもが米軍に投石を始め、軍がその人たちに向けて発砲した。これがファルージャの流血事件のきっかけだった。

 一方で.......こう思う。

 こんなに容赦なく照りつける太陽の下、重たい服を着て、私たちの車のエアコンをうらやましそうに見ながら立っている米軍兵士たちを見ると、私はひどく気の毒になる。ここはバグダッドだし、私たちはイラク人。この暑さは前から知っている。

 米軍兵士はじっと立ったまま、太陽に照り付けられ、生ぬるい水を飲むしかない。得たいの知れないイラク人からの冷たい水の差し入れを受け取る勇気がない。気の毒だ。
 ひどく腹を立てた失業中の男から意味の分からない言葉で罵声を浴び、困惑して怯えた表情の兵士たちを見るとかわいそうになる。
 
 兵士たちが誰にでも銃口と戦車を向けるのを見ると絶望的になる。

 なぜなら、彼らの目には誰もがテロリストだと映っているだろうし、周りはほとんどが怒りと不満を抱えたイラク人なのだから。
 
 退屈してやる気がなさそうな坐る姿を見ると同情してしまう。イラクじゃなく、どこか他の所にいるのならいいだろうに。

 混乱の世では心境も複雑だ。
 私は米軍について言っているけれど、それは私が接触するのが米軍しかいないから。イギリス軍、イタリア軍、スペイン軍に接点がないからわからない。

 今回の戦争は、大量破戒器をめぐる戦いとして始まった。それが発見できず、証拠も根拠薄弱としか言いようがなくなると、突然 ”テロとの戦い” に方向を変えた。そしてアル・カーイダやウサマ・ビンディンとのつながりが立証できなくなると(FOX ニュースやブッシュの頭の中は別だけど)、今度は ”解放” に転じた。好きなように呼んでもらってかまわないが、わたしにとっては ”占領” でしかない。

 私がどうしてほしいかって?国連平和維持軍を導入して米軍を撤退させてほしい。誰を代表にするかは、イラク人に決めさせて。統治評議会のメンバーは、亡命イラク人ではなく、経済封鎖とイラク国内の戦争に苦しんだイラク人とすること。イラクの人々は怒りと不満を抱いている。米政権が仕切っていて誤りを犯しているばっかりに、そうした怒りの矢面に立たねばならないのは米軍なのだ。

 兵士の大半はあまりにも年若く、見るといつも悲しくなる。私が若い時代をこうしたつらい状況で過ごすのがフェアでないのとまったく同じ、彼らも苦痛とともに過ごすのはフェアでないように思える。結局、私たちには共通点がある。どちらもブッシュ政権の犠牲者だ。
 とは言っても、彼らは帰国することになる。けれども私たちはこの国に残り、今直面している自分たちの混乱に取り組まねばならない。


2003年9月1日
  「ブログ上の闘い」

 がっかりさせてごめんなさい、サラーム。あなたの言うことの大部分に同意しているから、あまり「ブログ上の闘い」にならないと思う。

*(訳注「ブログ上の闘い」:サラーム・バックスが2003年の書き込みでハーキムの暗殺についてリバーベンドにブログ討論を呼びかけた。)
(私注:ハーキムの暗殺については、後ほど触れます)

 イラクの人々は、アメリカを非難している。
理由1 アメリカはこの国の安全に対し責任がある。あなたがたが軍と警察(私注:旧政権下にあったもの)を解体した時、責任は ”あなたがた”に移ったのだ。
理由2 暫定占領当局(CPA)は、宗教、教派、民族の間の違いを煽り強調することによってイラク国民の分断を助長しているという、共通の意識がある。

 昔ながらの統治哲学である「分断して統治せよ」が採用されているといえる。イラク人(シーア派とスンニ派とクリスチャン)を占領に対する闘い(平和的なものであれ何であれ)に団結させないで、イラク人同士を闘わせるほうが簡単。その結果、占領軍は望ましいものだけでなく、”平和を維持”するために、”不可欠”であるという感情が生まれる。私はアメリカ人を取り立てて非難しているのではない。――これは誰もが知る昔からの常套手段だ。イギリス人はアメリカ人より前に試してみた(教派の違いの利用を)。オスマントルコ人は、何百年もの間、実践した(民族の違いの利用を)。

 私に「アメリカ非難をやめろ」とメールをよこさないでほしい。どんな社会にも過激派はいるし、どんな国家にも内戦の可能性はある。

 法も秩序もなければ、人は理解を超える恐ろしいことをするものよ。

 どんなに心を尽くして祈っていることか、私たちがひとつの国民として宗教の違いを超えられますようにと。なぜなら、何百年もの間、宗教的違いを問題にせずやってきた後で、さまざまな殺し屋や狂信者のグループが混乱と殺戮から利益を得るのを見るのは、立ち直れないまでの失望だから。
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