新型コロナへの政府対応と、感染者数や死者数は、国ごとに大きく異なり、「被害を最小限に食い止めた」と評価される国もあれば、「無策で感染拡大を招いた」と批判される国もある。

 そんな「国際比較」のなかで、“独自路線”と位置付けられたのがスウェーデンの対応だ。

 世界のメディアでは、“集団免疫作戦”と称され、「スウェーデンは、他の欧州諸国とは異なり、ロックダウンを避けた。集団免疫の獲得を目指して、なるべく多くの人が感染することで事態を早期に収束させようとしたが、結局、失敗に終わった」と報じられた。

 この論評は、日本でも広く流布しているが、果たして事実なのか。

それほど“独自”な対策でもなかった

〈しかし、こうした「集団免疫論」は、(スウェーデン政府から)公式には一度も表明されていません。その対策は、実はそれほど“独自”なものではありません〉

 こう語るのは、スウェーデンの首都ストックホルム在住の医師として、新型コロナの「入院時診断」「退院後のリハビリ」「治療薬の治験」に携わり、公衆衛生の研究者として「循環器系疾患と新型コロナ重症化の相関関係」の調査も行っている上田ピーター氏だ。

「普段どおり公園でピクニックを楽しむ若者」の写真が広く出回ったが……© 文春オンライン 「普段どおり公園でピクニックを楽しむ若者」の写真が広く出回ったが……

〈法律で強制したのは、「高齢者施設の訪問と50人以上の集会の禁止」「飲食店において、客同士の距離をとるための制限」です。

 

「少しでも症状のある人の隔離」は、法的拘束力がない「勧告」として定められ、それを促すために、「医師の診断なしで病気欠勤が許容される期間」が3週間に引き上げられました〉

〈「高校と大学のキャンパスの閉鎖とオンライン授業の提供」「可能な限りのリモートワーク」「不要不急の旅行の自粛」「社会的距離の確保」「70歳以上のステイホーム」なども「勧告」として推奨されました。

「手洗いをする」「他者と距離をとる」「咳エチケット」などのメッセージも、テレビや街中の看板などで流され、スーパーでは、客同士の距離をとるためのシールが貼られ、飲食店では、半分近くの席を使用できなくしました〉

学校の休校措置を採らなかった理由

 その上で、上田氏は、スウェーデンの対応をこう総括する。

〈法律や警察によってすべてを強制するのではなく、国が情報を提供し、具体的な対応は国民に委ねるという点は、徹底的なロックダウンを行った国とは異なります。しかし、政府の要請と国民の自発的な自粛で対応した日本とは、かなり近いのではないでしょうか〉

 ただ、日本との大きな違いは、学校の休校措置だ。

〈保育園・小学校・中学校を閉鎖しなかったのは、他国との大きな違いです。それには、いくつか理由があります。

 まずスウェーデンでは共働きが普通なので、子供の世話が問題になります。感染拡大で医療機関の負担が大きくなるなかで、休校措置を採った場合、医療従事者の10%が子供の世話のために欠勤を余儀なくされる、という推計が出されました。子供の世話を祖父や祖母が担うと高齢者の感染リスクを高め、本末転倒になる、という懸念もありました。子供の集団は、感染拡大に加担する可能性は低いとも判断されました。最も恵まれていない子供のいる家庭ほど負担が大きくなるという懸念もありました〉

スウェーデンの「感染者数」を見ても意味はない

 上田氏は、「感情ではなくエビデンスで判断するのが我々の『民度の高さ』だ」というのが、スウェーデンの“国民的プライド”“一種の愛国心”の表現になっていると指摘しているが、休校措置一つとっても、“スウェーデンのエビデンス重視”の姿勢が感じられる。

 ただ、上田氏はこうも付け加える。

〈私はスウェーデンの政策に対して支持も反対もしていません。そもそも政策を適切に評価できるだけの明確な「エビデンス」はないからです〉

 我々は、日々の感染者数の発表に一喜一憂しているが、上田氏はこうも指摘する。

〈(スウェーデンでは)これまで検査は、入院する患者のみを対象としていました。そのため、入院が必要なレベルにまで重症化しないケースは、統計に含まれていません。検査能力が足りず、また優先もされなかったからです。

 ですから、スウェーデンの「感染者数」を見ても、まったく意味はありません〉

 さらにこう続ける。

そもそも国ごとの比較は困難

〈国ごとの比較も無意味です。検査の仕方が違うからです。

 そもそも国ごとの比較は困難で、そこから各国の対策を評価することに、私は抵抗を感じます。

 第一に、国ごとにデータの質や死因の定義が異なり、データの漏れにも違いがあります。

 第二に、国ごとに人口密度、年齢構造、基礎疾患の有病率、行動パターンが違うわけですから、単純に比較はできません。

 第三に、ホットスポットやクラスターで感染拡大が起こる感染症ですから、国ごとの違いよりも、国内の地域ごとの違いの方が大きかったりするので、国ごとの比較にどこまで意義があるのか〉

コロナ禍は「非常事態」ではない

 こうした疫学に徹した冷静な指摘を前にすると、日々メディアで目にする議論にどれだけの意味があるのかという気がしてくる。

 政策を決めるのは「政府」なのか? 「専門家」なのか? この点は、日本でも大きな論点となっているが、スウェーデンはどうなっているのか。

〈スウェーデンのコロナ対策は、「政治的リーダーシップによる危機対応」としてではなく、「専門機関による通常時対応」として取り組まれています〉

〈スウェーデンでも、戦争など国家存亡に関わる非常事態には非常時対応となるわけですが、現在のコロナ禍は、そこまでの危機ではない。ですから、「是が非でも被害を最小限に抑える」というよりも、「コロナ以外の健康効果をも含めたコストとベネフィットのバランスを考慮しながら、エビデンスを吟味して、効果があると思われる対策を慎重に実行する」ことになります〉

〈例えば、毎年スウェーデンでは、アルコール関連の死因で亡くなる人は約4500人。今回のコロナによる死者とほぼ同じです。タバコ関連の死因は約12000人。単純な比較はできませんが、コロナ対策の目標も、アルコールやタバコを法律で禁じるわけではないように、「最大多数の人の寿命を最大限に伸ばすこと」ではなく、「公衆衛生上のコストとバランスを取りながら、個人の自由や個人の充実した生活を守ること」になるわけです〉

 コロナ禍は、「非常事態」ではないので、原則として「専門家」が政策を決め、「政府」は介入しない、というのが、スウェーデンの対応だ。

 また「疫学を重視すること」は、必ずしも「経済より感染症対策を優先すること=厳しい行動規制を求めること」ではない、ということもスウェーデンの事例は教えてくれる。

 スウェーデンの対策と他国との比較を冷静に論じた上田ピーター氏の「 スウェーデン『集団免疫作戦』のウソ 」の全文は、「文藝春秋」8月号および「文藝春秋digital」に掲載されている。

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(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2020年8月号)