これが「平和の祭典」の真実か、医療崩壊中の日本で五輪開催とは
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(作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎)
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5月24日は、41年前にモスクワオリンピックのボイコットが決まった日だ。
1979年12月にソ連がアフガニスタンに侵攻。これに抗議した米国が翌80年7月のモスクワオリンピックのボイコットを表明し、西側諸国にも呼びかけた。日本政府はこれに従う方針を示したことから、この日にJOC(日本オリンピック委員会)の臨時総会が開かれ、挙手による決議の結果、不参加29、参加13でモスクワ大会の不参加が決まった。モスクワ大会は7月19日が開会式だったから、2カ月を切ったところでの決定だった。
■ JOC山下会長の気持ちも分かるが その時に選手として涙を飲んだのが、現在の山下泰裕JOC会長だ。その体験からすれば、1年延期となった東京オリンピックは、選手のためにも開催したい意向が強いはずだ。
だが、新型コロナウイルスの感染拡大で、開会式まで2カ月と迫った現時点で、東京をはじめ10都道府県に緊急事態宣言が発出されている状況で開催が可能なのだろうか。5月31日までとされている東京の発出期限は、さらに延長される可能性も囁かれている。
■ コロナと“戦争中”の日本で「平和の祭典」が本当に必要なのか そうした中で、IOC(国際オリンピック委員会)のジョン・コーツ副会長が、東京オリンピック・パラリンピックを緊急事態宣言が国内で発出されている場合でも、予定通り開催するとした。5月21日、大会組織委員会とのオンライン会合後の記者会見で、報道陣からの「開催期間中に緊急事態宣言が発令された場合に、大会は開催されるのか」との質問に、「答えはイエスだ」と断言した。
その理由に、今月、東京都内で海外選手らを招くなどして開いた飛び込みや陸上競技などのオリンピックのテスト大会が「緊急事態宣言下で成功裏に行われた」ことなどを挙げている。
しかし、コーツ副会長のこの発言は、明らかにオリンピック憲章に反するもので、言語道断といわざるを得ない。
IOCが定款とし、「憲法的な性格を持つ基本的な法律文書」とするオリンピック憲章。その中の「オリンピズムの根本原則」の2項目には、こういう記載がある。
「オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである」
新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言は、医療崩壊によって救える命も救えなくなる「人間の尊厳」の根幹を揺るがす状況であることを意味する。それで「要請」という名目で国民の私権を制限している。それが新型コロナウイルスとの戦いであるのなら、状況は「平和な社会」とは言えない。感染による死者も出ている。それで「人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てる」ことなどあり得ない。
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会見に同席した大会組織委員会の橋本聖子会長は、こう述べて暗にコーツ発言を支持している。 「医学・科学の知見を結集して安全安心な大会を開催する。医療に支障をきたすと厳しいので徹底的に策を講じる」 当たり前だ。緊急事態宣言下であろうとなかろうと、国民がオリンピックの煽りを食らって危機に瀕していいはずもない。
■ この状況でどうやって「安全・安心なオリンピック」になるのか
同時に橋本会長は来日する大会関係者が約7万8000人になる見通しも明かした。オリンピックが5万9000人、パラリンピックが1万9000人。延期前の18万人からは半分以下になったとはいえ、決して少ない数ではない。テスト大会とは規模が違う。
このうち、オリンピックではIOCや国際競技団体の関係者が2万3000人、映像制作、各国配信の放送サービス関係者が1万7000人、メディア関係者が6000人とされる。彼らはホテルなどの一般の宿泊施設で過ごす。大会組織委員会は外部との接触を制限する「バブル方式」を取るとしているが、どこまで感染対策の実効性が保てるのか、見通せていない。
そもそも、菅義偉首相が繰り返す「安全・安心なオリンピック」とは、誰にとっての「安全・安心」なのか。選手が安全ならば、それでいいのか。
■ 「選手の安全」には配慮するが「日本国民の安全」は眼中になし 東京オリンピック・パラリンピックに参加する選手などに、新型コロナの感染防止に必要なルールをまとめた「プレーブック」の最新版によると、日本への出国前96時間以内に2回の検査を行うことや、入国後は選手、コーチのほかに帯同する関係者も、原則として毎日、検査を受けることなどが明記されている。
だが、そもそも「安全安心な大会」だったら、毎日の検査は必要ない。安心できないから、毎日の検査を義務付ける。もはや「安全ではない」ことを示している。
それで国民の安全・安心をどうやって担保するのか。
コーツ副会長は会見で「WHO(世界保健機関)などから、緊急事態宣言下であってもなくても、十分安全で安心な大会を開催できると助言を受けている」とも述べている。だが、それは大会主催者側の見解であって、日本国民の安全をどう担保するのか、と訊ねれば、それは日本の問題、と答えるだろう。では、日本はどうやって国民の安全を守るのか、具体策はいまだに示せていない。
それどころか、開会式まで2カ月に迫って、いまだに観客の制限をどこまでにするのか、無観客の選択肢も含めて、決められずにいる。
モスクワオリンピックのボイコットは米国の意向で、開催まで2カ月を切ったところで決まった。オリンピックに政治を持ち込むことは、オリンピック憲章に反するが、日本は米国に従った。それで今回は、緊急事態宣言下でも東京オリンピックは開催するとIOCの意向が先に立つ。オリンピズムの根本原則にある「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会」を無視するどころか、日本人の尊厳すら虐げられるのに。
挙げ句には、IOCのトーマス・バッハ会長が、国際ホッケー連盟のオンライン総会で「五輪の夢を実現するために誰もがいくらかの犠牲を払わないといけない」と発言したことが報じられた。ここまでくれば、オリンピック憲章を踏みにじる確信犯だ。
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■ 選手も求められている五輪憲章の熟知と遵守 競泳のオリンピック代表の池江璃花子選手は、代表辞退やオリンピック中止を表明してほしいとのメッセージが届いたことで、困惑していることを明かしている。選手に辞退や中止を呼びかけるのは、筋違いではある。だが、オリンピック憲章の「オリンピズムの根本原則」の7項目にはこうある。
「オリンピック・ムーブメントの一員となるには、オリンピック憲章の遵守およびIOCによる承認が必要である」
オリンピック選手であるのならば、オリンピック憲章を熟知し、同意するものでなければならない。だとしたら、現状での東京オリンピックの開催がオリンピズムに見合うものなのか、そのくらいの見解はもっておいてほしい。
オリンピック憲章、オリンピック精神を無視したオリンピックなど、あっていいはずもないのだから。
青沼 陽一郎