菅政権が「コロナ第3波」の対応に遅れたワケ 8割おじさん・西浦教授が政策決定過程に苦言
10都府県で3月7日まで1カ月間延長された政府の緊急事態宣言。なぜ、菅義偉政権は「Go To キャンペーンと感染拡大には関連がない」と主張し、新型コロナウイルス第3波を長引かせてしまったのか。
厚生労働省への助言を続け、昨春の緊急事態宣言時には接触8割削減を提唱して「8割おじさん」と呼ばれた西浦博・京都大学教授に、理論疫学の最新知見や医療提供体制の課題を含め、話を聞いた(インタビューは1月27日に実施)。
――昨春の第1波に比べると、世界のコロナ対策は、より部分的なロックダウンを中心に据えるようになっています。疫学研究者の世界では、どんな新型コロナウイルスの知見が得られたのでしょうか。
1人の感染者が何人の2次感染者を生み出すのかという「実効再生産数」(「東洋経済が新型コロナ『実効再生産数』を公開」を参照)は感染の広がり度合いを示すものだが、何が新型コロナの実効再生産数に影響を与える要因になるかについて、4つのことが世界的に実証されてきた。それは気温、人口密度、人の移動率、そしてコンプライアンスだ。
気温が低いほど新型コロナの伝播は起きやすいことは実証研究でもはっきりしてきた。また、都市部ほどレストランなど密な屋内空間に入りやすいという意味で、人口密度は実効再生産数と正の相関関係を持っている。人の移動率については、グーグルが公表する「コミュニティ モビリティ レポート」の移動率データ(娯楽含む)を基に実効再生産数を予測すると、予測可能性が高まることがわかった。最後のコンプライアンスとは、接触につながる行動の自粛を指し、マスク着用やソーシャルディスタンスなどの度合いを含むものだ。
第3波の要因は政府対応の遅れと冬の気温低下
世界の国・地域によって流行の濃淡が出ている理由は、これら4つの要因で相当部分を説明できるようになった。最近の国内外の対策が飲食店などに的を絞ったものとなっている背景には、このような疫学上の知見がある。日本で第3波が拡大してしまったのは、政治による対策の遅れに加えて気温が相当程度に効いたためと考えている。
――内閣府は昨年11月の「経済財政報告」の中で、「統計分析の結果、人の外出率の低下は新規感染者数に有意に影響を及ぼさなかった」としました。これが「Go To トラベルは感染拡大に影響していない」と菅政権が主張した1つの根拠となっているようです。
私は、それはまずいと思ってきた。内閣府の分析では昨年2月15日〜5月31日(第1期)と6月1日〜9月1日(第2期)の頃に影響がなかったと言っている。それは今後十分に検証されていくことになるが、はたして統計学および理論疫学の十分なバックアップの下で検討された結果だろうか。
私たちは、少なくとも昨年6月から8月にかけて実効再生産数と移動率との間の相関度が低下した時期があることを把握している。しかしその後、人の移動率と実効再生産数の関係性は再びはっきりしてきている。
相関度が一時期、低下したのは、緊急事態宣言や局所での休業要請などの強い流行対策の下で人々が選択的な行動を取り、ハイリスク接触が減っていたためだと考えられている。対策下で人口全体の移動率と2次感染の間の相関度が低下することは国際的にもよく知られている。十分にその点を考慮したうえで政策に強く関連する本件の記述をしたのか、検討すべきだ。
都合のいい分析結果が切り取られている
政府の科学的なエビデンスに対する姿勢の問題もある。本来、科学的な分析はたくさんのやり方で複数の人にやってもらい、それらをテーブルの上に並べ、十分に検討したうえで政策を決めていくというプロセスが理想だ。しかし、今は密室で1つか2つしか分析が行われていない状態だ。よりオープンなサイエンスの声が届く仕組みにはなっていない。
加えて、官邸の意向を踏まえた動きがあるため、現在進行中の政策に不都合な事実は切り捨てられる傾向がある。その一方で、都合がいいものであれば質が限定的でも積極的にそれが使われていく。私は、厚労省の会議において航空機を利用した人の移動率と2次感染者数の相関が限られているとする紙1枚だけの資料を内閣官房が出したとき、勇気を出して「ここだけを切り取るような話ではない。もっと広くみんなで議論すべき研究課題だ」とコメントした。現に同じデータを使って再検討した結果、移動率は実効再生産数との間で時系列相関があった。
研究者としての良心から申し上げるが、これは科学との距離感にとどまらず、日本という国の政治を考えるうえで相当にシリアスな問題だと認識している。今の政権のあり方だと変わらないのだろう。
――一方で、新型コロナに対応した資源配分を柔軟に行えていない医療界にも問題があるとの指摘もあります。
その批判はおっしゃるとおりだ。日本の医療提供体制は、ハード(病床や医療施設)もソフト(人材)も高度に専門診療ごとに細分化されていて柔軟性が乏しいことが問題なのかもしれない。現在のような感染症の流行中にそのシステム自体を変えることは難しいが、大学医学部教育や研修医制度の中で、感染症学や感染管理の基礎(感染予防行動、防護服の着脱方法やゾーニングの考え方など)と人工呼吸器の使用方法について必ず学ぶような工夫をし、いざというときのためにソフト面での充実を図っておく必要はあると思う。
また、従来の新型インフルエンザの対応計画でも、必要となる入院キャパシティは既存のキャパシティを超えないという想定になっていた。しかし、既存のキャパシティを超える具体的な想定と、その際は民間病院が病床を供給するなど対応策もあらかじめマニュアルに入れておかないと、この国の体制では動かないことを今回、痛感した。
構造問題を踏まえた対応策を出したが…
ただ、厚労省の関係者の代弁をさせてもらうとすれば、厚労省はそのような医療提供体制の構造問題を流行当初から強く認識しており、それを踏まえた対応策を昨年6月19日に出していた。例えば、私たちクラスター対策班の専門家グループと協力して都道府県などに出した「今後を見据えた新型コロナウイルス感染症の医療提供体制整備について」という通知だ。
ここでは、第1波のデータを分析して、各地域での流行シナリオやその際に必要となる現実的に可能な病床確保計画を示しつつ、新規感染者がこれくらいに増えた段階でアラートをしっかりと出して対策を打てば、この最大病床数内で持ちこたえられるとの説明を展開した。柔軟性がなく大幅に病床を増やせない日本の状況を事前に考えて、流行対策のためのアラートの設定とセットにしたわけだ。
このような計画が機能するためには、都道府県知事や政府は設定された感染レベルのフェーズになったときにしっかりと対策を打つことが必須だった。
ところが、実際には第3波でフェーズを超えても実効性のある対策が打たれず、厚労省の通知は政治によって簡単に反故にされた。政治が責任を持って対策をしていれば、病床がオーバーフローすることはなかった。これは大都市を有する地方自治体の首長だけの責任ではない。政府はボールの投げ合いで時間を費やしたが、こと専門性が高い厚生労働行政については守ってもらわないといけない極めて重要なポイントだった。
病床の不足について真に国を憂う気持ちを持ってともに徹夜を重ねた厚生労働官僚たちが、どんな思いで唇を噛んで悔しさを滲ませたのか、憤りを覚える第3波であったことは、ここに通知の存在とともに明らかにしておきたい
医療の構造問題にどう対応するか
――平時に戻ったときには、日本の医療提供体制の構造を変えることも必要です。欧米諸国の一部には、すべての診療科に対応する総合診療医(日本ではかかりつけ医や家庭医とも呼ばれる)が病気のときだけでなく、健康診断や健康相談などを通じて継続的に同一の患者と関わり、家庭環境や働き方などを含めた総合的な解決策を探るプライマリーケア制度があります。総合診療医は必要に応じて大病院や介護、薬剤師などと連携しますが、感染症が流行した際にも、この制度は有効ではないでしょうか。
新型コロナウイルスの初期の患者対応では、保健所が連絡窓口となって指定医療機関へ誘導してきた。途中でかかりつけ医も導入されたが、外来診療のプロであるプライマリーケアの体制が最もうまくいくかもしれない。
実は、総合診療医学と感染症学は、外来のプロとして診察で所見を得て鑑別診断を考えていくというプロセスは共通していて、感染症医をしながら総合診療医を標榜する医師の方は日本でも少なくない。とても親和性は高い。
ただ、日本では感染症医や総合診療医はおざなりにされてきた。少なくとも10年ほど前までの日本の医学部教育では、学生が感染症医や総合診療医になろうとすると、「やめておけ」と先輩の先生から言われることが多かった。内視鏡処置や手術もできないようでは手に何の職もつかず、医療点数が限られたサービスしかできないから、公立病院でないと、あなたはお荷物になりますよ、と。
最近では、抗菌薬の適正使用や院内感染対策チームなどのニーズから、個別の努力によって日本でも少しずつ感染症医は増えていたが、まだ圧倒的に足りない状況だ。今後は感染症医や総合診療医の育成も含めて、医療提供体制の見直しを行動計画に含めることも考慮するといいのかもしれない。
著者:野村 明弘